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「学級崩壊とたのしい授業を考える会」熊本・水前寺共済会館 1999.5.2
学級崩壊なんてラ・ラ・ラ…〜教師が崩壊しないために〜
東京・羽村市立羽村第二中学校 小原茂巳
(テープ起こし 上野 詔子)
この会をすることになったのは
僕が立川で「学級崩壊とたのしい授業を考える会」を2回ほどしてます。2回目が僕と牧衷さんで、1回目が僕と石塚進さんでしました。葛西さんという人がいまして、小学校の先生です。ベテランになったということもあり、最近、学級崩壊したクラスばかり持たされるそうです。崩壊したクラスばかりを持って、わりと元気にやってる人なので、「すごいな。ちょっと勉強したいな」と思って、そういう会をしたんです。牧さんも学級のこととか、授業論や組織論のことについて、最近書いたりしてるので、話を聞きたいなと思って、来てもらいました。
そういう会をやったら、この会を企画してくれた中野香代子さんから資料が送られてきて、電話をもらいました。中野さんがそういう話を熊本でも聞きたいということで電話がありました。それと中野さんの資料の中に、自分も何年か前に教室がくちゃくちゃになって、悩んで胃が痛くなったことがあり、今、学級崩壊ということがよく言われているけれど、何となく気になっていて、何年か前のことは、そういうことだったのかなということが書かれていました。でも、今はちょっぴり楽しくやれてますというような資料だったんですよ。とってもいい資料だったので、ぜひ、この会で配ってくださいと言ったんです。でも、今朝、聞いたら印刷したけど、忘れてきたということなので、残念というより、それなら生で聞いた方がかえっていいですね。どっちに転んでもシメタなので、最初にしゃべってもらおうかなと思います。どうして、この会を企画することになったのかという雰囲気も伝わると思います。それから、このくらいの人数(20数人)なので、適当に口をはさんでください。それじゃ、中野さん、お願いします。
子どもが「先生好き」と言ってくれることが一番
中野香代子(熊本・小峰小) 中野です。突然で緊張してますけど、よろしくお願いします。私、何年か前に学級崩壊と似たような感じになり、クラスが落ち着かない状態になりました。その時は学級崩壊という言葉はなかったんですが、何か似ているような気がするなと思っています。今も毎日、子どもたちと接しているわけですが、その時のことは、よく覚えていて、思い出します。「そうか、そういうことだったのか」と思うことやまだわからないこともいっぱいあり、よく思い出しては考えるので、今回、こういう会を企画しました。
今思うと、一番シンプルに考えて、体力がなかったと思い、今は体を鍛えてるんです。(笑)小学校はやっぱり体力は基本ですよね。迫力がないといけませんので。今は元気になっています。
今は4年生を持っています。持ち上がりのクラスです。「持ち上がる」というのは、私の憧れだったんです。というのは、くちゃくちゃになったりすると、やっぱり、担任が変わります。そういう意味で「持ち上がる」ということは、とても憧れでうれしいなと思ってます。それ以上にうれしいことが、3月頃、もうすぐ4年生に上がる頃にいっぱいありました。それは、子どもの方からも、親御さんの方からも「来年もぜひ先生がいい」ということをいっぱい言ってもらったことでした。私は初めてのことだったので、すごく自信になりました。3月ぐらいになると、子どもが「来年の担任の先生は誰だろう」と言い出しますよね。「誰だろうね。それは校長先生が決めるから、わかんないよ」と言ってましたが、「来年も先生がいいな」「絶対、先生がいいな」とたくさん言ってくれました。私はどちらかというと、男の子の方が苦手だったんですけど、男の子の方からも「先生がいいな」と言ってくれました。すごくうれしかったです。それと親御さんの方も「来年もぜひお願いします。先生だと安心です」と言っていただきました。
その中で思ったのは「先生が大好きって子どもが言うんです」と親御さんに言ってもらって、私にとってはそれが一番うれしいことだったし、親御さんも「それが一番」ということをおっしゃったんですね。私はいろいろ悩んだりするんですが、いろいろあるけれど、子どもが先生のことを好きでいてくれることが一番なんだなと思いました。それがあれば、小さいことがいっぱい気になりますけども、とりあえずはいいんだなということをしみじみと感じました。
あと保護者との付き合いなんですけども、私はとても苦手な方です。連絡帳で「これは、どういうことですか」とか「こういうことが残念でした」とか、苦情みたいなことが来るとすごくショックを受けてしまうんです。去年もクラスの男の子でけんかして、怪我させたりしたことがありました。私としてはしっかり対処したつもりだったんですが、お母さんの方から苦情があって、がっくりして、「来年は持ち上がりなんかするもんか」と決めてたんです。でも、そのお母さんから、3月の最後の方で「来年もまたお願いします」ときたんですよ。それは、ものすごく意外でした。
それに私は同僚の他の先生の目も気になります。うちのクラスは歌を上手に歌わないんです。隣のクラスとかは上手に歌ってたりしています。絵の指導も上手じゃなくて、展覧会なんかでも、賞状がなかなかもらえないんです。ベテランの先生のクラスは賞状をいっぱいもらってるんですよ。そういうのを見るとすごくがっかりして、自信を喪失してしまうんです。でも、基本に立ち返って、子どもが「先生好き」と言ってくれることが一番なんだなと、他のところはぼちぼちできるようになっていけばいいんだなと思うようになりました。
