×xー×ーの おとなげない 日記 for Otonagenai people
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Settembre Septembre
9/30/lunedi 「deeper」original love
ひさしぶりに9月(の日記)をふりかえってみます。人生で今が一番みじめかもしれないと嘆息したりどうしてもひとりになってみたくなったりしてる。いつものことながら今月もあまりいいことなかったなあ。まあ死なずによく生きているということ。たしかに「生きているだけでもまるもうけ」なんだな。あいかわらず部屋はきたないし、かたづけようという気だけはあるのだが。今日も調子がよくなかった………とほほな状況である。森広隆は収穫であった、これはまちがいなし。斎藤美奈子大先生がご活躍中だということだけはしってるが、かかれたものはまだよんだことない、よむかどうかもわからない。最近かりた本にのっていた印象的な一節。
実感を伴わない人文科学は、私にいわせればクソ喰らえです。………高尚な文献だけを渉猟しようなんて浅はかな考えは捨て、生活者レベルの初級編と学問レベルの上級編を行ったり来たりする、それが正しい「勉学の態度」ってものではないでしょうか。、斎藤美奈子 2002「高校生にもわかるジェンダー入門」『ジェンダーがわかる』朝日新聞社(AERA Mook)175ページ
9/29/domenica 「searching」roy ayers
おそいあさ。ひさびさの電車。本を1冊かう。おこのみやきをたべる。あるく。駅前で高校時代の同級生(女子)?とばったりんこ。めとめがあったのだがおたがい何にもいえず、多分同級生だったと思うんだけど。ビルのたにまの木の下をあるくとむこうからスーツすがたの先輩が。しかしむこうは気づかなかったのか目をあわせようともせずそれっきり。130万人以上ひとがいるというのになんでこんなにしってる人にあうのか?そういう日もあるだろうけど。ぶらりんこ。こーしーのんで「ここならおれのようなおされでない小心者でもはいれそう、ぐへへ」と妄想。スケッチブック(A4)1冊購入して夕方のバス。どこもこんでいる。
9/28/sabato 「ささやかれた夢の話」比屋定篤子
こいびとっつーのはどういう関係か。たとえばこいびとにははなせないことがあるというのはどうか。おれはあるけど。秘密というほどのものではないけど。むなぐらつかまれて「おしえんかコラァ」とすごまれたら余裕でおしえるぐらいのこと。なにごともつつみかくさずすべておしえあう、というのがこいびとの関係だとはあんまり思えない。なんでこんなことかいてるのか。
社会学者と社会学者のかいてあったもの、ふたりとも映画にハマったことがあるらしい。どちらも映画をみまくって自分たちで撮影とか編集とかしまくって。「何かにハマる経験は絶対必要だ」ともかいていた。心酔する誰かに「憑依」されたり「のりうつられる」経験が必要だ、とも。文学でも小説でも映画でも美術でも音楽でも料理でもバイクでも能でも狂言でもお茶でも格闘技でもつりでも何でもいいのだろうけど(殺人とかじゃなければ)。やっぱり思うのは、おれって何にハマったことがあるんだろう、ということ。何かにハマったことのない人間はすなわちだめ人間なんだろうか、とか。でも、何にもハマってなくてもそもそもそういう疑問がわかない、というのはそれはそれでただしいのだと思う。そんな疑問をもつこと自体どうかしてることの証拠のようにも思えるのだ。たしかに音楽にハマっているとはいえるかもしれず、スコア(総譜)をみながらねむれない夜もあったし徹夜で編曲したり譜面おこししたりしたこともあった。ハマるためにそうしたのではなく、ただそうしたかったしせねばならなかった、ハマるという行為は当人にとっても事後的に了解されるようなたぐいの行為なのだろう。
でもレコード(CD)かいまくったりライブいきまくったりとかいうのは全然ない、そもそもさきだつものがない。毎日鍵盤をぽろりんこはするものの、もうながいことプレイヤーとしては舞台のうえにはたっていない。いまはハマるものがないのかなあ、そうでもないのか。他人からみると充分音楽にはまった人間にみえるかもしれないけど。ハマることを意識(自覚)した人間の視線。社会科学にうす〜くハマってはいるかもしれない。うす〜くだけど。ムッシュが「ゴロワーズ」の中で「何かにはまらなくてはだめだ」といっていた。カッコいい曲、そしてそれはそのとおりなのだと思う。
