独り言

  議題  

人はなぜ、駄目と言われると余計にそのことをしたくなるのはなぜだろう?

最初に述べておきますが、これは心理学などに学問に基づいたことを書くわけではありません。

 まず、これは言うほうにも問題はある。

 駄目とばかり言えば、なぜ駄目なのかを説明する必要がある。

 駄目駄目というと、そのことをやるとどうなるのだろうという好奇心が沸いてくる。

 大体、いくら論理的に説明されても結局どうなるのかということはわからない。

 つまり、経験してみなきゃわからない。つまり痛い目に遭わなきゃわからないってことだ。

 例えば、暴力についてとりあげてみよう。暴力はいけませんと親から言われてもなぜいけないのかわからない。

 その後、友達などを殴ったりしたあとにどうなるかがわかるのである。

 きれると言う言葉が用いられるようになっているが、きれても節度のあるところまでで止められる人と、

 行くところまでいってしまう(殺し)人に分かれる。

 殺しまでいってしまう人は、人を殴ったことがないか、病的な人、あとはただ感情が理性を完全にしのいでしまった。

 というように説明できる。

 だからといって、経験すれば何でも思慮分別がつくと言いたいわけではない。

 そうなると、人殺しをしろというように間違って捉えられる可能性もあるので、殺人を否定する理由を述べよう。

 なぜ人を殺してはいけないのか。

 万人に聞くとするならば大体次の答えが返ってくるはずだ。

 常識だから。 法律でそう定められているから・・・・と。

 はっきり言ってこれ以外に完璧に答えられるひとはあまりいないだろう。

 なぜなら、あまり考えないからだ。

 つまり、人は殺してはいけないと既に決まり文句のように覚えていて、論理的な説明はできないのだ。

 だから逆に、なぜ人を殺してはいけないのかと言う発言をした人に対して、その人の生まれた環境とか

 精神状態がおかしいとかいうような変な理由をつけたがるのだ。とくに、それはマスコミに言える。

 つまり、そのようなことばかり言って核心に触れることができないのである。

 なぜ人を殺してはいけないか?それは法律とか決まりごとを排除して考えるべき問題だ。

 一つにこう考えられる。人間が共存するため。確かにそのとおりである。

 もし、人殺しを認めたら、共存はできない。共存するためのものとして法律がある。

 つまり、一人殺せば、殺された人の親族が逆恨みしてその人を殺し、今度は殺された人の親族が殺した人を恨む。

 といったように、人間が動物のようになってしまう。

 正直言って、人を殺してはいけない理由を明確に述べるのは非常に難しいし、危険なことでもある。

 私は、明確な答えをまだ出すことはできない。

 ただ、殺人を認めないのは人が野獣となるのを防ぐためであることは間違いない。

 『生は死を超越したものであり、死は生を超越するものではない。』

 そこに、人を殺してはいけないヒントがあるような気がする。