反抗者  ――汐見、この人形を持ってみてくれないか  ――いいですけれど・・・・・・  ――そうか、そっと抱いてくれよ  ――はい。随分と軽い人形ですね。見た目よりもずっと。  ――・・・・・・  ――どうしたんです、先輩。  ――やはり、よく似ている  ――?   何が似ているんですか。  ――俺の妹さ。  ――妹さん・・・・・・確か亡くなられたんでしたっけね。事故に遭われたそうで・・・・・・  ――ああ。いいよ、もう。人形・・・・・・ありがとう。  ――あ、はい。  ――妹に、買ってやった人形だったんだ。初めて俺があげたものだ。あいつは・・・・・・こんな人形なんて女々しいといったが、大事そうに抱えて、後ろ向きにありがとうといった。  ――男勝りだったとか  ――そうだった・・・・・・そう見えたかもな。ところで汐見。おまえも確か妹がいたよな。  ――ええ、います。  ――よく・・・・・・似ているのか、その、おまえに  ――どうでしょう。血は繋がっているんですから、似ていることは似ているでしょうが。でも、男は母親に、女は父親に似ると言いますから。うちの二親は美女と野獣ですよ。  ――ははは。じゃあ、やんちゃな野獣であるといいな。  ――ええ、まあ、泣きっぷりは、その片鱗かもしれません。  ――汐見、おまえは母親似なんだな。  ――よく、そういわれます。  ――そうか・・・・・・  ――どうかしたんですか?  ――うん・・・・・・  ――先輩?  ――汐見、おまえ妹をどう思う?妹に対して、何を思う?  ――妹って・・・・・・私のですか。  ――そうだ。おまえの血を分けた妹に対して、どういう気持ちを持ったことがあるかを聞いている。  ――どういうって・・・・・・別に、可愛いとか、そういう気持ちとでも言うのでしょうかね。上手く言えませんが、やはり肉親ということからくる感情だと思います。  ――仮にだ・・・・・・おまえの妹が美しく成長し、一人の女としておまえの前に立ったとする  ――先輩?  ――女だ。どうだ、揺らがないか。どこか、揺らぎはないか。  ――何を言いたいんです?そんな・・・・・・  ――俺は揺らいだ。揺らぎは激しく俺を悩ました。妹は確かに女だった。肉親である以上に、女として俺の前に現れた。汐見。なぜ、人は近親相姦をタブーとしたのだと思う?  ――タブー・・・・・・  ――けして優生学的なことじゃない。そんなことじゃないんだ。もっと根本的だ。人間が人間としての尊厳を保つ底の底。そういう矜持を守るための、タブーだ。  いいか、人は本統に大事な人を傷つけるのを最も恐れる。本統に愛した人をだ。そういう人を傷つけるのは最早人間じゃない。ところがだ。人間は動物としての本性を露にすれば、もっとも近しいものと交じりたいと思うのだ。しかし、それを傷つけたくはないのだ。だから、本統に愛している人から逃げるために、他の人間を愛するのだ。愛していると錯覚するのさ。須らく、世に溢れている男女の恋愛というのは、本統の愛から逃げているそういう人間の悲しい愛なんだ。  ――でも・・・・・・  ――俺の中には堕落願望と真実を求める純潔がある。人としての背徳を犯してまで、人としての原始的な感情に素直になりたいと思った。魂の求めるところに従うのが、正しいと俺は信じた。だから、あの日俺は妹に人形を贈ったのだ。手紙をつけてな。  ――人形?  ――不思議な人形だった。ショーウインドウ越しにあの人形を見るまで、俺は妹への感情を無意識に隠していたんだ。だが、あの碧眼は、俺の潜在意識を鮮烈に浮かび上がらせた。そして、口説くのさ。解き放てとね。俺は、確かにそうだと思った。だから行動に移した。  ――妹さんは、妹さんはどうしたんです。  ――だから、さっきも言っただろう。後ろを向きながら、ありがとう、と言ったと。  ――そ、そんな・・・・・・  ――だが、神はいた。人が人としてのタブーを破ろうとすると働く運命の意思みたいなものだ。俺と妹が裸の感情で、人という殻を脱ぎ捨てたその日に、妹は・・・・・・死んだ。天罰だよ。くすんだ妹の傍で神に挑んだ無謀な人間である俺を、殴ったよ。何度も何度も床に壁に叩き付けた。だがね、不思議なもんだろ。そうやって、叩き付けても決して死へと向かうことはなかった。そう、人間として踏みとどまった俺を、俺はまだ愛撫していたのさ。俺は、再び人として生き始めた。逃避的恋愛も試みた。しかし、一度剥かれた理性の皮は快復せず・・・・・・どこか空ろだった。そんな時だ。汐見、おまえが現れたのは。  ――私?私がどうかしたというのですか。  ――汐見・・・・・・おまえは俺の妹に似すぎている。俺が本統に大事にし本統に愛した妹に生き写しなのだ。