こういううれしいことがあって、その何年か前のことを思い出してみると、一番暴れてた、一番私を困らせた男の子なんですけど、その子も「先生」って言って来たりしてたんですよね。今、考えると。でも、その時は周りの先生からも心配の目で見られていましたし、保護者からも心配の目で見られていたので、すごく余裕を失っていて、何でもかんでも押さえつけようとしていたなと思います。たくさんの原因があると思うのですが、それも1つの原因じゃないかなと思えるようになりました。
私が今、到達したところは、子どもが「先生好き」って言ってくれて、私自身が自信を持つことじゃないかなと思っています。そのためにどうすればいいのかというとたのしい授業をすることに結び付くんじゃないかと思います。だいたい資料はそういう感じなんですけど、小原先生よろしいでしょうか。
自分のものさしがふらふらしていた若い頃
小原 今、中野さんが話されたことのような資料が送られてきまして、僕と同じだなと思いましたね。僕は教師になって、24,5年経ってるんですけど、これは今日、犬塚さんがガリ本をみなさんにプレゼントしてくださってるんですが、すごく昔の資料を犬塚さんがまとめてくれました。これは僕が若い頃、教師になりたての頃に犬塚さんに向かって書いた手紙をワープロで活字にしてくれたものです。こういうのをもう1回、自分も読み直してみると、中野さんが今話されたことと似てると思います。学校って、いろんなことが気になるんですよね。同僚の目や先輩のこととか、いろんなものさしがあって、親だって子どもだって、いろんなものさしがあります。「もっと宿題を出してほしい」「もっとバシッとやってほしい」という人もいれば、また一方で、「もっと子どもの側に立って優しくやってほしい」というものさしもあります。そっちの側に立つと、「もっと厳しく」と言われたり…。同僚とか先輩教師に関してもそうですよね。「もっとちゃんとやった方がいいんじゃない」というのもあったり、「体罰はいけないよ」「あまりきつく叱っちゃだめだよ」とよくフラフラしてました。僕は1年目の頃、そうでした。うるさい子がいて、よく僕に「小原先生、もっとビシッしてよ。ビシッとしてクラスをまとめてよ」と言ってくる子がいました。僕から言うと「おまえがいなきゃまとまるのにな」と思ったりして、またフラフラっとして、次の日あたりから、またビシッとやると、今度は女の子たちが「先生、このごろ変わった。おこってばかりいて、つまんない」と言われて、またフラフラっとして‥。そういう僕の中のものさしがフラフラしてたのを思い出しました。
当時は授業参観や保護者会も嫌いでした。今は好きです。日常って、僕と子どもと同僚しかいないですよね。そこにゲストが来てくれるようで、なんかうれしいんですよ。当時は僕を監視にくるんじゃないかなというか、チェックしにくるみたいに思ってました。だから、校長なんかが教室に授業を見にくるのが本当に嫌でしたね。今も好きじゃないです。でも、ちょっと来てほしい時もあります。仮説実験授業をしていて、調子がいい時は1回くらい来させます。いいとこをたっぷり見てほしいんです。「この先生って、授業で子どもひきつけてるよな」ということを1回見せておくと、そんなに僕をなめてかからなくなるというのがあります。仮説実験授業をしてる時は、わりと「見に来て」と言います。
ただ、若い頃はすごく嫌でしたね。いろんなものさしがうじゃうじゃしていて、いつも気になってましたね。親も監視してくるようで、嫌でした。今は仮説実験授業とかして、子どもが喜んでくれてることで僕が自信を持てると、きっと子どもは家で何かしゃべってるのかなと思って、親はそれをどう感じてるのか、結構聞きたくなるんです。仮説実験授業をしているということもあるけど、僕はほめられたくてしょうがないんです。結構、自信ないです。ほめられると、すぐうれしくなります。それが僕の日常の元気の素なんです。「小原先生っていいね」とかほめられると「ホントに生きてて良かったな」と思うタイプで、ほめられる機会がほしくてしょうがないんです。仮説実験授業とかやってて、調子がいい時は親もそんなにこわくないし、逆にほめてくれて、ありがたい存在になると思います。1つでも子どもに喜んでもらえるものがあると循環していくんですかね。そんな気がします。
仮説実験授業をすると子どもは元気になって
この当時、僕は何を気にしてたかというとK先生が、気になってました。必ずいますよね。今だっています。何か気になる先生がいて、その先生の言動が、僕を刺激するんです。それも振り返るとシメタってことがあるんでしょうね。それから、子どもにも必ず気になる子っていますね。
この当時、気になってたK先生は、校長が職員会議でよくほめる先生で、すごくビシッとしていて、「立派な先生なので、この先生を見習いなさい」ということを若い僕は言われました。ちょうど俺の隣のクラスだったんです。自分のクラスがわいわいやってると気になったり、朝礼なんかでも気になりました。隣のクラスの列と自分のクラスを比較したりして、しょっちゅう気になることがありました。その時も仮説実験授業をしてたんです。仮説実験授業をすると、結構うるさくなりますね。授業の時はにぎやかになります。仮説実験授業をするとシーンとなって、立派なクラスになるというのは大間違いで(笑)、反対に元気よくなりますね。仮説実験授業というのは、知的刺激を与える授業なんです。知的刺激を与えるわけだから、それまで元気だった子は刺激を受けてさらに元気よくなります。おとなしい子はおとなしい子なりに元気ですよね。
一昨年の例で言うと、<自由電子が見えたなら>をやって予想がはずれたら、「頭くる」と叫ぶ子がいました。そういう言葉は普通、教科書で授業してる時は出ないですよね。その時、びっくりしたのは実験道具を指差して、「あれ、ぶっ壊してえ」と言ったことです。やっぱり刺激を与えてますね。刺激を与えるというのは、意欲に対して知的刺激を与えているわけで、それは内容に向かってるんですね。実験結果に対して、くやしいと思っているんです。ぶっ壊したいくらいに頭にくると思っているんです。でも、ホントにぶっ壊すわけじゃなくて、次の問題でまた張り切るわけです。仮説実験授業は知的刺激を与えるから、子どもたちはどんどん躍動し始めます。躍動というのが、そういうふうにちょっとビクッとするような躍動もあります。仮説実験授業をすると最初にこにこっとして、みんなかわいくなって、授業も楽しく明るく進んでいくように思うんですが、そういうこともありえます。でも、それは意欲を持ってくれてるんだよねと思って、その時は「ぶっ壊したいくらい興奮してますね。うれしいよな。その調子でぜひがんばってよね」ということは言えたんですよ。2,3年前ですよ。仮説実験授業を始めて、20年くらい経ってます。