9/27/venerdi 「歩いて帰ろう」
たのみもしないのにいろんなこと・ひとがやってくる。しったかぶりで「人生とはそういうもんだ」ということもできるのだろうけど。今はそういうもろもろのことがわずらわしい。
嘘でごまかして 過ごしてしまえば
たのみもしないのに 同じ様な朝が来る斎藤和義「歩いて帰ろう」
2000年3月25日以来の超ひさしぶりの勉強会。夕方のそらは結構ハゲしいあめ。こういうあめもすき。某ヒゲがよくいってたすぱげちー屋。生麺。海へぬけるあたらしい道ができていた。今度はれた日にはしろう。みどりいろの観覧車。何回も横をとおったことがあったけどあいているところはみたことのなかった喫茶店。今度きてみよう。
「平日何やってるんですか」とか「勿体ないですね」といわれる。自分でもそう思う。もっと本とかよまないといけないんだろうなあ。何でもあたまにつめこみたい気もちではあるが、実行がまったくともなっていない。なさけないというよりは自分でも残念という感じ。
9/26/giovedi 「心にしまいましょう」
古内東子ばっかりきいてみる。
どうしようもないことなんてないと思ってたけど
この手に入らないものなんてないと信じてたけど古内東子「心にしまいましょう」
な、なるほど。
ふたりの人を愛することを知らないうちに私はしてた
心のパズルを埋めてくれるピースがふたつあっただけ古内東子「sun and moon」
な、なるほど………つーかそんなのあり?やられた方の身になってみろ?(負け犬的)。今日もやられっぱなし。しかもやる気なし祭り。酒のよわいおれが今日はビール2本目。どっちにしてもどうかしてる、このバカ男。そとは小雨。
9/25/mercoledi 「sun and moon」
朝晩はだいぶさむくなってきた。半袖ではちょっときつい。制度がかわってないのなら多分いまはもう教育実習がはじまってるのだとおもう。附属中学はとてもかよえるような距離ではなかったから下宿した(しかも友人のきまっていたところにおれもお世話になった)、しかも5週間(いまは週1だからなんとかかよってる)。ほんとにやりなおせるならあのときからか………いやもっとまえだな、大学えらぶときにもうこの道はきまっていた気がするから。
去年のいまごろはまだニューヨークの映像ばかりだったろう、1年たつと随分かわるものだ。来年のいまごろはもうこの日記もおわっているだろう。彼女をなかすべきではなかった。
9/24/martedi 「皆笑った」
自分のことはたなにあげていうんだけど、先まわりしすぎ。連絡したら相手がいらん気をまわして迷惑かけるんじゃなかろうか、とか。むしろこちらから何度か連絡をとろうとし、とれずに心配していたりするのだが。相手は相手でそんなこと考えてるからきれいにいきちがい。迷惑かけまいとして気をまわしすぎて連絡をとらずにいること・そんなおめーの態度こそが当のおれにとって迷惑だっつーの………みたいなことがある。というかおれもそんな気をまわし(すぎ)たりする。心配という迷惑をかけるぐらいなら、「迷惑かも」なんて気をまわしすぎたりしないでどんどん連絡をとればいいのだ、ほんとは。そんなことで「迷惑だよ」なんていうしりあいはそもそもいないのに。
こんなに気もちのいい日は1年にそう何回もないだろう、そんな天気。こんな日には家にいてはいけないのだろう。どこということもなくぶらりんこするのがただしいひとのみち(?)のような気がする。ぶらりんこしながら美術館なんかにいくのがいいだろうなあ。
だけど恋してるなんて
もう若くないのに
自分でもおかしいのさpizzicato five「皆笑った」(小西康陽・高浪慶太郎)
9/23/lunedi 「しらけちまうぜ」小坂忠
夕陽をみる。ヒット曲ランキングカラオケみたいなテレビ。こんな音楽(?)しかないのか………と思いつつがっくり。夜中のムッシュや石川セリのほうが5000億万倍よかった。某氏の MC はかなり疑問。
政党って何だ?中学生や高校生におしえる先生って大変だな。おれにはいまいち興味がもてないし、自分の興味のもてないものをおしえられるかっつーとちょっとキビしい感じがする。よりあうためだけによりあいつづける政党。馬鹿馬鹿しい。ほんと「しらけちまうぜ」。生活者の日常にとって政党は必要か?
