アフリカの彫像は、最も一般的な素材である木で作られていようが、他の素材で作られていようが、
その様式の相違に関わらず規模か小さいといえます。
人間的規模を超えた大きさに達することはほとんど無く、それらの制作者の手の届く範囲にとどまって
いるのです。
ジャスティン・M・コードウェルが、ヨルバ族とビニ族に関して研究した ところでは、一般に、アフリカの彫刻家と、彼が彫刻しつつある彫刻との間の関係は緊密である、 と述べています。すなわち、彫刻家の刻む木彫品の規模の小ささや、その性格自体からして、彫刻家 は、それを自分の思いどおりに扱う事ができるのであり、手斧やナイフなどの道具を手早く働かせる 事ができるのです。
一方、彫像には、儀式上の必要から、犠牲にした動物の血、その他を塗りつける場合があります。
つまり、見られるより扱われる為のものとなるので、その点でも、人と作品との間の距離は、物質的
には、無きに等しいものになっているのです。観照の対象としてよりもむしろ、行為の対象として
制作されていることのほか、触覚的要素の持つこの二重の重要性が、アフリカ彫刻の最も典型的な
作品である、宗教用、あるいは呪術用の木彫りの外観に影響を与えているのです。
この種の用途にあてられる木像は、その成立の条件やその機能からして、その作者や使用者に深い
親密さを、信心や怖れに背かない程度の馴染みやすさを感じさせるのだと考えられます。そればかり
か、これらの作品は、人間に結びついているのと同じくらい自然に結びついているのであって、
<<自然主義>>芸術というよりもむしろ<<自然中心>>芸術、外面描写の芸術よりも直接参加の芸術だ
といえます。これらの作品の大半にとって一番重要な事は、周囲の世界全体で活動している諸力との
想像上の結合であって、これは、現実の、あるいは架空のモデルと芸術作品との間の視覚上の一致と
いうような、単純で抽象的な関係ではありません。
これらの彫像は、自然が提供した素材に形を与える人間のたくみの産物と定義することができますが、
その際、素材を自然から仰いだ、ということが、極めて重い意味合いを担っているのです。
作品の作りに関していうと、彫刻家は、手を加える事によって生のままの自然を消し去ろうと努める
どころか、事情を心得た上で、素材の偶然の外観を利用しようとします。例えば、
ドゴン族の両性具有の像は、木の幹、又は枝が、ごくわずかな修正で、長い曲がりくねった
人物に変貌したものと、私達の目には映ります。この像が発見された時(1935年)、頭だけが
地上に出ていて、他は地中に埋まっている状態でした。厳密な意味での彫刻の対象となっているのは、
この頭の部分だけだといえます。
また、足を開いて人物を表現したスク族の像も、明らかに三叉の枝、もしく
は根から出発した作品で、作者はこれに細工を加え、入念に磨いてはいますが、両脚は足先が正確に
示されておらず、単なる尖端となって終わっています。
このように、アフリカの彫刻はほとんど常に一木彫で、原則として素材となった木の幹の円筒形を
ほぼそのまま残しているのです。
例えその外観がどのように壮大に、また巧妙な形式上の工夫を凝らしているように見えようとも、
<<存在する>>ことを目的とした作品と見なされるべきこれらの木彫は、作者の自由意思の働く
余地がほとんど無いほど厳しい条件と法則とに従って作られ、人間と自然とに近い存在であると同時に
、他の彫像より現実として自己を主張するのに適しているといえます。更に、ヴェルナー・シュマーレン
バッハは、アフリカ木彫の制作者について、<<ここにいるのは、作品をかたどる芸術家ではなく、
同じようにして木で器具を作り、それらに出来る限りの堅固さを与える職人なのだ>>という言葉で
表しています。
そして、単なる形象表現ではなく、働かせる為の道具であるアフリカの木彫は、他の素材で作られた
宗教用・呪術用の多くの彫像と同様に、儀式の中で、人々がその援助を得たいと、あるいはその祟りを
防ぎたいと願う、目に見えない存在との間に有効な関係を築く為に主として用いられます。仲介の
役割を果たす彫像と、信心の対象となっている力との間に、相似、あるいは照応関係が存在しないなら、
このような効果は得られないでしょう。
このことは、その作品が自然主義的表現をとることを少しも要しません。若干の、明確な意味を持つ
特徴、もしくは象徴として働く要素がありさえすれば良いのです。そこから、全体の作りがごく
大づかみに見える彫像において、ある種の細部にだけ重点が置かれるという事実が生じてくるのです。
ブユ族の像に関していうと、目の部分や体に施された刺青およびしるしなど
を挙げることができます。
アフリカの全ての住民が、偉大な創造主としての神の存在を信じ、その祈りの中で加護を求めている ようにみえますが、この神を直接表現する彫像が作られることは決してありません。彫像は、人間と、 このような最高神との間の仲介者として、人々が助力を乞う存在や、掌握しておくことが肝要な精霊 その他の下級の諸力に捧げられているのです。
