多事匠論


報道の意味を問う・後編

 秋合宿も終り、次期幹部へとバトンが渡されつつあります。幹部の皆さんおつ
かれさまです。諸君たちは今後、幹部としての経験を生かし、後輩へのよきアド
バイザーとなってください。諸君たちの真価はこれから問われることになるので
す。そのことを心に留めておいてください。
 さて、先週の続き。長崎の幼児殺害事件を考えます。その前に、一言。寒い国
からの掲示板への書き込み、ありがとうございます。今後も本コラム(作者)の
ご意見番として、頻繁にご登場ください。できれば、「多事斎論」のコーナーを
作ってほしいものです。活発に論議していきましょう。
 再び閑話休題。新聞・テレビ・週刊誌などのマスコミは、なぜ少年犯罪を報道
するのでしょうか。報道の意味はどこにあるのでしょうか。私は、この根本的な
問題を長崎の事件から考えました。「二度と同じ過ちを繰り返さない」ために報
道するのだと思います。知らせることで一人一人に考えてもらい、不幸な悲しみ
を背負う人が減るように努めることが報道の意味だと私は考えます。
 では、どのように報道すべきなのかが問題になってきます。まずは、事件の背
景や原因を詳しく調べなければなりません。長崎の事件は、誰が、いつ、どのよ
うに起こしてしまったのか。そして、「なぜ」痛ましい事件が起きてしまったの
か。この「なぜ」を細部に渡り追求していく必要があるように思います。加害少
年を取り巻く環境・家庭・学校を考慮に入れ、社会に問いかけていくべきでしょ
う。少年を犯罪へと導いてしまった理由は何か。親が悪いのか。学校教育のどこ
に問題があったのか。地域でできることは何もなかったのか。少年の心の闇を明
確にするとともに、このようなことを社会に訴えることが報道の役割だと思いま
す。
 こう考えると、少年の実名を報じる必要は全くなくなります。幼児の陰部を体
の一部と表現するだけでよいはずです。なぜなら、それらを知らせることに大き
な意味がないからです。
 長崎の幼児殺害事件から報道のあり方について私は以上のようなことを思いま
した。


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