9/22/domenica 「unexpected lover in N.Y.」t-square and friends
もてる人って、なんか「その人と話したい」とか「話せなくてもいいからとにかくそばにいたい(ついでにうっとりしたい)」とかいうことなのかなあ。もてない人はその逆。おれの場合被害妄想なんだろうけど、「十戒」のように人がさーっとにげていくような気がする(ほんとに被害妄想だな)。でも、もてるのとこいびとがいるかいないかは別なことで。非モテ系(睦月/19/金 参照)のおれのような人間とつきあってくれる超奇特なひともいるのだし。で、こいびと同士っつーのは「愛してる」とかささやきあうっつーことですか?おれのばやい「『愛してる』っていって」とかいわれるととても興ざめする(いやいわれたわけではないですが)。「『愛』ってなによ」と思ってしまうから。まえねーさんに「あなた目にみえないものは信用しないの」ってきかれたことがあるけど。そうじゃなくって、そんなにぽんぽんおたがいのあいだをとびかうものなのかなー、という疑問がずっとあるので。つきあいだしてふたことめには「愛してる」とか「結婚しよう」とかいうおとこがいるのもしってるけど。そんなものまだ食べたこともないし、体験としてわかるにはおれはまだまだ若造すぎるようだ。
いやーひとつきのあいだに何回かは「こんな日記やめてやる」と思うことがあって。充実した日々のおまけについでとしてこの日記があるのならまだしも。なんの充実もしてない日々にただだらだらと害毒のようなものをたれながすなんて………。「そんなことないよ」なんていってもらうのをどこか期待する自分もいたりして、もう最悪。しかも日記をやめる勇気もないの。わたし。よよよ。そんなときはヒゲ日記を読んで苦笑するしかない………。
あなたが彼女でも彼女でなくてもおとこでも、一緒にいてくれる人にはほんともうしわけなさでいっぱいだよ。
9/21/sabato 「エイリアンズ」キリンジ
最近「アロマポット」という字をみて「アロマロボットってどんなロボットなんじゃ」などと憤慨しているあほおとこ・しょーへーです。なぜだかくちびるが異様に乾燥してはれちゃうしいっぱい切れてます。
髪はぼーぼー・ひげもぼーぼーだったがひさしぶりに散髪。どうでもいいこと(説明は大したことないので省略)。だめ人間であるところのわたしは、どうも女性とはなすときに自分のだめさ以外に言及するものがなく、その結果はなしあいてである女性を不快にさせてしまうようだ。こいびとをみる目というのではないのだが、なんだかかなしそうな目をされる、不愉快にさせてしまった自分をなさけなく思う。ハゲまされたり叱咤されたりする、「まだまだできるはず」なんていわれたりする。もうどうしようもない感じがする。「もっとがんばって」といわれて腹だたしく思うほど実際にはがんばったりしてはいないのに。自分のなさけなさに、もっともっととおくへ逃げてしまいたい。
そういうのって「切ない」とかいうんだろうか。そういうことばをこの日記に書くかどうかということと、そういうことばでしか表現しえないような感情を体験するのは別のことなのだろう(か)。そんなどうでもいいことを悩むからだめ人間なんたい。
9/20/venerdi 「アルカディア」
(昨日)夕方ぼらんちあへむかう。まよこから夕日が顔をてらす。先週はどうだったかなあ。このごろちょっとまわりみち。真正面のやまにしろい夕方の月。今日はちょっとすくないか。「ハルモニ」とか「ハラボジ」とかカタカナはむずかしいみたいだ。「韓国」「朝鮮」「日本」「九州」「世界」とかにも挑戦。ハルモニは「北九州ち書いてみて」といわれたので、「ちょっとおもいだしてみて」といったら、なんと「北」の字をほぼ完璧に書いてくれた(完璧ではなかったものの)。すごい。「自分の道をまっすぐいかないかん。いっぺんにてっぺんめざしてもつかれるから、休んでいけば楽やろ。となりの道にいったら楽そうにみえるけど、ごちゃごちゃになってしまう」。このだめ男は何をいうべきか。「機械(自動販売機のこと)全部こわれてしまったらいいとおもうっちゃ」。対面コミュニケーションでほとんどの用事はすむ、そういう時代をいきてきたハルモニ。そのハルモニのことばに同感。おわってこれから夜間中学としての体面をどのようにととのえていくかというようなはなし。もう月は空のたかい位置にあった。
おれをこのみちにひきずりこんだ某アメリカ人と連絡がついた。仕事をやめて(また)大学へすすむようだ。それにしても、まずいケーキを食うほどかなしいこともない。食事あとにかならずあまいものをたべていた祖母をおもいだす。
迫り来るあの明日が
消えてゆく昨日より魅せたら
テンポの乱れた風、風
冬の宇宙も焦がすキリンジ「アルカディア」(堀込泰行)
9/19/giovedi 「if」triceratops
すずしくなってまいりました。あきの気配というやつでしょうか。かぜがちょっとつよく、そらがやけにたかい。
普段まったく映画をみないおれが映画を。イラン映画「私は15歳」。15歳の少女が未婚のははとしていきていく様子。興味ぶかくおもしろかった(詳細は後日)。110分の映画がおわったあと観客から監督への感想・質問コーナーがあった。イラン人の男性(俳優でもあるようだ)が通訳をつとめた。2回ほど意思疎通がうまくいかず質問とはちがうこたえがかえってきたりした。うしろの席のカップルのうちのおとこのほうがいちいちうるさい。「女性支援センター」などという単語をふくんだ質問があったりしたのだが「うまく訳しよるんやろうか」とか「やっぱりつたわっとらんばい」などと………ぼけ・うるさいんじゃ・だまっとけ!とまえの席のおれはむかむかしていた。大体こういうときってヤローの方が(女性のまえだというのもあるのか)大したこともないさかしらななんちゃって知識をふりまわしたがるのだろう。おたがいが疎遠(だろう)なことばでやりとりをしているのだ、訳しまちがいはあるだろうし、それで誰かが死んだりするのでもない、ちがうことこたえられちゃったなと思ったらそこからまたコミュニケーションをはじめればいいのであって。卓球のラリーのようにはポンポンとはつづかないことばのやりとり(ディスコミュニケーション?)までをふくめたものがコミュニケーションだとおもう、それをたのしめばいいとおもう。さかしらぶるひとのこの余裕のなさよ。こんなヤツには「おとなげない」などということばさえ勿体ない………つーかこんなことでおこってるおれがおとなげないのか?
