×xー×ーの おとなげない 日記  for Otonagenai people

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5417/0301.html

Gennaio  Janvier



1/31/venerdi  「love song」大野智子

岡八郎さんのはいたいたしくてあまり正視できなかった。

大野智子『Natural Woman』かりてくる。jazz のアルバムっておれにとって大抵よくわからん曲というのが1曲ははいってるが、これは全然そういうのがない。さらりとした感じでおされだと思う。説明にも感想にもあまりなってないが。

かぜはいまだに完治せず。ことしは bossa のなかでもオルガン系統のもの・jazz オルガンなどに是非トライしようと思う。


1/30/giovedi  「yesterday」keiko lee

火曜日ぐらいからのどがいたい。普段あまり暖房をつけないが、あんまりひえるとつける。で部屋が乾燥する。乾燥するとのどにくる。のど→はなみずという順でわるくなる。一日中ねてた。ねながら中谷さんのはなしとかおくのほそ道とか短歌とか。

むざんやな甲の下のきりぎりす 芭蕉

魚住昭『
渡邊恒雄 メディアと権力』講談社 をよんでる。よむのおそいおれにしてははやい。一気によめるしおもしろいのだが、学生から政治記者となる部分に断絶があるように思う。こういう面とかああいう面にも興味がでてきたのは加齢のせいか。『機会不平等』いつまでたってもよめない。

公人の記憶 共有財産に 」。


1/29/mercoledi  「パンクでポン」筋肉少女帯

政治家の好むしゅくしゅく不思議なる語感はついにわれの埒外

今日(29日づけ)の「折々のうた」で紹介されている玉井清弘さんのもの。細川首相が「粛々」をいうことばをつかいだした、というのをむかし読んだけど。なんかいやなことば。禁止語のすすめかな。

あさおきるとうっすらと雪。すぐとけたけど。警報は解除されたらしいがその直後吹雪。昨日からのどがいたいんだけど、痰がからんではなみずがでだした。さむい。もうかぜはひかないようにしないと。きーきーないている鳥、ヒヨドリやメジロはこんなときどこにおるのかな。

「パンクでポン」をきいている、これを誰かとわかちあいたい。「おまえだよおまえー」といわれ返事をしたら「ハイじゃないよ」とどなられ「おまえ文学読んでるか文学コラー」とおこられ「そのーなんだいわゆるなんてやつだ・すてでいな・すてでいな関係の女子はいるのか」と詰問され「おれは学生の頃おんなのこと喋れなかったんだよ」となげきをきかされる。「愛はこころの仕事だ馬鹿者」だめ人間には是非一度きいてほしいとわたしは思いますが。


のぞみ園の
とりくみ。すごいなあと思う。


1/28/martedi  「いくじなし」筋肉少女帯

某日記(面識はまったくない)をよんでいたら不意にうらやましいというかねたみというか嫉妬というような感情をおぼえた。そのひと自身ここまで簡単なみちではなかったようだ、それは日記をよんでいたからわかる。ようやくあたらしいスタートラインにたち、それはまったく祝福すべきことであるのに、おれときたらねたみがさきにたってしまった。

実際もうそういう感情をあじわいたいとは思わなかったし、そういう感情にであわぬようにどこかでコントロールしてたようにも思う。しかし意識せずとも不思議とそういう感情はわいてこなかった。こんな最高気温5℃のような日にそんな感情がおこるとは。最近ふと思いだしたのは、中学生ぐらいから通信添削みたいな(いわゆるなんとかゼミ)ものをやっていてもほとんど1回として満足にやりとげることはなかった、ということ。同級生にもやってるひとはいたが、かれは毎回毎回きちんと提出し添削してもらっていた。かれは成績もよくこの辺で一番の進学校へすすんだ。かれはひとりで勉強のできるおとこだったのだろう。おれは無理矢理塾にいかされた。年賀状を整理していたらわりと最近までかれが年賀状をくれていたことがわかった。

