韓国を知ろう!

われわれが調査しようとしている韓国とはいったいどんな国なのか。フィールドワークといってもすべてを現場で得るわけではない。それ以前に知っておかなければならない知識もあるはずだ。そんな最低限の情報集。

大韓民国のファクトボックス − 最低限のデータ集

朝鮮半島(韓国では韓半島)の南部を占める国。北部は朝鮮民主主義人民共和国と軍事境界線をはさんで接し、東海岸は日本海(韓国では東海)、南東および南海岸は朝鮮海峡(対馬海峡の西水道。韓国では大韓海峡)、西海岸はホワン(黄)海にのぞむ。南海岸と西海岸の沖には無数の島が散在するが、最大の島はチェジュ(済州)島(1821km2)である。

大韓民国は、第2次世界大戦後の朝鮮半島の南北分割占領をうけて、北緯38度線以南のアメリカ軍の占領地域を独立させるかたちで1948年に樹立された。その際、半島北部のソ連軍の占領地域には朝鮮民主主義人民共和国が樹立された。面積は99392km2。人口は4485万人(1995年推計)。首都は同国最大の都市ソウルである。

正式国名は大韓民国だが、「韓国」と通称される。通称の「李朝時代」は、韓国では「朝鮮時代」とよばれている。地名としては「朝鮮」よりも「韓」がよくもちいられる。


国土と資源

韓国は、深く峡谷がきざまれた山地におおわれている。最大の山脈は、東海岸にそって南北にはしるテベク(太白)山脈、最高峰は済州島のハルラ(漢拏)山(1950m)である。平野は国土の5分の1にみたず、西海岸沿いに集中し、東部や南部の海岸平野はひじょうに狭い。東海岸を別にすると、全体に海岸線がいりくみ、潮の干満の差がはげしい。もっとも長い河川であるナクトン(洛東)江ハン(漢)江は、ともに太白山脈に発し、前者は南へながれて朝鮮海峡にそそぎ、後者は北西へとながれて黄海にそそぐ。ほかの主要河川には、クム(錦)江、ヨンサン(栄山)江、ソムジン(蟾津)江などがある。

気候

国の気候は基本的には大陸性で、寒くかわいた冬と、暑く雨の多い夏が特徴となっている。ソウルの1月の気温はおおむね-90C7月の気温は2129Cになる。冬には南部の海沿いの地方で比較的気温が高くなるのに対し、内陸の山地では気温がかなり低下する。年降水量は、ソウルで1250mmプサン(釜山)1370mmであり、降雨は69月の夏季に集中している。南部の海岸部は、夏の終わりになると強風と豪雨をともなった台風におそわれることが多い。

植生と動物

広葉樹と針葉樹の混合林が国土の3分の2をおおっているが、急速な産業化により森林は各地で減少しつつある。政府は緑の破壊をふせぐためにグリーン・ベルトを設定し、乱開発を制限している。マツ、カエデ、ニレ、ポプラ、モミ、ヤマナラシなどが多い。温暖な南部の海岸平野では、タケ、ゲッケイジュ、トキワガシ、カラマツ、アカシアなどもある。かつて朝鮮半島の全域に生息していたトラ、ヒョウ、クマ、オオヤマネコなど大型哺乳類の多くは、森林の破壊と密猟の結果、韓国ではほぼ絶滅した。

鉱物資源

北朝鮮とは対照的に、韓国は鉱物資源にはさほどめぐまれていない。おもな資源としては、石炭(ほとんどが無煙炭)、鉄鉱石、黒鉛、石灰石があり、そのほかにも、金、銀、銅、鉛、タングステン、亜鉛、ウランなどがある。

住民

韓国は北朝鮮と同じように、世界でもっとも民族的均質性の高い国である。およそ5万人の外国人(おもに中国人)居住者をのぞけば、住民はモンゴロイドの韓国人(朝鮮人)だけで、言語などで区別される少数民族はない。現代の韓国人の先祖はアジア大陸ばかりでなく、マレー諸島からも渡来してきたものと考えられている。