カルボナーラ・冷製(←これでいいのか)スープ・なまはるまき・サラダライス・なま・あかワイン・霧島(ロック)。おされなおにいさんがつくる料理はやはりおされ。はーあおれも料理のつくれるおとこになりたい。
いつもいつもおなじこと書いてるだけのような気がするが。自分のだめさへの傾向に気づきだしたのは、いま思えば93年のこの季節だったようだ。この時季ちょうど教育実習がはじまる。9月あたまか8月おわりだったかの事前指導をすっぽかし、それからこのながい生活がはじまった。すっぽかしたのには実に大したこともない理由があったのと、当日あさからどしゃぶりだったこと。それがこの生活のきっかけといえばきっかけかなあ。附属中学にはキンモクセイのおおきな木があった。もうじきそのかおりもするのだろう。
あきはそんな季節。ヒゲにそのはなしをするといつも「キンモクセイってあのトイレのにおいのやつですよねえ」といってた、そのたびにがっくし………それはトイレのにおいの方が………毎度毎度説明する気がうせる………。9年たって、まさか自分が教育実習した地にかようことになるとは(そしてそこでふたたびいずし君とであうことになるのだった)。
9/18/mercoledi 「going to the moon」triceratops
さてへた連ばなし。勿論へた連語録・キーワードはいろんな人がもちより作成していくものだからどんどんつけくわえてください。O 仲氏はたしかに自身はだめ人間を自称しないだろうし事実だめではないんだろうけど、だめ人間にとってのカリスマというか憧憬をおぼえる人物なのでしょう。ヒゲがいつもかれのことをうれしそうに・たのしそうにしゃべっていたことをはっきりとおぼえています。おれ自身はかれとはそんなにしたしくはなかったけど、つたえきく彼のはなしからはかれがだめ人間(ども)をひきつけてはなさない魅力をはなつ存在であることが感じられました。そういう意味ではかれ自身のなかに、自称だめ人間のもつだめさを凌駕する真性のだめさがあるように思われてなりません。だからなのか、かれのことばは、かれにひきつけられてしまうだめ人間(ども)をてらす金言なのでしょう。
「僕を認めてくれない世の中なんて最低だぁ〜」
「学歴で人間が序列化されるべきなんだぁ」
「上司には絶対服従だぁ」
「最低だぁ〜」
たしか何か(鍋?)の席で自説を開陳するかれとほかの院生でかなり険悪な状況になったときいたことがあります。それでも自説をまげないかれになんかすがすがしさのようなものさえ感じました。そういう意味でほんとに尊敬する人物です。何度か接したことのある感じではほんとにやわらかそうな印象でした(かれをよく知る人物なら「だまされてる!」というかな、なんか追悼文みたいだな)。「やる気なし祭り」は勿論重要な概念ですよ、へた連必修の!
