夏草冬濤(上)(下)
著者 井上靖 本体価格 590円、552円(各税別)
発行年月日 1989年5月29日 出版社 新潮社[新潮文庫]
伊豆湯ケ島の小学校を終えた洪作は、ひとり三島の伯母の家に下宿して沼津の中学に通うことになった。洪作は幼時から軍医である父や家族と離れて育ち、どこかのんびりしたところのある自然児だったが、中学の自由な空気を知り、彼の成績はしだいに下がりはじめる。やがて洪作は、上級の不良がかった文学グループと交わるようになり、彼らの知恵や才気、放埓な行動に惹かれていく−。

洪作は四年に進級するが、自由奔放な文学グループと行動を共にするようになってからは成績は下がる一方で、ついに彼は沼津の寺にあずけられる羽目になった。おくてで平凡な少年の前に、急速に未知の世界が開けはじめる。

陽の光輝く海辺の町を舞台に、洪作少年がいかにして青春に目覚めていったかを、ユーモアを交えた爽やか筆に描き出す。『しろばんば』に続く自伝長編。
 自分がいかにちっぽけな人間か、ということを知ったのはいつだったのだろう。幼い頃の私は自信満々で、何もかも自分の思う通りになると思っていた。祖母は私の言うことに反対をしたことは無かったし、父も母も夜になるまで帰って来ず、妹は小さ過ぎて私に意見することはなかった。学校でも、私は思うままだった。ケンカでは男の子にも負けなかったし、勉強だってできた。先生たちは、私に優しかった。中学校に入ると、少し事情は変わってきた。見知らぬ男の子たちが恐かった。勉強も、1番にはなれなかった。先生たちは、口うるさいばかりだった。『夏草冬濤』を読んでいたら、急に自分の思春期のことを思い出した。とにかく、自分の小ささを思い知らされた時期だった。どうして洪作は、こんなにも自由に生きられるのだろう。
 洪作が久しぶりに郷里に帰り、地元の少年たちと遊ぶ場面がある。しかし、洪作は幼時楽しんでいた遊びに興味をもてなくなった自分に気付く。子どもの頃、うまいと思っていたどんどん焼きの団子の味にも感動しなくなった。どんどん焼きのお飾りの山も、それを焼く炎もそれほど大きく感じられない。その炎を見つめながら「こうして自分の少年時代は一年一年過ぎ去って行くのかと思った。勉強をしなければならぬ」と洪作は思う。その生き生きとした姿を、私は羨ましく思う。私は、あの頃何を思って毎日を生きていたのだろうか。例えようも無く、毎日が不安だったことは覚えている。それは今も変わらないけれど。洪作のようになりたい、と思った。
2003/03/03