×xー×ーの おとなげない 日記 for Otonagenai people
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5417/0312.html
Decembre Dicembre
12/31/mercoledi
ぼーっとしてる。肉まん。田島貴男のインタビューをよむ。昨日のこともふくめて同級生ふたりと後輩(みんな女子)に年賀状をかく。半分ぐらいの月。雲がやけにしろくあかるくみえる。轟音でおりていく飛行機、窓のあかりもはっきりみえる。夜の電車はすかすか。そば。ダイアンリーブスよかった。ねてた。
12/30/martedi
公会堂でなんとかさんのネパールカレー(600円)。あせだらだら。みかねたのかヨーグルトをサービスしてくれる。おしぼりももらう。どこかのみかんももらった。女子3人組のあと男性ひとり・女子ふたり組・おばさんふたり組。結構にぎわってる。まちづくりに興味あるんですかとかいわれて新聞記事などもらう。商店街はよびこみの声などで結構にぎわっている。
駅からうみにむかってまっすぐのびるおおどおりをみながら、4月になったらどんなきもちになるだろうとか考える。よそよそしい感じ?母校の山を背景にした写真をみる。その時期は4月。きっとすがすがしい気分だろう。
最初4人でスタート。移動した2軒目は同級生が店長をしている。あとから2人合流。部活が一緒だった某さんもいる。最近なんだか変な酒ののみかたしてるのか、単によわくなっただけなのか、よっぱらってるというか気分がわるい。でも大事な会。めんどくさくない(そもそもそういうあつまりにはいかないが)。前提も共有できているからなんだろうと思う。またあつまろう。
12/29/lunedi
あさフリーペーパーを読んでいると不意に今の自分・今の自分がやっていることが将来・未来(があるとして)に全然つながっていかないんじゃないか、と感じた。もちろんいやな感じなんだけど、それとともに恐怖のようでもある。意味がない。意味を感じるか、そもそもそんなのどうでもいいやんと思えるか、どちらかならまだいいのだが、中途半端に意味を考えてしまう。感じるのと考えるのとではちがう。
うつろにこーしー屋さん。このまえのパンで昼食。店内にはふたくみ。まめだけを買いにくるひとも結構いる。このまえかりてきていた本をよむ。
じぶんの人生がはたして生きるかいのあるものなのかどうか。いいかえると、じぶんの人生は生きるに値するだけの意味をもっているのかどうか。そういう問いをじぶんにたいして立てざるをえないというのは、さびしいことである。せつないことである。鷲田清一 1996『だれのための仕事』岩波書店 1ページ
なんだかがびーんである。作業をして外にでると雨。そのせいかすごくあたたかく感じる、実際気温はたかかったようだ。本を入手するべく本屋へ。3軒まわったが結局みつからず。このまえ買おうと思っていた絵本を入手。イザベルはとってもすてきだ。これはおとなむけの絵本のように思うが。こんなのもっとあるのかな。あんたすてきだよ、きらきらしてる。
12/28/domenica
夕方いえをでる。ひさしぶりのきれいな夕やけをみたくて駅へのみちをかえてみるがあまりみえない。バス、高校生(だからずっと下の後輩たち)がのっている。みせにいくとしまっていた。なので別のみせへ変更。某男をハゲます会または弱音をはこう会。
すきっぱらの生ビールがこたえたのかすぐによいがまわる。たのんであった牡蠣グラタンが隣のテーブルにいき、隣のテーブルのグラタンがこっちにきた。みせのひとがまちがった、後からもう一度くるがグラタンなんてふたつもむっとして食えない。あげだし豆腐・カマンベールチーズ揚げ・やきそば。おれはこういうのをほとんど注文しないので、ひとそれぞれたのむものにもちがいがあるんだなあ、とか。シャンディガフがなぜか激マズ。気分もわるい。
はらごなしにゲームセンターをのぞき、太鼓のやつを1回。ひさびさのボウリング。思ったよりもすいている。1回目は161、2回目は99。なんじゃ。こういうところにくるとジュークボックスをかけてしまうのだが、えらんだ「りんごのうた」全然きこえねー。その後別のみせへ。いちいちドルに交換してたのむというめんどくさいスタイル。店内はカントリー調?曲調はロカビリー?全部おれのきらいな感じ。店内ではギター&ボーカル・ギター・ドラム・そしてボーカルの女の子がうたったりしてる。ピアノでとびいりするかしばらくなやむが、やっぱりおれのすきな曲調じゃない。でもまあ店員さんの愛想はいいし、うたも気もちよさそうにうたっているのでそれはいい。コロナビール・ドッグズノーズ(?)。あとパンのみみ。のんでばかり。たばこのにおいが服についてとれないのはうんざり。さて上手な弱音のはきかたとは?