こんなこと書きながら「うひょひょ」とか思いだしわらいしてる自分はほんとにだめ人間だなあと思います、うひょひょ。
9/17/martedi 「黒い実」森広隆
森広隆。思えばちゃんときいたことなかったのかもしれない。ただ一瞬「ゼロ地点」の PV のおわりの部分だけをみたりしたのだがつよく印象にのこっていた。こういうビートというのかグルーブというのか(どうもやすっぽいけど)そんなのがききたかった。でちゃんときいてみて予想外だったのはかれのうたごえはかなり高音域だったこと。歌詞がちょっと生硬なようにも思うが(でも今はわけのわからない歌ばっかりなのだからかなりましか)。音楽って「音」なのよ、「歌詞ありき」じゃなく(そういう意味で売れっ子放送作家のたくらみは天に唾する行為だと思うけどね)。すちーびー(isn't she lovely)と山下達郎(bomber)がカバーされている。わかる。しかしやっぱベースもドラムもうまい人っていっぱいおるんやね。おれのばやいぐっとくる歌詞にはどこか自分にはよくわからない部分・理解できない部分・何となくわかるとしかいいようのない部分がある。はっきりわかりすぎる歌詞にはぐっとこない。
いつか罪にまみれたこの自分自身を
ただ時が経っただけで受け入れて行くというのか森広隆「ただ時が経っただけで」
精神論とかはあまり好きではなくて。むかしは結構すきだったんだけど。「チューニングは気合いであわせろ」とかいってたし(いやこれは結構あたってるんだけど)。たしかに音楽はおふざけでもいいしそういう部分のかっこよさがあるし(Dizzy)そういう部分もないとそれこそ息がつまるのだけど。でもそういうのができるのって、「おふざけしかできない」のとはちがう。何というかおふざけもできる全体的な余裕があるのだ。おふざけの部分をささえる何かたしかなものがあるんだと思う。でもって、今の音楽(このような大上段にかまえたいいかたはよくないし商業音楽の何たるかなんて全然しらんけどさ)ってほんと△▽みたいなのばっかしで。すこしは真面目にやってくれよと思うっちゃんね。「エイリアンズ」のような名曲はそうはないのだろうけど。
鈍色に絡まる 根を深く這わせて
吸い上げた悪意は 黒い実になり膨らみ始めた森広隆「黒い実」
「黒い実」ゆるいグルーブとコード進行。こういうのをやってほしいよなあ、あの人に。『並立概念』というアルバムで森広隆の真面目な姿勢がうかがえるんではないかと思う。期待大。「なんかいい音楽ないかなあ」という人はきいたらいいと思う。それにしても fender rhodes piano や moog がはいってるとそれだけでぐっとくるなあ。秋という感じがするなあ。
9/16/lunedi 「isn't she lovely」森広隆
車は必要だ。どうしてもひとりになりたい・家にいたくないときがあって。昼からでる、かなりはげしい雨。たんぼの中の駐車場に車をとめる・どしゃぶり。うちの町の図書館はふりかえ休日とか図書館自体がやすみ。つーかやすみおおすぎ。やはり雨の公園の駐車場。カツカレーと和風スープスパゲティ。すごいとりあわせ。
9/15/domenica 「ただ時が経っただけで」森広隆
まちなかにあらわれるおとこ。13時すぎのバス。ぶらりんこ。この前テレビにでていた店はとてもこんでいたのでぶらりんこ。偶然はいった店はその一部が屋上になっていてなかなかよい感じ。昼ご飯もなかなかよい(ロールキャベツのクリーム煮・麦ご飯・みそしる・ねぎのすきやき風と煮卵)。さらにぶらりんこで森広隆『並立概念』購入。買いたい CD なんてありすぎ。広島風おこのみやき。ねぎかけを頼んだのだが、あまりのねぎ味の連続にうんざり。生ビール。カフェラテ(いまいち)。斎藤孝………疑問。
9/14/sabato 「midnight dreamer」t-square and friends
カレーをつくる。煮込みがたりないせいだろう、いまいち。
9/13/venerdi 「心理学」original love
むかしから何回かいったことのある店。おれは焼きうどんが結構すきで、メニューにあったら注文してしまう。ここでも焼きうどん定食。鉄板のうえの焼きうどんとご飯・みそしるのほんとにただの焼きうどん定食。おこのみやきをたまごでくるんだなんとかというメニューがあった、そのメニューのことば「お好み焼きを卵でつつんだとってもおしゃれなメニューです」。
ところでoriginal loveに「心理学」という曲がある(あれはなんつーリズムなのか、ただの swing ?)。なんか心理学っておされっぽいんだよなー。これが「社会学」っつータイトルだったらちょっともさもさした感じがするような。同情はおわりではなくはじまり。共感はおわりかもしれないが、共在ではないかと思う。時間は現在。
あまちゃんのおれの書くことはいつも適当。だからここに何かがあるなんて思わないでほしい。それでも(多分当分は)この日記はつづく。何かがあると感じるあなた、この日記や(まちがっても)おれに何かがあるのではない、読んでくださるあなたの何か(感受性)が何かをうみだしているのだ。おれにはおれの感じるこの日記の意味がある、へたれ男はただぐずぐずといいわけを書きつらねるだけ。
ときどき「フェミニズムって、はずれモンの女の傷のなめあいじゃありませんか」と言う人がいるんだけど、「そうですよ。弱者には傷のなめあいをする場が必要でしょう」と言うんです。「どこが悪いんですか?そうやってやってきたんですよ、私たちは」と。 上野千鶴子:117ページ
フェミニズムは一人一派だから、考え方が対立して当然なのだ。フェミニストが仲良くRe:Japan みたいになれるという幻想は持たないほうがいい。明日はある、なんて歌えるだろうか。国が滅んでも、人は生きていく。自分の意見は誰も代表してくれない。人はみんな自分に必要な(都合のいい)フェミニズムを武器として生きのびればいい。それだけだ。 小倉千加子:250ページ上野千鶴子・小倉千加子 2002『ザ・フェミニズム』筑摩書房
9/12/giovedi 「海を見ていた午後」ハイファイセット
さらにへたればなし。たとえば。フィールドのなかで迷ったりわけわからなくなってしまう自分がいる、そういう自分がいることを師匠に報告する。師匠は「それは………ということだよ」などと事もなげにアドバイスしてくれる。それはわかる、そんなようなことかもしれないというのはわかっている。でもちょっとちがうのだ。まよいわからなくなっていることをそのまま認めてほしいのだ。悩みのひとつは、この問題を永遠に先送りなんてできないことはわかっている、だからこその悩みなのだ。たとえば、「甘えてんじゃねー」などというこころないことばがきこえる。でもあまえていいんじゃねーのか。だからこんなことばに真正面からこたえてあげる必要も必然もない。そういうことをおしえてくれる人がいて、あるいは書物からもまなんだ。
自分以外の誰かが手や足になってくれたり体になってくれるのではない、だから自分の体や頭を使うほかない。誰もこの人生をかわりにいってくれる人などいないというのはわかってる。この状況をどうにかできるのは自分だけだというのはわかってる、だからほんのちょっと一緒にいて今自分がそういう自分だということをみとめてほしい、そういうことなのだと思う。具体的な何かをしてくれというんじゃなく、なんというかほんのつかの間ただいてくれるだけでいい。承認なのか共感なのかわからないが。
9/11/mercoledi 「愛のサーキット」
昨日はぶどう酒(ワイン)・ビール(350ml)日本酒のんでねる。日本酒ってかおりがよい。角うちってなんかいいよなあ。いったことない。
某うらない(クイズ)をやってみる。動物をえらぶ、一番最後までのこったものが大事にしてるもの。結果。すてた順。
虎(プライド)馬(仕事)羊(恋人・配偶者)牛(お金)猿(こども)。まずはプライドをすて(あたってる)仕事をすて(あたってる、というかない)恋人・配偶者をすて(どちらかというとおれが捨てられると思う)、お金をすて(というかない)最後にはこどもがのこる(というかこどもはいない)。プライドを一番最初にすてるってのはあたってるような気がするけど、今のこの何年かの状況はすてきれないプライドにも一因があるように思う。めんどくさい人間だなと思うよ、自分のことを。
のんきな保安官を思いつつうかんだ曲。勝手にやってくれという気がしないでもない。
極楽浄土で金儲け
どうぞ世界を変えてくれ
極楽浄土へ行かない
俺のイマジン 今
修羅場のサーキット
飛ばし続けるoriginal love「愛のサーキット」(田島貴男)
9/10/martedi 「この傘をたためば」
「あの日に帰りたい」がラジオからながれる。古内東子は「どうしようもないことなんてないと思ってたけど この手に入らないものなんてないと信じてたけど」とうたう(「心にしまいましょう」)。これはもちろん恋愛のうただけどおれは別のこと考えてる。槇原敬之は
ほんの少し弱音を吐いて
ほんの少し抱きしめてもらいたい
君は許してくれるだろうか
槇原敬之「この傘をたためば」
とうたう。どういう意味なんだろうか、よくわからんけど結構ぐっとくるのだ(逮捕直前のアルバム)。
9/9/lunedi 「summer candles」杏里
