就活に(おそらく)欠かせない自己分析…。履歴書・エントリーシートや面接のため、またどの企業にアプローチするかを考える際にも自己分析はとても重要。と、実感しています!自分のことを分析するなんて、すごく難しい。分析すること自体が難しいというよりはそれを言葉にしていく過程が難しいなぁって思います。これまでの自分を振り返って、決して何も頑張ってこなかった訳ではないし、適当に生きてきたわけでもないけど、いざ自分って何?って考えるとなかなかまとまらないんですよね。振り返ること自体は楽しいんですけどネ。なので、自己分析とういうよりはただ、思い出を振り返っただけという感じですが…。
中学校: キーワード<感謝すべき先生、大好きなクラブ活動、委員としての活動>
中学校はとにかく、楽しかったね〜!学校が大好きで、風邪をひいても休みたくなかったなぁ。
中学ではクラス委員とか文化祭委員とか色々やってました。放課後はほとんど、そういった活動をしているか、クラブをしているかのどっちかだった。放課後に残って、体育祭に使うクラス旗を作ったり(もちろんホワイトは色ぬりのみ、絵の才能は…0に限りなく近いので…)、文化祭で歌う歌の歌詞をおっきい紙に書いたり、劇の衣装を作ったり、、、結構、楽しかった!この頃から、みんなのためになにかやるとかみんなと一緒に何かやる、っていうのが好きでした。それこそ、目立たない、影で頑張るタイプだったと思います。
今思えば、中学校2年生の時の担任の先生が一番記憶に残るというか、たぶん一番感謝すべき先生だったなって思います。その先生はホワイトに「あなたを見ていると安心する。あなたらしさを大切にしてね」って言ってもらってました。中学校の時は、職員室の前を通るたびに話しかけられたり、「見てて安心」とか言われるのが何でか分かんなくて、「あなたらしさ」と言われてもあたしらしさって何?とりあえず、そうなんだ〜、ぐらいに思っていました。(たぶん。。。)でも、今はその先生に毎日提出していた日記などを見て、「あ〜、たぶんこんなにもあたしに関心もってくれた先生っていなかったなぁ」って思いました。そういう意味ですごく感謝しなくちゃいけないって思います。そういえば、その日記で、「あなたらしさ」ってどんなとこですか?って質問してて、「自分の考えを持ち、心根のところで芯がある人です。自分の価値観をしっかり持って歩んで!」という風に書いてありました。そんなに立派な中学生ではなかったんだけど、今、この言葉を大切にしたいって思います。
クラブ活動ではソフトテニスをやってました!クラブが大好きで、放課後ももちろん、土日の練習は本来午前中で終わりなのに、それだけでは物足りず、午後は試合形式の練習などを勝手にやってました。ぜんぜん強くなかったし、先生もあんまり指導してくれなかったけど、とにかく楽しんでました!部員の数が多くなかったので、試合にも出させてもらえました☆頑張ったというよりも、楽しいから夢中になってやってた、という感じでした。
中学校はとにかく楽しい思い出ができたいい時期でした。それと同時にますます目立たないサポート役に徹し始めた時期でもあるかもしれません。それは自分にとって楽な位置であると同時にそんな自分に劣等感も感じることが多くなっていたと思います。
高校: キーワード<テニス・テニス・テニス...、涙、自分の居場所、苦悩>
高校時代を語るキーワードは、クラブ活動のソフトテニスしかありません!!とにかく、クラブ漬けの毎日でした。それは、中学校のような楽しい、ほのぼのとしたものとはかけ離れたツライ毎日でした。ソフトテニス部に入った理由は、中学校の時にテニスをやっていたから、ただそれだけでした。そして、仮入部で見た先輩があまりにもかっこよくて(女の先輩です)、自分もあんなふうに、、と憧れを持って入りました。入部した時は同級生は20人くらいいました。マネージャーも3人いました。しかし、最終的には同級生は私を含めて2人、マネージャーも全員いなくなりました。みんながこんなにも次々と辞めていった理由は、顧問の先生の厳しさにありました。もちろん、毎日毎日の練習による身体的なきつさもあったけど、それより私たちを苦しめたのは精神的なきつさでした。
・練習−−−練習がきついのはやっぱり夏。炎天下での練習はつらかったね・・・。夏の合宿も忘れがたい思い出です。そして、日焼けもすごかった…。日焼け止めなんてムダ!一応塗ってたけど、汗がすごいのですぐとれちゃいます。なので、テニス部は一目で分かるほど全員真っ黒でした。あと、クラブのおかげでマラソン大会では上位に入れるようになりました。(小学校の頃はかなり後ろ〜の方を走ってました…。(汗))
