[おわりに]
わたしたちの世代も含めてのことだが、一対一でさえ、語り合いの出来ない子どもが増えている。語り合いの難しいなかでは、教師と子ども、子どもたちのあいだに共通(共同)の世界が見えてこないのではないだろうか。このことを打破するために有効なのが、「集団による創造活動」であるとわたしは考える。
集団での活動を通して、互いの思いをぶつけあったり、認め合ったり、共感したり、そうして自分の居場所といわば「同居人」をみつける。そんな親密な関係を築くことによって、自己表現ができるようになり、仲間と自分が育っていくと思う。
学校における「集団活動」には、教科学習をはじめとし、クラブや学級レクレーション、学校行事など、さまざまな活動が挙げられる。しかし、もう一歩すすめて、子どもたちの知性・感性をくぐりぬけて働きかけ、子どもの内面に手の届くような活動を考え、安心と楽しさをつくり、人と人とをつなぎ、やがて感動を生み出すものを展望したいと考えていた。こころとからだをフルにつかった体験、時間・空間、そして目的を共有する「集団による創造活動」に、わたしは人を人とする教育があり、「演劇教育」の有効性を構想した。
このような考えから、集団性、総合性、実践の優位性を考えて、「演劇教育」に焦点をあて、この卒論に取り組んできた。
「演劇教育」は「文化活動」といいかえることができるだろう。病める現代の子どもたちに、「文化」は生きる希望をかきたてる。
子どもたち一人ひとりが人間らしく成長していくことを保障し、支援する教育こそが求められている。子どもたちをみつめ、いま、子どもたちに求められる「生きる力」を考えたなら、「演劇教育」はなくてはならないものであるといっても過言ではないだろう。わたしは自らの体験を通し、その苦悩に屈服を余儀なくされたが、しかし「演劇教育」に光を感じている。
子どもたちをみつめ、子どもたちに寄り添いながら、「演劇教育」の具体的な方法、実践について、今後も検討・研究していきたい。
このことばをいつも胸に、「人間らしさ」について、「人間らしい人間」をそだてる教育について、これからも考え、実践に参加していこうと思う。
「人間らしく」在るために、問いつづけようと思う。「人間らしく」生きたい。