×xー×ーの おとなげない 日記 for Otonagenai people
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Maggio Mai
5/7/ 「夢を見る人」original love
ある日記(有名なのかもしれない)をよんだ。違和感がはなれず目がはなせない。いろんな異性が・自分を大事におもってくれる異性(同性でなく)がいないといきていけないらしい。自分はおぼれてない・コントロールできてるって思いこんでるところに顕著だが、完全にアディクションだとみえる。恋愛の日記だというけれど、これは恋愛?これが恋愛?
相手のためにしてあげたいという気もち、それだけなのだろうか。おれは恩きせがましいと思う。だれかのためになにかすることでしか自己実現できないというのはちょっと(だいぶ)ちがうと思う。なんだかんだいいながら結局は自分のために相手を利用してるのとおなじじゃないのか?自分の有用感をえるために相手になにかしてやってる(つもり)だけなんじゃないのか。自分を大事にしてないと思う。自分を大事にできないやつに他人を大事にできるわけがない。
その人のことしかでてこない。でてこないから狭小な体験しかしてないということにはならないのだろうけど、それでも「ほかにすることはないのか」と思える。たぶん世界はもうちょっとひろい。一番ではなくてもそこそこ楽しいこととか意義の感じられるものもある。
ときどき書かれる妙に常識的なことばがアンバランスでおかしい。
消費が(おそらく)異様にハゲしい・尋常じゃないかいもののしかた。これをやまいといってもいいだろう。神長さんは、使ってしまうから稼がなくてはならなくなる、その循環をみてはどうか、といった。そしてみずからをだめ人間とレイベリングした。思うに、自分で自分をだめ人間といえるのはだめではない証拠だ。真性だめ人間は自分のことを「だめ」とか「だめなところもあるかも」とか思ったりしない。それでこじれてなければ別によい。あきらかにこじれているのに、その原因(のすくなくとも一部)が自分のだめさにあることに気づかない、これこそ真性だめ人間である。
そうすると、自分をだめ人間と規定できるのは本当はだめでなくて、だめ人間と規定できないのが真性だめ人間であるという、いわばだめ人間の存在論と認識論の………………むずかしい。
ぬるい南風のふく一日を今日もあいかわらずバカな顔ですごした。列車のなかでねーちゃんたちをみながらぐへへなどと妄想してみようとする。
自分のいいたいことをいわなければ。ひととはちょっと違う・かつ大切なことを大事にいう。あたりまえのことをもう一度とかれる。
10代はがんばって、実際ほんのちょこっとがんばって、がんばろうと思った。20代は反動がきて、がんばることができないと思えたし、がんばれずに、がんばることはいいことなのだろうかなどと考えながらすごした。うしなわれた10年といってもいい。うしないながら・うしなわれながら、それでも何かをいわなければならないとは思えた。がんばるのとは別のやりかたが何かあるのではないかと思えた。
かえりの電車の中で、結局はふりきらなかった空を、あいかわらずバカな口でみあげた。ふたつのくの字にさけた雲のあいだから青空がみえる。都市高速のバスからはおりていく飛行機がみえる、4年かよった場所もみえる。
4年間の懸案はとりあえずはおわらせた。それでもまだスタートラインにすらいない。ようやくむこうにそれらしきものがみえるような気がするだけ。それでも前進といっていいのかもしれない。
たのしいこととたのしくないことがあって、それでもたのしいことをたのしいと感じられる。ちょっときついことや苦しいこともまた意味のあることのように感じられる。とりあえずは平坦ではないみちなのかもしれない。そういう道をあるくことができる、それにはとりあえず自分がこの世界に(この世界として)うまれおちなければならなかったのだから、両親(家族)には感謝の気もちでいっぱいだ。
なんといってもほかにもささえてくれる人がおおぜいいる。嘘でも皮肉でもなく本当に感謝しています。それからこの日記をよんでおりにふれ感想をおくってくださる方々にも。
いつでもなにか否定形でしかいえないような気がする、つぎの1年はなさけなくない1年にしたい。
5/6/ 「tell me a bedtime story」Herbie Hancock