人口の特色

韓国の人口は4485万人(1995年推計)、人口密度は1km2当たり451人で、世界でもっとも人口密度の高い国のひとつである。人口の大半は南部と西部の平野部に集中している。人口増加率は、1950年代には3%以上だったが、その後しだいに低下し、最近では1%程度とされている(1995年推計)。人口の都市集中化が60年代以降急速にすすみ、今日では総人口の約78%が都市人口とされている。

朝鮮民主主義人民共和国の建国以降、およそ400万人が北朝鮮から越境して韓国に流入した。他方、海外移住者もかなりでており、アメリカ合衆国へ移住した者も多い。日本には、朝鮮半島が日本の植民地だった時代に日本に移住したり強制連行されたりした朝鮮人の子孫がおり、その中には韓国の国籍をもつ者も多い。→ 在日韓国・朝鮮人

 

主要都市

首都ソウルは人口10798700人(1994年)で、行政上は特別市となっている。ほかの主要都市には、プサン(釜山。3901037人)、テグ(大邱。2346956人)、インチョン(仁川。2197782人)、クァンジュ(光州。1271141人)、テジョン(大田。1223896人)があり、行政上はいずれも広域市となっている。

近代的ビルが林立するソウル

ソウル中心部、主要道路が交差するソウル市庁舎前のロータリー。この市庁舎は日本統治時代に京城市庁がおかれていた建物で、周辺にはホテルやオフィスなどの高層ビルがたちならぶ。ソウルは朝鮮戦争中の被害で壊滅状態となったが、その後、韓国の中心地として近代的な大都市へと発展した。

 

大港湾都市プサン(釜山)

ソウルにつぐ韓国第2の都市であるプサン(釜山)。三方を山でかこまれ、その山地と港の間に市街地が細長く広がっている。写真左手は展望塔のたつ竜頭山公園で、周辺に市庁舎や国際市場などがある。朝鮮海峡に面した釜山港は商工業の拠点であり、大型漁船団の母港でもある.

言語

言語は、ウラル・アルタイ語族のひとつ朝鮮語である(→ アルタイ諸語)。朝鮮語は文法が日本語と比較的似ており、語彙(ごい)は中国語に由来するものが多い。表記には「ハングル」とよばれる独特の表音文字(北朝鮮では「朝鮮文字」という)をもちいる。韓国では朝鮮語のことを「韓語」「韓国語」とよび、日本でも「韓国語」「コリア語」「ハングル語」などの呼称がもちいられることがある。朝鮮語と「韓国語」は、正書法と発音のわずかな相違をのぞけば、まったく同じ言語である。

韓国には、日本の植民地時代(191045)に教育をうけた比較的高齢な人々をはじめ、日本語を解する者も多い。英語は中等教育で必修となっており、英語を解する人がふえている。

宗教

1991年の調査によると、韓国人の半数近くは無宗教であり、この比率はふえつつあると考えられている。信仰をもつと答えた者の半数は仏教徒で、その総数は11962000人にのぼる。韓国人の生活にとってより重要な要素となっている儒教は、宗教というより倫理哲学に近く、信徒数は421000人とかなり少ない(人口のおよそ1.8%)キリスト教は李朝末期の1882年に布教がみとめられて以来、急速に定着した。プロテスタントの信徒数は8038000人、カトリックの信徒数は2523000人とされている。

また、韓国独自の宗教としては、19世紀半ばに民間信仰と仏教、儒教などを融合させて成立した東学の流れをくむ天道教があり、100万人以上の信徒を擁するとされる。韓国を拠点とする世界的規模の新興宗教である統一教会(世界基督教統一神霊協会。1954年設立)も、大きな勢力をもっている。

教育

初等教育は612歳で、義務教育として無料でおこなわれている。中等教育は3年間の中学校とさらに3年間の高等学校からなる。1994年の統計では、およそ410万人の生徒が国民学校(小学校のこと、1996年から初等学校と改称された)にかよい、また、中学校、高等学校、職業学校などで中等教育をうける者はおよそ509万人となっている。

中等教育より上では、私立学校の役割が大きい。全国に157大学があり、学生総数は115万人余りにのぼる。おもな大学としては、高麗大学校(1905年創立)、ソウル大学校(1946)、梨花女子大学校(1886)、延世大学校(1915)がソウルにあるほか、光州の朝鮮大学校(1946)や、釜山大学校(1946)などがある。成人の識字率は96%以上(1990年推定)である。