若い頃は、職員室なんかで「授業以前の問題だからね。生活指導が大事ですよ」「きちんと授業受ける態度を養ってからの問題だよな」なんて先輩教師から言われて、そういうの気にしてるから、わいわいやるのが気になるんです。聞こえるんじゃないかなと思ってました。そうするとやっぱりまたフラフラして、そういう物騒なことを言うと怒ったりしてました。「そういう言い方ないでしょ」って。今だって、注意はするんですよ。ちょっときつい言い方の時がありますからね。「ちょっときついんじゃないの」って。でも「意欲はありがたいよ。素晴らしいよ」というのをおさえながら言うのと、意欲は全然無視して、「なんだ、その言い方は」というのは全然違いますからね。そういうこともあって、僕自身、仮説実験授業をしながらも、フラフラしてるんですよね。せっかく仮説実験授業をして、子どもに知的刺激を与えて、子どもが楽しんでくれて、意欲を示してくれてたのに、「こりゃ、大変だな。ぐちゃぐちゃになってるな」とイライラしてたんですね。
僕を救ってくれたのは子どもの評価
それこそ、今の方がもっと大変なんじゃないかと思います。「学級崩壊」なんてマスコミが騒いでるから、すぐ「俺のとこ、学級崩壊かな」と思いますよね。学級崩壊の基準みたいなのを新聞で読んでたら、自由に立ち歩く子もいるとありました。仮説実験授業をやってると立ち歩く子もいますね。実験を見に走ってくる子もいたりします。今言われてる学級崩壊って、そういうことじゃないでしょう。ちゃんと内容に向かって活発になってるなら、そんなこと気にすることないと思うわけです。「ぶっ壊してえ」というような発言に対しても、なかなかそう思えない時がありました。
そういう僕を救ってくれるのは、中野さんも言ってたけど、子どもの「先生、いいよ」という評価でした。僕はやっぱりそれだった気がします。だから、ある意味では僕の教師入門は一点突破ですね。教師の仕事にはいろんなことがあます。授業で自信があるかと言ってもないですね。授業の中の授業書というのがあって、子どもに確実に喜んでもらえるものがあることが大きいですね。仮説実験授業をして、感想をとると、子どもが「楽しい」と言ってくれるじゃないですか。そこが僕はすごくうれしかったという気がするんです。それできてるような気がします。僕はすごくうれしかったのは、ある授業をしたら、子どもが書いてくれた感想文です。若い当時、悩んでたりした時ですから、これがうれしかったですね。
今日の科学の授業、とてもよかったです。K先生に注意され、怒られてしまい、みんなしんみりとなっていたのです。特にかわいそうだった道下君と有賀君。
ところが、そういう空気を入れ換えてくれたのが、予想問題(仮説実験授業のことです)と小原先生。みんなも怒られたことなんて忘れちゃったみたいだし。
つまらない「地震」の授業も終わり、あの楽しい予想問題。(このつまらない地震の授業は誰がやってたかというと僕です。教科書の授業です。えらいね。ちゃんと仮説実験授業と教科書の授業、区別がつくんですね。僕も地震の授業はつまらないんですよ。正直に書きますね)今日の小原先生はいつもより冗談を言って、B組みんなを笑わせてくれたっけ。(いい教材があって、これは子どもも喜んでくれるぞって、自分もわくわくしてると僕も明るくなれるんですね。冗談も言えたり。だから、ホントに教師にとって重要なのは、子どもが喜んでくれそうだなっていうわくわくする教材があるかってことですよね。でも、さっきから言ってるように1年中は無理ですから、一点突破で、1つでもいいと思うんですよ。わくわくする、話したくなる、そういう授業書が1つあるといいですね。それで、僕も冗談が言えて、明るくなってるんですね)予想問題もスタートからあたってくれたし。私が頭で考えたことを言えたのは、私を指してくれた先生のおかげです。(これは理由の時、指名した時ですね。理由の時だけは指名しますから)もし、あの時、指してもらえなかったら、すっきりしていなかったと思うのです。
先生、ありがとう。小原先生は汚れた空気を追い出して、おいしくきれいな空気に入れ換えてくれた「換気先生」です。(いいねえ)次の授業も楽しみです。科学がまた一段と好きになってきたみたい。また、楽しいみんなの45分にしてください。
※()内は小原さんの話
『中学生と仮説実験授業 オバシゲ的教師論』小原茂巳 ガリ本図書館
僕はこういうのが、うれしかったですね。K先生が気になっていたのですが、気になるというのは、影響を受けてるということですね。気になりながら、僕もまずい点があるのかなと、フラフラっとしてる時なんです。僕は「仮説実験授業はいい」と思っていても、やっぱり、日常いろんな気になることがあるし、気になる子どもがいたり、先生がいたり、職場があったり、いろいろあるんですよ。それを「先生、いいんだよ。俺らが楽しい授業してくれよ」というのを子どもに言ってもらえて、初めて、僕は自信になりました。そういう感じで、ずっときてますね。そういうことを思い出しました。
転勤して
それは今も同じです。もう教師になって25年くらい経ちます。ずっとやってきてるんですが、学級崩壊とか学校崩壊とか授業崩壊とか、マスコミとかで騒いでいて、実際、うまくいかなくて悩む人がサークルにもいるんです。そういう時、僕はどういうことが言ってあげられるかなと、ちょっと考えたりもするんです。でも、僕自身、そういう心配がないかというと、決してそういうことはないですね。やっぱり出だし、4月は緊張しますね。それがまたいいと言えば、いいですね。3年間付き合った子どもたちだと小原さんはこういう人だと何となくわかってくれて、親もわかってくれますけど。
