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大西ゼミ論文集
 2002年度に行われた国際関係論(基礎)演習の授業に於いて提出されたゼミ論を掲載しています。皆さんに読んでいただき、感想や意見などを頂ければと思います。感想・意見などは掲示板にどうぞ♪
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集団的安全保障についての考察

 

東北大学法学部2年 阿部 慎平

 


はじめに―集団的安全保障への史的変遷―

 

世界の歴史に目を向けるならば、有史以来人類は戦争の期間が常態であり、平和は長く続いた戦争のわずかな期間にしか存在してこなかったことが見て取れる。しかしながら、人類は古代より戦争の悲劇を憂い、その予防のための知恵を供出してきた。

近代に入って、国際社会の主要な行動主体(actor)が国民国家(nation-state)になって以降、国際社会では個別的安全保障(individual security)を基本とし、時には他国と同盟(alliance)を結んで自国の安全をより確かな物にするのが国家の安全確保の手段となった[1]。個別国家が保有する軍事力や他国と提携している同盟を活用して侵略を未然に防ぐとともに、現実に損害を受けた場合は阻止排除を行った。しかし、第1次世界大戦の勃発とともにこの勢力均衡(balance of power)政策は諸々の理由から有効に働かなくなり[2]、戦後新たな秩序維持システムとして国際連盟(League of Nations)が設立されることとなる[3]。国際連盟では、ある国家が侵略を受けたとき国際社会全体が侵略国に制裁を加え、侵略を止めさせようとする集団的安全保障(collective security)の考え方が史上初めて導入された。だが、国際連盟は諸々の問題点(致命的なものとしては制裁が経済制裁に限られていた点が挙げられる)により、結局第2次世界大戦の勃発を防ぐことはできなかった。そうした轍を踏まえ、「国際平和及び安全を維持すること」(国連憲章第1章第1項)を主要な目的として、国際連合(United Nations、以下国連)が創設され、国連は違反国に対して経済制裁のみならず軍事的制裁を行えるようになった(国連憲章第7章)[4]。現在、その加盟国は189か国[5]に上り、世界の大半の地域を含む巨大な国際組織に成長した。

集団的安全保障の実践機関として国連が設立されてから約半世紀、大国同士が直接戦火を交えることは極稀であり、現在に至るまでその目的は達成されてきたように思われる。しかし、アメリカの未来学者トフラー(Alvin Toffler)はその著書『戦争と平和』の中で、「米ソ二超大国が対峙していた冷戦体制下には代理戦争はあったが、戦争の発生は比較的に抑止されていたという印象が一般的である。しかし、第2次世界大戦が終結した1945年から1990年までに、世界中で勃発した戦争・内戦の数は150から160にも上り、この45年間、2340週のうち地球が戦争から解放された週は全部で3週間しかなかった」[6]と記しているように、現実には戦争がなくなることはなく、必ずしも平和な状態が保たれてこなかった。

こうした現状を見てくると、そもそも集団的安全保障とは可能なものであるのか、という疑問がわいてくる。そこで、本稿では集団的安全保障そのものについて考察を加えたいと思う。まず集団的安全保障を有効に機能させるための必要条件を考える。その後、集団的安全保障に於ける問題点を挙げ、考察を加えて集団的安全保障がそもそも有効に機能し得るのかを考えていきたい。

 

 

 

第一章、集団的安全保障とそれが成立するための必要条件

 

(1)集団的安全保障理論

集団的安全保障の定義は「主権国家からなる国際社会において、ある国が他の国を軍事的に支配した場合、他のすべての国が侵略国に対して制裁を加え、そのことによって侵略行動をやめさせ、侵略された国の主権を回復し、現状に復帰する仕組み」である[7]。ここで留意しなければならないことは、集団的安全保障は「世界政府」ではないということであり、各加盟国は自前の軍事力を放棄したわけではないということである。換言すれば、集団的安全保障とは主権国家というものの存在を認めた上で、その加盟国間の間で如何にして安全保障を図るかということを前提としているのである。A・マクナイアー教授が指摘するように、集団的安全保障とは「軍事力行使の手続を定め、使用権限を与える判断を集団的にする」ということであって、「軍事力行使の方法は依然として国家の手に残る」という点を見落とすべきではない[8]。ただし、本稿における集団的安全保障は、軍事力行使のみではなく、「経済制裁等も含めた制裁の行使」と考える。つまり、如何にして各国が有する制裁能力を結集し、違反国に制裁を加えるかということが、この理論が成立するかの鍵になる。

