血液型別の特徴について書かれているものは、ほとんどがA型はこういう性格、B型はこういう性格というように性格づけを行っている。これはこれでいいのだが、もっとわかりやすい表現法がある。実は血液型の違いによって、人の行動基準とか価値判断が変わってくることに気付いているだろうか。言い換えれば、何が人を動かすのか、人を支配する要素は何なのか−これが血液型によって全く異なってくるのである。ズバリ、ひとことで言おう
A型は<責任感>によって動かされる
B型は<感性>よって動かされる
O型は<信念>よって動かされる
AB型は<論理>によって動かされる
例えば肉体的にも精神的にも非常に困難を伴う仕事を人に頼むとする。そのとき相手の血液型がわかっていれば、おのずから頼み方の方法も変わってくる。
A型人間には、その人が負う責任の重大さを強調するのがいい方法である。相手が強迫観念をおぼえるくらいに、真剣かつ深刻な態度で迫る。A型人間はその方が燃える。A型人間を支配する要素には、<責任感>と同時に<道徳観>というものがある。それゆえ、A型人間は与えられた責任を逃れることにたいへんな苦痛を覚える。だからA型は、責任感を感じれば多少納得がいかない部分があっても、目をつぶってやってしまうところがある。
次にB型。B型人間は理屈では動かないことが特徴。何かのひらめきを感じないと動かない。したがって、B型人間に物事を依頼する際には、頼む側の表現力も大事になってくる。感性が非常に鋭敏なB型を動かすには、こちらも鈍感ではダメということである。
A型との比較でいうと「あなたはそんな大変な仕事をなぜ引き受けたのか」という質問を受けたとき、A型は「これは自分がやらなければならないと思ったからです」というように、義務感をもって答えるケースが多い。ところがB型に同じ質問をぶつけると「これは私の仕事なんだって、パッと思っちゃったのよね」というような答えが返ってくる。B型人間はこのように自分の心理の動きを表現するのに、「パッと思った」とか「ビビビっと直感で」といったふうに、きわめて感覚的な言い方を用いる。これは、心の中の状態をそのまま見事に言い表わしている。つまり、B型人間の行動基準には、まさに言葉では説明できないものが多い。
また、いかに大変な仕事であっても、本人の裁量で自由にふるまえる部分が多いことが、B型を説得する絶対条件になってくる。B型人間は窮屈さが大嫌い。とりわけ、不特定多数のために作られたルールに右へならえで従うことを、まるで人間性でも失われてしまうかのように嫌う。自由な匂いがどこかに嗅ぎ取れないと、B型はなかなか重い腰を上げない。
そして根本的にB型は、陽性の明るい環境のもとで力を発揮するネクラ人間である。同じネクラ人間でも、A型の場合は、他人から性格が暗そうにみられても、それは本当なんだから仕方がない、と開き直ってしまうところがある。でも、B型のネクラは、つねに明るいフリをしていないと不安。したがって、たとえB型の人間が落ち込んでいても、それに合わせてジトーッとしたコミュニケーションをとってしまっては、こちらの同情も裏目に出て、あっさり嫌われたりする。
ことにA型人間とB型人間は、見事なまでに精神構造が違うから大変である。その違いたるや、おたがいの理解をはるかに超えているといっても過言ではない。しかも、こうした極端な気質の違いからくる誤解が生じた場合でも、A型は相手に納得のいく説明を求めようとするが、B型はそうした面倒な相互理解作業をしなければならないことにイラつく。「いちいち言葉で説明しなきゃダメなら、いっしょにいないほうがマシ」というふうになる。
次にO型。O型人間に困難な仕事を頼むときは、これはもう、あなたの信念を自信を持って話し、それに共鳴してもらうしかない。信念を「論理的に理解」してもらうのではなく「心情的に共鳴」してもらうことがポイントである。O型は大陸的なスケールを持ったおおらかな性格が特徴である。A型のように細かなことにはこだわらないが、どこかに一本芯が通ってないと首をタテには振らない。頑固という点ではAよりもむしろOである。
