4月に入社を控えた3月のある日、自分の配属先を郵便によって知らされた青年は、新社会人として生活を行っていく場所がどんなもんかと、休みを利用して下見に行った。とりあえずは、住む場所を見てみるかと、地元のだれもが「めいえき」と略して呼んでいる場所から直接独身寮に向かった。 必要以上に期待しない、をモットーとする慎重派のその青年は、得た情報を7割ぐらいに見積もるよう常に心がけているので、なにをするにしても、たいていは、事前に予想する最低ラインを下回る事はなかった。たいていの場合は、事前の予想の最低ラインを上回り、楽しく人生を送ることができていた。 しかし、ご当地の訛りを前面に出す管理人にその部屋を案内され、部屋の扉が開いた瞬間、その青年の最低ラインは、簡単に破られた。最低ラインは決して高めに設定されていたわけではなかったが、これから輝かしい新社会人生活を迎えるであろうその青年にとって、現実は厳しすぎた。そこが学校の教室だったら、間違いなく「先生、気分が悪くなったので、保健室に行ってもいいですか。」と言って教室から出て行ってしまっていただろう。 芳野町独身寮を語るにはその部屋の狭さから説明しなければならないだろう。 一般的な尺度で言うと、3畳半といったところである。それほど狭い空間に人間が住んでいいのか、を実験しているのではないか、どこかにカメラが設置してあって観察されているのではないかと勘ぐってしまうほど狭い。独房と表現してもいいくらいなのである。 そして、押し入れとクローゼットらしきもの、が壁に食い込むようにして存在し、押し入れの半分は隣の部屋の空間をつぶしている(当然、隣の部屋の押し入れの半分が、自分の部屋の空間の半分をつぶしている。)という状況である。しかも、押し入れはベニヤ板一枚で仕切られており、つくりも雑なため、隙間から、隣の部屋の明かりが漏れているという状況である。 その部屋の「狭さ」から、独身寮の廊下には、冷蔵庫、本棚、タイヤ、段ボール箱等、当然部屋に入りきらない数々の荷物が並んでいる。というか、いた。海外勤務から帰国した寮生の荷物が独身寮に届いたが、あまりの部屋の狭さに、荷物のほとんどを実家に転送した。というエピソードもあるくらいの狭さなのだから当然といえば、当然である。 その後、その青年は、転勤とともに別の寮に移る事になった。新しい寮では、部屋の空間を持て余した。かつての寮ではとても入りきらないと思われる、デッキチェアーとかを買ってみた。それでも埋まらない何かが青年の心にあった。 以前、独身寮建替え計画が実行に移されようとした。直前で会社の事情により、家族社宅の一つが改築されたにとどまった。建て替え計画が頓挫したと聞いた時とほぼ同時期に、テレビはワイドテレビになり、3階の洗濯機が新型になったが、それだけだった。当時は、独身寮もとっとと建て替えろ、いつまでこんな狭いとこに住まわせとくつもりだ、という気持ちでいっぱいだったが、今は気持ちを切り替えていた。もはや、その独身寮を立て替える必要はない、いや、絶対建て替えるな、と考え始めた青年は、なんとかこの独身寮を重要文化財に指定できないかと検討中である。
会社の独身寮というぐらいだから、トレンディードラマのようにはいかないまでも、心地よい社会人新生活をはじめられるだけの部屋を想像していた。
呆然と立ち尽くす間もなく、青年はその独身寮を後にした。あまりのショックに、青年は帰りに衝動買いをした。衝動買いをしてしまう女性の気持ちが少し分かったような気がした。その街ではどこで買い物をしていいか分からなかったし、分かりたくもなかった気分だったので、地元で買い物をした。
しかも、そんなに重厚な作りのものは必要ないと確信できる机・椅子が備え付けであり、さらにベッドも備え付けであるために、社会人として、人間として最低限の生活を維持するために、テレビ、オーディオ、棚等を設置すると、実際の可動範囲は、1畳に満たず、朝起きて健康のためにラジオ体操をしようものなら、両手を壁、本棚にぶつけて、逆に手足を打撲し健康を害してしまうほどの狭さなのである。
また、その押し入れが、隣の部屋とベニヤ一枚でしか仕切られていないため、隣の部屋の声のみならず、音という音が丸聞こえなのである。女性からの留守電が全て隣人に聞き取られていて、「お前、○○ちゃんと、○○時に□□で待ち合わせだろ。」と、行動が全てばれていてた。等のエピソードは数多く残っている。
それにもかかわらず、ある時、廊下に荷物を出しておくと災害時の非常口への通路が確保できない、との理由で、管理人から「廊下に荷物を出すな司令」が下された。しかし、「部屋に荷物が入りきりません。」という、人間として全くもって当たり前の言い分によって、その司令は却下された。
その後、数々の論議を重ねた結果、1998年には、ついに、廊下の荷物をしまう物置としての位置づけで、2人共有とはいえ独身寮の1部屋を割り当てられたのである。これによって、独身寮の廊下状況は劇的に変化した。特に2階は、当時のコードネーム202号が、エジプトに強制出国となった事もあり、廊下にほとんど荷物がなくなるという状況にまで達したのである。
あの寮に最初に入れば後はどこの寮に行っても大丈夫、と青年は断言できるだろう。部屋の狭さに関しては間違いなくそうである。青年の最低ラインを軽く下回るほどの部屋の狭さだったのだから。
しかし、この独身寮には、部屋の狭さを差し引いても有り余る、というか、その部屋におさまりきらない別のものがあった。寮生のこころを満たす何かがあった。全員同じ寮に住み、同じ場所に通い、同じ職場で仕事をすることから生まれた連帯感だろうか。
それだけではない。かつて、この独身寮に在住した事がある人間ならば、部屋の狭さ以外に忘れられない何かが残っているに違いない。一時代の独身寮の食事以外にも。
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