中性的な容姿や雰囲気がそのままだ。汐見、お前が現れて再び俺の心は乱れた。  ――先輩・・・・・・まさか  ――なあ、汐見。俺たちはまだ未分化な状態なんだ。生きとし生けるものは、ゆっくりとその性差を形成していくんだ。俺たちはまだその途中なんだよ。そう、今はhomosexualな時期なんだ。誰でも一度は経験するそういう時期なんだ。そうなのだけれど。俺にとってはもっともまずい時にお前に出会ってしまったんだ。妹の影を払拭できぬまま、赤裸々な魂を彷徨させていた俺を捕まえたのは、汐見だ。お前は、妹と同じその強く昏い瞳で俺の人としての薄皮を剥いだのだ。ふふふ・・・・・・  ――私は、私は先輩に対してそういう気持ちを持ったことはありませんし、これからも持つことはないでしょう。ええ、絶対にないことなんです。  ――だから、汐見。お前もまだ、理性という皮を纏い、尊厳からくる畏れに身を縮ませているだけなんだ。お前もまだ未分化な生き物だ。だから、俺に対してこの数年ずっとお前の傍にいた俺に対して、少なくとも何かしらの原始的な欲望を持っているのだ。  ――いいえ、それは先輩だけの思い込みなのです。私は絶対にそういう感情を持たないのです。  ――絶対?一瞬たりとも持たなかったとお前は言い切れるのか。一瞬たりとも俺に対しての隙を見せなかったとでも言うのか。雨の日に背広を貸してやったとき、酒を同じ杯で飲んだとき、俺に触れたそのわずかな一瞬もお前は常に理性の殻に閉じこもり、頑なに人としての尊厳を守ったとでも言うのか?本統か?そういい切れる自信はあるのか。  ――先輩は、先輩はずっと私をそういう目で見ていたのですか?ひどい、酷いじゃありませんか。  ――酷い?酷いとはどういうことだ。俺がお前をどう思うと勝手だ。大体、お前は俺をどう思っていたというのだ。後輩の面倒見がいい、ただそれだけの優しい男だと思っていたのか?馬鹿を言え。俺はただ、感情の赴くままにお前の傍にいて、お前を・・・・・・まあいい。別にお前に俺を受け入れてもらいたいわけではない。そうであったならいいと思うが、そうはならないと、諦めてはいたのだ。ただ、また人形がな。  ――人形がどうしたというのです?  ――人形にまた口説かれたのだよ。まあ、それで、今日お前にこういうことを言ったのさ。そして、これで最後だ。金輪際お前にとってこういう不快なことは起こらないだろう。 ただ・・・・・・  ――ただ、なんです?  ――俺もよくわからないのだ。俺は神の意志を目にした。造物者たる人がその尊厳を捨てようとすると、運命の補正作用が働くということを。その前には無力だということを。だから、こうしてお前に打ち明けて俺の魂の純潔を示したところで、無駄なのだ。そう、すべて無駄なのだよ、きっと。  妹は神に殺されたのだ。そして、さっきお前が抱いたこの人形は・・・・・・  ――悪魔だとでも?  ――そうさ。正真正銘悪魔さ。人を堕落へと導き背徳へと目覚めさせ、神と対決させる、そういう悪魔さ。お前はそれを抱いたんだ。だから、お前が神に負ければ・・・・・・  ――先輩の妹と同じ・・・・・・  ――死だよ。神が下すインドラの矢だ。ふふふ・・・・・・ははは・・・・・・汐見、お前は死ぬんだよ。  ――でも、私は先輩を受け入れていません。受け入れなければ・・・・・・神罰はないはずだ。  ――甘いね。お前はいつか、一瞬の隙を突かれて、俺を受け入れることになる。そのときだよ。お前に死が訪れるのは。  ――僕は死にません。けっして。  ――はははははは。どうかな。じゃね。俺は帰るよ。お前が死んだという話を待つとするよ。お前が死んだときは、お前が俺を受け入れてくれた、まさにその時なんだから。  ――先輩・・・・・・  ――それから数日後のことだった。私は、先輩が自殺したという話を耳にした。先輩は私に一葉の手紙を残していた。数行のその遺書は、確かに先輩の私に対する本統の愛があった。  ――――汐見。俺は死んだ妹以上にお前を愛しているのだ。お前は、いつか必ず俺を受け入れ、神罰によって死ぬだろう。それは俺のせいでもあるのだ。俺は、本統に大事な人を死なせるということをしたくない。妹を失ったとき以上の悲しみが、俺を襲うことを思うとやりきれない。だから、俺が死ぬことにした。俺の思いがなくなれば、神も悪魔もお前に手を出すことは出来ないだろう。俺はお前に生きていてほしい。それが、限界まで剥いた俺の真実なのだから。  ――整ったいい字だった。死に顔も白く気高く美しかった。ぎりぎりまで人の魂に肉薄したそういう人間の姿だった。そういえば、あの青い目の人形はどうなったのだろう。先輩の身辺にはそういうものはなかったそうだ。 あの悪魔は、また新しい神への反抗者をどこかで探しているのか。