文化

韓国人は固有の文化的伝統を尊重する傾向が強く、政府は伝統芸能の保護、奨励に力をいれている。ソウルには国立中央博物館などいくつもの博物館があり、韓国の文化遺産や民俗資料の膨大なコレクションがおさめられている。国立博物館は、ソウルのほか全国6カ所の主要都市にある。

経済

韓国の経済は、伝統的には農業に大きく依存していたが、1960年代初めから急速な工業化がすすんだ。60年代半ばから90年代初めまで、GDP(国内総生産)は9%以上の高成長をつづけている。62年からは、一連の経済開発5カ年計画によって、輸出志向の製造業に重点をおいた開発がおしすすめられた。韓国は、わずか四半世紀ほどの間に、まずしい農業国から中規模の工業国にまで急成長をとげたが、その背景には、アメリカ合衆国と日本からの経済協力が重要な役割をはたしていた。96年には世界で29番目、アジアでは日本についで2番目のOECD加盟国となった。国民総生産は4517億ドル(1995年推計)である。

労働

1995年の統計によれば、韓国の労働人口は2080万人で、そのうち13%が農林漁業、33%が鉱工業、54%が商業とサービス業に従事している。おもな労働組合の全国組織としては、組合員180万人を擁する韓国労働組合総連盟(韓国労総)や、より急進的な立場をとる全国民主労働組合総連盟(民労総)などがある。

農業

2次世界大戦(193945)後、農地解放が実施され、土地所有が分散した。農家戸数は160万戸、平均耕作面積は1.3haである。伝統的な営農法が部分的にのこっているが、農業の機械化が急速にすすんでいる。可耕地は国土の21%ほどだが、そのほとんどが実際に耕作されている。

1994年の統計で、最大の作物は米(年間生産高544t)であり、主要作物としてはほかにタマネギ(541200t)、ジャガイモ(489400t)、サツマイモ(247100t)、オオムギ(23t)、トウモロコシ(88600t)や、キュウリ、キャベツ、トマト、ハクサイ、ダイコンといった野菜類がある。近年の動きとしては、リンゴ、メロン、モモ、ナシといった果物類の生産量拡大が注目される。さらに、ダイズ、綿花、絹なども生産されている。畜産では、豚(5955000頭)、牛(2945000頭)、ニワトリ(80569000羽)などが飼育されている。

林業と漁業

林業は小規模で、1992年の統計では年間約649m360年代末以来、韓国は世界有数の漁業国であり、780隻以上の高速漁船を擁する近代的な漁業船団をもっている。ウルサン(蔚山)マサン(馬山)の港は、沖合漁業の基地として発達し、漁業に関係する食品加工業の工場などがあつまっている。タラやカキ類などをふくめ、海産物の水揚げは、94年の統計で年間約3477000tである。

鉱業

韓国には大規模な鉱物資源はない。1994年の統計では、無煙炭の年間産出量は744tだった。そのほかには、黒鉛、鉄鉱石、鉛、タングステン、金、銀、カオリン(高陵土。陶器にもちいる良質の粘土)などが採掘されている。

工業

1945年の朝鮮半島の南北分割は、南北にバランスをかいた経済体制をつくりだした。北朝鮮には、天然資源のほとんどと、日本植民地時代に開発された重工業がのこされた。一方南側には、農業関連資源のほとんどと労働資源がのこされたのである。韓国の工業開発は、繊維、服飾、靴、食品など、労働集約的で輸出志向が強い軽工業からはじまった。しかし、70年代初め以降、重点は重工業にうつされている。工業は、巨大な企業グループである財閥によって支配されている。

1995年の統計によると、おもな工業には、電気製品、輸送機械(自動車や船舶)、化学製品、布、鉄鋼、食品などがある。工業製品の年間製造量は、自動車(1999000台)、トラック(317700台)、造船(商船:3978000t1994年)、テレビ(1857万台)、肥料(868100t)、綿織物(37690m2)などとなっている。

エネルギー

1990年代初めの統計では、韓国の総発電量の54%が火力、36%が原子力から生みだされ、残りの10%は水力でまかなわれている。最大発電力は2700kW、年間の総発電量は1847kWh(1995年)である。

