大学時代

・大学1年
長崎大学工学部電気情報工学科に入学!!!
入学式翌日オリエンテーションにて、
「浦部って、一浪?」「いや…」 
「ゴメン、二浪…」「現役だって!!」
「嘘!?」

こんな会話で大学生生活が始まる。

入学したての4月。授業には真面目に参加した。
電気磁気学Tの授業を、鼻ひげ・白髪の”これぞ大学の先生!”
と思わせる(仮名)藤山先生に習う。まさか3年後お世話になるとは
思いもしなかった。第一印象は厳しいヒゲの先生でした。

勇気を振り絞って野球部に入部!ここが間違いのもとだった。
頭のでか過ぎる坂川、酒に飲まれる浜村、かなり毒舌の松村、
男と話すときでも緊張気味だった野中、ロリコン説の中村、
怪しい宮崎弁の岸上を脇役とし、作者は主役を務め上げた。
(ちなみに4年間火星人と言われ続けました、夜交信(寝言)するから・…)
親から、カラオケに行って人前で歌う練習をするように
言われ、CDを借りてきて毎日練習してた。涙ぐましいねぇ。
入学してからは出来るだけカラオケに行くようにしたよ。
(大学デビューです)

夏休み…
友人(大庭圭介)が吹奏楽コンクールの九州大会に参加(Horn)。
可愛い後輩と2人きりで福岡サンパレスに応援に行く。(数少ないデートの1つ??)

吹奏楽部に所属していた友人(仮名)古場から、定期演奏会に出ないかと
誘いをうけ、二つ返事で参加を決意。大学のブラスというものを体験する。
野球部の練習が終わったあとに、ブラバンに参加してたから、きついの
なんのって…。フィンランディア(シベリウス)や・歌劇「サムソンとデリラ」より
バッカナールを演奏した。

この頃は1枚1000円位(NAXOS)のCDを買って聞いてた。
シンフォニーは苦手やね、長いから。
スッペの「軽騎兵」や「詩人と農夫」を知ったのはこの頃?
・大学2年
春休みに松村・野中と3人で青春18キップで3泊4日の旅に出る。
長崎を出発し出雲、姫路、甲子園、高松、松山、広島を経由し
長崎にもどる。1500kmを超えた。きつかったねぇ。ゆっくり旅してなかった
からねぇ。一日中列車に揺られてた記憶しかないね。楽しみにしていた甲子園も
雨のため試合が中止になったし…。でも楽しかったよ。
この頃からCDをあまり買わなくなる。ラジオで放送されている
クラシックや吹奏楽曲をカセットテープにとって聞いていた。
これで色々な曲を知ることができたよ。
真っ先に夢中になった曲が”ハーリヤーノシュ"(コダーイ)。
バレエ音楽「サバの女王ベルキス」(レスピーギ)

2年の時、あまり演奏会にいけず。無念。
・大学3年
秋、朝起きるとむしょうに宮崎キャンプを見にいきたくなる。
電話にて「(仮名)坂川?宮崎に行くぞ。今から。」
有無も言わさず宮崎行き決定!!
旅費を少しでも削る為に朝ご飯がCOCO一番のカレー。
1300gのカレーに初挑戦。見事10分強で完食!!
だが、10分後あまりのきつさに途中よったパチンコ屋のトイレで吐いてしまった。
これがねー、はいたらまた腹が減ってねぇ〜。パチンコ屋のそばにあった
コンビニでパンとジュースを買ってしまった。俺ってアホかな?
でも、カレー代はただやったからねぇ。別にいいよね。
ブラスから夏のコンクールの賛助として誘われた。
勿論、快諾。コンクール(九州大会)6週間前より練習に参加。
ただ前回(1年の定期演奏会)に比べてあまり丁重に扱われなくなったような
楽器を吹くのは1年6ヶ月ぶり。コンクールは3年ぶりということで、
なかなか自分のペースをつかむことが出来なかった。
耳も音に慣れてない為、チューナーを使わないとチューニングできない日が
続いた。耳で合わせれるようになったのはコンクール1・2週間前から。
また、練習量が人比べ極端に少ないため、音質の差が歴然としていた。
なんかつらかったねぇ。
結局コンクールまでに自分の演奏に対して自信が持てず、最悪の演奏を
してしまった。コンクールでここまで緊張したのは初めてやったね。

賛助として出たから、
「人のコンクールであって、自分のコンクールじゃないっ」ていう思いが
あった。だから練習中とか間違える度に肩身の狭い思いをしてた。
だって戦力になってなかったんだからねぇ。
この時中・高の後輩の(仮名)奥田と一緒に演奏できたから、このことに
関してはうれしかったな。それにしてももったいないことをした。
もうちょっと楽しめばよかったなぁ。コンクール。最初で最後になったからね。
・大学4年
これより
これより


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