12/27/sabato
わからないことを「わからない」っていえないんだって?知らないことを素直に「知らない」っていえないんだって?
どこかに連れ出そうとはしてみるけど、いつも都合が悪いとか用事があるとかいう。日に何度も「死にたい」とかいう。そのくせ他の人が「死にたい」とかいってるのを聞くと「勝手に死ねば」とかいう。非常に便利にできすぎていておそろしく都合のよいその思考が羨ましいよ。自分は頑張ってるけどあなたは頑張ってないとかいう。おまえほんとに馬鹿だろう。いつまでも勝手にいってろ、おれはもうちっとましで大事なこと考えるのにいそがしいんでそこまで相手してやれんよ。
ほんとは今までも何度か書いてみた、だけどいつも怒りにまかせて書くからなのかうまくいかなくなって途中まで書いてやめてしまってたんだよ。今度のだってうまくいったかわからんけど。もしまたむかついたらまた書くよ。些細なことだけど、些細なことだからわかってほしかったりするんよね、わかってもらえんやろーけど。
12/26/venerdi
電車の座席の1000円を車掌さんにとどけたのは、別にわたしのこころが綺麗に澄み渡っているからではなくて、金の斧・銀の斧というか、ここでいいことしておけばあとでもっといいことがかえってくるかも、ぐへぐへぐへ………というあさましい動機(!)からでした。しかしその甲斐あってというか、次の日には折り曲がってしまって使えないと思いこんでいたバスのカードが使えたのです、なんという奇跡!………ちっ、つーかもっといいことねーのかよ、と思っております。
更新報告して次の日のあさみてみたら、4・5人しかみてない、さすがこの日記にぴったりだと思います。報告してもしなくても一緒なのか、報告するとむしろ「げっ、報告してる、避けてとおろーっと」というふうになるのだろうか、などと妄想してたのしむ。
勉強会、オムライスが結構たかいのでびっくり。なんだかよくわからんまま読んでしまっとるなー。それにしてもほんとにさむい。雪がふったりする。パンチェッタのカルボナーラ、うまいけど塩からい。
なんかゆる〜いのばっかり。もうすこし重厚なものを。
夜中に歴史の番組をみたりする。たとえば製鉄の歴史。なぜ民ではなく官営だったのか。八幡製鉄所もはじめは何度も工程がストップしたりしたこと。はじめから順調に軌道にのっていたわけではないこと。当時最先端のドイツの技術をとりいれたこと、しかしその最先端の技術とここでの原材料との相性がよくなかったこと。原材料はどのように調達したか。コストはどのぐらいかかったのか。他の先進国との差。それまでの製鉄にたずさわってきたひとたちがやはりここでもかかわってくること。なるほど、歴史は単純な正比例のグラフのようにはすすんでいかないんだな、と。おれ一応歴史の免許もってるんだけど。
12/25/giovedi
以前バスカードがしらないうちにおりまがってしまっていたことがあった。まだ何千円分かつかえたのにと後悔した。そして、コートのなかにいれていたカードがまたしてもおりまがっていた。まだ2000円分以上のこってる………今日いちかばちかためしてみたらつかえた、よかった、これがクリスマスの奇跡なのか。
先週いただいた板チョコ、普通の某有名メーカーのものなのだが、どことなくのどにのこるこのえぐい感じ、まずい。やっぱうまいチョコが食いたいな。
のみかいのおさそい。めずらしい。うれしいが。あしたはまた今日よりも最高気温が10℃もさがるらしい。さむそうでごぜーますだ。昼:ねぎとろ巻(300円)・夜:茶粥(レトルト)。
12/24/mercoledi
クリスマスイブ。素敵なプレゼントが。
作業が全然進展しない。かるい叱責。それにしてもなんでエクセルがたちあがらずフリーズするのか。
今日はたまたま(の)電車にのった。いつも大抵は最後部にのることにしている。すいていた。最後部の椅子にすわる。座席に1000円札が1枚おちていた。発車したばかりの車掌さんにわたす。車掌さんは一度「権利はどうしますか?放棄されますか?」といわれたので「いいです(放棄します)」とこたえる。
