弁財天の生い立ち。
頼朝が平家追討のため、建立したと伝えるが、
実際はもっと古いのか、わからないそうだ。
当時、この寺は戦略上の拠点になったのだろうか。
近くに古くからの五日市街道が走ることを考えると
ありそうなことに思える。
時代はくだり、江戸時代初期に家康や家光が井の頭を訪れ、
お鷹狩を行った。
家康がのどを潤したとされる、井戸が井の頭にはある。
その後、18世紀には神田川の水源地として、
とりわけ「江戸紫」の水源として注目をあびた。
今も残る石燈篭にはそめもの問屋と
おぼしき寄進者の名前が残る。
(参考:公園内の三鷹市教育委員会の公園案内)
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弁財天とは
弁財天は、もともとはバラモン教の
根本聖典「リグ・ウ”ェーダ」の河川にまつわる神である。
学問・文芸・芸術の神でもある。
日本に入ってきた後、なぜか財産を授ける神にも
なったもよう。
これで染物に必要な、神田川の水源地の弁財天に、
江戸時代の商人が寄進したことに納得がいく。
参考文献:日本大百科事典 1988 小学館
総合佛教大辞典 1987 法蔵館
図説佛教語大辞典 1988 東京書籍
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