×xー×ーの おとなげない 日記 for Otonagenai people
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Novembre Novembre
11/30/sabato 「speak like a child」herbie hancock
臨時の仕事がはいったので師匠のところへむかう。以前つかった駅が高架になるため移動する、朝からその作業をやっていた。馬鹿なかおして何度かすわっていたのぼりホームのベンチもいままさに撤去されようとしていた。すわったまま、真上を空港におりていく飛行機をみながらいつだって不安なきもちになったものだ。
いつもはおりたたみ傘をもってくるのだが結局一度もつかわずじまい、それで今日はおいてきたのだがなんとふられる(ふ、ふられる………)。10時45分からひたずら作業、弁当がありさしいれのシュークリームをなんと4つもたべてしまう。大した作業でもないのにおかねをいただく、がそれもバスカードと電車の回数券をかうときっちりさっぱりなくなってしまう。いつもは女子学生でぎゅうぎゅうのバスもさすがにこんな土曜日の夕方ではほとんど誰ものっていない。電車にのりバスセンターへ。バスのりばに救急車。
11/29/venerdi 「razy bird」john coltrane
ラカン(羅漢でなく)をはじめてよむ、よみながらあまりのわからなさ(わからないのはおれの無能のせいだろうから「難解」だとはいわない)に段々自分でもおもしろくなってきてぐへぐへいいながらよむ。
深刻な問題をかかえ気のおもい一週間をすごしたという某さん。おれはおれなりの意見をいわせてもらう。「めずらしくまえむきなことをいうんですね」といわれたので、「おれはいつでもまえむきです」と(勿論うそを)かます。
11/28/giovedi 「恋の彗星」
いつもなら漢字のかきとり練習をするのだが、今日のハルモニは「よみの練習をしたい」といわれたので、ひさしぶりに小学2年生の教科書でよみ。今まで一緒にやってきたなかで一番と思われるほどスラスラよむ。「どうしたん、えらい今日調子いいやん」というと「そうかね」といいながら淡々とよんでいく。ハルモニのなかでは「魚」は「うみ」で「海」は「まい」なのだが、今日はそれもこんがらがることなくよんでいく。不思議だ。先週のテレビにでていたP氏とはなし。「苦しかったんよ、まああんたやったらわかるやろうけどね」といわれたので、先週感じた感想をそのままつたえる。
11/27/mercoledi 「riot」herbie hancock
13時から作業・みんな(4人)とてもいそがしそう。ほんのちょっとうちあわせ。今日はほんとにさむい、こんな日もすきだけど。かえりの駅で。左肩とあごで携帯をはさんで電話しながらたばこすってた茶髪のおっさん。にやにやしながらはなしてる。きもちわりーと思ってたら、かなりの距離はしってからも車内で電話。なぜかはずかしくなった。
過日グラスワインを注文したら、注文をうけておいてあとから「実は今日うりきれておりまして」といわれる、それはよい。じゃあ、と注文しなおしたワインクーラー(白ワイン+オレンジジュース)。だからって、ドリンクバーのオレンジジュースからそそいでるのがまるみえ。ワインクーラーぐらい厨房とかでつくってもらえないものか。
今日某中華料理店。ひととおりたのんで「葱たっぷり醤油麺」をたのんだ………ほかの料理すべてたべおわったのにでてこない………つくりわすれてた、だってその麺用のうつわとか「どうぞ」とかいってわざわざもってきてるのに。ほんとこのおれの能力を何か世界平和のためにつかえないものか。………この店でははじめてだったけど、おれにとってこのような経験は1度や2度や3度や4度じゃない、こうなってくるとほんと誰かおれをねらってしかけてるんじゃないかと思えてきて、(理不尽なことだが)はらがたってしょうがなかった。
11/26/martedi 「moment's notice」john coltrane
初コート。気にいっている、もらいもの。ビデオで討論。福祉の被害者とは思えず。説明変数としてどうなのかという○○的経営。説明とは何か。めずらしく4人でしゃべる。夕方のくらいそら、ぱらぱらとふる。Tさんとバス。理論(構築)か実践・参与・介入か。あたらしい問題ではないと思うけど。4回も5回もくりかえされたのには閉口、しかも満員バスのなか。悪気がないのは勿論わかっているが。電車。本を購入。地下街。始発のバスなのに渋滞とかでこない。8分おくれ。満員なのになぜかおれのとなりの席だけはあいてる。車中でペンで線をひきひき本をよむ、座席にペンをおいていたらどういうわけだかペンがおちてすーっとあしもとを前方へときえていった。どうしよう、だいぶまえにかったとはいえほとんどつかっておらず新品同様なのに。かといってさがすために終点までいったら何倍もたかくつくし………と思っていたら、おりるときまえのまえのおっさんのあしもとにあるのを発見。よかった。それにしても大金をなくすとかじゃなく、たかだがペン1本で動揺してしまう。
あさのホームにたったとき、西のそらたかく月がみえた。むかしはひるま(日中)に月がでていることをとても不思議に感じたものだ。今日もそんなことを思う。なにかいいことがありそうだ、と思いたいだけなのかもしれない。