今まで一度も思いつかなかった自分が馬鹿なのだが、回数券をかえばすこしは切符代がうくんだな。今日のかえりがけにやっとそんなことを思いついた。なんなんだ。クリスマスイブ。素敵なプレゼント………なんて勿論ないのだが、ひそかに(でもないか)自分用プレゼントに絵本を1冊かおうと思っている。すきやき。
12/23/martedi
のせてもらって図書館。趣味とは?安部公房の延長できず。
12/22/lunedi 「god rest ye merry gentlemen」take 6
善意・善意のつみかさね、が、ぶちこわすもの。
クリスマスをどうすごそうかしらー………などということに悶々としてみたときもあった、そしてなにか特別なことができたということもただの一度としてなかったし、これからもないだろう。というぐらいがクリスマスなのだ。昨年まではっきりと感じたどことなくうきうきするこの感じは一年たった今年、はっきりと消滅してしまっている。ライトにかがやくまちなみはたしかに素敵だが、ほんとはもっと質素なものかもしれないとも思う。あの・自宅をごてごてとかざりたてる(ライトアップ?)センス!というかセンスのなさ!鬱陶しい!馬鹿じゃねーの、と。なんで折角の住宅街のしずけさをぶちこわすのか、と。考えてみたらなんでケーキを食わんといけないんだ?恋人どうしもりあがるのはいいと思うけど、恋人どうしっつったらそれこそ毎日がクリスマスじゃねーのか?ねーんだろーな。要するに商売なんです、のりたいひとはのればいいんです、ということか。
そういいつつ take 6 の「god rest ye merry gentlemen(神が喜びを下さるように)」ばっかりきいてる。かっこよすぎる。
最近妄想力もだいぶよわったようだ。妄想力もひごろからきたえなければよわまるのだろうか。クリスマス妄想。
おれにはクリスマスなんて全然関係ないぜー風にしゃかりきになって仕事(勉強)する24日の夜。
クリスマスってほんと鬱陶しいものですね。
12/21/domenica
某男にさそわれていきつけの(といってみる)こーしー屋さん。ふたくみいる。あとから本をかかえてきたおっさんの行儀のわるさにうんざり。かっこつけてんじゃねー、ぼけ。
冬のブレンドが2種類あってどっちもためす。パンのうえにごまペーストとバナナとひまわりの種(?)ののったやつもうまかった。ごくたまにしか弱音をはかない人間は弱音をはくのが下手なのか。回数の問題ではないのか。いずれにせよ、つねに弱音をはく人間としてはたまにはひとの弱音を上手にきいてあげてすこしでも還元しなければ、と思う。渋滞のつづく対向車線、海岸ぞいのもう一軒をのぞく。夕焼けをみようというひとたちで店はいっぱいだった。しかし肩身のせまさならまけない。
12/19/venerdi
すげー天気。駅にいくと強風のため電車が20分以上おくれているという。しかも高校生の下校時間のようでうじゃうじゃいる。しょうがねーバスでいこうとバス停へ。バスはすぐきた。途中から高校生がのってくる。ほぼ満員だったので、高校生がおおかたおりたらおれもおりよう、と思っていたらなかなかおりない。観念してこりゃもうずっとバスでいくしかないとのっている。このバスはしかし途中から都市高速道路にのぼってしまう。強風のなか下車してつぎのバスをまつ。
最近できた某でかいショッピングセンター内のこーしー屋で勉強会(おいしいとは思わない)。しかしでかい、絨毯(?)がひいてあってふかふか。かぜがつよい。駅でおろしてもらう。かぜがつよい、こんなつよいかぜのなか………。
高史明『生きることの意味』をよんでいる。非常に平易な記述なのだが、それゆえにというべきか、むねにせまる。死ぬことだけを自分の目標(それが強制されたものあれ)にすることがいかにまちがっているか。ほとんどのおとなはつねに卑屈でありつづけた。解説者はいう、おとなこそ反省力はよわまるし自分の偏見と辛抱づよく格闘する気力もない、と。