ひとりでこつこつとやっていく能力もなく、爆発的な瞬発力というかひらめきも暴走する情熱もなく、よく考えたら何にもなく、やっていることといったらだらだらといきるだけ。こんなさむい日には「踊るダメ人間」や「いくじなし」をきいてはひきこもる生活。………(誰もがそうかもしれないが)断念断念でここまできたのに、まだねたむような気もちもあったのだと思うと、逆にちょっと安心するというかうれしくもなったりする。

ちょうど去年のこの時期、試問があったのだった。試問のせいというより内容そのものがよくなかったのだ、結局ひとつのみちはとざされた。今日はその試問の日だと昨日偶然しった。




「なんでやさしくしてくれんの?」と彼女はいった。彼女はないていた。そしていった「あんたがなんで悩んでるかなんてわかるわけないやろ」。


1/27/lunedi  「uptown は灯ともし頃」松任谷由実

暴風雪警報がでてる。「電話がこなくてさびしいの………」みたいなことかいてたから気をきかせて電話してやったら、「あははあははいまのんでまーす」みたいな応答でどうやらほんとにのんでるらしかったので、気をきかせてなんだか損をしたみたいな感じでかるくむかつく。それをわびるような内容のメールには、某Yさんのことをおれが気にいってるみたいにかいてあったけど、そうじゃなくて彼女の方がおれのファン(不安)なんだろっ………えっ?………。

というわけで、電話の相手・某ヒゲはほんとに結婚する模様です。祝電うってくれ、なんてふざけたことぬかしやがる。最近夜な夜なのみあるいてるのはマリッジブルーなんだな、きっと。あるいはこれこそ本物の年貢のおさめどきってやつか。とりあえずひとりでヒゲの相手するのは面倒くさいので、みなさんヒゲの相手をしてやってください。


1/26/domenica  「ただ時が経っただけで」森広隆

こんなつめたいあめのふる日曜日の午後、くるまのなかで駄菓子(それもノスタルジックなのじゃなく、ほんとにただの駄菓子)食ってるばかなおっさんはいねーぜ。

某美術館で「アートと経済の恋愛学」という展示を見物。恋愛学とは何なのか一向にわからずじまい。白川昌生(よしお)さんの展示(というかパフォーマンス)はおもしろかった。無人駅でインスタントラーメンをたべるというもの。その駅名は「
心臓血管センター駅」。うーんいつかいってみたい。会田家の展示はおれにはよくわからない。こえをはりあげてするアピールがいま有効なのかどうか。無言の抗議とか。三田村美土里さんのはおもしろいけど、バッハの音楽の方がさらに印象にのこってしまう。

いろんな世界があって、それぞれに興味ぶかいのだけど。でもなにかをつたえようというかそういうものを感じなかった。一番感じたのは随分みんな自分勝手なんだなということ。いってみれば自慰そのものなのじゃないのかということ(それは別にわるいことではない)。表現なのか表出なのか。鑑賞するがわの何らかの介入というか相互作用はもちろん必要なのだろうけど、それをうながす何かがあるのだろうか。勿論おれのような・美術とは普段ほとんど縁がないようなものには作品の解説は親切だが、「なぜこのような作品をつくろうとしたのか」という動機へさかのぼる説明が有効だとは思わない(そもそも動機とは何か?)。でもこういうのもなんかいいなあとか思い、そしておれ(たち)がやろうとしてることとそうはかわらないとも思い、しかしなんかまなざしは(不当に)肯定的ではないだろうかとも思う。

午後1時の駐車場では、車中の(どうやら)カップルがみえる。水面下でどうやら性的行為におよぼうとしている模様。ちゅーちゅーしてる。おとこの後頭部はみえる。シートはふたつともたおれている。このカップルがヘテロだとするとしたからおとこの髪の毛をなでているのは女性だろう。こちらも観察というか鑑賞すべきだっただろう。創造的行為かな。想像以上に陳腐かもしれない。


1/25/sabato  「素敵な午後は」山下達郎

快晴しかしそれもひるまで。布団ほす。東芝もうちょっとがんばってほしかった。たまりにたまった記事スクラップをやるが遅々としてすすまず。計画的に。

ブーレーズの「火の鳥」。えっこんな感じなの?


