社会調査の企画・立案
4つの班にわかれてそれぞれで質問項目を作り、それをまとめるかたちで調査票を作る。
質問項目を作る際に用いられる手法が次元細分法。のちのち論理的な結果を導くためだ。
さてさて、どんな質問が飛び出すのやら。
それぞれの班ごとのメンバーを掲載してもいいのですが、めんどうなので班長のみを書いておきます。
1班:小柳津心介くん
2班:藤後賢太郎氏
3班:常松雄大さん
4班:松井理恵さん
質問の出来いかんは彼らの統率力と手腕にかかっていると言っても過言ではないでしょう。
ちなみに僕は2班の班長です。わざわざ暴露することもないか。
で、班ごとで質問項目を作る作業に入ります。
他の班の事情はよくわからないのですが、われらが2班においてはなにを聞きたいのかという段階であっちいったりこっちいったりふらふらしてしまいました。なにも出てこないというよりはマシなのですが、いつもひっかかるのは「そんなものが韓国にあるのだろうか」という失礼な問題にブチ当たってしまうわけです。
公共事業について知りたい、どうやって人間関係を形成・維持するのかを知りたい、人と自然とのかかわりを知りたい、とその辺を集めてきた結果、韓国の公園について調べようじゃないかと決まりました。
「韓国にも公園デビューはあるのだろうか」といったなさけない疑問から始まっていますが、公園についていろいろ学んでいくにしたがって、公園は社会学的におもしろいスペースであることを徐々に認識してきました。
そこで、もっともっと疑問をつめていく作業に入るわけですが、なんせ僕が班長の班。そんなにスムーズにことが決まるはずがない。よけいな話ばかりをしているもので、ぜんぜん進まない。もちろんうだうだ考えて暗くなるよりもいいのですが、4つの班のなかでずっと笑ってばかりいるのはうちだけではないだろうか。まあ、「公園」がテーマだけに気楽なもんなんです。
となると、気になるのが他の班はなにを調べようとしているのかということ。
漏れ聞くところを集めてみると・・・、
1班:韓国のゴミ問題
3班:歴史的環境
4班:家庭生活レヴェルにおける環境にやさしいライフスタイル
おおっ!みんな真面目だ。
しかも鳥越先生の要求通りにちゃんと「環境」を中心テーマにすえているじゃないか。
えー、それに比べてうちの班は「環境」はあとまわしでやりたいことだけをあげていったもので。
まあ、それはともかく、他の班は順調にやってるみたいですね。
世間話もほどほどにして、「公園」に関してもっと具体的な関心をあげてみることに。
そもそも公園デビューという日本の都市部独特の近所づきあいが韓国ではどんなんだろう、そんなもんないだろう、いやいやもっと日本にはないような人間関係が韓国の公園ではあるかもしれない。そんなふうに関心はいつも人間関係にむかっていく。「環境」からは離れてしまうけど、まあ社会学なのだから人間を考えないわけにはいかない。なんとなればこじつけの力技で「環境」にもっていく。
というわけで、我が班の具体的なテーマは「韓国の公園に於ける人間関係」
今思いついたが、そのような人間関係を形成する仕掛けとしての空間形成、ひいては自然・景観の形成というのは環境につながらないだろうか。あと環境社会学特有のコモンズの議論でも公園は語られる。ともあれ、やってみなければわからない。
ちょっとは社会調査らしいことをするために、むかしとったきねづかというやつで、アイデアをだすための手法のひとつ、KJ法を実行する。
とりあえず今週はここで終わりました。
KJ法の結果は用紙が手元にないので掲載できませんが、僕の書いたのでは「休日と平日」とか「夜の公園」とか「仕掛け」とかあんまり役に立ちそうじゃなかったです。どうしたものか。
6月8日
先週のもりあがりはいったいどこにいってしまったのか。次元細分、質問文を作る段になっていきなりいきづまる。まず誰も宿題として課したはずの次元細分をやってこない。えらそうにいっても僕自身もやっていない。そもそも「人間関係」だけに限定したのが失敗だったか。もう苦しんで苦しんで難産の末に二三の次元細分と質問を繰り出す。
いったい僕らは公園のなにが知りたいんだ!?そこから問い直す必要がありそうだ。
そもそも韓国の公園に関する情報が少ないというのもネックだ。調査しようとしている対象が見えていないのだから。そうはいっても、ネット上でも公園に関する情報なんてない。本とかでも紹介される公園といえば、欧米特にイギリスのものばかりだ。概してというかまったくアジアの公園なんてものが語られることはない。開き直れば、だからこそ調査のしがいがあるとも言えるのだ。政府による調査やルポなんかで載ってるようなものをわざわざ調査しに行く必要なんてないと思う。いや、別に他の班に言ってるわけじゃないよ。自分たちの班に対する戒め兼はげましとして。
そういう意味ではたいして目新しい質問をだそうとする必要はないのかもしれない。日本にも言えるようなことをつらつらとならべてみて、それが韓国ではどうとらえられるかと言うことを質問すればいいんじゃないか。結果として、日本と同じような結果になったら、まあたいしておもしろくもないけどそういうことだったと報告すればいいわけだし、ぜんぜん日本と違ってたらそれこそいい発見になる。
というわけで、僕自身の公園体験から考えてみよう。
現在在住しているつくば市は一人あたりの公園面積日本一をほこりながらも僕はその利益を享受しているようには思えない。それでも散歩とかは好むほうなので、日曜日天気のいい日ならふらふら文庫本をもってでかける。せまいアパートからの脱出というのがメインの理由かもしれない。気分転換。すくなくとも人間関係を求めるわけでもなく、むしろ知ってる人が公園にいたら他の公園に行く。自然や景観を楽しむというようなことをしているようには思えない。一度みたら飽きてしまうからだ。季節の変わり目とかはちゃんとみるけど。また、公園の雰囲気は結構スキ。あのなんともいえない、そこだけ次元がかわったような空気がかわったような。やすらぎとか憩いといったことばはこの辺から見いだされるように思う。
つまり、僕は公園を自分のアパートの延長としてのオープンスペースとしてみなしている。ひとりでいたいということには変わりないが、公園に行くかぎりはそこにそれなりの雰囲気を求めている。
ところで僕は、日本で一番散歩や公園散策のしがいがあると思われる京都に住んでいたこともある。しかも京都御所の真横のアパートに住んでいたりして、夏の熱帯夜は御所に避難したものだ。それはともかく、僕の京都に於ける公園体験はまさしく自然・景観を楽しむということであり、人間関係を求めるということである(ちっちゃな公園でも)。つまり、現在とはまったく逆の公園利用をしていたことになる。これは公園の特性によるものなのだろうか。たしかに京都の公園は国立、国定が多く、整備管理が行き届いている。だが、それ以前にこちらの気のもちようも違っていたような気がする。公園に求めるものが違っていたというか。
なんというか、公園は訪れる人の生活や心理をうつしだすのではないか。このとき「公園には行かない」という答えだって十分その人の公園に対する行動と言えるだろう。さらに世代によって公園の利用の仕方がちがうということは心理学的にも社会学的にも興味深いテーマである。
もちろん、これらは僕自身の体験に基づくものであって、すべての人に言えるとは思っていないし、ましてや異国の韓国でこんな甘ったれた状況があるのかどうかも疑わしい。それでも一応「ある」と仮定しようじゃないか。公園を通して、韓国の人々の生活を知る。
つかれた。作った質問項目はまた次回。
つづく。