11/25/lunedi 「宇宙のトンネル」
ひるの練習。ひきつづきキリンジ。
地下鉄の入り口はね 宇宙につながってるの
誰も知らない 私だけの秘密
青く光る惑星はあなた 私は月
夜を照らす ただひとつの光キリンジ「宇宙のトンネル」(片寄明人・ショコラ・堀込高樹)
宇宙のうたいかた。オリジナルラブとはまたちがう(あの新曲は「恋の彗星」でした)。ここでは「つながってるぜ」とうたう。おとこの世界の相対化というか茶化しか。
11/24/domenica 「代官山エレジー」
某試験をうけるため電車。時間はわかっているのにばたばたしてしまう。ここ数日とくらべておだやかにあたたかい日曜日。ひるまえの電車は結構いっぱいいっぱい。あるく、こんな日に試験なんかうけてて碌な人生じゃねーな、どっかあそびにでもいきてーなーとか思いつつ、でも天気がよければそれはそれで布団をほさないと勿体ないと思ってしまうので、いつもどおりひきこもりかもとも思う。
単位制のまだわりとあたらしい高校の校舎。ひとなみということばを思いだす、というほど予想以上に大量のひとびと。若干名の募集にこんだけひとがあつまるなんて――会場でくばられた会場案内に受験番号がずらーっとあった、みると1775人が受験するもよう、これじゃうかるわけない、ぐったり。
どうでもいいような試験は17時まえまでつづく、それぞれ駅にむかうひとなみ。地下街はやはりうれしそうなひとびと。キリンジ『Omnibus』(warnermusicのページ)購入。それにしてもおれの給料いまもふりこまれてない、半年以上。ビールのんでさらにひえてないビールをのむ。
「代官山エレジー」。松本隆作詞で藤井隆がうたってるんだそうだ。藤井隆はほかにもキリンジ(というか堀込兄弟)の提供した曲をうたってた、テレビでみたけどとてもむずかしそう(くるしそう)にみえた。藤井隆ってそんなにへたじゃないと思うんだけど、やっぱ曲がむずかしすぎんじゃないかと思う。コード進行も、メロディラインとるのもむずかしそう。
ジャンケンしたの覚えてる?
勝ったら未来あげるって
あせってチョキをだしたから
愛も破けた
性格は天邪鬼
だったから
哀しい夜にはふざけてお道化たけど
今夜限りだね
君のわがままキリンジ「代官山エレジー」(松本隆・堀込高樹)
キリンジのアルバムをまちどおしいと思っていたからだろうか、キリンジにインタビューしてる夢をみた。インタビュー中始終不機嫌でとてもつめたくあしらわれた。
11/23/sabato 「toys」herbie hancock
快晴。おこのみやき。
11/22/venerdi 「blue train」john coltrane
快晴。識字教室でのしりあいがスーパーモーニングにでてた(語り部とかなんとか)。しっているひとだからみる。北朝鮮との関係で今回の問題についてもはなしていた。おれはまえからずっと思っているのだけども、このひとがひとりでかぶらなければならないような、何か政府の代弁をしなければならないような問題ではない。でも、それを代弁させようというかこのひとから謝罪のポーズをとりつけたいような姿勢がみえるように思う。こんな取材でいいのか。
11/21/giovedi 「happy dance」槇原敬之
さすがにつかれてしまった。今日の曇天のように沈殿する。こころのせいでからだまで不調。
11/20/mercoledi 「shampooman」silva
つらくなりそうな予感だったからハンドルをにぎるのはのり気ではなかった。自動車道をみなみへはしらせながら、でも段々と気分ものってきた。正午すぎにつくと、テレビの大音量。じいちゃんは、孫であるおれのことは勿論むすめである母のこともすっかり誰が誰だがわからなくなっていた。食欲はあってもっていったおでんを黙々とたべる。薬はたくさんありすぎて、朝食まえ朝食あと昼食後夕食後の4回のまねばならない。ぼけてしまったひとにこれを自己管理しろというのは無理。
おれはひとりで帰宅。この盆地で台地のまちをまわると1時間。霧島神宮をめざしてやまみちをいく。さすがにやまのうえ、ていれされた木々のいろがきれい。温泉地だからか水曜の午後だけどひと(くるま)もおおい。栗野大口水俣へとぬけるころには17時をまわりもうくらい。新幹線がとおるとかの新水俣駅、ほんとにのるひとがおるのか。たちよりたかった岬はもうまっくら。反対側にまあるい月。高速にのって帰宅。
11/19/martedi 「悲しきダメ人間」筋肉少女帯
うつくしいつき。ほしもみえる。
快晴。もしいえにおれたら絶対布団ほすのになあ。今年初コート(?)。はくいきがしろい。ハゲまされたりする。どうしようもない自分とどうしようもできない自分。はぐらかすように多弁。17時45分の景色はもうくらく黄色の月が真正面にみえる。やま。超満員のバスで機嫌わるそうに席を占領するバカ。注意するひと。おれも注意すべきだっただろう。完全無視をきめこむバカおとこ。ただものじゃない。
ひさしぶりで地下街をあるく。クリスマスのよそおい。本屋による。文庫と新書。本屋のおねえさんだけはやさしい、勿論営業上のことだけど。
ひとをころしたおとこにのこされた人生とは?