1/24/venerdi  「look at your hands」george michael

最近のゆめ。あたらしい駅のなかにあるどこかで面接で何度もおとされる。高校時代の友人たち(もちろんヤローばっかり)とダムにいる。なにかしてる。

フランス現代思想なんてもちろん全然わかってない、が今回ほんのちょこっとわかったかな、という程度。しかしわかったと思ってしまうと、なんだか急にむなしくなる。満足するのではない。おかしな説明をしてうんうんなんてうなずかれたりすると、おれのいってることはほんとにただしいんだろうかなんて逆に急に不安になってくる。このみたされない感じ、むなしい。大してうまくもない某店のとんかつ。混雑した店内、すわるやいなやスーツのおっさんのたばこのけむりで不愉快。


1/23/giovedi  「aguia nao come mosca」azymuth

ライフヒストリーのききとりのような会話。過去が現在を規定しているとは如何様な事態か。結果にはかならず原因があるとの信仰、ということばを不意に思いだす。

松崎運之助先生の講演できいたことを最近ふたたび思いだす。運動はたのしくなければならない、そうでなければながくつづかない。………ちょっと脱力して、ちょっとはおもしろいことだと思いながらいこうと思う。

「あなた、わたしのカラダがめあてなのね」
「いや、そうなら別のひとをえらぶと思うんだけど………」

「あなた、わたしの顔がめあてなのね」
「いや、そうなら別のひとをえらぶと思うんだけど………」

「あなた、わたしのお金がめあてなのね」
「いや、そうなら別のひとをえらぶと思うんだけど………」



納豆たべてたら彼女のことおもいだした。たとえばドライブしててひるめしにコンビニにたちよったりしたら、かならず納豆まきを買う彼女だった。


1/22/mercoledi  「流星都市」

「サクサク感」とか「しゃきしゃき感」とかいう日本語はどうなんだ、と最近おれ「的」には思っています。


さむくてまとまった雨がふるという予報はいまのところあたっていない。作業が予想以上に大変そうだという見当だけはついた。あほらしい。先輩がたとしゃべっていて、某先輩がようとさけぐせがわるくて大変だ(セクハラする)というはなし。

そういえば、おれ自身あんまりさけつよくないけど、さけがのめる女性とつきあったことないなあ、と思う。むしろおれをひっぱって「さけのみいくぞ、おらー」みたいにいってくれる女性っていないのかなあ、などというはなしをしていると、「あんたの理想の女性のタイプって和田アキ子なんやね」といわれる。ある面ではそうです。でも最近のテレビの和田アキ子はおもしろくないと思う。


smile 夜の広がりに散って和らいでゆく この気持ち
ああ 君の待つ家へ少しだけゆっくりと帰る道

original love「流星都市」(田島貴男)



1/21/martedi  「ムラサキ☆サンセット」キリンジ

作業まったくはかどらず。地下鉄、オフィス街をあるく、さむいのにひざしは結構あって気もちいい。銀行のぞくもいまだふりこまれず、むかつく。15時半の電車。あさのラッシュのように異様にこんでいる。女子学生があからさまに「なんでこんなにおおいと?」といっている。みんなそう思ってんだよ、なにしろぎゅうぎゅうだから。そこで思いついた回答「おめーがのってるからだよ」………ふかい。

あるいてかえりながら、なんかかかとがいたいなーと思ったら靴下がやぶれていた。片方やぶれてるのはわかっててはいてた靴下だが、両方やぶれるとは。ちなみに靴はぼろぼろ。カツ丼とうどんのセットを食いながら、ご飯+うどんというとりあわせについて考える。ご飯+おこのみやきはちょっときついかもしれない。ご飯+そばというとりあわせってあるのだろうか。気になる、某さんによるとどんぶり+そばというくみあわせならばある、というお返事。そうかときどき食ってるやつがそうだった。

さらに妄想。いつも相談にのっていて、ごくたまにこちらが(電話とかで)相談すると「何か用?」とか「ちょっといそがしいんだけど」とかあからさまなためいきとかされたら………とてもよいしうちでおれにはぴったり………。