今年、転勤したんですよ。またゼロからのスタートですね。なかなか疲れるといえば疲れますね。これは、僕、初めての経験かな。結構、落ち着いた学校なんですよ。朝礼なんかも、子どもはあんまりしゃべらないんです。今までのところが、うるさいというか、元気な学校で、今度はけっこうピシッとしてます。「へえ、こんな学校あったの」と思うぐらいです。(笑)ただ俺が行ったので、1年後またうるさくなるんじゃないかと、ちょっと心配もしてます。教師の方がけっこうピシパシやってます。体育の先生が多いんですよ。部活も熱心ですね。最初、子ども来ないうちに教師だけの集まりがあって、そこに転勤していって、挨拶とかして、入学式、始業式の準備をするでしょう。それに行ったら、もう、ビシッとした発言ばかり飛び交って、「はじめが肝心だ」とか、「今度の1年生は大変そうだから、最初しめなくちゃいけない」とか。それで僕は1年担任です。そういう感じで、もう1日で疲れちゃって、「もうぐじゃぐじゃの方がいいや」なんて思ったりして。勝手だよね。ぐじゃぐじゃの時はぐじゃぐじゃは疲れるから、落ち着いたとこに行きたいやって思いますが。ぐじゃぐじゃのところは結構、教師がルーズでいいですよね。子どもがおとなしいと教師って、もっと厳しくなるんですよね。傲慢になるというか。やっぱり子どもが騒いでくれないと困りますね。騒いでくれると靴下とかTシャツとか細かいことどころではなくなりますからね。結構ツッパリにも気をつかったりしてね。「元気か」とか、何か気をつかうんですよ。ピシッとしたところは忘れ物したぐらいで、叱りつけてね。「なんでそんなもの忘れるんだ。再登校しろ」なんて言う。落ち着いてるところは、楽しいことをわんさか与えたら、楽しい学校になるのになと思うんですけど、そういう学校で最初がっくりきました。「あーあ、なんだよ。学校かわんなきゃよかったな」と思って、疲れきってました。そして、次の日に行ったら、2年生と3年生が来て、始業式をしました。子どもの顔が見えて、ちょっと安心しましたが、コミュニケーションも何もないから、相変わらず疲れてました。そして、3日目が入学式かな。入学式で初めて僕のクラスの子と出会うわけです。子どもの顔を見たら、ちょっとほっとしましたよ。僕の仕事は子ども相手の仕事だったんだと思いました。教師だけのイメージがたっぷりくると、僕はだめですね。でも、そこに子どもって存在が出てきて、僕は「この子たちと楽しく」と思うし、僕のお客さんが来てくれたという感じですね。
ほっとするといっても、ここがまた別れ道なんでしょうね。子どもが来ることによってほっとするという人と、「ああ、子ども来ちゃったよ」と子どもが来ない方がほっとしてる先生もいるんですよね。同僚同士の方が安心の人もいるんですね。それはそれで幸せでしょうけど。ちょっと僕とは逆だよなと思いますが、そういう先生にはちょっと同情しますね。子どもが来ると苦しめられる先生でしょうね。僕も「子ども来たら安心だ」なんて言ったけど、僕と付き合う人間関係がどばっと増えるわけだから、人間関係が増えるということは悩みもいっぱい出てくるということだから、大変と言えば大変なのは当り前ですよ。ただ、僕が子どもが来て、お客さんが来てくれて、少し元気になれたというのは、子どもが喜んでくれそうな具体的内容と手だてというのを持ってるというのが大きいですね。子どもさえ来てくれれば、シメタなんです。普通は言えませんもんね。だって、子どもが学級崩壊とかしてくれちゃうもんね。そういう意味ではやっぱり僕は一点突破で、子どもが確実に喜んでくれるものが僕にはあるというのが大きいですね。
教師が元気になるのは重要
僕は子どもと出会って、早いうちから、仮説実験授業に入ります。どうして早い時期から入るかというと、子どもに喜んでもらいたいというのも大きいんですけど、正直なことを言うと僕自身が早く元気になりたいんです。教師が元気になるというのは重要ですね。子どもに元気になってほしいというのは、半分正直じゃなくて、自分が元気になりたいんですよ。ただ、教師というのは、子どもの笑顔がもらえると元気になる商売ですね。だから、結果的には子どもに喜んでもらうということになります。ただ、子どもに喜んでもらうために、教師が奴隷的になってしまうとだめですね。必ずキレますからね。自分が我慢してると、楽しいことをし続けるということにならないです。だから授業書とかで、わくわくして自分もおもしろいよなって教師が思えることが重要かもしれませんね。教科書よりおもしろくやれそうだなとか、教科書どころじゃないよなとかいうのがあって、自分も元気になりたいなと思って子どもと授業をして、その予想通り子どもが「楽しかった」って言ってくれると僕は元気になれます。
勉強はみんな嫌いだ
今年は1年生たちとスタートしたんです。今度の1年生は小学校の時に学級崩壊してたクラスの子たちが来ていて、その時の一番ボスが1年5組にいるっていうんですよ。石川くんっていうんです。それが一番元気な子なんです。その子を誰が持つかということで話し合いがあったんですが、僕は転勤していったばっかりだから黙っていたら、やっぱりこの先生でしょうという人がいました。その先生は野球部の顧問で体育の先生で、ビシッとやる先生なんです。そういう問題の生徒をビシッとやることによって、まだ成り立つ学校なんですね。今は稀ですね。たまたま、その地域があんまりそういう子いないからということもあるけど。