12/18/giovedi 「接吻」original love
なんかうまくいかない、ほんで髪をきってみたりする。髪をきったときに何かあるのは実はおとこ?関係ねーか。
ばたばたするだけでなく、時間どおりにするところはしていかないと、結局ばたばたしたということだけがのこって(あるいはそれすらのこらずに)おわってしまう。
チヂミがふるまわれ、ハルモニのひとりはみんなにクリスマスプレゼントだということで大量の板チョコをかってきていた。公民館の上の階でやっている笛教室の先生がフルートを披露したりしたがどうだったか。合唱もいまひとつ。音楽はきちっとしないといけんなーというのが感想。すくなくとも自分はそういう音楽をしたい。音楽はあそびだが、あそびを真剣にしないといけないというか。だらだらとやる音楽なんてつまらん。
『Sunny Side Of Original Love』が紹介されていたのできいてみました。やっぱいい。「接吻」「let's go!」。「何時の間にか 枯れ葉色の twilight」とうたうあの季節はどこにいったのだろう。中島美嘉のはひどかったな。
きょうの天気はどげんなるとかいな。
12/16/martedi 「忘れかけてた季節へ」吉田美奈子
ここ何年かにうれたCDの番組をみたが、しけたうたばっか。こんなのしかねーのかと思うとがっくり。なかでもひどいのはあれとあれ。道化は道化のすばらしい意味があると思うが、道化ですらない。真摯にうたにとりくむという姿勢は微塵もない。必然がない。
がっくりきたからなのか、吉田美奈子「忘れかけてた季節へ」がききたくなる。そういうチャートのようなところには登場してこないがいいうたというのもやっぱりある。そういうのがないとほんとやっとられんという感じがする。
12/15/lunedi
かぜ。腹痛・吐気・さむけ・関節がいたい。はやくねむってしまいたいのだがねむれない。自分のなかに3人ぐらい別のひとがいて、それぞれがばらばらに動いている感じがする。自分のからだがいうことをきかないというのはこんなにもまいることか。
12/14/domenica
新卒教師。生徒が自分よりも年下。生徒が自分よりも40歳以上も年上。おなじ生徒といってもおのずと接し方がかわってくるだろう。おだやかさはそこからくるのではないかと思った。他の先生たちよりもいい経験をさせてもらいましたというようなことばはそんなところからでてくるのではないだろうか。
12/13/sabato
ヒゲ大先生をわたしが尊敬するのは、自分では自分よりも劣等だと思っていた者に侮辱・軽蔑されたときの身の処しかた・わりきりかた・あきらめかたをよくしっているように思えるからだ。わたしにはそういうことは全然できず(だから自分より劣等な者がいると思っているということなのだが)、うまくたちまわれない。ヒゲ大先生のあしもとになど当分およびそうもないのである。「屈辱が汗になって顔にお面をかぶせ」そうであった。
12/12/venerdi
徹子の部屋をみてしまう。夜間中学の先生というのはどうしてあんなおだやかなのか。
このごろ(いつものように)ひどくやる気がでない。さむさのせいだろうか、そんなわけねーか。
そんなまま海岸のみせへ。夕方という時間でもないのにもううすぐらい感じ。海にむかったカウンターにすわる。となりでおばちゃんふたりぐみがもう1時間以上もねばっているふう。チャイをたのむ。目の前には冬の海。電線がちょっと邪魔か。ウインドサーフィンなんてしてる。小説のつづきをよむ。
屈辱が汗になって顔にお面をかぶせました。意味はよくわからなかった。胸というか腹というかとにかくむかむかした。このまえとおなじように、今車を運転してかえれるだろうか不安になる。
「だってセンチメンタリストっていうのは、席がないのに席があると思込む人のことでしょう?」(「S・カルマ氏の犯罪」)