親分肌といわれるO型人間の特徴は、仕事などでA型やB型の人間と組ませたときにいっそうよくわかる。O型の上司に優秀なA型の部下がつくと、安心して仕事を任せることができ、まさに親分と参謀という名コンビをつくることができるだろう。同じ優秀でもB型の部下と組んだときは、O型はB型特有の長所を引き出させるために、ある程度相手を自由に泳がせる。B型人間にとっては自由さこそがエネルギーの原動力であり感性がそのはずみ車となっているから、一見放任主義のようなO型のやり方は、B型にとっては願ってもない指導方針といえる。が、B型が甘えて調子に乗り過ぎると、O型はとたんに冷たくなる。O型の太っ腹というのは決して無制限の優しさではない。むしろ、懐を深く構えておきながら、相手の出方を見るようなところがある。そして、自分の信念に反する行為に対しては、O型は強烈な厳しさをもって臨む。
最後にAB型。これは筋道をたてて仕事の必要性を説くのがベストだろう。あれ、論理的な体質はA型人間の特色ではないかと思うかもしれないが、A型は論理的に正しいと思っても、自分に責任が与えられないと案外平気で物事を放り出す。ところがAB型の方は、論理的に納得できればそれでOKなわけで、非常にバランス感覚に富んだ判断を下す。が、裏を返せば、たとえ責任を押しつけられても、自分の頭の中できちんと理屈で割り切れなければ知らないよ、という風にもなる。
そんな具合だから、なかなかウンといわない相手を説き伏せる場合、A型人間に対してなら其の責任感の強さをくすぐれるし、B型人間には情感に訴えられる。またO型人間には信念と信念のぶつかり合いという手段に出ることも可能で、いずれも日本人的な感覚での『お願い』が効を奏する余地がある。しかしAB型人間は、平均的な日本人に比べるとどこかドライな印象がぬぐえない。バランス感覚が優れており、話のものわかりもよいのだが、それでいてある意味もっとも扱いにくいのがAB型である。
これまではどちらかといえば長所を述べてきたので、短所についてもふれておく。いや、短所というよりむしろ「自分でもわかっているのだが、やめられない」癖のようなものと思ってもらいたい。
A型はつねに自分の慎重さに自信を持ち、安全な道を歩んでいるおのれの姿をつねに確認して安心する。それでいて、周囲に対しては自信のほどを隠し、悲観的な見方を捨てきれないふうを装い、万一の失敗に備えた予防線を張り巡らせるのを忘れない。ところが、その「万一の失敗」に実際に遭遇すると、ミスの内容よりも、失敗したことそのものに動転してしまう弱さがある。卑近な例を挙げれば、ゴルフでの空振り、スキーでの尻餅、英会話でのトチリ―こういった一見格好の悪いミスを恐れるがゆえに、『次につながる失敗のしかた』が下手である。
B型は世間的な常識がきちんと備わっているにもかかわらず、あえて非常識な行動を楽しむところがある。そして、自由気ままさが自分の持ち味だと位置付けることにより、他人との調和という面倒な気配りを逃れる便利なテクニックを、なかば本能的に会得している。したがって、人の面倒見がいいことではO型と双璧にありながら、あくまでそれは自分に余裕がある場合のことで、文字どおり『面倒な』ことになりそうだと、突然奔放さを発揮して現実から逃げ出してしまう傾向がある。
O型はスケールの大きな人柄の持ち主である。そして物事を常に楽観的にみていくたくましさがある。が、その反面、本質は意外にもとても繊細でナイーブである。ところが、えてして強気でタフなタイプに見られてしまいがちで、そのイメージとのギャップに本人が苦しむ場合が多い。実際、O型は自ら作り上げた強い自分のイメージによって、自身を鼓舞していくところがあるのだが、ときとしてその自己暗示が負担となり、A型人間とは別の意味で、弱味を他人に出せなくなる。O型人間にとって必要不可欠なのは、同性であれ異性であれ、ピンチに陥ったときの弱音を正直に吐露できる相手の存在っであり、これがないと挫折の際のダメージは、他の血液型以上になる。
AB型は論理で動く。しかし、このAB型の論理性というのは、論争して相手を言い負かすような攻撃的なものでは決してない。他人の意見はじゅうぶんに尊重するのである。尊重はするが、自分はそれに従わない、という強情さがある。理論武装では誰にも負けない自信があり、人の意見に安易に同調することを嫌い、自分独自の視点を保ち続けることが、AB型人間の存在意義でもあるのだが、この理論武装に自身をなくすと、そこからなし崩しにダメージを受けていくことがある。A型人間は恥をかくことをおそれるが、AB型人間は能力面で他人に負けることを極端に嫌う。そのため、能力面での敗北という現実を認めたくないために、ときとして意図的に、空想と現実の混同を生じさせてしまうことがある。