交通

じゅうぶんに張りめぐらされた高速道路網が、各地の主要都市をむすんでいる。延べ63200km以上になる韓国の道路のうち、1600km以上が高速道路となっている。鉄道の総延長は延べ6700km以上に達している(1992年現在)。ソウルプサン(釜山)には地下鉄がある。主要な港湾都市には、釜山、インチョン(仁川)モッポ(木浦)クンサン(群山)などがあり、商船は2121隻ある(1994年現在)。1969年に民営化された大韓航空(KAL)と、88年に就航したアシアナ航空は、いずれも国内路線と国際路線を運航している。

マスコミ

韓国のマスコミは1950年代以降、重要性をましてきた。現在の韓国におけるメディア業界の秩序は、80年に全斗煥(チョン・ドゥホアン)政権がおこなった言論統廃合措置の結果を反映している。

通信社は、1980年に統合された連合通信が事実上唯一の存在となっている。放送業界は、80年の統制によって公営放送KBS(韓国放送公社)が圧倒的な地位を占めたが、90年以降、放送界改革の一環として民間放送の積極的な拡大がはかられるようになった。93年現在、960万台のカラーテレビが正式に登録されているが、実質的には白黒テレビをふくめて1200万台のテレビが普及しているものと推定される。

日刊新聞は、代表的な全国紙「朝鮮日報」「東亜日報」をはじめ、20紙以上が発行されている。1980年の統制によって、地方では数多くの地方紙が廃刊においこまれた。現在では一時期よりも統制色がうすくなったとはいえ、新聞発行は、いまだに許可制である。

通貨と金融

通貨単位はウォン。発券銀行は韓国銀行である。

貿易

朝鮮戦争(195053)後、韓国の輸出は急激に拡大した。196580年の輸出額の伸びは年平均27.2%に達し、その後の8088年にも年平均14.7%と高い水準がつづいた。主要な輸入品は、工業機械、原油、石油製品、化学製品、輸送機械や、その他の原材料(木材、原綿など)、電気関係の部品類などである。おもな輸出品には、電気機器、繊維、通信機器、音響機器、電子回路、衣料品、船舶、自動車、化学製品、事務機器、靴などがある。

1995年の年間輸入額は1351億ドル、輸出額は1251億ドルに相当する。おもな輸出相手先は、アメリカ合衆国、日本、ドイツ、シンガポール、イギリス、カナダ、オーストラリアなど、おもな輸入相手先は、日本、アメリカ合衆国、ドイツ、サウジアラビア、オーストラリア、インドネシアなどである。

政治

韓国の憲法は、1948年に制憲国会が最初の憲法を採択して以来、9回の改憲をへて現在にいたっている。現行憲法は、全斗煥政権初期の80年に制定された第5共和国憲法にかわって、同政権末期87年の国民投票で承認されたもので、韓国の憲法としては歴史上もっとも民主的な内容をもつものとされている。

行政

行政権力は、直接選挙でえらばれる5年任期の大統領に属している。1987年憲法によって大統領の非常措置権発動には制約がくわえられ、議会の解散や公民権の停止はできないようになっている。大統領は、国会の同意をえて国務総理(首相)を任命し、みずからが議長となる国務会議(内閣)によって行政を執行する。

立法

立法権は一院制の国会にある。1996年の総選挙では、299議席のうち253議席は小選挙区制の直接選挙で選出された地方区議員が占め、残り46議席は各党の得票率に応じて比例配分された全国区議員が占めている。議員の任期は4年である。

司法

韓国の大法院(最高裁判所)は、長官をふくむ14名の裁判官によって構成されている。大法院の下には高等法院が、ソウル、大邱、光州、釜山、大田の5都市におかれている。民事、刑事とも、事件を最初にあつかうのは、おもだった都市に配置されている地方法院である。このほか独自の憲法裁判の制度があり、法律の合憲性の判断(ほかの裁判所からもとめられた場合)、裁判官の弾劾、政党への解散命令といった機能をはたしている。