すこしまえだけど、車内のちょっとの時間のあいだはなしをしたりきいたりした。なんとかなりますよ、なんて無責任にハゲまされたりもした。何を根拠に?ということもできるけど、なんだか無責任にそういってくれることがすごくありがたかった。大声でさわぎたてるでもなく、でもさりげなく本気であると(すくなくとも自分には)感じられることがありがたいのだった。
12/11/giovedi
いつもどこかつかれる木曜日。それは充実感のあるものでもあったりするが、きょうはなぜだか徒労感のような感じ。19時になっても学習者がふたりだけで大変あつまりがわるいとか、せっかくやっていただいた社会科の時間もオーバーしたりと要因はいくつかあるのだろうけど。
最近全然書く方の練習しとらんのよねとおむかいのハルモニがいうので、それなら書く練習したらいいじゃない、というと、宿題としてだしてくれたらするというから、じゃあ宿題だしてもらったらというと、それはいいという。なんなんだ。前にも何回かこういうことがあった。そのたび腹をたててるような気がする。ほんとはこんなことで腹をたててもいけないというかおかしいのかもしれないけど、所詮おれというボランティアはこの程度なのだ。
12/10/mercoledi
ヒステリックにさわぎたてる専門家(?)。あほか。
市内のボランティアを顕彰するという(民間)組織の10周年記念の行事にでかける。なにしろ平昼である、こんな時間にぷらぷらしてるやつといえば………。式は15時より、すこし商店街をぶらりんこ。この辺はやたらでかい病院がおおい。商店街にはやはり高齢者。14時半肉うどん(472円)。あまい汁でまあまあ、麺はもうすこしか。こんな時間でも結構ひとがいる。
会場は昭和ひとけた時代にたてられた洋館で雰囲気はある。市やそういう組織のひとたちも多数出席していて、それなりの場であるがなんとなくなごやかな感じでもある。出席者はやはり高齢のかたがおおい。10年間で100ちかい団体を顕彰してきたそうだ、行政でなく民間であるところに意義があるのだ、といわれている、そうかもしれない。
懇親会ではさっそく寿司桶のにぎりはなくなっている、なんかあのぼじょれのニュースをおもいだす。懇親しようにも名刺がない、名刺がないというより所属がない、へた連ではそもそもだめだし。
車椅子のかたが一緒だった。たてものはふるいこともあってかバリアだらけだった。ボーイさん(?)みたいなひとが3人で階段をてつだってくれる。高齢の女性などがおれにまで食事をとってきたりといろいろ世話をやいてくれる。
式のなかで、今回表彰(顕彰)された津軽三味線のグループが演奏した。なまできくのははじめてかもしれない。マイクをとおしてもいたが、想像以上に音量があって迫力がある。うたをうたうのも健康にはいいかもしれない。来賓も委員もみんなステージに注目し、演奏のあとには今日のほかのどれよりもおおきな拍手がある。音楽というのはこういうことか。和楽器もいいなあと思う。あたらしい楽器をやってみてもいいなとひさしぶりに思った。
12/9/martedi
やりたいことがあるかどうか、そんなはなし。自分の場合だと、自分のまえ・行動行為のまえになにかやりたいことがある(あった)という経験はないように思う。やってしまっていること、それもずっとつづけてながくやってしまっていることがふりかえってみるとやりたいこと・やりたかったことになっているような。行為のまえになにかやりたいことがはっきりしているというのは自分の場合ない(なかった)。これから先はわからない。
どう考えたらいいかわからなかったこと、すこしわかったような感じ。
安部公房の小説(=小+説?)をよんでいると不思議な気もち。図書館の駐車場でちょっとよんでいたのだが、なんか世界がちょっとちがうようにみえて、そのあとくるまを運転するのがおぼつかないような気がして不安になる。わらえたりもする。
図書館にはいろうとしたら入口におんなのひとがいた。町の広報誌の新年号に抱負をのせたいので写真をとらせてもらえませんか、と。抱負ははずかしくていえない(そんな抱負しかないので)し、何よりこの顔をひとまえにさらす(しかも写真で)というのがはずかしいので、すいませんといってことわった。どんよりした天気。