昨日紅茶を購入した、kanchenjunga 。ダージリンとかアッサムとかほとんどわかってない。こーしーだって日本茶だっておれはよくわかってない。あったかい飲み物はすきで、こーしーも紅茶も日本茶もすき、よくのむ。ただいれかたは適当で、特に紅茶・緑茶のいれかたは適当。お茶の葉の種類とかよくわかったりしたらとってもおもしろいのだろうなあとは思う。が面倒くさがり。そういうもろもろのことをよくわかっている人(男でも女でも)をさがしていれてもらうほうがはやいだろうと思う。そういう彼女がよいなあ、過去の彼女たちは普段でもまーとりあえずお茶を一杯、なんてしてくれなかったし。某茶道部の部長までつとめた人が自分では普段日本茶をのまない、だから普段のそういうお茶なんかいれたりもしない(してあげない)というのには随分びっくりした。
このあいだ、バカ男ふたりでしゃべってたんやけど、彼いわくおいしいこーしーがない、普段の何のんでるかっつーとインスタント、だと。またはこーしーメーカーでいれるやつ。おれはペーパードリップでいれるんやけど。彼がいうには面倒くさい、と。しかしやっぱお茶とかこーしーとか、そういう手間をかけていれるところにおいしさがあると思うし、こーしーメーカーでいれたやつは何かエグくて全然おいしいとは思えない。こーしーおかわり自由のファミレスなんかでも最近はこーしーをのむことはない、とてもまずく感じるから。
お酒のつよい人ともつきあったことがない。酒はすきだけどよわい、そんなおれを「おら!のみにいくぞこんにゃろー」とかいってくれる酒のつよい彼女とつきあってみたいなーとか思う、自分だけのんでると「おもしろくないんじゃないか」とか「ひとりだけのんで悪いなー」とか思ったりするから。
9/8/domenica 「夏の日」比屋定篤子
午後からでかける。まちには女の人がいっぱい………げへへ………などと妄想。そうだよなあ家にいるからで、まちにくれば女のひとなんていっぱいいるんだよなあ、ぐへへ。アジアデジタルアート大賞展見物。すごいと思うのがいくつかある。liquid sculpture とかすごいなあ、とか思いつつ「この製作費はどっからでてるんだろうか」などと思う、おれたちは調査なんて(特に個人でやるやつなんて)金なんてでねーから。ちくしょー。紅茶をのみにいく。偶然高校時代の同級生にであう、この前の結婚式以来。今から買い物だって。ちくしょーいいなー。別会場の展示。「スキージャンプラージヒルペア」かなりおもしろい。書店で買いたい本多数。1冊も買えず。おむらいす・ビール。最近やってるかどうかわからなかった(もうつぶれてしまったのかと心配した)某店。やっててよかった。BLT でコロナビール。
ねこじただと自分では思っているのだが、あついものはあついうちに飲みたい性分のおれは、たとえ(ば)相手がゆっくりのんでいるのを知っていながら、相対的に一気にのんでしまう。ぬるくなるとおいしさまでどっかにいってしまうように思えるのだ。相手が、ふたりの会話がおわってしまうまで最後の一杯をのこしているのに、おれはさっさとそれこそ5分ほどでのみほしてしまう。会話がしたくないのじゃない、あついものはあついうちにのみたいだけなのだが。
9/7/sabato 「coiza mais linda」carlos lyra
後輩がたずねてきてくれた(家は超ちかいのだが)。いろいろと。運営は大変だ。しかも金はらっててつまんなかったら最悪だ。どっちにしろいろいろ面倒かけてもうしわけない。
くるまにのっていると、いま落ちようとする夕陽が正面にみえたので海にむかった。海についてみると、水平線をさえぎるようにちょっと厚い灰色の雲がかかっていた。そうしているうちにあたりはぐんぐんくらくなった。9月7日の夕方の海には、かなり小さな男の子をふくむ兄弟3人と犬1匹・すらっと背のたかい女の人の夫婦とこども・なにやらわかめひろいでもしてるのか夫婦(?)と。結局水平線におちる夕陽はみれず。とてもさびしい感じ。「あんたにはこんな海がにあうよね」。ラーメン・チャーハン・餃子でふて寝。
9/6/venerdi 「めくれたオレンジ」
かつての師匠から電話があった。某県立高校で3月まで公民をおしえないか、と。やらせていただきます、と返事したらおりかえし電話がかかってきた。実はむこうもむこうで人選をすすめていたらしく、もう面接もすんでしまってきまってしまった、と………がっくし………どうしていつもおれはこうなのだろう………。しかしとりあえず研究室に顔をだすことにする。所属の某さんが気をきかせておれをすすめてくれたのだが、いきちがいになったらしかった。3人で雑談。18時すぎおわる、先生は「こういう放談もいいなあ、またやりましょう」といってくれる。そとは嵐。某さんがおくってくれる、ついでにうどん。ぶらりんこ。こーしー。老人は真の自由人だということで意見は一致。めざすは老人デビュー。某さん会話にうえているような。それにしても気にかけてくださっているひとがいることはありがたい。そしてそんな期待にこたえられなくてまたしても悶悶(もんもん or モンモン)。
