皇居への長い道のり
(前編)
2月1日、といえば東京でも雪がちらついてもおかしくない時期だ。
しかし2004年2月1日の日曜日は晴天だった。
東京都心にありながら広大な緑の敷地を誇る皇居。
この日、晴れ渡る青空のもとに皇居はいつにもかわらぬ穏やかなたたずまいを見せていた。
しかし、穏やかなたたずまいを見せる皇居のお堀の外側に位置する小さな公園ともいえぬ広場には、その朝異様な熱気が立ちこめていた。
それぞれに大きな荷物を持った男女が次々と現れ、上に羽織っていたコートを脱いだり着替えたりするとそこには赤、青、黄の「色の三原色」の集団が登場する。更には一見普通の格好をしている者も得意げにセーターを捲り上げるとその下にはやはり色違いらしい黒いTシャツを着ているのが分かる。
怪しげなロゴと意味不明のデザインのTシャツを着たその軍団は、しかしTシャツ以外は皆いい加減な格好だ。長ズボンもいれば短パンもいる、短パンといってもランニング用、テニス用、ラグビー用…と統一感は全くない。
とはいえ皆、シューズだけはジョギング用を履いているところを見ると、走るつもりなのだろう。
(ついにこの日が来た…)
その広場の一角で、落ち着かぬままに足踏みをしたり無駄話に興じたりウォーミングアップに走りまわったりしながらO住はその思いを噛み締めていた。
この日はO住が勤めるV社の社員及び関係者及び知人の総勢15人が3チーム(各チーム5人)で駅伝に挑戦する日だったのだ。
事の発端は前年に遡る。
O住がV社に入社したのは前年つまり2003年の8月だ。
さほど排他的な会社でもなく、またO住自身も転職経験を重ねてきているだけにそれなりに速やかにO住はV社に溶け込んで行っていたように回りの目には映っていたらしい。O住自身もそう思っていたはずだ。
しかしそうはいってもやはり右も左も分からぬ社内で、「中途は即戦力だから」と何の予備知識もないままに次から次へと業務に対応する日々の中、やはりO住も疲れていたのかもしれない。
中途入社社員研修で半日机を並べただけ(しかもお互いに舟を漕いでいた)のT島から「同期会をやりませんか」という話が来たとき、O住は「ぜひやりましょう!」と勢い良く参加を表明していた。「中途同士気楽におしゃべりをしたい」という気持ちがあったのだろう。
そしてやはり同期の中途入社組であるY下と、1月半ほど遅れてO住と同じ部署に来たI田を含めた4人により10月半ばに同期会が開催されたのだった。
これは会社帰りに会社の近所でビールを飲んだだけ、といってもいいごくささやかな会だった。ところがそれが意外と楽しかったのだろうか。
「ボジョレー飲みにいきませんか」という誘いがT島から来たのはそれからさほど経たないうちだった。
このときには、当初の4人に加えてその後に入社してきていたK谷と、そして「同期会」という中途入社とはまったく無縁で「新卒で入ってV社一筋です」というN田が参加した。
そして、悪夢はこの席上で始まったのだ。
もちろん、会社の話というものは出た。そうはいってもその年はボジョレーの当たり年。しかもT島とY下はさすが本業が「調達」という部署なだけあって、「安くて優れたもの」に嗅覚が働くのか、選んだ店はそのうまいボジョレーを無茶苦茶安く提供していた。
となれば当然、飲む。飲めばもちろん酔っぱらう。酔っぱらえば会社の話などという頭を使う話題よりも適当に聞き流せる軽い話題に移っていくのは言うまでもない。
その中でT島の「昼休みに走っている」という話が出たのである。
「運動しなくちゃと思ってるんですけどねえ」「いやあ最近運動不足で」「なかなか運動できませんよね」「健康には気をつけないと」というのはある程度年齢のいった人間が飲みにいった場合の定番の話題と言ってもいいだろう。だからこのとき、T島が「走っている」という発言をしたときに「いいですね」「私もスポーツしなきゃと思ってるんですよ」という声が聞こえたことは普通であれば単なるその場の相槌として聞き流されるはずの台詞であった。
それにもかかわらず。
この晩の出席者は数日後、出社してメールボックスを見た途端「えーっ!」と驚きの声を上げていた。
というのも、差出人の欄にT島の名前が表示されたメールのタイトルは「駅伝大会出場許可通知」。
何事かと中身を開いてみると…。
_______________________________
走友(遊)会メンバー各位
ご案内が遅くなりましたが、皆さんお待ちかねの
第1回出場レースが決定いたしました。
本メールを受信された会員の皆さまは、厳しい審査の結果、
晴れて出場メンバーに選別されました。
おめでとうございます!