その1年5組に授業しにいって、<ものとその重さ>から入りました。最初、自己紹介しますけど、僕が聞くのは「僕は理科を教えますが、理科とかそういうの嫌いですか?好きですか?」ということです。僕は嫌いでもかまわないからということは言います。正直に今まで理科を受けてきて、嫌いな人は手を挙げてほしい、好きな人は手を挙げてほしいということを聞きます。それで、その5組でも「嫌いな人、手を挙げてください。じゃ、どうぞ」と言いました。どのくらいいると思いますか?(半分くらい‥)当たりですね。ちょっと半分を超えてましたね。聞き方にもよるでしょうけどね。理科の先生ですよって言って「理科、嫌いな人?」と聞かれて手を挙げたら何されるかわからなかったら、少ない可能性ありますよね。嫌いって挙げづらいと思いますよ。それはまずいので、僕は気楽にやってほしいので、「嫌いな人も全然いいね」という感じで、「好きな人もいいし」という感じでやります。だいたい過半数を超えるんですよ。嫌いが多かったら多かったで、シメタですね。僕の出番じゃないですか。好きな子が多かったら、それもシメタですね。もっと楽しもうぜって感じでやれますからね。
その時に、石川くんがでかい声で何か言うんですよ。「理科嫌いな人いますか?」というのに、ただ手を挙げればいいのに「俺は勉強みんなきれえだー」って。(笑)さすがだと思いましたね。そういう感じで、僕の前に登場しました。それで仮説実験授業、<ものとその重さ>を始めたんですよ。授業書っていいですよね。最初から結構問いかけるような言葉が出てますもんね。「ものの重さをはかるはかりにどんなものがありますか」とかって、子どもにどんどん問いかけていきますね。教科書の授業はちょっと違いますね。説明があったり。授業書はふっと問いかける感じになってますね。それで1年生だから、結構答えてくれるんですよ。小学校の先生は5,6年になると大人になって、生意気になって、なかなか答えてくれなくてという印象を持っているようですけど、中学校に来るとフレッシュになるみたいですね。僕らからするとすごくかわいいですよ。それから、「授業書を読んでくれる人いますか」というのにも、手が挙がりますね。だから、中1の出だしはうれしいです。僕は久しぶりに中1を持ってるんですよ。2年3年だと「読んでくれる人いますか?」というとほとんどいません。「じゃ、僕が読みます」って言うとふふふっと笑いが起きて、僕が読むって感じだったり、あと指名したりね。1年生はいいね。「誰か次の問題読んでくれる人いるかな。読んでくれるとうれしいな。どうぞ」って言うとわーっと挙がるんです。
問題の楽しさと社会的要因
それで石川くんとか、勉強が嫌いな子たちってどうかなって見てるとおもしろいですね。最初、周りをきょろきょろ見てるんです。授業が始まるでしょ。「読んでくれる人いませんか?」と言うと周りがみんな手を挙げていて、読んでくれるでしょ。「どうも、素晴らしいね」とか言って座ってもらうでしょ。そして「はかりは?」とかいうと手を挙げてくれて、言ってもらうでしょ。そういうのをきょろきょろ見てる。人間って、社会的ですよね。問題に入って予想するんですが、問題がおもしろいということが一番のポイントでしょうね。学ぶに値するってことを子どもはぱっと見抜くわけです。仮説実験授業の一番重要なのは考えるに値する問題ということで一気に[問題1]から子どもをひきつけることです。
それから、そういう子にとっては社会的要因というのも重要ですね。みんなが討論とか手を挙げてるわけですよ。そうすると言いたくなるんですね。それでぱっと手を挙げて答えるわけですよ。すると拍手が返ってきたりするわけですね。これは自分が活躍できる場があったのかというのか、たまらなくうれしいみたいですね。去年は違ってたんでしょうね。最初はやっぱりきょろきょろするでしょうね。するとみんな眠そうにして、つまらなさそうにして、自分もつまらない。そしてあきるから自分が先生にちょっかいを出す。するとみんながそれを喜んでくれる。つまらない授業だとみんなもそれに賛成しますからね。心の中で密かに「やったぜ」と思いますよね。そうするとわやわやっとなるでしょ。先生をまたかき乱す。かき乱す張本人でしょうね。そこでの活躍の場というのが社会的に見につくんじゃないですか。俺が壊すんだよみたいな。そういう周りっていうのも大きいですよ。そこが素晴らしいところであり、おそろしいところであり。僕も若い頃、周りを見て動いちゃってましたよね。自分のものさしでっていうのは、なかなか、自分に自信のあるものがないと自分で自分を守って、いき続けられないんですけども。
石川くんはどういうふうにくるのかなと見てましたら、周りを見てて、何か楽しそうで思わず発言したら、拍手が返ってきたりして、のってくるわけですよ。感想文なんて、こうですよ。「くやしいくやしいくやしいくやしいくやしい」って5回でかーく書いてあって…予想がはずれたんですよ。「でも、おもろかったよ。でも、またこういう問題やってね」って書いてあるんです。かわいいですよね。問題自体がおもしろいというのも重要ですし、こういう活躍ができるんだっていうふうにきたんですね。
アイルトンくんが手を挙げた
そういう目で見てるともう1人、ちょっと変わった子がいました。中村アイルトンくんという子です。彼はブラジル人かな。アイルトンくんは、日本語がよくわからないんです。ちょっとはわかるんです。アイルトンくんも最初、仮説実験授業が始まって、周りを見てるんですね。何故か仮説実験授業を受けた子って、討論なんかもするけど、何かいいたくなると「問題を読んでくれませんか」っていうのにのってきますね。仮説実験授業の問題というのは意味が伝わるというのが重要だから、教師が読んでもかまわないんです。だけど、僕は、そこで活躍したい子がいるので、読んでもらって、それで、僕はもう1回内容を実験道具を使いながら説明します。それっきりですぐ入ってしまうと問題の意味が通じないままになってしまうことがあるので、それは注意してるんですけど。
