
| 備中松山城について | |
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備中松山城は、日本の三大山城(備中松山 城・大和高取城・美濃岩村城)に数えられま す。当時のままの姿で残っている城はこの備 中松山城だけです。そして、山城の中では日 本で一番高い標高にあります。高梁市街地の 北側にそびえる臥牛山(標高約480m)の山 頂付近にあります。 天然の巨石を天守台として利用し、木造本 瓦葺き2層2階建ての天守閣になっています。 天守には岩石落としの仕掛けや篭城に備えた 石造りの囲炉裏、装束の間などの手の込んだ 造りがあります。 |
| 備中松山城の歴史について | |
| この城の歴史は古いです。鎌倉時代の延応 2年(1240年)に承久の乱の功によって有漢 郷(現在の上房郡有漢町)の秋庭三郎重信氏 により高梁川沿いの臥牛山のうちの大松山に 砦が築かれました。 南北朝時代に高橋宗康氏が小松山に築城 しました。 室町時代の最後の城主となった三村元親氏 が、天正3年(1575)に毛利輝元に攻められて 滅びました。 関ケ原の合戦後、備中国は徳川氏の直轄 領となって奉行の小堀正次氏が治めました。 明治までにいろいろな人が治めました。 |
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| 現在の備中松山城について | |
| 明治以降も城内には天守、二重櫓、土塀の一部が現存していて、、昭和16年には国宝(昭 和25年文化財保護法の制定により重要文化財)の指定を受けています。また、平成6年度 からはこれら重要文化財を中心に、本丸の復元整備が行われており、本丸の正面玄関ともい える本丸南御門をはじめ、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀などが史 実にもとづいて復元されています。 実際に行ってみると、ふいご峠という場所までは車で行けます。その後は自分で登山です。 すごく大変な山道を登りました。途中で高梁市が一望出来ました。とても綺麗でした。登山道 には面白い看板がたくさんありました(城のお殿様の言葉?)。こんな高い場所に城を作るの は大変だったでしょうね。 |
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| その他について | |
| 今、城が工事中なので天守閣には入れませんけど、入城無料ですよ。 | |