ちょっと大学でやってみた要約です。大体以下のような内容です。
面白いので興味のある方はどうぞ…

アフリカ彫刻展-カルロ・モンズィーノ コレクション
THE CALRO MONZINO COLLECTION AFRICAN AESTHETICS
発行:美術館連絡協議会/読売新聞社 1993年



アフリカの美意識[スーザン・マラン・ヴォーゲル]
アフリカのかたちが語りかける-「理解」と「感動」のあいだ-[川田 順造]

ヨーロッパやアフリカの大都市など、元来白人の鑑賞を目的として作られた博物館や展覧会には、 数多くのアフリカの彫刻が展示されています。しかしながら、「美術作品」として提示されている それらのものは、つえや腰掛けや機織りの滑車、更には仮面や祖先像や呪像にしても、元来私達が理解していたような 意味での「美術」として作られたものではありません。アフリカの都市や村において仮面や彫像や 農具や土器や織物が作られ、使われるさまから アフリカの「美術」作品を、鍬や水がめや腰布と連続した、アフリカ人の生活におけるものの文化の 一部として位置付けができないか、という考えが浮かびます。アフリカ美術を評価する基準とは どのようなものなのか。誰がそれを定めるのか、それは何に基づいているのか…。この価値基準というものは 実は私達のものであり、現代に生きる私達の感受性と、アフリカ美術の研究によって得られた知識に 基づくものであるのです。

大規模で複合的な作品や重要な作品、あるいは貴重な素材を使った品々 には、素晴らしい技巧、繊細さ、仕上げの滑らかさ、複雑なデザインなどを認める事ができます。 しかしながら、アフリカ美術において滑らかさと優美さだけが高く評価された特質であったわけでは ありません。アフリカの芸術家達は、自分の道具に熟練し、素材を熟知していた為、彼らの作品には彼らの 意図が充分に反映されていると見ることができ、作品の不規則性や粗々しさも意図的なものと見なす ことができるのです。

セヌフォ族の彫像の表面に削り跡がついているのも、生気ある皮膚を あらわし生命感を醸し出すための創意である、ということができ、それは芸術家の手段でも あるのです。

優れた技能を駆使する芸術家は、もちろんそれに相応しい表現方法を身に付けています。その作品は 、同じカテゴリーのほかの作品と同じように見えるかもしれませんが、細部によってその芸術家の 作品である事を認める事ができます。ジェイコブ・エプスタインは、ほとんどのアフリカ美術に おける再現的な意味について、以下のような見方をしています。

(アフリカ美術の中にある)自然主義を見落とす事は大きな間違いである。その作品の多くは、たいそう単純化され、 そしてしばしば建築的に表現されているが、そこには偉大な解剖学上の正確さを見い出す事ができる。

エプスタインは更に、

アフリカ美術は自然の新しい解釈の方法を示唆する事で、現在の作家達に影響を及ぼすはずだ

とまで述べています。

自然をエプスタインの言う意味で捉えるのなら、アフリカの芸術家たちが自然を再現する事は ほとんどありません。アフリカの人にとっては、impression(外から取り入れてしるす事)よりは、 expression(内から表出する事)が第一の関心事であるように見えます。バマナ族の彫刻師の説明に、 「コモの仮面は動物らしく見えるように作られる。しかしそれは動物ではない。それは秘密に 包まれた存在なのだ」といったものがあります。こういった表現があるように、人間の像や 仮面のほとんどは肖像として作られたものではないだけでなく、理想化された実在の人物の似姿 ですらないのです。人物像はむしろ、例えば女性性、多産性、統率力、あるいは権力など、一つの 概念や、あるいは一連の概念を表している事の方が多いのです。彫像は非物質的な精霊を表す事もあり、 そこまで特殊化されない場合には、精霊の単なる住家として用いられることもあります。そうした場面においては 、その彫像の形態は必ずしも彫刻の用途とは対応しないのです。

このように、アフリカ彫刻は、理念や概念、価値などを物質的な形へ移しかえる、という高度に知的で 抽象的なプロセスの結果である、といえるのです。

アフリカの美意識の定義を可能にする一つの糸口として、アフリカの美意識の基礎には道徳的なものが ある、という事が挙げられます。アフリカの人々の信念に見られるように、美しきものと善きものとが 重なり合うところでは、"善きもの"を意味する美術作品の「美的内容」から、美的な快感が導かれるのかもしれ ません。ただし、その快感は基本的には視覚的なものではなく、アフリカの彫刻の中には超自然的な 力によって保護された状態、あるいは精霊の助けによって知覚能力を高められた状態を示したものが 多いのです。双面の頭飾り型仮面において、互いに反対方向を向く写実的な ふたつの顔は千里眼を暗示します。ファン族の像 コタ族の遺骨容器の守護像に見られる、ぱっちりと見開かれ、全てを見通すような眼は、人々を 守護する先祖達を表しています。ファン族は、祖先の遺骨容器の守護像を前にして体験する精神的な 安らぎから、美的快感を得ているように思えます。

アフリカ人が行う、彫刻の「美的内容」についての評価は、彼らが下す「美的形態」についての判断とは 区別されます。その地域特有の様式が好まれる傾向があるものの、アフリカの美的な価値基準は、 民族が変わってもある程度一貫している事は明らかです。優れた技能はまず第一に要求される最も 一般的な条件です。作品を美しくする特質は沢山あり、例を挙げると、繊細さ、丁寧な仕上げや研磨、 かたちやパターンの規則正しさや均等性、また直立性、あるいは直線性、そしてバランス、また左右対称性、 更に表面を生き生きとさせる熟考されたパターンの使用、また完成度、そして完璧な仕上げ、更に作品の 特徴となる各部や細部の明確な表現、また若さや活力を連想させる新しさ、そして多様性と革新性などです。

アフリカにおいて、作品は道徳的価値を表現するものであることが求められます。個々の作品は、 その美しさを、道徳的価値を適切な形態を通じて表現する事で獲得するのです。一方芸術家たちの 革新や創意は、彼らが尊重せねばならない様式と図像の許容範囲内である限り評価されるのです。 アフリカ人達は、一般に新しさを活力に繋がる肯定的な価値と見なし、西洋人にとっては低くとしか 評価しないだろう新奇な作品を賞賛する傾向があります。しかし、どのようなアプローチを取るにせよ、 私達が到達するのは、ヨルバ族の言葉を借りると、

「美に出会いながらも、それに目を向けようとしない者は不幸である」という結論なのです。



文中に出てくる、「アフリカの美術」「アフリカの人」「西洋人」等々の、大胆に一括りする 表現には、私は賛成しません。。(念のため)
でも、芸術家、鑑賞者の姿勢の目安として、良い本だと思います。でも、場所に関わらず、芸術の評価 は、誰が何と言おうと、芸術家本人と、鑑賞者個人個人の問題なんですよね。。