従いまして、早速トレーニングを開始し、レース当日は、
見苦しい姿を披露することがないよう、入念な準備をお願いします。
万が一、都合がつかない方がいらっしゃる場合は、
期限までにご一報下さい。罰ゲームとして永久会員の
称号を授与いたします。
When: 2004年2月1日日曜日 0:00 から 2004年2月2日月曜日 0:00
(GMT+09:00) 大阪、札幌、東京
Where: 営団地下鉄東西線竹橋駅西口よりすぐ 竹橋小公園 8:30
集合
レース概要
レース名: 第1回GLOBAL立春豆まき駅伝
(URL http://guide.×××net.jp/ で検索可)
日時: 2004年2月1日(日)
場所: 皇居周回コース
内容: 一人5キロ X 5人で走る駅伝大会です。
現在のメンバーであれば入賞を狙える可能性が、
年末ジャンボで1億円が当たるのと同じくらい
残されています。
是非、明日から練習を開始し、3000円が当たる
確立くらいまでにチャンスを引き上げましょう!
出場可否連絡期限: 2003年12月8日(月)
(連絡がない場合は、やる気満々とみなされます。)
連絡及び苦情受付窓口: 調達部 T島
以上
_______________________________
「厳しい審査」と書かれているが、そもそも申し込んだ覚えなどない。
「お待ちかね」とあるが、誰も予期すらしていなかったはずだ。
「何、これ」
O住は隣の席のI田に話しかけた。
「いやー、びっくりですよね」
O住より早い時間に出社し、メールを読んでいたI田はこの話がしたくてしかたがなかったのだろう、にやにやしながら身を乗り出してきた。聞きつけたのかK谷も寄ってくる。
わずかに離れたところに席があるT島は気配には気づいているのだろう、背中を向けてはいるものの全身で気配をうかがっているのが伝わってくる。
(5kmなんて…)
確か高校のときのマラソン大会は女子が5kmだった気がする、とO住はぼんやりと思い起こしていた。とはいえ、もはやO住も高校生ではない。現実の自分の生活を振り返ってみれば、5kmどころか50mだって最後に走ったのはいつのことか。10m先にある信号がちかちかしていても、走るぐらいなら次に青になるのを待とう…という生活を送っているのだ。
I田にしてもK谷にしても、事情は対して変わらないらしい。二人とも「急にこんなことを言われても」とやや逃げ腰だ。T島に断ってこよう、と3人は(他の業務メールには目もくれないままに)T島の席へと近寄っていった。
「ご、5キロですか…」
走れませんよ、という響きを言外に含ませてO住はT島に話しかけた。
「大丈夫、タイムを気にするような大会じゃないから。ちゃらちゃらした大会だから。途中歩いてもいいんだし、他の部署の人と遊ぶ気楽な機会だと思えば楽しいよ」
T島はあっさり言った。「辞退者は云々」などとメールには書いたくせに、辞退を認める気などさらさらないらしい。
T島の席の正面に座るY下に「Y下さん、走るんですか」と尋ねると「僕は走りませんよ」ときっぱり。だがT島はY下にも拒否権を認めない。
結局断りの文句を言い出すタイミングを失った3人はそれでも「でも5kmも走れないし…」と言いかけるが、T島に「まだ2ヶ月あるから大丈夫」と問答無用で却下されてしまった。
「しかし、根が律儀なのか。「まさか、会社でこんなことする羽目になるとは思わなかった」と言いながら、数日後にはK谷、I田、O住は走ってみることにした。まずはどの程度走れるものか、近所に位置する愛宕神社まで走ってみようということになったのである。
