『やさしさと涙』

−1−

「そおいうやさしさって本当のやさしさじゃないと思う。」
私は電話口でそう言い切った。
受話器の向こうでイーボが適当な言葉を探しているだろうことは容易に予測がついた。こおいうとき、イーボは文句なしに的確なコメントをしてくれる。だから、私は暫く黙っていた。そして、ゆっくり、考えながらイーボが話し始めた。
「うん。確かにケンヂの行動は本当のやさしさではないかもしれない。本当のやさしさというのがその場だけでなくその人の全体、過去も未来も含めた全体を考えていることだとすると、その人にとって何が一番必要かを真剣に考えて行動することが本当のやさしさと言うことができる。その意味でいけば、ケンヂがただ傷つけないためだけにハナちゃんに優しい態度をとったのは本当のやさしさとは言えない。」
そこまで言ってケンヂが一息ついたのを逃さずに、私は同意の意を示した。
「でしょ!?本当にハナちゃんのこと考えたらあんな態度はとらないよ。絶対。」
「うん、そうだね。でもね、現実は、自分を護るために相手を傷つけないような、そして自分が傷つかないような、そんなやさしさだらけだよ。実際そうしなければ現実を生きていくのは難しいし。だから僕はケンヂだけを責められない。」
キタ。
いつもここぞというところをケンヂは外さない。そして、私はこおいうときいつも言葉を失う。


−2−

私はケンヂの浮気を知っていた。
ケンヂとイーボと私は同じ高校出身で、大学に入ってからも専攻が同じということでなんだかんだと腐れ縁を続けてきた。ハナちゃんは私が大学に入って最初にできた友人で、ケンヂとは私の仲介で付き合うようになった。もう2年が経つ。
私がケンヂの浮気を知ったのは一月前。世間話の合間にケンヂがさり気なくほのめかしてきた。どうしていいか分からない、とつぶやいていたのを私はよく覚えている。そしてケンヂは、自分でケリをつけるからそれまで何もしないでほしいと言った。だから私は本当に何もしなかった。
しかし、本当にケンヂとハナちゃんのことを考えていたなら、私にできた何かをすべきだった。そうすれば、ハナちゃんがいきなり浮気現場を見ることもなかったかもしれない。今となっては負け犬の遠吠えに過ぎないが。
けっきょく私も一過性のやさしさに溺れているのだ。イーボは本当に痛いところをつく。


−3−

次の日、私はイーボに自分もケンヂを責められないということを述べた。別に敢えて言う必要もなかったが、言わなければなんだか自分が偽善者になってしまうような気がした。しかも、私はそれだけでは終わらせなかった。
「でもさ、私にはどうしても、人間みんなが一過性のやさしさしか持ち合わせていないとは思えないんだよね。私だって本当のやさしさを考えて行動することあるような気がする。」
「そりゃそうだよ。僕だってそう。人はみんな両方のやさしさを併せ持ってるんじゃない?相手や状況やそのときの自分の状態で変わるんじゃないかなぁ。まぁ、常に一過性のやさしさしか示さない人もいるかもしれないけど。」
「うん。そうね。でも、そおいう人、ちょっと悲しいわね。」
私はイーボが頷くのをまち、しかし、イーボは私の言葉には頷かず
「うーん。僕は逆に羨ましいなぁ。そおいう人。」
と、つぶやいた。
そのとき私にはイーボの言っている意味が分からなかった。それが分かるようになったのはもっとずっと後になってからだった。


−4−

ある日、私はイーボのことが好きなのだという重要な事実に気がついた。そして、気づいたのと同時にイーボに彼女ができた。もちろん、私ではない。
イーボは先手を取った。私は完全に出遅れた。イーボはいつでもそうだ。私に真実を伝える暇を与えない。ぬかりないのはイーボのやさしさなのか。私は未だに分からない。
「私、イーボのこと好きだったのよ。」
「うん、知ってたよ。」
「知ってて彼女ができたって私に言うのね。」
「うん。」
「私が今どれだけ苦しいかわかる?」
「さぁ。分からない。けど、キーリにははっきり言うのが本当のやさしさだと思ったんだ。」
私は一瞬ドキッとした。そして無性に腹が立ってきた。そんなことは私が一番よく知っている。
そして私はイーボの横っ面をひっぱたいた。イーボはただ黙って私を見つめていた。瞬きもせずにただ私を見つめていた。私にはその沈黙が拷問のように感じられた。イーボは悪くない。全てはなるべくしてなったのだということが、沈黙の中から刻々と明らかになっていくようだった。
私は泣いた。それでもイーボは沈黙を守ったままだった。私は一通り泣いた後言った。
「イーボ、あなたは本当にやさしい。」


−5−

私の一見矛盾している言葉を聞いた後、イーボはやっと口を開いた。
「いや、そんなことないよ。僕は今キーリを傷つけている。キーリを泣かせてる。僕はただ自分を守っているだけだよ。ケンヂと同じ。一過性のやさしさで自分を守っているんだ。」
「そんなこと言わないで。それ言われたら私がイーボの中で一過性の存在だってこと認めなくちゃならなくなるでしょ。」
再び沈黙が続く。私はまだ泣いていた。もう顔はボロボロだった。
次に口を開いたのは意外にもイーボだった。
「けっきょく、一番やさしいのはキーリだよ。だからキーリが一番強い。一緒にいて悲しくなるくらい強い。でも僕にはそのやさしさが辛いんだよ。」
私は何も言えなかった。
何が言えるというのだ。何を言えというのだ。
私はやさしくない。私は強くない。私は・・・・・
「本当のやさしさが人を辛くさせるようなやさしさなら、私そんなのいらない。」
私はイーボにそう言って、また泣いた。
その後、結局イーボは沈黙を守った。私は涙を守った。沈黙はイーボのやさしさなのか。私は未だに分からない。


−6−

全てが終わったあと、私はあることに気がついた。
私が本当にやさしいのであれば、本当のやさしさには涙がともなう。
私のやさしさが本当であれば、本当のやさしさとは人を苦しめもする。
だから、イーボは一過性のやさしさが羨ましいと言ったのだ。
だから、イーボは私は強いと言ったのだ。

しかし、だから、なんだというのだ。
本当のやさしさも、一過性のやさしさも、今の私を救いはしない。


私を救うのはただ、涙だけだ。






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