Bなんで浪士は討ち入りしたか(両成敗説は妥当するか?)

では、討ち入りの理由を考察しましょう。

さて、赤穂浪士はどう捉えていたのでしょう?
尾藤教授は、この点につき、武士の中に、
「両成敗じゃないのに違和感もあったろうし、
同感者も多かったろう」
という説を紹介しています。

ただ、同じく尾藤教授は江戸幕府では「ケンカ両成敗」は成文法ではなく慣習法である
(=固執する必要はない?:さいとー)としています。

また、吉良さんは抵抗していない(する間もない?:さいとー)のだから、
一方的な暴行である、と見るのが幕府の裁決である。
現在の歴史家の多くもこの見地から幕府の処遇を肯定している
、とも書いています。

(はい、チトややこしいのは、尾藤教授はいろんな説を片っ端から「紹介」
 しているというコトです。
 一般的な説も紹介し、両成敗説も紹介している、ということです。
 しかも「自分はこう思う」と書いてない。分りにくかったんだ、また・・・

 ただ、ここでいう両成敗説の紹介と言うのは、
 「あれは両成敗であるべきケンカだった」
 と認定するいう意味ではないようです。
 「浪士は」納得いかないと考えた。
 動機の一つだったであろう、という意味
みたいです。)

尾藤教授は、肝心の浪士の動機に関しては、
まず、
「篭城と殉死と主家再興願いとは、すべて幕府に対し
 刃傷事件の再検討を促そうとする意味の行動として
 共通していた」
 
「その全てが絶望と判明した時に残された唯一の方法が
 自己の手で吉良を殺すことであった。」

としています。
この「再検討」とはなんでしょう?
吉良さんを「処罰してくれ」でしょうか?
だとすると両成敗説になります。

しかし、
A殿中抜刀・刃傷の歴史と処罰・・・それと浅野さんの処罰の対比
で既に検討しました。
浪士達はまぁ、過去の判例?を調べていたとすれば
「最高でも追放刑」に願いを持ちつづけたんでしょうか?
ってゆーかそんなんで溜飲が下がるんでしょうか?

うーん、どうでしょう?
彼らが「幕府に願った」のは、まぁ「お家再興」の方でしょうね。
「刃傷事件の再検討」とは、浅野家の処遇をなんとかしてくれ
浅野さんの弟の大學さんをとりたててくれ、でしょうね。
後に、大學さんが閉門を解かれると同時に、広島浅野家の預かりになり、
お家再興絶望となって、討ち入りを決めた、というのが
流れの様ですから。

内蔵助さんは「お家再興」を唱えていたそうです。
「本気なワケないじゃん」という説もあるんですが
江戸の「早く討ち入りしよう」と言う浪士から、
「大學さんを立てるとか言ってるけど、
 討ち入りが恐いんじゃないのか?」
と催促の手紙が来てます。
これにより、内蔵助さんが、浪士に「お家再興」
を唱えていたコトが裏付けられます。

また、中央義士会(なんだろ?)の渡辺世裕博士という方が

「大石(内蔵助)の性格は複雑だ。彼の心では、
 浅野家の再興と、吉良に復讐するかしないか、
 は別の問題である。」

と述べているそうです。
実際、内蔵助は裕海さんという僧侶に
「(浅野さんの弟の)大學さんが首尾よく幕府にとりたてられたとして、
 吉良さんが一緒に勤役していたら、大學さんがどうしてもひいてしまう。
 吉良さんがいなくなれば、とは言はないけど、出勤がなければいいのに・・・
 難しい問題だ。」
という趣旨の手紙を書いてるそうです。
大學さんがとりたてられ、また、吉良さんも生きている、
その状態をシュミレートしていたようです。

どうも、内蔵助さんは幕府に「大學さんをたててお家再興」
をお願いしたかった様です。

こう考えると、後述の「嘆願書」ともバッチリ合うんです。
はい、それではその「岡島常樹覚書」や「堀部武庸筆記」
に出てくる「嘆願書」を見てみましょう。

「吉良さんが死んで、浅野さん切腹かと思ってたら、
吉良さんは生きてるそうですね。
ウチの家臣は無骨(田舎)者ばかりです。
主(あるじ)一筋です。
私達が間違っているのは分ってますが、
吉良さんが生きているのに浅野家の城を明渡すことはできない、
と嘆いています。
吉良さんを処罰して欲しい訳ではありませんが
浅野家の者が納得いく処置をして欲しいです。」

という嘆願書を江戸家老に送っています。

ココにある「吉良さんを処罰して欲しい訳ではありませんが」
の意味が問題です。

@文字通りとれば、吉良さんはどうでもいいから、浅野家に良くしてくれ。

A勘ぐれば、こう書くことの裏に「処罰をして」という意味があったのだろう、と。

Bまぁ、この意味だったと思いますが。
 よおよお、幕府さん。吉良さん生きてるんだって?殺しに行っちゃうよ。
 そんなのアンタも困るだろ?
 ってゆーか、討ち果たせなかったウチの浅野さん可哀想と思ってよ。
 (建てたばかりの)お城から出たくないんだよ。
 吉良さんを処罰できないのは分ってるよ。
 だから取り潰しの取消・・・がムリなら、浅野さんの身内(分家)の「浅野大學さん」
 とかの閉門をといてよ。で、できれば大學さんを大名にしてよ。
 (建てたばかりの)お城をとらないでくれ〜!