1/20/lunedi  「透き通らず」theatre brook

べてるの家の「非」援助論』の書評(テレビ)をたまたまみた。作家のが一番だめだった。かるがるしかった。

地下街にダンボールをしいて背をむけてねむるひとたち、そこにいるべきはちがう人間なんじゃないか、そんなことばっかりいちにち思ったりもする。自分がきらいになっちゃう女子高生、そんなことでなやむなよとか思うけどおれも一緒か。おれご飯食ってていいのかなとかおれ………いいのかなとか思ったりする。

平田オリザってやっぱすごいな。単一の日本語みたいなのも批判してた。どっかのだれかとはえらいちがいだ。むかしの分の年賀状整理してたらとてもいやな気もちになる、なんでだろう。みちをまちがったという思いはここ最近ずっとしてて。ちがうみちがあったんじゃないかとか。過去に真正でけがれなき自己があったみたいな想像というか妄想をしてて。

すくなくともいまできることは、だらだらとこの日記をかくことだ。ひとさまの日記もよませてもらいながら、やっぱりいきていかないといけないのだと思ったりする。過日某冊子をよんだ。1996年に事故死した学生の同僚が、昨春研究者としてのみちをすすみだした、ところがすぐ急性心不全でなくなった、と。死んではいけない。やはり事故死した先輩をおもって布団かぶってないたりもした。とにかく「まだ」死んではいけない。とりあえず死なないようにやっていく、それしかない。

平田さんは、つたわらないということがあるということをわかってほしい、そこからつたえようとかつたえたいということがでてくるはずだから、というようなことをいっていたと思う。それはそうだと思いつつ、もうちょっとなにかことばたらずなんじゃないかと思う。まとめたり綺麗にしつらえたりするのは得意じゃない、むしろそんなこと全然できない、それにそんなこと目標にすべきでもないと思っている。あたらしい空気をいっぱいすいこむためにいきをはききるように、そんなふうにこの日記はあるのじゃないか。自分でもわからないぐらいねじくれてるときだってある、それをそのままだしたらいいじゃないか、どろどろしてるのが人間だと思うからおれもそれをそのままだしたらいいんやないかと思っている。あまりあやまらないようにする、でも感謝はしてます、それは本当。


さむい。そうかこんなときひとは手袋とかマフラーとかするんだ。おれ自分のもってない。このまえマフラーかりてしてみた、そしたら「マフラーというよりむちうちになったひとみたい」といわれた。これだからおされやろーはこまるぜ………。


1/19/domenica  「good-bye goes by」

つめたいあめ。ふりまわされたりする。男子駅伝みそこなった。よるめしを食いにいった。おくれておっさんとふたりのわかいおんなのこのグループがはいってきた。なにやらあやしげだった。おっさんとひとりがおなじ側の席にすわり、もうひとりがむかいあっていた。そのむかいあったおんなのこがトイレにたった。おれは思わず「なんかあるんじゃないか」とどきどきしてしまったが、のこされたふたりは別にどうということもなく普通におしゃべりしているようだった。それにしてもなんかやらしーなーと思えて仕方なかった。今日もうつくしいつき。


泣き明かした夜に good-bye
あてのない電話はもういらない
くすぶった日曜日 goes by
さあ取り返すの

松任谷由実「good-bye goes by」



1/18/sabato  「これでいいのだ」筋肉少女帯

電車・バスで「青少年のための能楽講座」。おれ青少年じゃない・おっさんだけどいいのかなーと思ったら全然心配なかった。青少年でイメージするひとたちよりも OL さん風のわかい女性がおおかった。ぐへぐへ。高齢者も結構いた。能も狂言も体験ははじめてだった。能の方は日本語なのかわからないほどなにいってるかわからなかった。小鼓と大鼓では大鼓のほうが音程がたかいというのは意外だった。太鼓のあの独特のたたきかたにもおどろく。機会があればまたみたいと思う。かねがたかいなあとは思うのだが。

カンパチどんぶりたべておされな茶店へ。おんなのひとばっかり。今日まちで思ったのだが、最近の女性ってみんなあしはなげーしほせーしかおはちいせーし、まったくぐへぐへだ。しかし喫煙席にすわったのもあるのだろうが、みんなばかばかたばこをすってる。しかもそのけむりはなぜかすわないおれの方へ。「あんたってほんとおされなみせがにあわないよね」といわれるが、そんなことはない、おれは××れだ。

ぼんやりとしたつき。


1/17/venerdi  「届かないセレナーデ」

本日ひさびさの快晴。某さんに電話でよびだされ(さらわれ)やまのぼり。たしかに田んぼとまちなみとうみをみおろす景色はよい。あしががくがく。松ヶ枝餅。かけうどん。


ユーミンの『
love wars』(1989)をひさしぶりにききたくなってかりてくる。


届かないセレナーデ 旋律を失くして
秦でたい日が来ても 愛はふりかえらない

意味の無いダルセーニョ
もう少しいさせて
あなたと暮らした街で 今年も暮れてゆくわ

松任谷由実「届かないセレナーデ」



この曲(CD)をきいてる頃ってまだ高校生で、内容はよくわからんけどこういう雰囲気はすきだった。いまもすき。そしておっさんになったいま歌詞の内容がわかるようになったかというと全然わからん。でもこの曲のこの雰囲気はすき。


1/16/giovedi  「共生」森広隆

やっぱりあれをみていると、作戦がなってないというかブレーンはいないのかとかもっと狡猾にとか思う。馬鹿だね。


たのしいということをつたえるためには、まず自分自身が本当にたのしんでいなければならない、自分がたのしいと思ってもいないことを他者にたのしいとつたえることができるだろうか、というようなはなしを最近ことなるところでたてつづけによんだ。もうずっとまえ・15年ぐらいもまえから、プレイヤーとしては自分がたのしい音楽だと思えもしないものを客がおもしろく思うはずがないだろう、とは思ってきた。


1/15/mercoledi  「love space」山下達郎

あさゆき。駅のホームにかさをさしてたっていると、ゆきがおちてくる。まるでアニメーションのくりかえされる映像のようにどんどんホームにすいこまれる。かさはばらばらとおとをたてる。結構しめったおもいゆきのようだ。

電車が終点につくころにはゆきもやんだ。あたらしい作業、しかしどういうわけか MO を認識せず統計ソフトもたちあがりもしない。地下鉄へ。地下街にはホームレス。5〜6人はいる。1000メートルもはなれていないのに(たしかにいくつかのブロックにわかれているが)地下の食品うりばにはいっぱいたべものがある。ひともいっぱいいる。おれも弁当をかう。かいながら、かっていいのかなとか思ったりする。なんだ、このちがいは。

かえりのバス。いつもはひだりにすわるが今日はみぎ。ひだりてに海がみえ、みぎてには山々。今日はゆきがうっすらとみえる。

いつものる単線の鉄道には自動券売機も自動改札もない。切符をかうには駅員のおばさんにまずは「おはようございます」と挨拶して「○○まで1枚」とかいって切符をかい改札してもらうのだ。これはこのままでいいと思う。


きのうあんなにいやな気分だったのは、つまり1対1とかごく少数のあいだにとどめておいてほしい問題を、いやに無造作にみんなのまえにひらかれてしまうことへのいかりかもしれない。尊敬する師匠や先輩だけど、これに関しては無神経すぎると思う。わかってもらえるかな。


1/14/martedi  「faith」george michael

先週は往復2500円(以上)の無駄あし。今回一応最後ということで茶話会みたいな感じ。みなさんがいろいろと心配してくださっているというのはよくわかっているつもりなのだが、どうもネタにされているような気がする。被害妄想だ、というひとがいればそのとおりかもしれない。しかしどうして感じられないのだろうか。話題の中心というより、焦点というかほんとにネタという感じしかしない。ここにいていいのだろうか・ためになるのだろうかとか分析でないものをきかされたりするとうんざりしてくる。

先週の様なことがあったせいか「電話番号おしえてください」といわれる。みんないそがしそうで実際いそがしいのだろうけど、それなら出来もしないことを約束しないでもらいたい。大風呂敷をひろげてそれで自分にプレッシャーかけるというのもわかるけど、おれは自分の方法としてはもうそんなの採用できないなあという感じがしているし、そういうことをするひとをみるのも全然すきじゃないのだ。いそがしいというのはいってみればみんなそうなんじゃないか。かかえこむことなんてないし、もしかしたら他のひとがもっとうまくやってくれるかもしれない。

だから今日はとてもうんざりというかいやな気分。よびこむところも大だろうけども。じさまやばさまが何食わぬかおでというかとぼけたかおでというかわりこんでくるのもとてもゆるせない気分だ。

どうしたら元気がでるんだろうか。おれにしてはめずらしくそんな本をさがしたくなる。

浦河べてるの家 2002『べてるの家の「非」援助論――そのままでいいと思えるための25章』医学書院(2000円)
ましこひでのり 2002『ことばの政治社会学』三元社(2600円)


ましこさんので元気でるかな。よんだことのある論文もいくつもあるがよんでないのも収録されているので。「よっしゃ」とか「なにくそ」とか「こんにゃろ」とかで元気がでないようなおれにとって、どうしたらいいのかな。


1/13/lunedi  「tamborim,cuica,ganza,berimbau」azymuth

休日(成人の日)の夕方となり駅のホームで電車をまってる。めのまえが田んぼで、もう菜の花がほんのちょっといろづきはじめている。いなかのこの辺でだってもうなかなかみれない風景。このままであってほしいと思う。再開発地域はすすんでいて線路の区間があたらしく高架になっている。

18時ごろから鍋会。ちゃんこ。しきりにとぶ CD 。こどもは1歳をすぎている。こどもが得意ではないおれだけども、予想以上になついてくれる。しきりにおれに絵本をすすめてくれ、一緒に手をたたいたりする。はなしはいつもの様なこと。でもこういう機会はありがたいし大事にしたい。おっとの方は高校時代からのつきあいで、つまの方はおたがい小学校の頃からしっている。そしてそのこどもをだいている。

かえりはおそくなって1区間だけ特急にのる。焼酎なのに最近つぎの日にものこる。のみすぎか、としなのか、ビール→ワイン→焼酎というちゃんぽん具合がよくないのか。


1/12/domenica  「代官山エレジー」

手段であるところのもの(こと)が目的になってしまっている。手段の自己目的化とかいうやつか。さらに、文化とか伝統とかいうのを気どりたがるタレントにもうんざりさせられる。説明過多で無粋。

海水でなにかを研究している俳優さんのゆめをみる。おれは助手だった。うみのうえで高校時代の同級生たちとなにかのはなしをしながらさけをのんでた。場面かわってまちなかのおされなかふぇみたいなところにいる。みつかってしまったという感じでもうしわけなさそうにニヤニヤわらうヒゲがいる。「どうでもいいから決着をつけろ」とおれはどなっていた。


くすぐったいキスをした
さっきの洋梨タルト
甘酸っぱい息がした
最後の最後のキスさ
赤いバスが今 君をさらうまで
落ち込む顔は見せたくない

キリンジ「代官山エレジー」(松本隆・堀込高樹)



なぬーなんじゃー。洋梨タルトってどんなあじ?にんにくくさいおんなならしってるんだけど。


1/11/sabato  「砂の花」

「こいつと一緒にプレイできるのだったら死んでもいい」とかいうことばってすごいなあと思う。そういう関係であること、そのような感覚・感情をよびおこすっていうのがすごい。

「死ぬということとやまいということとは一緒ではない」というのをみた。死ぬにもいろんなありかたがあるのだろうなあ。自殺は絶対よくないと思うけど。死ぬならいい死にかたをしたいなあと思う。

快晴みたいなこといってたのに雷雨。このごろ天気予報が信じられん。


最初の時のように
つかまえたらいい
初めてのように
通り過ぎるか
引き寄せられる

original love「砂の花」(田島貴男・木原龍太郎)



1/10/venerdi  「まばたき」theatre brook

熊本にすむ(多分)先輩にさそわれて京都にいくゆめをみた(もう何年もあってない)。


そうかもしれないなんて程度に適当なことをいったりする。ほんとかうそか自分でもわからん。でもずっと誤魔化してるような気もしてる。「おまえほんとにわかっとうんか」とみんなのまえで自分で自分をといつめたくなったりはする。