そのまちはこのまちとちかく、その空気はつまりはひとつながりである。そのことに思いいたって気分がわるくなる、そのまちとはこのまちなのだ。
自分でも自分がわからない。自分のことは自分にしかわからない。そのあいだになにかが無数にあると感じたり信じたりする。
いずし君が感覚、と。おれはちゃんと理解はできてないのだけど。でもおれは立岩さんの「感覚は論理的である」ということばがすきだ。
あした(から)たびにでます。多分そんなにはたのしくなりそうもないたびです。むしろ憂鬱なたびというべきか。でもせめてあのなつかしい風景・うみをみてこようとは思っています。
うつくしいつき、のせいでさむさもきびしいような気がする。
11/18/lunedi 「秋の気配」槇原敬之
今日は12月下旬なみのさむさとかいってるよ。さみーよ。師匠からのよびだし、ひさしぶりにくるまでいくが渋滞がひどい。立体交差事業のせいだよ。車中ラジオからオリジナルラブ。「接吻」いいよなーぐへへと思っていたら、別のチャンネルから新曲「愛の彗星」(だったと思う)。なるほどの路線(全肯定ではない)。
水谷豊ってかっこいいよなーと最近(というかちょっとまえから)思っていたら偶然新聞でのインタビュー(ちょっとまえ10月22日『朝日』夕刊)。
僕ね、芝居は芝居以前だと思うんです。芝居だけよくなるわけはないんで。カメラの前に出る時にはもう決まっているんでしょうね
おれまたしても役割行為論ってよくわかってないんだけど。自己と役割って泰然と区別できたりするものではないし、役割って自己がその都度その都度きたりぬいだりできる洋服のようなものではないと思うんだけどなあ、と思っていたので水谷豊氏のこのインタビューをみてますますかっこいいと思うようになってしまったですよ。
人工島にできたとかいうあたらしいみち(橋)をかえりがけはしってみた。何か感じることができるだろうかと思って。なにも感じなかった。なんてことはない。先輩のうちのちかくをとおったのでよってみようかとも思ったが、電話番号もわからないしくわしい場所もわからないのでやめた。
キビしいひととキビしめのひととの会話。なにもなく、キビしいこととキビしめなこと以外にはなすこともなく、ただこーしー(かお茶)をはさんで対峙するのみ………でも、キビしいひと・キビしめのひとにとっては会話の内容よりも、おたがいが共在するってことの方が大事なんじゃないか、とつねづね思っている。ともに(共)ある(在)ことはちからになるのだとおれは思う。
金曜日いつもの場所へいってみた。学内にそれはみごとな紅葉した木々があった。くもりぞらの夕方のそれはほんとにもえるようだ。授業がおわったのであろう女子学生たちがおりてきた。誰もこの風景にめをとめてはいないみたいだ。「勿体ないなあ、このけしきをみろよ」と内心おもいながら。わざわざとおくへいくことはない、みごとな紅葉はここにある。いえのすぐ近所のいちょうの木は葉をおとしていた。道路わきにふりつもった黄色のはっぱ。そのふかふかさを想像する、雪かもしれない。
南の島の港。何度もそこにとびこむ夢をみた。
11/17/domenica 「down up beat」casiopea
土曜日分を日曜深夜になって更新したんだけど、つぎのひ(日曜日)午前中「さてどれぐらいカウンタまわってんだろう」と思ってみたら、ぎゃーなんと1つしかふえてない。つまり、おれが昨晩更新してからおれがみるまでただのひとりもおれの日記をみてないのだ!これはこれですごいことですよ………などとひとりぐへへと興奮した。更新しても更新しても誰もみむきもしない、まったくおれひとりしかよむことのない日記。もうこうなったら何のために web 上に公開(後悔)してあるのか誰にもわからないサイト。どこかこのまえかいたゲームのようでおもしろいかも………というかこんなことおもしろがってるのってやっぱへたれ男の証拠だな………。
大変よいお天気でここぞとばかり布団をほしたですよ。今日は一日スポーツ三昧ですよ、全部観戦ですけど。マラソン・ラグビー・サッカー、だけど野球にだけはほとんど興味もてないのよねなぜか。早慶戦(ラグビー)もたのしみ。なんとこのおれがなぜか今日は食欲がない、こんなこと1年に何度もないよ。おこのみやき。
11/16/sabato 「black joke」casiopea
いや―今日いちにちも何もしてない。なんて生産性がないんだ。いずし君にリンクしてもらっちゃって。いまあるひとたちがさかんに「自由意志(だか意思だか)」をいっていて。「自由にものがいえる」ってどういうことか、と。なら合州国は自由か?日本は自由か?いってみたら有史以来このかた自由にものをいえるところはあったのか、と(自由をどう定義するかですが)。自由(意志・意思)のあつかいかたが雑すぎるのではないかと。
何か粗雑でうさんくさく感じるのはなぜなのか?なんとかギレンなんてうさんくさすぎますが。家族のかたがたの感情(の吐露)は当然かもしれない、と思いつつも、外交とかにある集団の利害が直接にからんでくる(それがどんな集団であれ)のはどうかと。思いがあるとかそれがいままであまりにも軽視されてきたとかよくつたわってこなかったとか、それはそれとして、どうなのか、と。
ピューリッツアー賞とったカメラマンもたしか自殺したよね、あのアフリカ(だっけ)の少女の写真だったか。報道ってやっぱりそんなギリギリのところはあるんでしょうね、ほんとにつきつめたら。
藤井誠二さんの『暴力の学校 倒錯の街』が文庫になったようですね(朝日文庫 320ページ 740円 2002年11月15日 bk1)。たしかにあの時期うわさがながれてきた。今度ちゃんとよんでみよう。
最近の藤井さんの方向性におれはかならずしも賛同しないが。
藤井さんも「自分のアイデンティティを欠如に求める」ひとのことを問題にしてるけど。
自分でも自分のことはわからない、というのと
自分のことは自分にしかわからない。
というのを一時期考えたことがあって。多分反対の極にあるのではないだろうけど。
11/15/venerdi 「midnight rendezvous」casiopea
さて「なにさまのつもりだ」といわれたら何とこたえますか?おれなら「とんでもねえ、あたしゃかみさまだよ!」。
それにしても「自由意志(意思)」って何なんですかね。
公平とか正義とさけぶ者のたつ位置がどこか。勿論いくらさけんだってかまいはしないのですが。そのうすらさむさもすけてみえる、と。しばりなんて誰にもあって、そこから自由になれるなんてのがそもそもの勘ちがいなのでは?存在拘束性というやつですか。
まーどうせへたれおとこの仕事としてはうっすーい紅茶のみながらつっこみ不足のワイドショーみて馬鹿・ボケ・アホなどと悪態つきまくりの毎日。さむいです、いろいろと。
したしい人のまえでは「バカ・ボケ・アホ・カス野郎」などときたないことば(ことばそのものがきたないのかなあ?)はきまくりのわたし。小学校時代からの友人である某女子(奥さん・夫婦ともども友人)のところに前あそびにいったとき、いつもの口調ではなしてたら「よかった………まえとかわってないんだね」と安心された。何がよかったのでしょう。
最近自分の日記をかきながら「おもしれー」と自画自賛。われながらいよいよ症状がおもくなってきたようです。
昨日の日記。「えーっ!これって実話なの?ショック」という反響のメールが山のように海のように(嘘)。どこからどこまでが妄想か………なんてどうでもいいではないですか。
いずし君の『余ってるマウスください』運動
おおっ。なにか運動みたいで(運動か)かっこいい。これはへた連としても何か運動というかムーブメントというかおこさなくてはならないのでは?(でも活動的な・あくちぶなへた連というのも想像しにくいしな)
わたしはひとりやる気なしまつり・秋の大祭でもつづけることにします。わっしょい!わっしょい!
ほそぼそとつづけている勉強会が本日なんと100回目をむかえます。自分で自分をほめてあげたいと思います。
さむーい毎日です、いろいろと。自室はことしまだ暖房をつけてません。どこまでいけるか。
11/14/giovedi 「玩具のような振る舞いで」
どうも。みなさんこんにちは。秋のやる気なしまつりまっさかりのしょーへーです。妄想力だけは旺盛です。今日も妄想エンジン逆回転でがんばらさしていただきます。
「わたしをたたいて」と彼女はいった。「わたしがわるいけん」といった。やすっぽいこというんじゃねーとあたまにくる、それに女性にてをあげるというのはしてはいけないことだ。それに彼女がしたこと………をとがめることができるだろうか、それはもしかしたら「自然」なことではないか。彼女はそれを「つみ(罪)」と考え「ばつ(罰)」をうけようとしているのか………というかどうしておれがばつをくださなくてはならないんだ………などとぐるぐる考えだすとどんどんあたまに血がのぼってきた。「自然」かもしれない、などと思いながらどうしても彼女をゆるせなくなった。
彼女の頬をたたくつもりなどなかったから、一発かるく手をあてた。彼女は「ちゃんとたたいて」といった。結局は彼女の要求をのまされた。彼女はそれで満足かもしれない、多分そうなのだろう。いや、たたいたぐらいでゆるされるとは彼女だって思うはずがない。でもそうしないと気もちがわるかったのだろう。もっと気もちがわるいのはおれのほうだ。意に反して手をあげさせられたのだ。彼女は彼女ののぞんだとおり罰せられたのかもしれないが、そもそも彼女のシナリオには登場人物としてのおれは最初からおらず、彼女がひとりで罪を判定し罰をくだした。一度もおれは登場してない。いまおもえばそんな感じがする。結局彼女の方がかるくなった。なみだをながしたり自分をせめるふりをする彼女をみては「ずるいなあ」と思い、とても場ちがいな感じがした。なんでおれはここにおるんやろう。登場人物ですらないのにたたく機械としてだけはおれはここにおるのだ。それもずるいよなあ、ずるいずるいと思えてわらえてきた。あたまのなかで「いやだいやだ」と赤ちゃんのように駄々をこねる自分が自然と想像できた。われながら不細工だなあ、そしたら彼女はどうするだろうかと考えてはおもしろくなったが、すぐなさけない気もちでいっぱいになった。「罪」ってそんなものなのかなあ。
「雨は毛布のように」。梅雨時期のうたかなあと思っていたが、秋にきいてもいいようだ。「フェイバリット」も「玩具のような振る舞いで」も秋にはぴったりじゃないか。いや、おれはキリンジがすきなだけなのだ。
あらわな肩を抱き
まぶたにキスをして
煙草に火もつけぬまま俯いて
想い出し笑いしてるのかい
あなたもキリンジ「玩具のような振る舞いで」(堀込高樹)
カレーパンくいたい。週に1度はたこやきくいたいなあ。
11/13/mercoledi 「スナオになりたい(I want to be sunao)」矢野顕子
誰だかわからないがおんなともだちが死ぬ夢をみた。そこはなぜかプールがあるステージで、彼女が死んだ直後おれは何人かで(黒人バンド)演奏してた。しかも楽器はマラカス。
なんだかおそろしいほどやる気がでない、自分ではだそうとしてるんだけど、モチベーション低下………はっ!これはおれが気づいてなかっただけで、いまあきまつりの季節、もしやいつの間にかやる気なしまつりははじまっていたのか………いかん、いそいで参加しなくては(というかもうしてる)。「スナオ」ってカタカナでかいてあるせいか「スネオ」にみえて仕方がない………もうおわりかも………。
11/12/martedi 「あきらかに愛になってた」長山洋子
黄砂のまち。ぼんやりとした太陽。あさかさんのはなしをきかせてくれるといったから期待してたのに、録音状態がかなりわるくはっきりとはきこえなかった。残念。討論もできずなお残念。もうちっと整理してはなしてほしい、それなのにみんなにこにこしてる。それがおとなの態度なのか。看護士さんの蛇ーなはなし。とびおりの現場。女子短大生と女子高生で雑然としたバス。「夜露死苦」とかいたつもりなのだろう、漢字が「死露死苦」になってた。一番うえの「死」には×じるし。馬鹿。電車・バス。すっかりくらい。17時すぎのあの場所には、そんなにはながくないけどなみきみちがあって、多分先週よりももっといろづいているのだろう。1週間ってたつのはやいなあ………と思いながらがっくり。ずーっとこのままなのかなあ。
11/11/lunedi 「ふつうのラブソング」広瀬香美
最近よくかくことだが。夫婦の(多分わかい)日常の生活をよむ………いいなーばぶぅーばぶう−などと思う(思うんである………などと書いてみたいがちょっとはずかしい)。みんなおたがいにやさしくておされな生活………なんかちがうんだなあ、おれとは。喧嘩とかしたりしないのかなあ。わたしは独身でもてもて(同性のだめ人間に)のへたれです。
「セクシャリティの研究してます」っていわれると、それだけでその人がおしゃれでかっこよくみえるし、なんといっても「えろいですよね」という会話をかわすだめ人間とわたし。「居場所がなくなってきたというのは本当」ともかたる。みんな電話してあげて。
11/10/domenica 「雨は毛布のように」キリンジ
10時半公民館集合。日曜の都会のまちなかを西の山めざして2台ではしる。1時間半ほどで山のうえにつきいもばたけへ。ハルモニが、何の作業にもとりかかってないのにまずは一杯ということで焼酎(はちみついり)。いもほり作業は20分ほどでおわり、場所をうつしてひるめし。80畳はあろうかという道場(?)で。ストーブをかこんでの昼食。窓からは紅葉の台地。あたたかいご飯と豚汁。チヂミなど。昼食後はめいめいおどる。あたたかいひざし。焼き芋をたべたりする。何人かは草をつんだりする。15時半すぎかえる。ハルモニをふたりおくりとどけぐったり。その後焼酎。ハルモニの焼酎はいつものむのとはどうもちがうのではないか、いつもあたまがいたくなる。それにしても天気がよくてよかった。ハルモニたちがひとり分ずつふくろにいれてくれた芋は………その場にわすれてきた………。
11/9/sabato 「『そばにいて』」古内東子
強風いなびかりヒョウのあとははれた空。明日は某所でいもほり。とてもたのしみだ。最近本当にたのしみでまちのぞむことというのはほとんどなくなってきた。明日はめずらしくそんな日。………しかしこの歳になって、本当にまちのぞむことがいもほりとは………。
ずーっと教育に関するはなしをおもしろいとおもえずにいた。今はちょっとおもしろいとおもいはじめてる。何年かまえにもそう感じたときがあったのだが。おもしろいと思うのはなぜかを考えるよりも、おもしろいとおもえないのはなぜかを考える方がおもしろいような気がする。意味なんか考えなくてよかったのだ、むかしは。
11/8/venerdi 「フェイバリット」キリンジ
最近こーしーをいれるのが下手くそになった、別に以前がすごくうまかったわけでもないが。ひとり分だけいれるのはかえってむずかしい、おれの場合お湯のそそぎかたがよくないのだろう。
こーしーをいれるのが下手になったのは、ほんとうにこころをこめていれてあげたいと思える相手がいなくなったからだ………………などといったら「嘘こけ!」といわれるだろうか………。あのひとがいれてくれるこーしーはおいしかった………。
それにしてもおれも感情ある主体。まわりの他者の意図がどうであれ感情は発現する。不思議なことだ。主体とは何かに従属するもの。それは自然なのか?