アイルトンくんも読むということからきましたね。読むことからのってくる子っていますね。前、ダウン症のけんちゃんという子も、問題を読むというのに手を挙げるんですね。討論はあんまりしないけど。このアイルトンくんも思わず手を挙げてるんですね。見ると、みんなが手を挙げてる。手を挙げるとなんかいいことがあるかもしれない。列ができてると並びたくなるような感じかな。手を挙げてたので当てたんですよ。そしたら、やっぱり、あんまり読めなかったですね。でも、ちょろちょろっと読んで「どうも」って言って、その時に急いで「アイルトン、手を挙げる。なかなか感動だね」と書いていたら、生徒が「小原先生、何書いてるの?」と、すぐ聞くんですよ。だから「アイルトンが手を挙げた。感動したって書いたよ」と言ったら、「へえ」って言ってましたけど。僕はアイルトンくんが手を挙げて読んでくれたのがうれしかったんです。
アイルトンくんの活躍
<ものとその重さ>の[問題1]は体重計の問題で、「まっすぐ立つのと、片足でたつのと、しゃがんでふんばってはかるのでは、どれが一番重いでしょうか」という問題です。これは問題自体がなかなかおもしろいですね。だから子どもものってくるんですけどね。[問題2]は粘土です。「粘土を真ん丸にしてはかるのと、形を変えて、直方体にしてはかるのと、そばみたいにうねうねにしてはかるのではどれが一番重いですか」という問題です。アイルトンくんはおもしろいと思ったんですね。何か知りたいという顔をしてたんですよ。問題がうまく通じなかったんでしょうね。「ちょっと、こっち来いや」と言って、近くで見せてあげたんですが、その時にアイルトンくんに「こっち来いやってなんて言うの」と聞いたのかな。そしたら「ベンアキー」って。みんな喜んで、こればっかり言ってました。「問題はこういうことだよ」と説明して、戻っていって、予想して、討論の時にまたアイルトンくんが手を挙げたのかな。みんな楽しそうにして、挙げやすい雰囲気になるんでしょうね。なんて言ったかというと「粘土同じ。粘土形違う。粘土重さ同じ」ってね。彼の予想は全部同じで、理由はそれを言ったのね。「おー」なんて言ったりして。意見を言った時に、僕は感動するから、また急いで書くんです。そして、「どうも。どうも」って言って。俺はうれしいから、つい「どうも。どうも」って言っちゃうんですよ。でも、「どうも」って言いながら、通じてないんじゃないかと思って、「どうもありがとうって、なんて言うの」って聞いたら「オブリガード」って。そしたら、またクラスで「オブリガード」がはやりました。そうやって実験やったら重さはみんな同じで、それだけでアイルトンくんはうれしいんですけどね。その時の感想文で、アイルトンくんのことが書いてあるはちょっと読んであげました。
●アイルトンの意見のおかげで問題がわかった。楽しかった。
●アイルトンくんの意見がよかった。楽しかった。
●今日のアイルトンはすごかった。なんか、すごかった。堂々としてクレオパトラ みたいだった。オブリガード、アイルトン。
他の感想文は「理科はポルトガル語が覚えられてうれしい」(笑)というのもありました。アイルトンくんのその時の感想文は「今日は簡単た。だから1ページと同じ。楽しかった」でした。これは1ページの体重計の問題が頭に入ってて、それと同じで簡単だ。今日は楽しかったって意味でしょうね。[問題1]を学んでるんですね。仮説実験授業の授業書の良さって、そこもありますね。周りの影響もあるけど、授業書がどんどんつながっていて、認識が深まるっていうのがいいですね。この感想文を読んであげて、すごくうれしそうだったので、僕はわりとしつこいんです。うれしいことには。すごくうれしい子には、みんなの評価があった後の感想文を個別的に書いてきてもらうんです。しつこく。嫌なことをしつこくはだめですよ。
話はそれますが、保護者会の後なんかで時々「うちの子、すごく先生の授業が好きみたいで。先生、いい先生ですね」なんて言ってもらうと、昔の僕はうれしいのに「いやー、そんなことないですよ。どうも、どうも」と言って終わってました。それ、うれしいけど、あんまり元気にならないですね。ほめてることが明らかな時は「それ、どういうことですか」と、内容も聞いた方がいいですね。聞くと「授業のプリントを大事にとってるんですよ」とか「食事の時に私たちにもこういう問題を出すんですよ」とか教えてくれます。うれしいなと予感した時はだいたいしつこくいくんです。俺のクラスの悪い情報とか、ちょっとでも不吉な感じの時はすぐトイレに行くとかして、不吉なことはなるべく入れない方がいいです。それでまた別のものさしがばらばらっと落ちてきて、フラフラしますので。楽しいこと、子どもや自分が喜ぶことには敏感に、嫌なこと、しょうもないようなことには鈍感に、ふにゃふにゃとやってますけど。
アイルトンくんが書いてきてくれたのは、これです。「今日はみんなで俺のこと言ってました。うれしかった。僕はポルトガル語教えました。オブリガードとベンアキー、すごくうれしいです。次の理科の時間、もっと教えましょう」(笑)他の子は同じ小学校から来た子がいるから、わいわい友達がいるんです。アイルトンくんはその中に1人、なんか変なのが来てるぞ、うまくしゃべれないぞっていう感じで、アイルトンくんは小さくなってる。それがここでやれたわけですね。
第三者にはわかないこともある
ただ、次の時間の時は来なかったんです。アイルトンくんはうまく日本語がしゃべれないから補助教員がつくんです。補助教員が来ると授業に来ないで、個室でやるんですよね。それで来なかったんです。もったいないと思いました。もったいないなと思うのは、僕が仮説実験授業をやってるからで、教科書の授業で、地震の授業だったら、個別がいいかもしれない。そこはまだ楽しく教えられるようには、僕はもってないし、授業書もできてないからね。仮説実験授業をやってるから、もったいないと思うんだけど、アイルトンくんにはちょっと言ったんですよ。「来てても、授業来ようよ」って。そしたら、次の時間は来ました。その補助教員も来て、年配の女の人なんですけど、授業書も配って、終わってから、その女性に聞いたんですよ。「どうでしたか」って。僕としてはアイルトンくんもなかなか活躍して、楽しそうだったので、子どもに感想文用紙を配るのと一緒にその人にも配ったんですよ。そしたら、書いてくれなかったので、後で「どうでしたか」と聞いたんです。僕は「楽しそうで、よかったですよ」とかほめてくれることばっかり予想してたら、それは甘いですね。「石川くん、うるさかったですね」って言うんですよ。それが、彼女の感想です。「なんだこのやろう」って思ったけど、それは正直な感想ですね。
石川くんは石川くんで、わいわいやって、こっちに意欲的になってくる子で、その時もうるさいと言えばうるさかったんです。何を言ったかというと予想で「アイルトン、こっちこいよ」とか言ってたの。「アイルトン、絶対ウだぜ」とか言ってたんです。それは素晴らしいわけですね。うるさいなりに授業に参加してたわけでしょ。「石川くん、うるさかったですね」と言われて、ちょっとがっくりきたけど「でも、なんか楽しそうだったじゃないですか」と言ったんです。まあ、そういうこともあります。第三者が見た感じではわからない時がありますね。
仮説実験授業というのは、結構、わいわいわいわいやっていて、意欲を示していて、子どもたちはわかってるんですよね。石川くんというのは普通うるさくしてるんだけど、授業に向かって「こうだよ」とか言ってるでしょ。教師の方は授業してて、こっちに向いてることがわかっていて、感想文も読んで、すっきりわかってるじゃないですか。ところが第三者はちょっと見たぐらいでは、なかなかわかりづらいかもしれないですね。なんかうるさいぞとか、崩壊まではいかないけど、わやわやしてるぞと。そういうことを言われて、自分がフラフラしないかっていうと、子どもと一緒に仮説実験授業をしたり、教師もなんか感想文で見えてたり、楽しいからっていうのがわかってると違うなと思います。これが最近のことです。
学級崩壊って憂えるだけのこと?
資料に「学級崩壊なんてラ・ラ・ラ…」と書いてますけど、「ラ・ラ・ラ…」なんて、何かわかんないですね。僕もよくわかんないので「ラ・ラ・ラ」とつけたんです。新聞なんかだと憂えるだけの主張じゃないですか。確かに教師は大変と言えば大変だし、子どもも崩壊してて、授業が進まなくて辛いよなとか、親もしかめ面をするという現象ではありますけど、それだけかなという感じがしてます。
僕は今まで、ほとんど元気な学校ばかりでした。僕の家の近くにマクドナルドがあるんですよ。僕は夜にそこでコーヒー飲んだり、いろんな本を読んだりしてるんですけど、そこに卒業生が来るんだよね。元気な中学生だった卒業生がバイクで来たりして。「あ、小原先生、なつかしい」とか言ってきて、そいつらと話をする機会があるんですよね。そいつらは「中学時代、楽しかったよな」とかよく言うんです。大人が憂えていた時代の話ですよ。臨時PTAとかよくあった学校で、そいつらが「楽しかったよな」って言うんですよ。ただ、そいつらが楽しかったというのは、騒いだやつらだから、そりゃ楽しかっただろうなって思いますけど。
真面目な優等生さんたちとも会うことがあるんですよ。その人達にも聞くんですよ。「大人たちは臨時PTAとかやって、いろいろあったんだけど、大変じゃなかった?楽しかった?」って聞くと「いやあ、楽しかった」って言うんですよね。それはおもしろかったですね。真面目な優等生さんたちまで、そんなに憂えているという感じじゃないんだよね。
それはどういうことかというと、ブーイングができる時代というのはいい時代か、悪い時代かということじゃないかな。日米野球で、ソーサ選手が日本に来たときに日本の投手がフォアボールを出しそうになったのね。観衆はソーサが打つところを見たい。そういう時「敬遠するなよ」ってブーイングが起きたりして、日本人が日本の投手にブーイングするわけだよね。おもしろいと思うんですよ。観衆は楽しみたい。企業だったら、売れなくなったら、今のお客さんに合わせて、努力するわけでしょう。 だから教師と生徒にとっても、ブーイングできる時代というのは、いい時代なのか、悪い時代なのかって考えるとわかんないですね。先生にとっては、ちょっと大変かもしれないけど、子どもにとっては苦痛な授業を我慢しなくてもよくなっていくわけですから、いい時代かもしれませんね。
教師と影響力のある子との魅力合戦
さっき子どもって社会的だっていう話をしたんですけど、教室という組織で考えると教師がいて、いい子たちがいて、ちょっと困らせる存在がいて…必ず気になる子がいますよね。教師にとって悪い意味で影響力のある子。その子たちがわーわーやるわけですよね。そういう時、僕はすごく気になるんですよね。さっきの話で言えば、石川くんみたいな子。僕は仮説実験授業をして、そういう子がこっちを向いてくれるといいなとか思うんですけど。こういう子と親しくなっちゃうと大きいですね。
ただ、その前に仮説実験授業が素晴らしいなと思うのは、経験でいうと授業というのは別にこの気になる子たちのためにあるんじゃないし、いい子たちのためにあるんでもないし、みんなだよね。科学が楽しいと8割以上の子が喜んでくれるのが、仮説実験授業です。結局、一般大衆の動きが重要ですね。もし、僕がつまらない授業をしていて、一般大衆が不満で寝てたり、ブーブー言いたいとするじゃないですか。でも先生が進めるでしょ。そういう時に気になる子、影響力のある子たちが突然、関係ない話をすると喜ぶんですね。僕も地震の授業とかしてて、昔のこと思い出したりして話すと子どもの目って、ホントすがるような目して見てますね。「小原先生、昔話終わらないで」って感じで。だから、つまらない授業してる時は一般大衆は影響力のある子たちの方に向きますね。
だから、学級が崩壊したり、学校が荒れて大変なのは、ある意味では教師と影響力のある子たちの魅力合戦で、どっちにいくかですね。「あいつ教師にたてついているけども、そうだよな、俺もあの先生嫌いだ。なんかひいきするよな。なんか差別的なことを言うよな。あの先生はできない奴にバカとか言ったり、きついことを言う」と思ったりね。一般大衆は一言一言じゃ決めないけどね。気になる子たちは一言で決めたりしますよね。「こいつ、嫌いだ」ってね。俺も一言で決められると辛いけど、でも人間はだいたいはいくつか差別的な言動があるとそれが束になって、なんか冷たいやつだというイメージをつくるんですよね。これは挽回もできるんですよね。仮説実験授業とかして、「何となく」と答えてもいいんだよとか、無理に指名しないとか、でも授業は楽しくなっていく。仮説実験授業とかやっていくと、そういういい意味の束が増えますからね。この先生、無理にやってないんだとか、感想文を出したら、ありがとうって言ってくれるんだとか、いくつかの行動とか言動の束で決めるんでしょうね。この先生、あったかいんだとか。一般大衆って、そんなに暴れられないですからね。いろんなことが気になる人々ですから。高校入試も気になるし、いろんなことが気になるのが、一般大衆ですから。自分もその中にいるんですけど。
気になる子たちはわがままだったりとか何とかで、行動を起こすわけですよ。体はって。一般大衆がそっちにぐっといったら、革命が起きますよね。でも「先生に対してひどいことやってるよな」とか「それはないんじゃないの」っていう感じがあれば、崩壊までいかないですね。やっぱりわがままなやつらだよなという目で見るだけで。だから、僕と気になる子たちの魅力合戦かなと思うこともあります。
仮説実験授業というのは教室のみんなで科学を楽しめるようにというのが目的でできているわけですから、一気にこっちを向いてくれますよね。授業に魅力があれば、気になる子たちも敵ではありません。すごい味方になってくれるわけですよ。授業で間違いをおそれない発言をしてくれますから。ちょっと乱暴だったりはしますけど、体験とか、思わぬ発想とかして、こっちを向いてくれるので、そこが大きいような気がします。
僕らはよく学級崩壊とかになった時、一番問題の生徒がいて、その子をどうしたらいいかとか個別に対応するやり方というのもあるじゃないですか。それはそれで役立ってくれることもあるけれど、一番大きいのは全体が楽しい雰囲気になって、楽しく学べて、子どもたちは毎時間じゃなくてもいいみたいですね。ある時間だけでも、楽しい雰囲気があって、そうすると気になる子たちものってくれたりして。でも、仮説実験授業でのってくれたからといって、日常、毎日、平和にいくかというと必ずしもそういうわけじゃないですね。この子たちはつっぱることで存在価値があるわけで、やっぱりいろいろしでかすんです。ただ、しでかしたことに対しては僕が一般大衆に支持をもらっているかどうかということには決定的ですね。そういう余裕、ゆとりがあるかどうか。去年も鑑別所に入った子なんかがいたわけですよ。いろんな環境の子がいますから。学校というのは、そういう子も来て当り前。公立ですから。そういう子に接するのでも、一般大衆の支持があるとゆとりを持って接することができたり、そういう子もある授業の1時間だけでもいいから、輝いてくれたとかいう瞬間を僕が見てて、「あいつも輝くんだよ」というのを知ってると対応が違いますね。そういうのが1回もないと、かわいいと思いたいだけでは、なかなか思えないですよ。そんな気がします。
自分が崩壊しないために
学級崩壊って周りは騒いでいるけど、僕は自分が崩壊することを一番心配するんです。自分が崩壊しないためには、今、思いつくのは2つかな。1つは子どもが嫌いにならない僕であるか。ちょっとでもかわいいと思えるかということなんです。僕がかわいいなと思えるのは、みんなで笑いあえる場があったり、僕が授業して「先生の授業、楽しいよ」と言ってくれたら、もう超うれしいという感じです。そんなに自信ないですもん。子どもに喜んでもらえることって、そんなにできないですよ。それが授業で喜んでもらえることがある。子どものことがかわいいと思えるかどうかというのが、まずポイントです。かわいいと思えと思っても、思えないので、輝いてもらえるきっかけを与えないと躍動してもらえませんので。
あとは、学校に行くといろんなことが気になるんですよ。僕の場合は、一点突破という言い方もそうだし、別の言い方をすると夢中になれるものが1つあるかなということです。気にするなといっても気になりますからね。夢中になれるものがあるといいよなと思うんです。僕の場合は夢中になれるものが子どもが喜んでくれるものにしぼっていて、一つの例ですけど、アイルトンくんが手を挙げてくれるとうれしくて書いたり、そういうことを探して、僕を元気にさせてやってます。
【テープ起こしを終えて】
私は「僕の教師入門は一点突破」という言葉が印象に残りました。私も学校の中でいろんなことが気になってしまいます。気にしないようにしようと思ってできるものではありません。そんな時、夢中になれるもの、私にとっては仮説実験授業があるということはとても大きいと思っています。
私もずっと「自分が元気になりたくて」仮説実験授業をしてきたという感じです。子どもたちの笑顔と私の元気がつながっていることは確かですが、私がやりたいから仮説実験授業をやっているというのが、正直なところです。でも、だから私はクラスはくちゃくちゃに見えるような状態でも、自分自身が崩壊せずにこれたんだと思います。まずは自分が楽しく教師をやっていきたいということは基本だなと思います。楽しく仮説実験授業をやっていると子どもがかわいく思える場面はけっこうあるし、仮説実験授業に夢中になってしまったのですから。
私はまだまだものさしがふらふらすることがありますが、仮説実験授業をしながら、少しずつ自信も持てるようになるかなと思えたし、小原さんのあったかさが伝わってくるようで元気が出ました。
熊本,六栄小 上野 詔子 1999.5.4
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