やさしさとはなんでしょう?































やさしいこととはどんなことでしょう?































優しいこととは優れていることだと僕は考えています。































ここで『やさしい』を辞書で引いてみましょう。


『周囲や相手に気を使って控えめである。つつましい。』


と出てきました。
つまり、周囲や相手に気を使える人は
周りに気を配れない人よりも優れているのです。


しかしながら人間は
自分が気を使われている(やさしくされている)とは気付きにくく、
気付いてくれないので
優しくしている者としては
見返りがなくて
つらい時もあるかもしれません。


しかし見返りを期待して優しくしてる者は
所詮『偽善者』であり、
真の優しい者は見返りを期待していないのです。


そういう点では
優しくするということと、
愛するということは
似ているのではないでしょうか。


愛しているからこそ優しくできるのであって、
優しくしたいと思うのはその人が好きだからです。
本当に愛するということは
本当に見返りを期待しないものでしょう。
マザー・テレサがいい例ですね。
見返りを期待していません。































と、きれい事を並べてきましたが、
実際問題見返りを期待しないというのは無理なことです。
無償の愛を与えるということは
実際にやり遂げてノーベル平和賞をもらったテレサさんくらいなもので、
どんなに愛し合っている者同士でも
必ずや見返りを期待しています。
心のどこかで。


先ほど見返りを期待した優しさを与える者は
『偽善者』と述べましたが、
あんなものウソです。
みんな偽善者になってしまいますからね。
もしくは、偽善者の定義自体が難しいのですが
ある意味みんな偽善者でしょう。


ありがとうと言ってもらえたら嬉しいから親切な行為をする。
という人は少ないでしょうが、
ありがとうと言ってくれなくて、
『ありがとうくらい言えよなー・・・』と思ってしまう人は多々いるでしょう
それは見返りを期待しているという証拠です。
逆に、これからの人生『ありがとう』と一度も言わずに生活したら、
きっと友達がいなくなるでしょう。
ということはつまり
みんな無償の優しさを与えていないということにやはりなりますね。


しかし見返りを持った優しさが悪いとは思いません。
見返りがあるからこそ優しくできるということもあります。
というか、それがほとんどです。


優しさというものにはいろいろな形があると思います。
手助けするのも優しさ、
挨拶するのも優しさ、
注意するのも優しさ、
ありがとうと言うことも優しさ・・・


この他にも無数に優しさの形というものはありますが、
すべてに共通することは相手と接しているということです。
またまたマザー・テレサを例に出しますが、
彼女が『愛情の反対は嫌悪ではありません・・・無視です』
と言ったように
嫌っていても優しい行為はできますが、
無視をすることによって優しい行為が達成するということはありえません。
ここでいう『無視』とは『距離をおく』とは違います。
存在や価値を認めないことです。


優しさというものは伝えるのも気付くのも難しいものなのかもしれません。
人に優しくできる人とはつまり
周りに気を配ることができる人。
周りに気を配ることができる人とはつまり
周りの気持ちを察することができる人です。


だからこそ、
優しくできる、
優しさに気付ける
ということはやはり
優れているということではないでしょうか。






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