友人にもと茶道部の部長だったひとがいるが、なんと本人は普段お茶をのまない。牛乳さえあればいい、とのこと。部長もなるひとがいなかったからなっただけで、とか。なんで茶道部にはいったのか?さりげなくおいしいお茶をいれてほしいなあ、それでうまかったらなおよし………などと妄想。
11/7/giovedi 「中央フリーウェイ」
妄想特集にも大反響が………勿論なかった………どこからが妄想でどこまでが妄想か、妄想のうちとそと。
ライムスターの宇多丸氏の「冴えない青春は財産」(『朝日』11月6日水曜日夕刊)。「悶々とした妄想の蓄積が後に面白いエピソードや発想の源になったりする」「モテモテで鬱屈したものが何もないような人は、ある意味で将来ネタに困る」「結構いい大人になってクリスマスがイベントとして全盛の頃、彼女がいないイブの夜、1人で名画座へ『七人の侍』を見にいったことがあります。周りもそういう客ばっかり。」
わたくし自身といたしましては、「将来のネタ」という時点ですでに何のネタなんだよという気がしますが、それはさておき、「将来」よりも「今のモテ」の方が大事なのではないかと思います。今モテの人が将来にはモテないかどうかわからないし、今モテるひとのほうが将来にわたって万事うまくいくような気がするのは………。
よくしられていることとは思いますが、大体、そういう悶々とした経験がないやつは表現者・製作者としてはダメなんだ的ないいかたそのものが、だめ人間どうしがおたがいをなぐさめあうために使用するどうしようもないダメ語法でしょう。でもそれでもよし。だめ人間であるわたくしといたしましては、要するにだめ語法がすきなのであります。
鳩山さんがうたうたわれておこった、とか。でもほんとに鳩山さんおこったのかなあ、なんて。おこったのは参加してた学生(など)のひとたちなんじゃないかなあ。つまり、ある意味貴重ではある時間を別のことにつかわれて、という。それはそれで理解できる。つまり、学生たちの時間以外であれば揶揄するうたをうたおうがうたうまいがしったことじゃない、という。(揶揄するような)うたをうたうこと自体ではなく、共有する時間を侵犯されたということのいかりではないかと思うのですが。
それにしても、おこったりすると逆効果なんじゃないのか。とにかくうたまでつくってもらえるダメぶりはすごい。へた連もみならわなくてはと思う。こういうひとを党首にいただくとわれわれももっと大躍進するかもしれない………。
それにしてもユーミンの「中央フリーウェイ」いいなあ。オリジナルを最初から最後まできいたのははじめて。いつもFMなんかで途中できれたり、別のひとのうたう「中央フリーウェイ」きいてきたから。そこで気づいたこと。今まできいてきたやつはどれも長和音で終止するのだけど、オリジナルはマイナーコードで余韻をのこす感じでおわってる。オリジナルの方が断然5000億倍よい。なんでそんなアレンジくわえてたのかなあ。オリジナル文献よむのは全然だめなおれだけど――「他のならいいのか!」といわれたら、勿論そんなことはありません――オリジナルの方が実は断然よい、ということにいまさら気づいてみたりしました。
11/6/mercoledi 「さざ波」
とてもいい天気。
妄想特集。
毎日毎日大量にやってくる感想のメールに返事かくのは大変だ………などということはまったくなく、ほそぼそと更新するこの日記。最近テキスト庵で更新報告してないのは、するまでもない内容だということと、なんか更新報告しなくてもいいではないか、(更新報告しようとしまいと)いつもみてくれるひとさえいればいいじゃないかとも思ったりするから。やっぱり更新報告しないと不便かな?そういうひとはおるんかな?おれはいずし君のはてなアンテナを勝手に利用させてもらってるけど、そこからきてくれるひとだけでも十分ではないか、とか考えたりする。
おれもはてなアンテナ利用してみようかなと思ったけど、おれがみてる日記って人妻系ばっかり………これ以上ヘンタイと思われたらどうしよう、と躊躇してしまう。でもまてよ。何もおれが読んでるすべての日記をのせる必要もないのか、それはおれの裁量範囲なのだから。と思いつつ、しかもいずし君のはてなアンテナと重複しないように………とか思ったらのせるページがほとんどない………。どうしようかな。
いやところでですね、なんか、「かれがわたしの髪の毛をやさしくなでた」とか「かれに髪を『くしゃっ』とされた」とかいう記述・(漫画なんかの)場面みたりすると………「うわーいやらしー」とか思いませんか。なんかどぎつい記述よりそういうののほうがなんというか何かを刺激するんでしょうか。とにかく「うわーやらしー」と思ってしまうのです。勿論「うらやましい………」のはいうまでもありません。