体調は大丈夫でしょうか?きくのわすれた。

さむい空気のなかでぼやけたやまのすがたをながめるのはきもちのいいことだ。4月の夕ぐれになったらもっとうれしくきもちのいいながめになるだろう、そんなことも思う。

くだらないものがたりにひきこまれるわけないだろう。

ほんとのことだけしかかいてないのかどうか、そんなくだらないことを詮索するのはやめてくれないか。


1/9/giovedi  「let's go !」

昨夜は泡盛のんだらすぐ爆睡してしまった。よなかめがさめたらスクールウォーズ2の再放送やっててめがさえてみいってしまった。

ことし最初の青春学校。ハルモニは4日にひっこしたそうで、ばたばたしててこれないといっていたが、結局別のハルモニがむかえにきてやってきた。新年の挨拶と、それぞれの充実したかどうかはしらない生と。

もう随分まえからそんなことどうでもいいやという気分。自分のなさけなさをみつめるのに精一杯で、ほかのひとのことが正直なんだかどうでもいいような。よろこびがよろこびであり、かなしみがかなしみであればよいのだろうし、多分ただしいことだろう。にしのそらの半月をみながら「ブロンコ」がながれる。


今が変わるなら
遥か古代から続く
終わりの始まりを
共に始めよう 今

original love「let's go !」(田島貴男)



10年まえの曲だけど、この曲よりかっこいいと思える曲にであえてないように思う。

おいしいクッキー食いたい。おいしいマドレーヌも。


1/8/mercoledi  「地を這う者に翼はいらぬ」

天気予報ではものすごく快晴みたいなこといいやがって。太陽さえでてねーじゃねーか。せっかく布団ほそうと思ったのに。

昨日キリンジの 1st アルバム『paper driver's music』を購入。キリンジについて言及しているひとは沢山いるようで。いろいろ評価がわかれてる(それ自体は別にどうということもない)。ただ「1曲目のでだしからかっこいい」というひとも「1曲目だけはどうもいただけない」みたいなひとも両方いる。なんだかレコード評・CD評というのは信仰告白みたいなものなのかもと思ったりする。ほかの・なにかを評するというのもそうなのかもしれない。それはそれでいいと思うけど。


「ようこそ現世(ここ)へ!」
取り戻すよ、我を
地を這う者に翼はいらぬ、と
腹を括ったぜ
我が顔を手で覆い泣く
サヨナラさ グッバイ、メンズ・メンズ・ワールド
燦ざめく朝を抱いて
サヨナラさ グッバイ、メンズ・メンズ・ワールド!

キリンジ「地を這う者に翼はいらぬ」(堀込高樹)



『fine!』収録のこの曲。ジャズっぽい・なんだかメロディがうまくのりそうにないライン。コードがさきじゃないのかなんて思えるこのラインにこのこむずかしい内容の歌詞。それもなんかかっこいい。


1/7/martedi  「トランキライザー」松任谷由実

だれもいねーなー、と思ったらやすみだった………。某部屋にいた某氏(なまえはしらない)にメンバーの携帯の電話番号をききだし(しらなかった)公衆電話から電話をかける。しかもテレホンカードは10度数ぐらいしかなく、相手は携帯だからどんどんへっていく。電話のあいては看護婦さんでしかもインフルエンザで休養中だった(すいませんでした)。そして結局本日はおやすみだということが判明。いいや、往復4時間の小旅行だと思えば………がっくりんこ。


1/6/lunedi  「ゼロ地点」森広隆

練習。おたがいかぜ。原一男さんのドキュメント。映画をつくるというのは論文作成ににているなあと思う。ネタはいいけど編集がねー、といわれつづけ自問自答(だけ)をくりかえした日々。(なぜか)カレー。


1/5/domenica  「let's dance baby」山下達郎

このふゆはじめての積雪かな。ちょっとうれしい。まだだれもあしあとをつけてないところにみんなあしあとをのこそうとしている。とってもさむいこんなよるはうどん。


1/4/sabato  「one more try」george michael

いえをでるとゆきがむかってきた。小学生のときのことを思ったりする。かぜがつよくてものすごさむい。年始の土曜の夕方のまちにはうんざりするぐらい沢山のひと。

高校時代の友人(やろー)5人の新年会。調子にのって焼酎(こめ)かぱかぱのみすぎてきもちがわるくなった。なぜかみんなしりごみするが、こじゃれた店(イタリア料理)に移動。うーんたしかに、と思いつつ別にそんなばちがいでもないんじゃないか、と。いかん、おれひとりおされだからか、こじ(ゃ)れだからか。みんなはパスタ・ガーリックライス・パスタとたのんだが、おれはこーしーとトマトジュースのみ(ほんとにきもちわるくなってたので)。さらにラーメンをたべにいくという4人とわかれてかえる。1次会は、今度はもっとめしもさけもうまくてもうちょっとおちついたところでやりたいなと思う。喧喧諤諤とまではいかないけれども有意義。いや意味とか意義とかそんなもん関係ない。


1/3/venerdi  「tarde」azymuth

箱根復路早稲田の7区の選手はわれらが母校の走者だった。シーガルズ残念。きょうもよるのみちをあるく。


1/2/giovedi  「エイリアンズ」キリンジ

ぐじゃぐじゃの展開。決勝に期待がもてるのかちょっと不安。さむいけど冬の夜はきもちよい。


1/1/mercoledi  「愛の薬」original love

熱はようやくさがり(平熱よりはまだたかい)せきをしてもあたまがずきずきといたむことはなくなりました。まだはなごえですが。

あるひとに「ピンチはチャンスというから、おれもこのピンチ状況をなんとか利用したいよね」といったら、「あんたのはピンチじゃない、大ピンチじゃ」といわれた。ピンチはチャンスなら、大ピンチは大チャンスかというとどうもそうじゃないような気がする。

今回のかぜ(というかおそらくインフルエンザ)でたったひとつよかったと思うこと。「これが去年のいまごろじゃなくてよかった」………。


年賀状がきた、8枚。所属がかわるとこうなるのか。ちなみにいまのところに住所録はない。そういう師匠。去年は返事どころじゃなかった。しかし返事ぐらいだせる余裕をいつだってもってないといけないんだろうなあ。ことしはそうしたい。いつだって、時間がないというよりはやればできたはずなのにしてこなかった、というのがただしいだろうから。


昨年中もおとなげない日記をご覧いただきありがとうございました。本年もよろしくおねがいいたします。目標みたいなことはおいおいかいていきたいと思います。

かきかた・はなしかた・はなしぶりがそのひとを構成する。おなじ内容のことをきいても、印象とか説得(させられる)力がちがうのはそういうことだと思う。おなじ内容でも好悪の印象・感情をもつのだから。要するにいいかたがあるだろう、と。そして一番きらいなのは、丁寧なふりして馬鹿にする・慇懃無礼なやりかただ。そういうひとはそういう自分の土俵で一生馬鹿なすもうをとればよい。そういう本当の馬鹿からまなぶものはそうそう沢山あるとは思えないんで。まー勝手にやってくださいよ。


というかそんなひとはどうでもいいので。

みなみからいい音楽が沢山うまれたように思えた2002年。自分の音楽活動はまるでなってなかったので、ことしはちゃんとしたいと思っています。田中康夫と浅田彰が保守党(いまはもうない)を評して「名前からしてやる気がないのがみえみえ」と以前かいていた。ミ×××なんてやる気のない音楽ではなくて、なんというか覇気のようなものがある音楽をことしもさがしていきたいと思います。予想以上に2002年は bossa nova をきかなかったので。jazz はそうでもなかったかな。いろいろきいたりぷれいしたりしたい。

ことしもなるだけ自分のへたれぶりを直視すべくつとめよう………というかそんなくだらないゲームからはおりて、いつもどおりいままでどおり弱音まるだし日記になるかと思いますが、よろしく(4649)おねがいします。


 過去も結構おとなげない