地方行政

韓国は、「道」とよばれる地方行政区が9道、それと同格にあつかわれる都市が6市(ソウル特別市と、釜山、大邱、大田、光州、仁川の各広域市)ある。1961年の軍事クーデタによって地方自治制度が停止されて以来、それぞれの地方政府の長は大統領によって任命され、ソウル以外の主要都市は「直轄市」とよばれていた。地方自治は913月に部分的に復活し、956月には、道レベルをふくむ全面的な地方自治制度復活のための地方選挙がおこなわれ、道知事や広域自治体長をはじめ、市、郡、区長などがいっせいに選挙によってえらばれた。

政党

もっとも有力な政党は、金泳三(キム・ヨンサム)大統領を党総裁とする与党、新韓国党である。1990年、当時の盧泰愚(ノ・テウ)政権の与党、民主正義党(民正党)が、野党の新民主共和党(共和党)、統一民主党(民主党)と合流して民主自由党(民自党)が成立した。民自党は、一時は国会議席の3分の2以上を占めたが、923月の総選挙で過半数をわり、956月の地方選挙にも大敗を喫した。これを機に党改革の一環として12月に党名改称をおこない、新韓国党と称するようになった。

新韓国党は、19964月の総選挙では、議席をへらしながら139議席を確保する予想以上の健闘をみせた。野党第1党で、金大中(キム・デジュン)総裁がひきいているセ政治国民会議(国民会議。「セ」は「新しい」という意味であり新政治国民会議ともいう)は、959月に民主党からわかれるかたちで結成された「中道政党」である。964月の総選挙では79議席を獲得したが、金大中総裁は全国区で落選した。

国会のキャスティング・ボートをにぎる野党第2党、自由民主連合(自民連)は、民自党をはなれた金鐘泌(キム・ジョンピル)が19953月に結成した勢力で、964月の総選挙では50議席を獲得した。このほかの議会の勢力は、統合民主党が15議席、無所属が16議席となっている。

韓国の政党は、一般的に党首の出身地など特定の地域との結び付きが強く、全国的な政党でも、おもな地盤ははっきりしている。国政選挙でも地方選挙でも、新韓国党はキョンサン(慶尚)南・北道、国民会議はチョルラ(全羅)南・北道、自民連はチュンチョン(忠清)南・北道を拠点としている。

金大中 盧泰愚 金泳三

     

社会保障

1990年代初め、韓国にはおよそ42600人の医師と、99800床の病院のベッドがある。89年から国民医療保険制度の対象が全国民に拡大され、国民の99%以上が同制度を利用している。一方、包括的な社会保障制度の整備はおくれている。88年に導入された国民福祉年金制度への参加は任意となっている。また、公務員や軍人、私立学校関係者などには、一定の範囲で独自の退職年金、医療保険、労働災害保険などの制度がある。

国防

大統領は軍の最高司令官である。兵員総数は66万人(1996年)で、内訳は陸軍548000人、海軍6万人、空軍52000人となっている。1996年現在、韓国に駐留する米軍の兵員総数は35910人である。

 

 

歴史

大韓民国は、1948815日に建国を宣言した。この年の5月に、米軍の占領下、国連代表団の監視のもとで総選挙がおこなわれて制憲国会が成立し、国会は議員による間接選挙で、初代大統領に李承晩(イ・スンマン)をえらんだ。左翼はこの総選挙をボイコットしたので、国会の構成はきわめて反共色が強く、大統領もまた徹底した反共主義者だった。

李承晩と第2共和国

大韓民国の成立直後から、政府は左翼勢力に弾圧をくわえた。左翼の中には独自路線をとる者もあったが、多くは北朝鮮を支持していた。左翼の封じ込めはおおむね成功したが、一面ではこれが北朝鮮との対立をきびしくした。19506月に北朝鮮の南侵によって朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)した。北朝鮮が全面的攻撃を展開したこの戦争は、民衆生活から政治までを混乱におとしいれ、李承晩大統領は国会の支持をうしないはじめた。戦争中の52年、大統領は軍を動員して国会を屈服させ、大統領を国民の直接選挙でえらぶように憲法改正をおこない、再選された。

朝鮮戦争後の復興はなかなかすすまなかった。アメリカによる経済援助があったにもかかわらず、大統領は有効な経済開発政策をすすめることができなかった。1956年、60年と、李承晩は大統領に楽々と再選されたが、60年選挙における露骨な選挙結果の操作は全国的な反発をよび、いわゆる四月革命(学生革命)がおこった。大統領は427日に退陣し、翌月にはハワイに亡命した。

この後をうけ、権限が大幅に制限された大統領には尹O善(ユン・ポソン)、実権をもった国務総理には張勉(チャン・ミョン)が就任した。張国務総理の政権は自由化の方向でさまざまな分野の改革をすすめ、1960615日には民主的な憲法改正(第2共和国憲法)をおこなったが、経済は停滞しつづけた。社会の不安定化と、北との対話をもとめる学生たちのアジテーションに危機感をいだいた軍部は、61516日にクーデタをおこし、第2共和国は1年足らずで打倒された。

朴正煕の第3共和国

19621226日には、大統領に権力を集中させる憲法改正がおこなわれた(第3共和国憲法)。朴正煕(パク・チョンヒ)のひきいた軍部は、6310月まで軍政をしいたが、大統領選挙に朴が辛勝したのをうけて民政への移行がおこなわれた。

朴大統領は、学生らの広範な反対をおさえて1965年に日韓条約をむすび、賠償請求の放棄と引き換えに日本から経済援助をひきだした。その結果、条約締結後は日本からの資本導入がすすんだ。韓国はまた、ベトナム戦争(195975)の間、アメリカを支援する立場から実戦部隊や契約労働者をベトナムに派遣し、外貨を獲得した。こうした資金導入の結果、産業化と輸出の拡大が急激にすすんだ。

朴政権は、強権的な支配体制をきずいた。政治を支配した彼の民主共和党は、政治資金の操作を通じて反対勢力をおさえこんだ。さらに、韓国中央情報部(KCIA)が諜報(ちょうほう)活動や対北朝鮮工作にあたり、国内の反体制派を封じこめた。しかし、1971年の大統領選挙では野党・新民党の金大中が善戦し、政権は強い危機感をもった。

1972年になると、朴大統領は「維新体制」をとなえて戒厳令をしき、1227日には政権の事実上の恒久化を可能にする、いわゆる「維新憲法」を公布した(第4共和国憲法)。憲法改正後の数カ月に、さまざまな緊急措置によって市民の自由は制約され、敵対する政治勢力は排除された。こうした中で、73年には金大中事件がおきた。強権的支配のもとで、積極的な産業政策が推進されて経済はめざましい成長をとげ、韓国製品は西側世界市場を席巻(せっけん)したが、朴政権に対する不満は、しだいに高まっていった。

全斗煥

1979年、釜山や馬山で大規模なデモが暴力的に鎮圧される事態が生じた。緊張した情勢下にあった1027日、朴大統領は側近のKCIA部長金載圭(キム・ジェギュ)によって暗殺され、ふたたび政治の激変期がはじまった。朴大統領の死をうけて国務総理崔圭夏(チェ・ギュハ)が大統領となったが、戒厳司令部合同捜査本部長全斗煥将軍が、ほどなく実権をにぎるようになった。同年12月、全将軍は粛軍クーデタによって軍部を完全に掌握し、民主化への動きを封じた。

1980517日に全将軍は非常戒厳令を発し、金大中、金鍾泌ら有力政治家を拘束、翌1827日の光州事件では軍を動員した徹底的な弾圧をおこなった。軍部の圧力の前に崔大統領は辞任し、全斗煥は同年827日に大統領に選出された。1027日には、大統領の任期を7年とするなど大幅な改変をもりこみながらも、維新憲法的な色彩をのこした憲法改正案が国民投票によって採択された(第5共和国憲法)。

全大統領の政権は、1988年の夏季オリンピック大会の招致によって外交的成功をおさめた。また、83年に日本の中曽根康弘首相がソウルを訪問し、8286年の経済開発5カ年計画への支援として40億ドルにのぼる対韓経済協力を提供したことも、全政権の外交的成果だった。

198391日早朝、ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空機がソ連領内に侵入、ソ連側の戦闘機に撃墜され、乗客240人と乗員29人が全員死亡した。韓国政府はソ連政府に公式謝罪をもとめ、街頭では大規模なデモがおこなわれた。ソ連は大韓航空機がスパイ活動をおこなっていたと主張した。9210月になってロシアのエリツィン大統領が明らかにしたKGBの資料からは、韓国側の主張に正当性のあったことが読みとれる。

