予備知識講座
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女性解放について
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6月1日![]()
日本でも明治維新以前はもちろんのこと、女性達が政治的にも個人的にも抑圧された存在としてみなされている、という事実は万国共通のようだ。5月30日にBBCで放送された、女性についてのドキュメンタリーを紹介しようと思います。
イギリスにはたくさんの移民の方々が暮らしています。去年ジュリア・ロバーツの映画の舞台になったノッティング・ヒルなどはカリブ系移民の多く住む地域ですし、私の住んでいるマーブル・アーチ(ハイドパーク)付近はアラブ系(レバノン人)の移民社会がマジョリティーといえるでしょう。そんななか、1960年代にイギリスにパキスタンのカシミール地方から渡ってきた移民たちがいました。彼らの二世は今、結婚適齢期を迎えています。パキスタン人の両親の家で、彼らの言語で育てられ、「イギリスの教育」を受けてきた彼らは、彼らの親の世代まで厳しく守られてきたパキスタン的な社会的風習やイスラム世界に共通の「男」と「女」というそれぞれの人間の扱われ方にもはや従順的な態度をとることはできません。ヨーロッパ特有の進んだ個人尊重主義はイスラム教のような共同体を大事にする縦社会とは波長が合いません。
外国で暮らすということは、その外国の未知なる文化を吸収していくばかりの毎日ではありません。むしろ、母国の文化や精神性などは、逆に当地に暮らす同邦人よりも強いものとなります。つまり、アイデンティティーの意識の高まりです。パキスタンの社会では、男女とも年頃になると親の決めた相手と結婚することが美徳とされています。イギリス育ちの二世パキスタン人たちは今ちょうど結婚適齢期を迎え、本国パキスタンへと婚礼の為に強制送還させられるのです。そして、愛の有無はもちろんのこと相手のことを良く知らなくても結婚という運びになります。・・・
ここまでは、なるほど「文化の壁」というものは厚いもんだー。と関心するほどの驚きでしかないかもしれませんが問題はここからです。イスラム社会での両親の決定権というのは絶対のものであるため若者達はこの決定権に反して、勝手に結婚を破棄したり逃避したりすることは許されません。しかし、皆さんもご存知のように、結婚は自由で、愛をはぐくみ合って楽しい毎日を過ごすためのひとつの形。親の判断がいかに将来的に有望であっても、相手は自分で認めた相手のほうがいいですよね。当然夜逃げ、蒸発などの形をとって逃避行に走るわけです。
なぜ逃げるのか?どうして両親のもとへ帰らないのか?それには大きな理由があります。両親の結婚に対する決定を無視し逃げてきたものには「家」の恥としての制裁が与えられるのです。そしてその制裁を受けるのは必ず女性なのです。彼女達は必死で逃げます。彼女達の両親は「家」の名を守るために娘をこの世から消してまで、穢れのない「家」を維持していくのです。
1999年に起こったイギリス人女性殺人事件は、この典型でした。イギリス社会では家族が娘を殺害するなどということは、「家名」に背いてですら、受け入れないでしょう。それは、日本の社会でも同じであります。日本では女性の精神的地位が著しく向上しているように思われます(政治的・社会的にはヨーロッパのそれよりもまだ低いと思われます)。しかし、結婚は本人の意思が重要視されるのが理想と考えている人のほうが多いのではないでしょうか?そして、その結婚がうまくいかなかったとしても、女性だけがその避難を一手に引き受けることはないでしょう。
このイスラムの伝統の背景には、女性の「セックスシンボル」としてのこびりついたイメージがいまだに色濃く残っていることがあげられると思います。
(今回はここまで、新しい知識の入荷をお楽しみに・・。)![]()
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How to Make a Mummy
By Anne Schlitt
(Britannica.com) -- Lord Nelson achieved it by immersion in a cask of brandy; it is reputed that Alexander the Great succeeded with the help of a container of honey. What did these two greats accomplish? They were embalmed, a process dating back thousands of years and developed most fully in ancient Egypt.
The earliest Egyptian funerary practices involved wrapping a body in cloth and burying it in charcoal and sand, a method of natural preservation which is thought to have influenced their later religious beliefs about resurrection and immortality. The Egyptians developed several methods of embalming as an intrinsic part of their extensive funerary rites, and thanks to the Greek writer Herodotus, who recorded the process around 450 BC, we have a good idea of how mummies were made.
The most elaborate embalming ritual was also the most expensive. The organs were removed (the brain was removed through the nose using a hook; the other organs were removed through an incision in the side of the body), washed in palm wine, and placed in decorative canopic jars. The body was then stuffed with herbs, resins, and perfumes and buried in natron for 70 days to preserve it. The final steps involved washing and wrapping the body with hundreds of yards of linen, placing it in a coffin, and entombing it. Less expensive methods of embalming eliminated the expensive herbs, perfumes, and other careful extras afforded to regal customers but still included the obligatory 70 days in natron.
Egyptian mummies continue to pop into the news. A mummified former resident of a Niagara Falls oddity museum was purchased by the Michael C. Carlos Museum in Atlanta, Ga., and will be DNA-tested for royal Egyptian blood.
June 21, 2000 / Sources: Encyclopedia Britannica, Encyclopedia Smithsonian: Egyptian Mummies, Discover
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