愛宕神社は3人が勤める会社からせいぜい2,3百メートルといったところか。しかしここに辿りつき、神社に至る階段を上った段階で3人は既にギブアップ状態だった。呼吸が苦しい。足が重い。
3人は階段を這うように上ると、へたりこんだ。
ところがである。このような散々な状態であったにもかかわらず、何かK谷の琴線に訴えるものがあったらしい。K谷は次の週末に率先してランニングシューズを購入し、「走りましょう!」と張り切り出した。(この段階ではまだI田はバレーシューズ、O住はテニスシューズ。いかにもシロートである。)
I田もO住もこう言われては内心(走るのメンドイな…)と思いつつも、自分だけ置いていかれるのも口惜しいという思いから一緒に走り出す。いつしか業務時間終了後に着替えて走りに行く「3人娘」(実際にはT島も同行することが多かったのだがやはり女3人の方が目立ったようだ)はフロアで有名になっていた。
そして、この3人が宣伝塔として優秀だったのだろうか。駅伝参加希望者は増加の一途を辿り、気がつくと2チームか3チームが出来てしまうほどになっていたのである。
(もちろん自主的な参加のみならず、果敢な勧誘活動も繰り広げられていたのだが。)
紆余曲折の末、出来あがった3チーム。メンバーは次の通りである。
黄Gingers。Aロン、N村、Jフ、O住、N澤。
赤Gingers。T島(キャプテン)、N田、O河、K谷、S木。
青Gingers。A井(招待選手)、A野、T築、T築(妻)、Rブ。
応援団。お弁当班を買って出てくれたT橋、故障で出場を諦めたI田。更に当日出張で泣く泣く出場をあきらめたY下は出張旅費をかけて自分の名前を掘り込んだ優勝杯を作りY下賞と名づけてT島に言付けた上で出張先へと旅立って行った。
そしてこのメンバーというのは。実は内訳をみるとすごい事になっていた。
キャプテンを務めるT島が現役のトライアスリートであることはともかく、その他の出場者達も聞いてみればホノルルマラソン出場者、元箱根駅伝ランナー、元中距離陸上選手…。そういう「走る競技」の経験がない者であっても、サッカーをしている者、テコンドーをしている者、ラグビーをしている者とスポーツ自体の経験者がほとんどを占め、あるいは週末に運動のために走っている、というぐらいの者まで含めれば皆スポーツ経験者だ。
気がつけば、運動を積み重ねてきていないのはK谷とO住だけになっていた。
「ちゃらちゃらした大会だから。タイムは気にしないで大丈夫」といったT島の声が甦る。
それを聞いたときはこんな本格的なメンバーが集まるとは思わなかったのに、とO住は内心弱気になる。自分だけ足を引っ張ってはやっぱりマズイかなあ、と。
(T島さんの嘘つき…)
O住は内心つぶやいてみるが、それを言っても仕方がないことは分かっている。大体、T島の嘘はこれだけではなかったのだし。
「5kmっていっても別に坂とかもないし走りやすいよ」といわれて素直に信じていたが実際には5km中1kmはきつい上り坂だったこと(反時計周りの場合)。「ここがスタートだから」とわざわざ出かけた下見で教えられた公園は実はスタートではなかったこと(ペース配分が狂ってしまう)。「レースの参加賞はビールだよ」というのを楽しみにしていたのに実際にはスポーツドリンクだったこと。数え上げればきりがない。
とはいえ自分もメンバーを勧誘してしまった負い目がある。まさか「楽しいですよ」と誘っておいて「怖くなったのでやめました」とは言いにくい。
結局、故障が生じたI田は辞退に成功したもののK谷とO住は本番のメンバーに入れられてしまったのだった。
そして、冒頭のシーンへとつながるのである。
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