兎の眼
著者 灰谷健次郎 本体価格 440円
発行年月日 1984年12月20日 出版社 新潮社[新潮文庫]
本当の教育とは何か?
新任女教師小谷先生は、子供達との交流の中で、力強い希望と、生きることの意味を学んで行く。大阪の工業地帯を舞台に、辛い過去を背負って生きるバクじいさん、教員ヤクザ足立先生など、魅力的な人物が織りなす人間讃歌。
荒廃する教育現場、断絶の深まる家庭にあって、人の心のふれ合いを信じる灰谷文学は読まれ続ける。親と子の熱い共感を呼ぶ感動の長編。
 先生ってどうしてあんなに偉そうなんだろう、と子どもの頃から思っていた。確かに、私たちに勉強を教えてくれるし、アタマも他の大人よりいいのだろう。もちろん、そうでない先生がいることも知っているが、威圧的で高飛車な態度の先生を私は好きになることができなかった。
 大学を卒業して、何の経験もないままに「先生」と呼ばれることが日常になってしまった一部の教師たちは、自分の実力や立場を過信しすぎてしまうのではないかと私は思う。
 「兎の眼」は大学を卒業したばかりの若く美しい小学校教師、小谷芙美が子どもたちや、周囲の人々とぶつかりながら成長していく物語である。
 『姫松小学校でええセンコいうたら、アダチとオリハシとオオタくらいやな。』塵芥処理場に住む、問題児とされる子どもたちは、先生たちをええ、わるい、の二種類に分けている。「ええセンコ」である足立先生は、周囲の教師たちと何かと対立が絶えない。勤務中に飲酒をし、就業時間は守らない。髪を長く伸ばし、だらしない格好をしている。賭け事などをして私生活が乱れているという噂もある。しかし、「ええセンコ」なのだ。
 子どもにとって良い先生というのは、どういう教師なのだろう、と時々考える。とにかく厳しく、軍隊の司令官のようになればいいのでもないし、優しく楽しく、友達のようになればいいのでもない。ただ、見かけの姿など子どもたちには通用しないということは確かだ。
 『兎の眼』という作品のなかで一番印象に残っている場面がある。なかなか心を開かなかった鉄三という児童が、初めて作文を書き、それを小谷先生が読む、という場面である。その作文の中で鉄三は、「こたにせんせもすき」と書いている。「好き」という言葉は重く、素敵な言葉だ。私が好きになれなかった先生たちのように、私はなりたくない。
2003/02/26