 合理的且つ現実的な観点から考えると、各加盟国が制裁能力を結集し違反国に制裁を加えるためには、それらの制裁能力を束ね、違反国を識別・判断し制裁行使の命令を下す統一的な機関が必要不可欠となる。こういった機関を「制裁機関」と呼ぶことにする。現実に存在する(した)制裁機関は、国際連合と国際連盟ということになる。

 

(2)集団的安全保障が成立する必要条件

集団的安全保障が成立する必要条件として、制裁機関が「権威」と「権力」を併せ持つ必要があるという点を指摘したい。

本稿において、「権威」があるとは、制裁機関が何らかの理由で習慣的にあるいは正しいものとして、その命令や言葉が常に加盟国に受容される機関であるということである。例えば、国連の場合、その規模が世界的であり、世界的に広く認知されているといえるために、その命令や言葉はある程度の影響力を有している。それ故に国連加盟国は国連で決議された内容を尊重し、履行しようと努めている。「権威」は、加盟国が違反しようとするインセンティヴを抑制し、制裁機関に歯向うことが有益ではないということを認知させ、違反(戦争)を未然に防ぐ働きをする。

 「権力」があるとは、制裁機関が違反国に対して、最終的にその国の意思に反して行動させる力があることである。例えば、侵略国が現れた場合、何らかの力で以って(具体的には経済制裁や軍事的制裁で)その侵略の意思を挫く強制力がある場合、権力があるといえる。「権力」は、加盟国が違反を犯した場合、その違反を制裁し、現状に復帰させる働きをする。

 つまり、集団的安全保障が機能するということは、制裁機関がその「権威」で違反を未然に防ぐとともに、万一違反が起こった場合、「権力」を行使してその意思を挫き、現状に復帰させるということである。

 

(3)「権威」と「権力」の観点から考える国連

 現実に存在する制裁機関である国連は「権威」と「権力」の観点から考えると、「権威」はあるが「権力」が不十分な制裁機関であると言える。

国連の場合、前述のように世界各国はその存在を認知し、国連憲章に反するような行動をとらないように努めている。こうした点から国連は「権威」ある制裁期間であるということができる。しかしながら、国連には決定的な「権力」に欠けるという点で制裁機関としては不完全である。

国連は違反国が現れた場合、安全保障理事会を開き、その決定に基づいて軍事的制裁を含め制裁を加えることが可能である。だが、様々な人が指摘するように、制裁は安保理が認めた場合にしか発動せず、また、安保理の常任理事国には拒否権が与えられているために、常任理事国の利害に合致しない又は反する案件に関しては制裁を加えることはできない。これ以外にも、国連は「権力」を発動させる過程に於いて様々な障害が存在する。このように、最終的に「権力」を行使できないケースが存在する以上、「権力」は不十分であるといわざる終えない。

 

 

 

 

第二章、「権威」と「権力」を併せ持つ制裁機関を創設することは可能か?

 

(1)「権威」と「権力」を併せ持つ制裁機関を創設できない理由

そもそも、「権威」と「権力」を併せ持つ制裁機関を創設することは可能なのであろうか?結論から言って、集団的安全保障上こういった制裁機関を成立させることは不可能である。なぜならば、前に指摘したように、集団的安全保障は「世界政府」ではなく、主権国家の成立を認めているという前提があるためである。

 現在の国際政治を見るに、国際政治における主要なアクターは依然として「国家」であり、国際政治の本質が「主権国家」間の利益の衝突であるということも否定しがたい事実である[9]。特に、安全保障に関しては国家が各国の国益に基づき安全保障を考え、究極的な判断を下している。さらに、国家以外のアクターは基本的に軍事力を所有していないため、直接的な影響力は極めて小さい。従って、こうした安全保障の考え方の相違によって、しばしば国家同士が対立するという事態が起こってきたし、今後も起こりうるであろう。こうした例は、枚挙に暇がない。