9/5/giovedi 「中央フリーウェイ」ハイファイセット
先週やすんだから2週ぶりのぼらんちあ。ハルモニも先週はやすんだという。例によってPさんがつれてきた3人の小学校の先生。ハルモニはやはり気にくわないような様子であった。漢字の宿題用のノートも1冊がおわる。半年に1冊のペース。リーダー旅行でおやすみ。「あの人がおらんやったらしずかやね」とハルモニ。「そうやね」。Bossa のテレビいまいちピンとこない。
9/4/mercoledi 「walkin' up」Bill Evans
師匠と調査依頼へ。15時にうかがうのだが、12時集合。師匠にご馳走になる。いろんなはなし。かなり昔に女性の大学院生であった師匠は、合格するたびに教官から辞退するようにもとめられたという。今なら完全にアカハラだろうが。どこでどうなるかわからないから、とにかく自分のやりたい道・信じる道をすすむべきだ、と。痴呆性老人をかかえる家族の会に調査依頼。ちょっとわかりにくい場所。それにしても師匠の運転はかなりこわい。場所もおぼえてはいらっしゃらなかった。こわかった。もう乗るのよそう。
9/3/martedi 「山口さんちのツトムくん」マホービン ゲイ
いやーへたれ男にはへたれなことしか書けない………。読んでくださるみなさん、すいませんすいませんすんません。先にあやまっておきます。いやー今人生で一番みじめかもしれない。逆岩崎恭子状態――「今まで生きてきたなかで一番みじめです」。
だめ(人間)の認識論と存在論あるいは真性だめ人間と偽性(こんなことばありますか?)だめ人間とのちがい………この話は自分でも全然わからないのだが、別概念を。だめ人間のタイプとしての真性だめ人間と営業だめ人間。後者は、だめ人間ではないにもかかわらず生活のかてをえるために「だめ」「だめさ」を売る。だけどこうすると、だめ連はだめ本で(生活費のすべてではないだろうけど)お金をもらってるからなあ。やっぱ概念たてるのおれできないわ。
いや、念頭にあるのは歌詞の内容が「だめさ」をうたっているとしても、歌っている当人がだめ人間かどうかは別だということ。槇原敬之はだめ人間だと思うし、うたの内容もだめな男のものがおおいと思うのだけど。しかし、あの超有名バンドは、ろくなだめ人間でもないくせに「よわいぼくちゃん」とか「だめさ」を売りにしている………ような。自分は大金もちでだめ人間じゃないくせに歌の内容は自分の「だめさ」だけを売りにして………それこそほんとのだめ人間じゃ………あれ?じゃー真性だめ人間???そもそも真性と偽性とのちがいが自分自身明確じゃないからこうこんがらがるんだけど。「だめさ」と「弱さ」も別概念かもしんない。要検討。………こんなことしてたら、ほんのちょっと自分の有用感がたかまって気ばらしになります、というかこんなの気ばらしにしてるのがだめ人間なのか。大体、「ろくなだめ人間でもないくせに」って何だ???
いつも思うのだが、このむなしさとみじめさは、たとえば彼女がそばにいてくれるから楽になったりすっきりしたりする………というようなものじゃない、すくなくともおれの場合は。そういうこといったりするとおんなのひとは泣いたりしてしまうのだろうか。
9/2/lunedi 「take good care of my heart」whitney houston & jermaine jackson
康夫氏当選。当然だろう。理念がどうのとかいうが。理念のあるひとって他に誰かいるのかおしえてほしい。辞職するということと責任とるというのは全然別だと思う。康夫氏も「敵前逃亡するな」と。「書くっていうことや、話すってことは、それに対して幾ばくかの責任は取れってことですよ。責任を取るってのは自害という逃避でなしに」(『噂の眞相』2000年4月号 147ページ)。職務をまっとうしなさい。あゆみよるべきは議員ではないか、というのはどうか。それにしても逃げまわる議員。近年まれにみるはずかしい姿。説明もできないのだろう。説明の放棄と責任の放棄。いってもしょうがないが、弁護士のレベルのひくさには唖然。あと評論屋とか政治学者の馬鹿ぶりにも。古内東子新曲(アルバム?)でるみたい。快晴。
9/1/domenica 「月に静かの海」original love
今度の台風15号はかぜばっかり。あめがふらない。昨日はながくかよったカレー屋さんが閉店してることを確認。17年存在した模様。残念。店名と全然ちがうハワイアンな店内と意味不明のわた菓子機。でもあじはすきだった。某レストラン。注文したいものがことごとくなかった。「ウォーターボーイズ」。しりきれトンボの感。映画(ビデオ)だとちがうのかもしれない。説明不足のよう、いろいろと。
□ 過去も結構おとなげない