「癌です。あと半年ももたないでしょう」こんな宣告を医者から受けたら、 あなたはどうするだろうか。おいしいものを思う存分食べる、あり金を使い果 たして旅行する、家族や仲間と語り合う、闘病に専念する。死を実感すること のない若い我々には遠い話だ。しかし、いつ訪れてもおかしくないことだろう。 人間にとって最も大きなテーマである「生」について真っ向から挑んだ映画が、 黒澤明監督の『生きる』(1952年東宝)だ。三十年間無遅刻無欠勤という経歴 を持つ、市役所の市民課長が癌だと告知される。それまでの人生を省みて、事 なかれ主義で生きてきた自分に忸怩たるものを感じてしまう。そして、幾許も ない余命を誰かのために捧げたいという気持ちに襲われる。そこで、以前から 市民の念願だった児童公園の建設に精を出す。数日後、新装なった夜更けの児 童公園のブランコで、楽しげに「ゴンドラの唄」を口ずさむ市民課長の姿があ った。翌朝、雪の児童公園に主人公の死体が眠っていた。 今、あなたも私も、もちろん生きている。平穏な日々を送っている。だが、 必ず死はやってくる。線香花火の炎が消え入るように、死をすぅっと自然に受 け入れることができるだろうか。大切なことは死を迎えるまでに、どのような 生き方をするかにあるはずだ。死ぬことよりも生きることを真剣に悩んでほし い。自分は何をするのか、悔いのない生涯を過ごせるのか、そして、何のため に生きているのか。生きる意味を問い直してはどうだろうか。 先日、知り合いのお坊さんと酒を交わしていたら、こんなことを言っていた。 「人間、死なない限り、生きるしかないからな」もしかしたら、我々は死んで いないだけで、生きるとは、ほど遠い時間を過ごしているのかもしれない。生 きているのではなく、死んでいないだけなのだ。『生きる』の主旨はここにあ るような気がしてならない。誰かのために役に立てたとき、死んでいないだけ の人間が、初めて生きることになる。 昨日、九月一日は防災の日。日本全国、 いつ大地震がやってきてもおかしくない。「災害は忘れたころにやってくる」 (寺田寅彦)災害の恐怖を思い起こすとともに、生きる意味を問いてみてほし いものだ。