12/8/lunedi
今年初コート。まだちょっとさむさは本格的ではないか。
ひさしぶりに試聴。いえにあるやつとかきいてる、なんか全然ちがう感じがする、音楽やらんといかんなあ。
幸蔵(芋ロック)のみながら勉強会。カルボナーラ。なんだか女性のグループが2組もやってきてどきどき。場所を移動。公園はクリスマスのイルミネーション。17時半でも結構くらいなあと思うけど。こんな夕方から夜にかけての繁華街をぶらりんこなんて会社にいたときにはまったくできなかった、ちょっとはやってみたかったけど。いまこんなふうにまちをぶらりんこすることがとても贅沢に思える。ビルの4階でシャンディガフ。結構ひとがおおくて意外。
あさ人身事故があった。おれののる線じゃないけど。会社にいくときは大体そのへんの時間のだったから、もしまだいってたら今日は遅刻だっただろう。25歳の男性のようだった。突発的だったのか熟慮のうえなのかわからんけど、どっちにしてもやむにやまれぬ状況だったのだろう。でも迷惑なんてなんぼかけてもいいんやないか。やっぱり死んではいけないと思う。どこまでもにげよう、うまくにげよう。
詳述と奨励はちがう。
12/7/domenica
退屈な試合ふたつ。10年以上みているけどはじめていねむりしてしまった。きたないプレー。応援する気をうしなう。
12/6/sabato
醜悪なおとこが代入した。ながれるのは「golden lady」。レモンビール・シャンディガフ。勝手にやってくれ、としかいいようのないどうしようもないはなし。
12/5/venerdi
さみー。回転にぎり。
12/4/giovedi
大挙するボランティア。
12/3/mercoledi
何の魅力もない女性っつーのもいるんだな。東大卒っていわないほうがいいんじゃ………。
あのホテル(親会社?)もすげーなー。嘘でももうすこしうまくふるまったらどうかとか思うけど。必殺!手のひらがえし!をしたときにめちゃあやしいなという感じはしてたけど。感染の有無というよりももっと別の面でなにかあったように思えるのだが(関連)。
こんな件があるくらいだから、やっぱり行政も問題あるんだろうなあ。
社会保険庁岐阜社会保険事務局が、10月下旬に岐阜市や高山市などで無料配布された情報誌に、国民年金保険料未納者を妖怪に例えてやゆした広告を掲載、教職員や福祉団体などの組合で組織する岐阜県社会保障推進協議会から「人権侵害だ」と抗議を受けていたことが3日分かった。同事務局は「不適切な表現だった」と謝罪した。
広告は「年金妖怪大辞典」と題して保険料未納者を6種類に分類。必ず納めると言いいながら納めに行けない女性を「口だけ女」、けがで働けなくなり、親せきなどに頼っている障害者を「セビルマン」などと、イラスト付きで説明している。
同推進協議会は「生活苦などで納めたくても納められない人がいる。公的機関の記事とは思えない」として同事務局に抗議文を提出した。
同事務局の蓮実誠事務局長(54)は「分かりやすい表現を使ったが軽率だった。謝罪広告を検討している」と話している。(共同通信)
12/2/martedi
派遣する金額の十分の一でより効果のあがる支援をおこなうことができます。温床になってしまっている原因にふみこむこと。現地のひとびとの仕事・雇用に直接つながること。なるほど具体的。ひるがえって抽象的すぎる論。火事にたとえる専門家(?)――目の前でおきている火事を消さなければならない、いちいち火事の原因は何かなどと考えていたら消火できなくなってしまう………このひとの頭の中では火事と戦争とはおなじものらしい。
12/1/lunedi
デジタルデジタルってうるせーなー。うちには関係ねーんだよ。つーかなんできりかえなきゃいけねーんだよ。普通にテレビがみれたら十分なんだよ。
それにしてもうたうべき歌などもう自分の中にはのこっていない。うたわなければならない必然性もない。さっさとみきりをつけるべきだ。
□ 過去も結構おとなげない