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 昨年一二月二五日から一月九日にかけて、「第三一回釜ヶ崎越冬闘争」が同実行委員会により行われた。釜ヶ崎とは大阪市西成区に存在する日雇い労働者の町=「寄せ場」であり、行政からは「あいりん地区」と呼ばれている。越冬闘争では、釜ヶ崎の野宿労働者や支援者の手によって、医療活動やパトロール、炊き出しといった多様な取り組みが行われ、関大からも学生有志が参加した。

 釜ヶ崎とは
 釜ヶ崎は、安価な労働力の確保という国・資本の要請から、戦前・戦後を通じて政策的・構造的に形成されてきた、全国でも最大規模の寄せ場である。
 国・資本は日雇い労働者を、多くの労働力を必要とする好況時には低賃金・長時間労働に従事する「便利な」労働力として利用し、不況時には余剰労働力として真っ先に「切り捨てる」対象としてきた。つまり日雇い労働者は国・資本によって、「日本経済の安全弁」として扱われてきたのである。そして釜ヶ崎をはじめとする全国の寄せ場は、資本にとって「便利な」労働力をストックする場所として位置づけられてきたのだ。

釜ヶ崎、労働者・野宿者のおかれた現状
 バブル崩壊以降長期化する不況は、日本社会に就労構造の変化をもたらした。「終身雇用制の解体」「契約社員・パート化」が広がり、全社会的にリストラが進行し、雇用情勢は悪化の一途を辿っている。
 そうした全社会的な雇用情勢悪化のしわ寄せは、これまでも社会の最底辺におかれていた寄せ場の日雇い労働者たちに真っ先に襲いかかっている。
 釜ヶ崎においては労働者全体の高齢化が進む中で(平均年齢五〇歳以上)、高齢の労働者やケガ・病気・「障害」を抱える労働者は益々その日雇い労働市場から排除されるようになってきており、これまで以上に野宿生活を余儀なくされる人々が増大している。
 その結果、多くの野宿者が釜ヶ崎外に流出し、大阪キタや長居公園・大阪城公園周辺でもたくさんの野宿者が生活している情況である。
 また、暴行・放火など若者による野宿者襲撃が頻発している。他にも差別的・暴力的対応を繰り返す警察や、ろくな診療も行わない病院など野宿者を取り巻く情況は極めて厳しい。
 そうした厳しい情況におかれている野宿労働者に対して、行政は何ら効力ある方策を行っていない。逆に行政の野宿労働者に対する差別的な対応によって、多くの野宿労働者が失業保険や生活保護などの社会保障の対象から排除されている状態である。まさに行政・資本によって、野宿労働者の生存権さえ奪い取る「棄民」政策が進められていると言えよう。
 また、年末年始は釜ヶ崎においてさらに求人が激減する時期で、その結果仕事に就けず野宿せざるを得ない労働者がさらに増えることになる。中には厳しい寒さに襲われ、寒空の下で命を奪われる労働者もいる。
 そうした厳しい冬を、一人の「野垂れ死に」も出すことなく乗り越えていこうと、毎年労働者と支援者の手によって越冬闘争が行われているのである。

 釜ヶ崎の野宿労働者とともに
 越冬闘争に参加し釜ヶ崎の厳しい現実に触れた時、私たちは否応なしに「棄民化」を進める現代社会の残酷性を見せつけられる。と同時に自らの存在がいかに「特権」的なものであり、釜ヶ崎の野宿労働者を踏み付けることで成り立っていることに気付かされるだろう。
 国・資本は、野宿労働者を自らの都合で切り捨てる一方で、大学を自らに都合良く奉仕する人材を効率的に排出するものとして位置づけ、再編してきている。そうした差別・選別の教育体制の中で、学生はいわば「特権的」存在としてあるのだ。つまり私たちは、釜ヶ崎労働者に無関心にいられても無関係でいられないのである。
 私たちは、このような現在の社会―大学のあり方を問い直し、野宿生活を余儀なくされている労働者と共に社会を創っていかなければならない。

(うの そらかず)