テロ後のこと航空機4機によるテロの翌日、大学の授業は全て休講となりましたが、 そのまた翌日からは、再開されました。 大学の研究室という場所にいると、数10キロ先で大事件が起こったと言うのに、何事もなかったように感じられました。まるで、世間から隔絶された場所のようでした。 でも、テレビでは、延々とテロに関係することを放送していました。テレビの隅には 常に、"AMERICA IN WAR" だとか、"AMERICA ATTACKED"というようなテロップが表示 されていました。まさに、戦争状態といった雰囲気でした。 ときどき、日本軍による真珠湾攻撃がひきあいに出されると、日本人の私は 居心地の悪い気分を味わいました。 アメリカ軍による報復攻撃は、テロの後まもなく開始されました。 この行動は、私には全く当然の事のように思えました。
でも、
日本語放送のニュースを見ていると、日本では、ずいぶん反対意見があるようでした。
おそらく日本では有名な若者なのでしょうが、彼がラジオで、 この時期、非常に多くのアメリカ国旗を目にしました。私が住んでいる街の メインストリート沿いには、国旗が並びました。 住宅地でも多くの国旗を目にしました。 特に一戸建ての住宅の場合、ほぼ全ての家にアメリカ国旗が掲げられました。 また、新聞の見開き一面を使ってアメリカ国旗が印刷されたのですが、 その印刷された国旗を窓に張り付けてあるアパートもよく見ました。 さらに、いくつもの国旗をつけて走る自動車もよく見ました。 1年近く経った今でも、国旗を窓に張り付けているアパートや、 国旗をつけて走っている車を見ることがあります。 ちなみに、アメリカ国旗を掲げることは、犠牲者への冥福を祈るとともに、 アメリカの行動を支持するという意味が込められてるのだと思います。 アメリカによる報復攻撃が始まると、さらなるテロが大きな駅や 地下鉄などで起こるのではと警戒されました。私は、ふだん電車に乗る必要が ないので、近づきませんでしたが、ニューヨークにでも住んでいれば、そういう わけにはいきません。 このことで、今でも覚えていることがあります。 テレビを見ていると、ニューヨークの地下鉄の駅で、一人の中年女性が、インタビューを受けていました。
「地下鉄を利用するのは、恐くないですか?」 私は、これぞアメリカ人だと思いました。
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