このまえの天声人語(11月4日)のはなしはおもしろかった。「有名な本だが、自分はまだ読んでいないという本を挙げる」というゲーム(小説のなかのゲームらしい)。ゲームの参加者のなかで「読みました」というひとがおおいと得点がたかくなる、勿論自分はよんでいてはだめ。「学者の間でやるとかなり屈折した展開になる。勝つためには恥を忍んで自分の不勉強ぶりを告白する」。ほんで『ハムレット』をよんでいない英文学者がいた、みながおおわらいすると「うそつきだというのか」と本気でおこった、すると座はしらけ本人は大学への就職をのがす………おもしろそう、おれ結構高得点ねらえると思う。へたれおとこにはぴったりのゲームではないか。
でも天声人語ってほんとおもしろくない。受験にでるとかそんなことどうでもいい。もうちっとおもしろい文章かいてくれよ、と思う。ゲームのはなしだけはひさびさおもしろかった。だけど、そんなおおっぴらにやってしまうゲームに参加するようでは、本当のへたれおとこ(へた連所属)とはいえないような気もする。
つーかおれってほんとに本をよんでない、(ある面では)はずかしいことだ。
「職員不祥事など 農協に点検通達 農水省」という記事(『朝日』11月6日)。「農水省は5日、各都道府県と各農協中央会などに、全農協の総点検を要請する通達を出した。岡山県の大原町農協で組合長による運営私物化や違法な資金運用とみられる行為があ」ったからだそうだが。ほんでだされた通達(抜粋)。
▽役員による運営私物化はないか
▽法令を順守しているか
▽役職員の不祥事はないか
▽不正に関する投書やうわさはないか
………これが「おとな」の・「えらいひとたち」のすることなんでしょうか。ほんと馬鹿ばっかり。最近「ひとのせいにばかりしていては駄目」などという記述をどっかでよんだが、どうせこんな「おとな」ばっかりなので、くるしんでいるひとたちは何も「自分がわるいのだ」とか思いこむ必要は全然ないと思う。「えらいひと」なんてこんなもんなんだから。
荒井由実『14番目の月』(1976)かりてきた。1曲目「さざ波」のでだしからかっこいい。いろんなミュージシャン(←?)はライブなんかのとき、「○○最高(再考)ー!」とかいうらしいけど、おれはライブいかないし、なんかちょっとうそくさく思ったりもするんだよね、どうせほかのとこでもいってんだろ、とか。でも曲中にどこか特定の地名がはいっていたり、その地でのできごと・思いでなんかうたってるとうらやましく思う。「中央フリーウェイ」もそんな感じ。いいなあーいいなあーばぶぅーばぶぅー。
11/5/martedi 「revolution 1993」jamiroquai
あまりにもいいお天気。ひのあたる部屋で作業。報告にねむいはなし。製本をちょっとだけてつだう。少数話者の言語に関心はあるが、まさか自分がここまで不寛容とは。もっとも、おれ以外のひとはしっていておれだけがそのひとが何者であるかをしらないという状況で・しかも大声で・延々とつよい関西弁をきかされては。ことばそのものというよりも、変化しないこと・変化しようとしないことに対するいらだちなのだろうか。夕方のバス、電車。よくわからない運行。ボックスの女子大生。不愉快なはなしをずっと。かつ鍋定食・ビール・かふぇおれ。最後の最後でとっても不愉快に。だから………というわけでもないが今夜も泡盛。こんなのみかたをしてはいけない、酒にもうしわけない。
11/4/lunedi 「sundown」shakatak & friends
ちょっと本気になって演奏するとからだじゅうがいたい。なんということだ。
それにしても。死に目にあう、とは。もし死に目にあうというのが特別な出来事ではなく普通の・日常の出来事だったとしたら、これほどまでに重要視というかクローズアップはされないだろう、というか重要視されないということが日常的ということでもあるのだろうけど。もうすぐそのときがやってくるのかもしれない。おれに何ができるというわけではないが、せめていい人生だったと思ってたびだってほしい。
11/3/domenica 「11月の雨」t-square
雷雨。おこのみやき。自分。
11/2/sabato 「drive-in」shakatak & friends
さむいです。11月下旬なみらしいです。今日はでかけるつもりです。
こーしーのんでる。最近は牛乳をあっためていれてます。ヒゲ風です。
ダブルネーム(風)。これであってますか?