などの読み方が出来るわけです。

この嘆願書は江戸の家老から浅野さんの親戚の城主の手に渡ります。
城主は「気持ちも分かるけどさ、江戸の考え方を理解しなさい」
という趣旨を書き添えて返したとのことです。

Aに立てば両成敗説の根拠になるんですが・・・
自分で書いておきながらナンですが、まず無いでしょう。
幕府に送ろうとする嘆願書に汲み取ってもらえるか分からない
「ウラ」を書くのは・・・ちょっとないでしょうね。
そのまんま、「あ、吉良さんはどうでもいいのね。」
って受け取られちゃったら、もう何も言え無くなるし。
(尾藤教授の紹介する「両成敗説」はこの嘆願書は
 吉良の処遇の再考を促してるって書いてあるんですけど、
 どういうことでしょう?理由がないんです。
 どうも教授は著書の数箇所で「両成敗説」を紹介しているんですが、
 「当時の感情」等という根拠でしか紹介してないんです。
 つまり、両成敗説を裏付ける「浪士の書物」や「浅野の言葉」が無いんです。
 どっかにはあるんでしょうが、まだ見つけられてません・・・)

この点、やっぱり両成敗は考えてないんじゃないの?な見方をあてはめます。
上記のBもそれに当たるんですが、他の文献の検討もしましょう。

当初から江戸にいた「討ち入り派」の浅野家臣は
「亡き君は天下にも代えがたいお命。ご恩があるのに
家来として主君のカタキを見逃すのか?
という手紙を送ってるそうです。とにかく吉良さんを殺したいわけです。

児玉教授によれば、浪士の動機は、
「吉良が死んでないのがおかしい」
という考えだ。とのことです。
これは「処罰されて無い」ではなく、
「吉良さんが生きてるのがイヤ」という意味
の様です。

ウチの殿が殺したいほど憎んでたヤツが生きてる・・・
殿はもういない・・・
が、動機だろう、と。

討ち入りの際の口上書きには
「上野介殿を討ちとめられなかった内匠末期残念の心底を、
家来ども忍びがたく、ここに推参したのは、ひとえに
亡き主の意趣をつぐまでの志である。」
とあります。


この口上はイッパツですね。
「無き君主の無念=吉良を殺せなかった」〜それを果たしに討ち入りだ!です。
浅野さんの「辞世の句」や「討ち果たせず残念」という言葉に
重きをおいてるようです。

まぁ、さいとー的にみると、
浪士の心としては、
「吉良憎い」が8の「幕府さん、吉良処罰して。いやなら自力救済」が2かな、って思います。

過去の例から見ても吉良さんは処罰されてもせいぜい「追放の刑」ですから。
それで浪士が納得するようには思えません。

ってゆーか「吉良憎し」はあちこちから出てくるんですが、
「吉良を処罰してくれ」は出てこないんです。
「嘆願書」の「吉良を処罰してくれとはいわないが」と書いてあることの
逆をよんで・・・ってゆーか素直に読むと・・・
うーん、もっと文献を探さないとダメな様です。


一応、尾藤教授の紹介していた「両成敗説の根拠」を。


「両成敗説」
松の廊下において、吉良が逃げたか?を検討し、
「逃げたと認定」をする。すると吉良は過去の例から言って「追放刑」
になる可能性がある。
こう考えれば、吉良の無罪が不当になる。

この点、教授は「逃げたんだけど」、判例?の変遷と将軍の政策から考えて、
将軍は無罪にした、これは妥当だ。としています。

さいとー的には、「逃げてネーよ」で終わりです。


「両成敗説」
吉良が逃げたとしたら、果たしてそれが「両成敗たるケンカか」という
疑問もある。
しかし、当時の武士にしてみれば、刀を抜けば、相手も抜くのが当然。
一方的暴行などない。浪士達はケンカ両成敗なのに、と思っただろう。

尾藤教授の紹介文には、ただ、浪士がそう思うのもむりなからぬこと、
と書いてあるだけです。
「浪士が両成敗を求めた、と記されている」書がある。
というような理由は書いてありません。
両成敗の考えのある時代だったから、ということの様です。・・・

(注:もっとも、尾藤教授は、。梶原さん(浅野さん止めた人)は老中に
「吉良は帯刀に手をかけたか?」とだけ聞かれており、
「かけてない」と梶原さんが答えてる
浅野さんの罪は抜刀、刃傷であり、吉良は純然たる被害者だから、
吉良さんは無罪が当然、という説(幕府の認定)も紹介しています。)

さいとー的には
「浅野さんは後ろから斬りつけて、
振り向きざまに頭殴って気絶させたんだよ。
ヒキョー者なの。ケンカじゃねーの。」で終わりです。

あとは・・・
「一般の武士は違和感があっただろう」(←両成敗の時代だから、としか書いて無い)
「浪士が身の振り方を議論し、嘆願書を書いたのは、幕府の処置が
 片手落ちだと思ったからだ。」
(←理由が書いて無い。しかもそれが理由だと、「嘆願書」の内容が説明できなくなる)

・・・両成敗に関しては「浪士がこう書き残した」とか「浅野がこう言った」が私にはまだ見つからないんです。

もっとも、両成敗説は「考え方」としてスジは通るんで、
「動機の一つ」として「ありうる」とされてる様です。

もっとも、「当時の庶民」がそう考えていたか、については、尾藤教授もそうは思ってないようです。

 


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