最近ともだち(?)の家につれていかれる夢をよくみる。そこは駅の裏にある木造の豆腐屋さんで、木がくろびかりしている。多分中学時代のともだちのようだ(実際は豆腐屋でもなんでもない)。昨夜もその夢をみた。ともだちふたりがおれをその豆腐屋へつれていく。店のなかはひろく、12人ぐらいがすわれるたてながのテーブルがふたつあり、その一方にわれわれをふくめて12人がすわり、揚げだし豆腐の(しかも)きれはしをみんなで食べている。そしてさいごに「誕生日おめでとう」といってくれる。めがさめる、今日っておれの誕生日か!………と思ってどきどきしたら、今日はまだ誕生日じゃない。
babyface ってうたへたくそだな。このまえきいてゲッと思った。下手くそというか声が全然よくない。こればっかりはさずかりものだからしょうがないのかもしれないが。うたいてで声がよくないというのは致命的。全然ぐっとくるものがない。FMでながれてくるリー=リトナーとかハイラムとかを久々にきく。楽器やりはじめのときって、うたのはいってないやつをやるから自然フュージョン系統に気がいく。実際フュージョンはすきだが最近はうたものに特に気がむいていたのだ、やはりこうしてきいてみるとフュージョンでもいいのはいっぱいある。
Herbie Hancock の「tell me a bedtime story」の原曲をはじめてきく。よく Quincy のものはかかってるのだが。Quincy のはちゃんと計算されつくしたような美しさ。Herbie の原曲は、それよりはちょっとルーズな感じがしてこれもまたいい、ずっとなりつづけるハイハットが微妙なゆらぎをだす。Herbie のすごいところはそこに(も)ある。
それにしても、音楽というとかまえてしまって「音楽はクラシックしかききません」とかいうおっさんもいるけど。あほというしかない。
5/5/ 「what games shall we play today?」chick corea and return to forever
ゴールデンウィークどこにもいってないひとあつまれー。
わー。
おじさんなんて、どこにも外出してないぞ!靴さえはいてないんだ。
いつもかかってこない電話も、いつもにもまして、この数日ただの1回もかかってこないんだ。
これがほんとのひきこもりだぞー。
わー。
PCにむかっていたら偶然むかいの家の犬がめにはいった。胴になにかささえをしておばさんが無理やりたたせてあるかせていた、車庫にきえた。足腰がたたないようだ、もう死期がせまっているのだろう、おおきくてまっしろな犬だ。むかいなのに全然かかわりのない家だけど、犬はかわいそう、元気だったときをしっているから。死期かもしれないけどかわいそう。もう一匹の元気な犬を散歩につれだすおばさんをみる、ララをおもいだす。みーこにもそんな時がくるのだなあと思ったら超ブルー。
5/4/ 「smackwater jack」Quincy jones
今日もあめ。一日PCにむかってうつろな気分。そとをながめる。あめのしずくのひとつぶひとつぶを………。
5/3/venerdi 「悪い種」o l
すばらしい天気、ほんと台風のよう。くるまもかねもないおれにはどっちにしろ沈殿するしかない連休なのだが。ほんとどんたくって天気にめぐまれんね。パレードするひとも見物するひとも大変(もっともおれには意義がよくわからんけど)。
「悪い種」でもきいて性根をいれかえなさい、うれてる駄目アーティストのみなさん。
5/2/giovedi 「that's just my way」eric benet
こどもだましの歌(こどもに失礼だな)。もちっと何かいろいろ考えてるんかと思ったら「みうしなってた」って、それが「おとな」のいうことか!(おとなじゃないらしい)。うたうにあたいしないうた・きくにあたいしない音楽(すでにたのしくないので音楽ではないかもしれない)。
さすがに、自分の大事にしているものをぐちゃぐちゃにしてくれそうなものに寛容になれるほどにはおとなにはなれない、というかなる必要がない。
「あなたがいないとたってられない」って、そんな馬鹿なこといってるまえに、たってる必要のある地平なのかどうか、よう考えたほうがいいよね。他の何もかもがみえなくなるくらいみてあげられないのなら、それはもう別れたほうがいいかもしれんってことだよね。
5/1/mercoledi 「soul free」george michael
ヒゲ日記更新。あいつテキスト庵ではもう更新報告しないのか?日記才人ではおこなってる模様、やるならやるでちゃんとしろよ、あと論文かけよ。
5月ってすきな季節(というか月)ではあるんだよ、自分のうまれた季節だし。ただ誕生日をすなおによろこべない状況なのもまたたしか。来年は?
昨日、あたらしい場所でであったひとびと、なにかをはなすことができるかもしれない、と思うとちょっとはうれしいきもちになったのだ。
□ 過去も結構おとなげない