一方、朝鮮半島の南北関係は1960年代後半以来、何度か緊張をくりかえしたが、80年代初めにも、さまざまな事件があった。83109日には、ビルマ(現ミャンマー)を公式訪問中の全斗煥大統領をねらって北朝鮮の工作員がしかけた爆弾が、ラングーン(現ヤンゴン)のアウンサン廟(びょう)で爆発し、韓国の閣僚4人、ほかの韓国人13人をふくむ21人が犠牲となった。南北関係は80年代半ばには好転し、85年には朝鮮戦争以来、南北にわかれてくらすことになった離散家族の、相互訪問の道が開かれた。849月、全斗煥は、韓国大統領としてはじめて日本を公式訪問した。

盧泰愚政権

1987年には、各地で民主化をもとめる運動がもりあがり、ついに6月には与党の民主正義党(民正党)の盧泰愚代表委員が、民主化政策への転換による事態収拾を全斗煥大統領にもとめる事態にいたった。このため全大統領も、大統領の直接選挙制への移行をふくむ民主化への譲歩をせざるをえなくなった。同年12月におこなわれた大統領選挙では、野党側の候補者が一本化せず、与党がおした軍部出身の盧泰愚が、36.6%の得票率ながら当選をはたした。

19902月、盧泰愚政権は政権基盤安定のため、野党である金泳三の民主党と金鐘泌の共和党に譲歩して、両党と民正党を合併し、議会の3分の2以上の議席を占める強力な与党、民主自由党(民自党)を結成した。内政の安定を背景に、盧政権は積極的な外交を展開した。6月のゴルバチョフソ連大統領との初の韓ソ首脳会談をへて、9月にはソ連と国交をむすんだ。また同月、初の南北首相会談を実現させ、919月の国連への南北同時加盟へ道を開き、922月には「南北間の和解と不可侵及び交流・協力に関する合意書」と「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」の調印にこぎつけた。

19921月には、日本の宮沢喜一首相が訪韓し、植民地支配に対して公式に謝罪した。しかし、このようなめざましい外交成果にもかかわらず、同年3月の総選挙で、民自党は最多議席を確保したものの過半数を1議席したまわり、政局はふたたび流動化した。こうした中で金泳三が民自党の大統領候補となり、12月の大統領選挙では42%の得票率で当選した。得票が33.8%にとどまった金大中候補は、政界引退を表明した。

金泳三政権

19932月に32年ぶりの文民大統領となった金泳三は、国民の支持を獲得すべく、「韓国病」克服を旗印に、各方面における不正腐敗の一掃に手をつけはじめた。官界、軍部、経済界などを対象とした綱紀粛正によって、金政権は国民から一定の支持はえたものの、大統領府の独走に対する批判もあった。956月の地方選挙では、野党の民主党が全羅南・北道を中心に、自由民主連合(自民連)が忠清南・北道を中心に躍進した。金大中は地方選挙を機に、金泳三政権に失望したとして政界へ復帰し、セ政治国民会議(国民会議)を結成した。

一方、一連の不正行為の摘発はその後もすすみ、1995年冬から96年の春にかけて、盧泰愚前大統領や、現代グループの代表鄭周永(チョン・ジュヨン)をはじめとする経済界の大物、さらには金泳三大統領の側近など、多数が逮捕、起訴されるまでになった。この間、9512月には、粛軍クーデタ(197912月)の責任を追及するとして、全斗煥元大統領が逮捕された。964月の総選挙では、与党の新韓国党が議席をへらして過半数をわりながらも、事前の予想よりは善戦し、政権の安定感は強まった。

19969月、カンウォン(江原)道カンヌン(江陵)の海辺で、座礁した北朝鮮の潜水艦が発見された。国防省は武装ゲリラが侵入したとみて大規模な掃討作戦をおこない、銃撃戦で多くの北朝鮮兵士を射殺。金大統領は北朝鮮に謝罪を要求し、国会も対北非難決議を採択した。一方、北朝鮮からの亡命者もめだち、972月には最高級幹部の黄長Y(ファン・ジャンヨブ)労働党書記がペキン(北京)の韓国領事館に亡命を申請、4月に韓国入りした。

 

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