わたしの9・11

2001年9月11日は、歴史に残る恐ろしい出来事が 起きた日でした。それからまもなく1年が経とうとしています。そこで、 その日のことを、私自身の記録としても、書き記しておこうと思います。

その日も、いつものように8時すぎに起きて、朝食をとって、大学に 出かける準備をしていました。ごく普通の朝でした。 ただちょっと違ったのは、ガソリンのようなにおいが、外から 漂って来たことでした。外を見回しても、特にガソリンが漏れた車が あるようにも見えませんでした。

出かける準備をしているときに、テレビをつけていれば、何かが 起こったことを知ったでしょうが、その朝はテレビをつけなかったので、 知りようがありませんでした。

車で大学に向かう途中、なんとなく道路を走っている車が少ないように 思いましたが、特に気にしませんでした。私の車には、ラジオがついていないので ニュースも聞けません。

何が起こったかを知ったのは、大学の研究室に着いてからでした。 なぜか、研究室の同僚が大きなボリュームで、ラジオを聞いていました。 いつものように、挨拶に行くと、彼が
「ボストン発の飛行機が、ワールドトレードセンターに衝突した」
と言いました。私には、なんのことやらさっぱりわかりません。 彼のいきなり発した単語、"aiplane, Boston, crash, world trade center" が、私には意味を為しませんでした。

3度ほど同じ事を言われて、ようやく私は分かりました。それでも、 私は、ひどい事故だなあと思っていました。インド人の彼は、「イスラム教徒 によるものだろう」と言ってました。「テロだということか?」と聞くと 「そうだ」と答えました。彼の勘は正しかったわけです。

その後、ワシントンのペンタゴンに飛行機が墜落した というニュースも飛び込んで来ました。さらに、ラジオから、
「ワールドトレードセンターが、完全に崩壊した。」
というレポーターの叫び声が聞こえたときには、恐怖を覚えました。

ピッツバーグ郊外にも飛行機が墜落したという知らせを受けたのは いつだったでしょうか。このころは、アメリカのインターネットサイトでは、 全く情報が得られませんでした。アメリカのニュース系のインターネットサイトは 混雑して全くつながらなかったのです。私は、日本のニュースのサイトに 行って、写真情報を得ていました。研究室にはテレビはないのです。

研究室の秘書が言っていました。
「なぜ、こんなに組織だった行動が取れるのだろう?」
そうです。4機もの飛行機を同時にハイジャックして、それを墜落させる ことが出来るとは、一体どういうことなのでしょう。この組織だった 行動には、恐怖を感じました。

大学の授業は、すべてキャンセルされました。それで、道路沿いは 学生であふれかえっていました。研究室のボスである教授も、さっさと帰宅しました。 インド人の同僚も、「みんな動揺しているから、気をつけて帰れ」と私に 言って帰りました。私もさっさと家に帰りました。

家に帰ってテレビを見ると、まだ飛行機が10機ほど確認が取れないと 言っていました。まだ、墜落する可能性があったわけです。いつ飛行機が墜落 して来るか分からないという恐怖を覚えながら、その一日を家のなかで、過ごしました。 いまでも、飛行機の音を聞くと、もしかすると落ちるかもしれないと恐怖することが あります。

なお、私は平日に、マンハッタンに出かけることもあるので、 日本にいる両親に無事の知らせをしようと、何度か電話をしたのですが、 混雑してつながらず、ようやくつながったときは、日本時間で午前3時くらいでした。

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