アフリカの木彫は、しばしば、その人の精気が宿るとされている頭と胸とがきわめて重要視され、
その反対に、脚は非常に短く表現されるというように、原則として、ごく限られた部分に応じた、
明確な量塊によって構成されています。
そして、これらの量塊は、その安定した釣り合いによって、また、強調された対比から生じる大胆な
リズムによって一個の全体を形成しています。これらの作品の多くがどこか記念碑的な性格を
持っているのは、このような造形的秩序の厳しさと、人物がありふれた立ち姿で立ち、凝然として
動かず、一時的なものである心理的表現を奪われ、美術史家ジュリウス・ランゲが<<正面性>>と名付けた
もの、つまり、その姿勢がどのようなものであれ、正面から見た場合に、垂直線によって左右相称の
二つの部分に像を分割できるような構成を持っているからなのです。更に、これらの彫像の多くは、
あらゆる角度から見られるようには作られておらず、いくつかの面だけが彫刻されているにすぎ
ません。まるで作者は、従属的な部分は無視して、本質的なものだけを表現せんとし、表現の対象と
なっている人物の、いわば主だった面にもっぱら注意を払ったかのようです。
これらの特色は、特に宗教的伝統に従って制作されている木像に関して指摘する事ができますが、
これらの特色を持たない、例外ももちろん存在します。
その例外の中でも、最も注目すべきものとして、西アフリカに関していえば、ウィリアム・ファッグが
、<<インド彫刻の柔軟な形体を思い出さずにはいられない>>といった、ノクの古代文明に属する
テラコッタの像の他、右の膝を立てて地べたに坐した人物を表現している、
タダで発見された青銅像、左足の上に組んだ右太ももの上に右手を乗せ、左手は下腹に当てて
横臥している人物を表した、16世紀のものと推定されるシェルブロ族の石像、
アボメから出土した、1892〜1894年のフランスの占領より少し前のものと思われる、ほぼ等身大の
ダホメの作品を挙げることができます。
このダホメの作品の三点のうち二点は、グレレ王とべハンジン王
の紋章を表す彫像で、このグレレ王は獅子=人間、そしてべハンジン王は鮫=人間の形で表現されて
おり、重々しいながらも、丸みを帯びた、極めて柔軟な量塊をそなえています。これらは左右相称を
破っていて、正面性の法則に従っているとはいい難い彩色木像だといえます。そしてもう一点は、立
姿の人物、すなわちグ神を表した鉄の像です。
正面から見ると、全体の姿勢に不規則さが目立ちますが、これは仕上げの幾何学的不正確さだけから
来ているものとは考え難いものです。右足を前に出し、左足で重心を支えているように見え、そこから
自然な印象が生まれていて、普通の意味での彫刻の特色よりもむしろ、鉄細工の特色といった方が
ふさわしく、全体の作りの暗示的な性格と著しい対照をなしているのです。更に、陶工でもあり、蝋型
法を用いる鋳物師でもあったイフェの青銅製、又はテラコッタ製の頭部や
小像は、明らかに正面性の法則に従っている作例ですが、その扱いにおいては
そうだという証拠も無いのにすばらしい肖像彫刻とみなすことができるほど、自然主義的傾向が
著しいといえます。他には、ブションゴ族の王達の肖像や、ベニンの青銅作品
などがありますが、このような自然主義的傾向を持つ作品は、同業者組合を持つ職人や、君主の庇護の下で
働く職人の手による作品です。主としてイフェ及びビニ王国の首都にあてはまることですが、ある程度
人口が密集すれば、村落の場合よりも交流の機会が増え、当然芸術家の視野が広くなり、かくして
競争心には恰好の地盤が形成され、彼らのうちのある物は踏み固められた道からいくらでも踏み出そうと
するようになります。その上、これらの国々においては政治上の権力の中央集権化と相まって、
神々が、階級の分化した神統のうちに再組織されました。この過程は、異なった様々な伝統の調整を
必要とし、その結果、神々の個別化をもたらすとともに、神学上の反省をも促すことになったと
考えられます。これらは、農村的環境が生む時代よりももっと特殊化された、従ってもっと肖像に
近い表現を持つ彫像の出現には好都合な条件となったのです。
ダホメとナイジェリア南部、及びコンゴ地方などにおいて、少なくとも相対的には自然主義的な精神を持ち、 幾何学には還元しにくい構造をそなえた作品が、都市生活の無い地方、またモデリングに基づく 具象的な芸術の知られていない地方よりも明らかに多く存在するのは、以上のような諸因子が原因で あると思われます。
アフリカ美術は、西洋美術に大きな影響を与えてきましたが、その独特の文化の中で、人間と作品との
間の関係がどのようなものであるのか、おわかり頂けたと思います。
しかしながら、この本が出版された当時と現在とでは、研究される地盤が異なる事をご理解下さい。
時代設定等、多少の誤りがあると思われますが、この文のテーマが掴めていただければ幸いです。