■kochan@kochanのこころのつぶやき
■2002/11/02 (土) 某飲み会。
某飲み会。週に2回も飲み会があるのは自分には珍しいこと。また、自分から飲み会を言い出すのも、めずらしいこと。意外にこの日記は読まれているようで、自分が後で確認するためのヒントみたいなものがあって、それがバレバレだったということをこの飲み会で確認。そこで、ここ数ヶ月分をよみかえしたりすると、自分でも知らずにヒントみたいなのをかいているんだなぁ、と思ったり。
日記に限らず、私の行動というのは結構あからさまで、わかっていないのは私だけということだったり。例えば、この前の飲み会では、私が結構仲良くなりたそうな人を呼んで頂いたのだ。しかしあまりその人と話せなかったので、翌日主催者から「頑張りが足りないので、次はもっと頑張って話すように」といわれる始末。あ、まわりからみたら私が「仲良くなりたそう」いう人などは一目瞭然なんだなぁ、と思ってしまった。いずれにせよ、結果を出せないのはいたい限りである。
■しょーへー@おとなげない日記
午後から県立図書館。もより駅はもうすぐ移転。あまりのさびしさ。神社をぬける。おれのかりたい本はまだかしだし中。バスで駅(書店)へ。以下を購入。
石川准・倉本智明 編 2002『障害学の主張』明石書店
野口裕二 2002『物語としてのケア ナラティヴ・アプローチの世界へ』医学書院(シリーズケアをひらく)
実はかう気満々だった小沢牧子 2002『「心の専門家」はいらない』洋泉社新書(y057)は「ない」だって。なんだよ。夕方の駅。電車をまっていたんだけど、くそがきがわりこんでくる、中学生ぐらいの女子。しかも(どうせ)おれより先におりるんだろっつーの。お行儀わるすぎ。ほんとくそがきだな。
で18時駅でヤロー同士のまちあわせ。すこし雨。みせにいくとおれたち以外だれもおらず。餃子・テールのシチュー・にらたま・からあげ・ごまさば・雑炊など。ばくばく。生・ワイン(白・グラス)・ねむれねむれ(芋焼酎ロック)・梓(芋焼酎ロック)。なんか全然客がこないので、変な気をつかってばくばく食ってのまねばならないような気がしてた。店内には小野リサ。予想以上の金額であまりにもわるいのでもうしわけ程度に2000円(!)はらう。ひとの金で酒をのんでおいしくうれしいときと、もうしわけないときがある、というかいつもそれらがないまぜになっている。ヤローふたり電車でかえる。ここにあのおとこがいたら黄金のへたれトライアングル完成なのだが。かれの日記の更新頻度が最近おおいのは、やはりかれ自身が分析していたように、かれの居場所があの島にもはやなくなりつつあるのだろう、ということで意見は一致した。
11/1/venerdi 「愛してた」
あんまりないけどたまにみたりする恋愛系日記の記述に「うーんなんだかなあ」という気分にさせられる。恋愛という行為(あるいは状況)とその行為を記述するというのは別なのかな。家族にかかわる問題だということと、その当の家族の問題をとりあつかったり解決したりするのも当然家族の問題(範疇)だというのが本当は別様の問題であるように(ちがうか)。拉致ギレンってなんかうさんくさいよね。家族会とは別なんだろうけど。
いや恋愛系日記なのだが。「ふたりの世界」であるのは別にいいんだけど。なんかあまりにも些細というか。こころをめぐる記述なんだけど、うだうだグダグダ肯定(皇帝)派のおれでさえ「そりゃあないだろう」というグダグダぶり。自分がさみしかったりつらかったりしてなぐさめてもらって(それはよい)、あげくのはてに「あなたにもきっとおもってくれる人がどこかにいる」だと。なんじゃあーそりゃあー。それが結論かーほかにいうことないんかー。がっくり、みたいな感じ。
恋愛(という行為)やそれを記述することに興味はあるのだが。小谷野さんだったか、恋愛って別にみんながみんなできるわけじゃない、といってたけど。それは本当なんじゃないだろうか。ほかのいろんなことがそうであるように。だけど、どういうわけだか恋愛なんて別に何のトレーニングもなしにできると思ってんじゃないだろうか。学習という過程は当然はいってくるのだが。でも学習したりトレーニングしたりしてもみんながみんなできるわけじゃないと思うんだけど。だからといって「恋愛弱者がどうのこうの」とかいうつもりはないんだけど。他者のまえに性的身体をさらすことイコール恋愛ではないわけだし。いや自分でも何がなんだか。
広瀬香美だが(『welcome-musik』)。やっぱ「しあわせな恋愛」みたいなのより、おわってしまったもののほうに何か感じるものがあるのだけど。
二人の恋は終わった
あなたが去っていった
ごめんね 最後くらい やさしくなりたかった
“幸せに”って微笑んであげたかった「愛してた」(広瀬香美)
ってちょっとけなげすぎないかい。「ばーかばーかベロベロバー」とかしてやったほうがいいんじゃないか。やるにしてもやられえるにしてもおれだったらそっちのほうがいいなあとか思う。あとは「どうせおとなはわかっちゃくれないんだ たこやきラーメン マジだぜ!」みたいにすて台詞のこしてわかれる。おたがい(微笑むじゃなしに)ゲラゲラわらってわかれる、あるいはにくしみあったままわかれる。そういうのがいいなあ。
□ 過去も結構おとなげない