・涙−−−顧問の先生には、とにかく毎日怒られてばっかりでした。特に、私たちの代は先輩たちのように強くなかったし、私は中学校の時は楽しくしかテニスをやってこなかったので、怒られるたびに「自分はなんてダメな選手なんだろう。」って思ってました。毎日ボロボロに言われていると、自分がダメな人間に思えてくるんです。いつも泣いてばかり。。。時には、夕方の練習で怒られて先生が帰ってしまい、翌日朝、部員全員で職員室の前で先生を待っていたけど許してもらえず、職員室の前でみんなで泣いていたこともありました。その時は、さすがに職員室前で団体で泣いている異様な光景に他の先生に「どうしたの?大丈夫?」と聞かれましたね。何も言いませんでしたが。うれし涙を流した記憶はないかなあ。うれしいことも楽しいこともそれなりにたくさんあったけど、優勝でもしない限り、うれし涙は流せないものなんですかね。うれし涙って流してみたいですね。
・逃げ道−−−よく試合の後に「お前は逃げ道をつくってる」と言われていました。その時は、一生懸命やってるのにどうしてそんなことばっかり言われるんだろう。どういう意味なんだろう。って思ってました。でも最近、思います。私は、「負けちゃったけど、一生懸命やったから仕方ない・・・」と思っていたと思います。そう思うことで、「負けた」というしんどさから自分を守っていたと思います。団体戦の時には「お前のせいで負けた」などと言われたこともあったし、果たせなかった責任にちゃんと向き合わず、逃げていたのだと思います。
・学んだこと−−−とにかく、しんどかった毎日、とても書ききれないことがたくさんありました。その中で、勉強になったこと、強くなれたこと、もたくさんありました。「つらい時が一生続くわけじゃない、だから今、頑張らなくちゃ」、「何をやる時も必ず、目標を持ってやること(練習をするときは毎日一つ目標を決めてそれだけはかならず達成できるようにします)」、「2回同じ失敗をしない。するなら違う失敗をする」。
・支える−−−そして、「心から人のつらさに触れる」という体験も出来ました。私は、副部長でしたが(3年生が2人しかいなかったので当たり前だけど)、プレーは強くありませでした。ホワイトはプレーの面では部長に引っ張っていってもらい、精神的な面で後輩たちを支えたいと思っていました。後輩たちの悩みはどれも痛いほど身にしみて分かります。でも、結局その痛みは自分で解決しなければいけないし、そのつらさから助けてあげたくても何もしてあげられないという悩みをもつこともありました。
・自分の居場所−−−みんなが辞めていく中、どうして私はやめなかったか、それはソフトテニス部が自分の居場所だと思ったから。プレーの面ではたいしたことは出来なかったけど、自分が一定の役割と果たして、頼りにしてもらえたからだと思います。でも、時々それはいい訳だとも思います。なぜ、やめなかったか。それはただ、やめられなかったから、だとも思うのです。私は「やめます」っていう勇気がなかっただけじゃないかと。時の流れに身を任せる、長いものには巻かれろ、私の優柔不断さと八方美人さのせいだったと思います。「続ける」のも大変だけど、「辞める」のも勇気がいることです。私にはその勇気がありませんでした。私には、何かを大きく動かしたり、変えたりする力が欠けていて、常に平和な状態を保ちたいという気持ちが働いていました。
・今思うこと−−−結局、最後までやったテニス。やり抜いて良かったなとも思うし、精神的な余裕をなくしていたり、自分の弱さを思い知らされたつらい思い出でもあります。それでも、最後までやり抜けたこと、そして後輩たちが私を頼ってくれたことにすごく感謝しています。「くじけない先輩が好き」そう言ってもらえた自分に頑張ったって言ってあげてもいいかなって思えます。同じつらさを共有し、一緒に頑張り乗り越えられた仲間に会えたことは幸せなことでした。
・楽しかったこと−−−楽しかったのはコート整備のために、コートを耕していた時にやったおにごっこ!あの狭いコートの中で、やるので激しく逃げ回らないとすぐ捕まります。でも、こけても平気!土はふかふかなので痛くなかったですヨ♪あと、練習終わった後にマクドナルドやガストに行くのが楽しみでしたね〜!
うれしかったこと−−−最後の地区大会の個人戦でいい試合が出来たこと。最後の県大会の団体戦でベスト8という一番いい成績が残せたこと。(とはいっても、先輩は地区大会では優勝、県大会でもベスト4に入るような人たちだったので、手放しには喜べない成績なんだけどね)
大学: