大屋学研究
はじめに
地域の名称に「学」をつけて、その地域やそこに住む人々のの特色を浮き彫りにするというのはよくあることだ。ちまたの書物のタイトルでは、大阪学、兵庫学などを見かけた。また兵庫県では、播磨学や但馬学がある。もっとも広いエリアでは、日本学ということになるだろう。もともと、地名に「学」をつけて学問として確立させたのは、「沖縄学」である。沖縄は琉球文化として、本土とは異なる独自の文化をもっていた。従って、その独自性とは何かを追究することは、それなりの成果が出たし、日本を再認識するためにも、たいへん意味深いことだった。しかし、これを本土の一地域一地方で考えた場合、それなりの成果をあげることができるかどうかは疑問である。 郷土愛が高じすぎて、偏狭的なものになったり、地域でひとくくりにしてしまうために、かえってステレオタイプ化してしまうことになったりしかねない。さて、そんなことを考えるとき、大屋学というのは果たして可能なのだろうか。
大屋というよりも、すでにあるように「但馬」というひとつのかたまりで考えていかないと困難なのかもしれない。大屋というひとつのごく限られた地城、大屋郷、大屋谷で、ひとつの学を構築することは至難の業だろう。大屋谷は見る限り、日本の典型的な里山である。典型的ということは、言い換えれば、どこにでもあるということだから、さして特徴はないということになる。しかし、最近メダ力が絶城の危機にあるということを聞いてこんなことを思った。メダカといえば、かつてはどこの川や池でもお目にかかることのできた魚である。典型的でどこにでもあると思っているうちに、気づいてみれば稀少な存在になってしまっていたというのはよくあることだ。大屋も、そんな希少価値をもつ里山だと思う。 しかし、大屋の中にも、大杉あり、市場あり、楢見あり、由良あり、若杉あり、横行あり、・・・といくつもの地域があり、人がいる。もともと違う村が合併してできた町である。それをひとつにして考えるのも、それぞれの小さな集落の特色をいっしょくたにしてしまうことになる。そうしたことを考えながら、何か大屋というひとまとまりのものを考えてみたい。大屋谷という、山々に囲まれた地域の独自な何かを引き出せたらと思うのである。そこで、ゆっくりとじっくりと、これから大屋のことを考えていきたいと思う。