 

(2)国連が「権威」と「権力」を併せ持つ制裁機関となり得ない理由

国連が「権威」があるにもかかわらず、「権力」を十分に行使できないのも構成国が主権国家であるからである。国家は本質的に自国の国益[10]の最大化ために、国連を利用している。いわば国連とは、各国間の利益調整機関の面もちがある。そのため、外部からの侵略ならばともかく、内部に違反国が発生した場合、その違反国との関係如何によって、国益同士が衝突する可能性が考えられる。なそうなると、自国の国益を守るために、加盟国は軍事力の供出を拒み、その結果制裁に必要な強力な軍事力を供給できず、違反国の行為を許容するほかなくなる。この例としては、冷戦期に多く見られ、安保理決議が大国の拒否権によって次々と否決された(安保理の問題点については後述する)。米ソの東西対立はその確たるものである。アメリカと旧ソ連は共に国連加盟国であるにもかかわらず、当時米ソの代理戦争として行われたものの多くに対しては、国連は有効な軍事的制裁はおろか経済制裁さえ講じるには至らなかった。

 また、究極的に言って、国家の安全保障はその国家の国益に沿うように考え、判断を下している。従って、国連が国家の集合体である以上、そこでの安全保障の動向は国家の考え方に大きく依存する。その国家の意向は、基本的に民主国家であるならば国民の世論に、一党独裁国家であるならば党の意向に、独裁国家であれば元首の意向に、軍事独裁国家であれば軍の意向に左右されることとなる。このように政治システムが異なる以上、また各国家の国民構成が人種、民族、信条、宗教、歴史的背景、教育水準、文化、経済状況等あらゆる点においてが異なる以上、対立が生じるのは必然であり、そうした差異乗り越え、全加盟国が納得する形での合意は考えがたい。例えば、安全保障に対する考え方も国家によって異なる。各国は総論では賛成するが、各論では反対し、その結果が戦争を引き起こしたり、事前に防ぐことができなかった原因となってきた。国連では常に国家間の対立が起こりうるし、歴史的にも起こってきた。例えば安保理内での拒否権行使による「大国間の対立」、アメリカの軍事行動に対する「アメリカ対国連の対立」、総会における先進国と発展途上国との経済格差よる「南北対立」[11]、イデオロギーの対立、アメリカの一国支配(unilateralism)に抵抗する対立などがある。また、最近になってアメリカの単独軍事行動に対してイスラム諸国やフランス、ロシア、中国といった大国が抵抗を示すという構図も現れ始めた。

 

 

 

第三章、結論―集団的安全保障理論は成立し得ない―

 

以上のように、主権国家が集まって制裁機関を設立した場合、大なり小なりこのような「国益の対立」の問題が表出してくる。安全保障のアクターが国民国家である以上、また、現実問題として国家間同士においても軍事力の不均等、即ち、少数の大国へのパワーの集中がある以上、上記の問題を解決するためには、現在の国民国家を解体しなければならず、それは究極的には不可能であるだろう。

 つまり、集団的安全保障理論は、そもそも主権国家によって成立しているという内部矛盾を含んだ理論であり、理論として成立し得ないものなのである。

 

 

第四章、私見として―集団的安全保障に代わる国際秩序維持の提言―

 

集団的安全保障理論は、そもそも主権国家によって成立しているという内部矛盾を解消するための一つの方法として、漫画『沈黙の艦隊』の作者であるかわぐちかいじ氏の言葉を借りるならば、「政軍分離の原則」を導入するべきであると考える。政軍分離の原則とは、国家を超える機関に軍隊を委ねる、即ち制裁機関に軍事的制裁手段として属する超国家軍、もっと具体的に言うならば国連に於ける常設国連軍を設立させることである。この超国家軍は理論的に全ての加盟国の軍隊を集約して設立せねばならない。

クラウゼヴィッツ(Klawsewitz)はその著書『戦争論』で「戦争は他の手段で行われる政治の単なる継続である」と述べたが、政軍分離の原則とはまさに政治から戦争という手段(選択肢)を奪うということである。そうして剥奪した軍を国連に委ねることで、国連を「権力」のある制裁機関に昇華することができ、各国は国益を軍事力という後ろ盾がない外交交渉で追求せねばならなくなる。

これを実現するためにできることは、『沈黙の艦隊』で日本政府が行うように、又落合信彦氏が『そしてわが祖国』の中で提言しているように、日本が自衛隊を国連軍に入れてしまうということをやるべきである。そうすれば、「国連中心の平和主義」という理想を達成するために大いに貢献できる偉大な歴史的一歩を踏み出すことができるのではないだろうか。

 

 

参考文献

     阿部齊、内田満、高柳先男〔編〕『現代政治学小辞典【新版】』有斐閣 1999

     アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー『アルビン・トフラーの戦争と平和 21世紀、日本への警鐘』扶桑社 1993

     落合信彦『そしてわが祖国 怒れ!!日本の若者たちよ』集英社文庫 1995

     かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』講談社

     クラウゼヴィッツ『戦争論』岩波文庫

     国際法学会〔編〕『国際関係法辞典』三省堂

     SAPIO626日号『もう国連はいらない』小学館 2002

     サミエル・ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』集英社新書 2000

     防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』かや書房 1999

     室園信宏「集団的安全保障の理論と現実 ―集団的安全保障制度の史的考察―」『防衛学研究』第17号 1997

     横田洋三『国際機構論』国際書院 1998

     吉原恒雄「集団安全保障再検証―その本質と限界―」『広島女子大学国際文化学部紀要』第4号 1997

     外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/



[1] 横田洋三『国際機構論』国際書院、1998年、p.195.

[2] 勢力均衡システムは国家間の同盟の組み合わせを変えることで、柔軟に国家間や同盟間のパワー・バランスを保ち、それによって国家の存続を保障するというシステムである。しかし、一端パワー・バランスを見誤って同盟の組み合わせを間違え、均衡が崩れると、このシステムは有効に機能しなくなり(戦争を未然に防止する効果が薄くなり)、仮にその状態で戦争が起これば、同盟国全てを巻き込む大戦争へと発展するおそれがある。例えば、第1次大戦以前はイギリスが勢力均衡システムのキー的な役割を果たし、巧妙にパワー・バランスを保っていた。ところが、第1次大戦前になるとパワー・バランスを欠くようになり、その状況下でドイツとロシアが戦争を始めたことでその同盟国であったフランス、イギリス、オーストリア、イタリアを巻き込む大戦争へと発展した。

[3] 吉原恒雄「集団安全保障再検証―その本質と限界―」、『広島女子大学国際文化学部紀要』第4号、1997年、p.22.

[4] 厳密に言えば、理念や成り立ちが異なるので、国連は国際連盟の後継機関ではない。現に、国際連盟が法的に解散したのは46419日、国連が成立したのが451024日と約半年間共存した時期があった。

[5] 20015月現在の加盟国数である。

[6] アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー『アルビン・トフラーの戦争と平和 21世紀、日本への警鐘』扶桑社、1993年、pp.26-27.

[7] 国際法学会〔編〕『国際関係法辞典』三省堂、1999年、p.403.

[8]前掲「集団安全保障再検証―その本質と限界―」、p.23.

[9]室園信宏「集団的安全保障の理論と現実 ―集団的安全保障制度の史的考察―」、『防衛学研究』第17号、1997年、p.114.

[10] 本稿における国益とは「権力と安全保障と富の追求」即ち、ある国が全世界または一部地域で覇権的な影響力を持ち、戦争の脅威にさらされず、自国が繁栄するために経済活動等の諸活動を優位に進めていこうとする利益であると定義する。

[11] 前掲「集団的安全保障の理論と現実 ―集団的安全保障制度の史的考察―」、p.114.