10月28日(月)
【ことば、ことば、ことば】
言葉に夢破れた21歳。
立ち直るまで時間をください。

10月21日(月)
【ページをめくる青春】
それにしても読書はいい。おしゃれだ。
しかも利口になる。
定められた時間その世界へつれていかれ、
時間がくると押し返される芝居や映画と違って、
自分の好きなだけ浸っていられる。
停止も巻き戻しもできる。
終わりを拒む事も出来る。
舌と上顎ではさんで力を入れると味がしみでる梅干しの種みたいだ。
梅干の種。悪くない。
村上春樹を読んで電車を降りると、
一瞬誰かに腰をぎゅっとつかまれて、
ふわっと持ち上げられたような感覚に陥る。
その瞬間私は世界の構図を再認識する。
宇宙一単純で、宇宙一複雑なこの世界。
この世では、すべてのことが起こりうる。
私たちはそれを受け入れて、呑み込んで、
消化しなければならない。
明日につなげなければならない。
ショウカシナケレバナラナイ。


 ※これはパロディです 

10月18日(金)
【免許証】
免許の更新に行った。

狭い部屋に小さな3人がけの机といすが並んでいて、
でかい大人がぎっしり詰め込まれた。

満席になるまで待って、講習がスタートした。

例によって、平凡で幸せな人生が
不注意な交通事故によって一変したという内容の、
えぐい教育映画をみんなで見た。

主人公の俳優は、名前は思い出せないが
いま有名になっている人だった。
きっとみんなそう思ってたんだろう。

それから安全運転テストというのをした。
普段の運転態度から、自分の癖をみつけようという
単純なテストだったが、
運転をしない私にはさっぱりだった。

そして交通事故の賠償の話や交通法などの話を聞き、
2時間後に解放された。

私はブルーの免許証を手にした。

期限は3年だが、残念ながら私は
向こう3年間ハンドルを握る予定はない。

10月16日(水)
【本公演・閉幕!】
『今週末、君ヲ愛ス。』無事終了しました。
来てくれたお客様には心よりお礼申し上げます。

今回の作品はいわゆる「日常劇」で、
(※カテゴライズすることが許されるなら)
舞台は「あるマンションの一室」でした。

私がこれまでに演じてきた役といえば、
空や海を眺めつつぼんやり物思いに耽るような
ある種見た目的に綺麗に額におさまるような感じが多く、
カッコツケの芝居におさまりがちだったのですが、
(もちろん愛すべき女性たちですが)
今回はそれでは許されず、
しかもただこちらの現実世界でやるのと同じにしては
面白くない。
こちらの現実世界と同じ尺度のものを舞台に移しても、
何の影も映らないのです。
舞台とはそういうものです。
だから、「自然な演技」というのは非常にさじ加減がむずかしいのです。

舞子の人物像は現実の私と大きく違いました。
置かれた境遇も、思考も行動も、かけ離れていました。
それで、自然に演じることが一層困難でした。

また、今回の公演の準備期間中に私の周りに
いろいろなことが起こり、
私は自分の生き方や姿勢に自信をなくし、
何度も道に迷いました。

でも、こうしてこの公演をやり遂げて見て、
何があっても必ず明日は来るということ、
それは自分には見えてなくてもとりあえず前に進んでる
ということだとわかりました。
それは何よりも前向きな結論でした。

へたくそな文章でごめんなさい。
あたしのからっぽの引き出しに、
少しだけ置き忘れていたことばたちです。

それではおやすみなさい。

10月1日(火)
【「電チョコ」のススメ】
先日電車のなかで、
アーモンドチョコをむさぼり食う親父に遭遇したが、
今日もまた、
ストロベリーの板チョコをむさぼり食ってる親父がいた。
これはもしかすると、
親父たちのあいだでチョコレートがはやっているのかもしれない。
不況の平成日本に生き、
つらく厳しい逆境に耐えている親父たちは今、
とにかく甘えたいのだ。
どーしょーもなく甘えたくて、
幼少時代に小遣い持って買いに行った
あの味を欲する。
苦労を知った太い手からへの字に曲がった口へと
運ばれてゆくチョコレートは、
やがて親父の心にふんわり溶けてゆく。
チョコレートはスイートスパイスとなって
親父の明日への活力となるのだ。
電車内飲食万歳!
親父たちの新ステータス[電チョコ]が、
明日の日本を救う。