諸道聴耳世間猿 四之巻
一 兄弟は気のあハぬ他人の始
神州五畿七道にわかれてより、都鄙の文言に其土地そなハりて、因幡鴉に伯耆猫。伊勢人のひがごといふと詠る哥あれば、山城の人は八十宇治つくといへり。国国郡郡にてちがふ筈ハ、一ツ竃の物喰てさへ、いひごとのたへぬならハせなれば、人の心同じからざるハ其面のごとしと、いへるもさる事なり。中にも足曳の大和の国は、文字にさへ大きに和らぐと書て、土あまく山肥て四神相擁の地なれば、皇都もあまたたびここに遷し給ふ。人の心すなほにて、仮にも偽をかざらず、上をたうとみ下を憐ミ、行ものハ道を譲り、耕すものハ労を助けあひて、花の吉野、紅葉の龍田、何に不足なき上国なり。むかしむかしの京寧楽の町に、鵜飼や伊左衛門、伊兵衛とて、色も香もある墨商人、軒をならべて兄弟住けり。兄伊左衛門は幼少より世渡りの心がけよく、商賣がらとて握り墨の卑吝嗇人。親の譲りとハ三挺がけの身躰にして、手代十人、僕児七人、家内三十人余の大賄ひ。諸国の出店へ下し荷の世話注文のかけ引、目つらもあかぬつかみどりの繁昌。若くさ山に桜が咲うが、木辻に夜芝居がはじまろうが、敷居一寸外へ出ず。春日様は慈悲万行の御誓願なれば、商人の為にならぬ神様、と御祭りにも参つた事ハなかりけり。弟の伊兵衛ハ兄の気質とハそこばくのちがひにて、生得の廉直より迂作つかず、追従ぎらひにて、身持万事に高情をこのミ、兄の吝嗇を憎ミて、常常中よからず。春は飛火野に若菜を摘くらし、夏ハ佐保川の螢がり、洞の楓樹に小鹿の鳴音をそえて秋を感じ、さむき夜のあられ酒に冬籠りして世事にかかハらず。今春太夫につきて扇の一手より芝能に羅綾の袖をひるがへし、連歌ハ京の花のもとに入門して、風流もつぱらに修行せられぬ。此男のくせにて、何事を稽古しても最初から論がつき過て、無要の事に念を入れて、金銀を積でも、傅授といふ程の事さらへてしまはねバ気が済ず。古今の三鳥三木、源氏物語に三箇の傅、勢語に七箇の大事と残りなく傅へ得て、宗祗法師の鬚に香をとめられたハ、連歌を案じる便りになる事にや。もし左様ならバ私が髭ものばしてたきしめましやうかとの執心に、花のもとも返答さしつまり、いやいやあれハ其やうな事でハござらぬ。宗祗ハ歌枕に飛めぐられたゆへ、はたご
兄弟は気のあハぬ他人の始 兄弟は気があわぬと他人と同様で、他人の始まりである、の意。
(1)神州 日本の美称、神国。
(2)五幾七道 五畿は畿内の五ヵ国で、山城、大和、河内、和泉、摂津、七道は、東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海。
(3)文言 言語。
(4)因幡鴉に伯耆猫 因幡の人の言語は鴉の如く、伯耆人は猫に似た、の意味。言語だけでなく、性情もいうか。
(5)伊勢人のひがごといふ 伊勢は僻(えせ)と通ずるので「ひがごと」するという俗説ができた。「いせならば僻事やぞと思はまし大和なるてふみまさかの池」(永久百首)
(6)八十宇治 八十氏で、多くの氏姓の人々。
(7)足曳の 山・岩、こ(木)の枕詞。
(8)四神相擁 地相の四神。すなわち、青竜(東)・白虎(西)・朱雀(南)・玄武(北)に相応すること。
(9)握り墨 けちの縁語。
(10)三挺がけの身躰 三挺は櫓三挺にて操る小さな川舟o親のゆずりを三倍にしたことか。
(11)下し荷 卸荷。
(12)目つらもあかぬ 人の目面もわからぬ程の、目もくらむほど忙しくて混雑するさま。
(13)若くさ山 奈良市春日山西北の丘。
(14)木辻 奈良の遊女町。猿沢池の裏通り。
(15)慈悲万行 大慈悲心に住して万行を修する。
(16)御誓願 衆生を牧う願望を成就するたとえ。
(17)御祭り 春日の若宮。十二月十六日〜十八日の祭り。
(18)高情 高尚。
(19)飛火野 春日野。
(20)佐保川 奈良市春日山の奥に発し、大安寺をへて南流し、諸川と合して大和川となる。
(21)洞 奈良の土地であろう。
(22)あられ酒 蒸米から製した霰状のものを浮かしたみりん酒。奈良の名産。
(23)今春太夫 今春(金春)は大和猿楽四座の一つ。その太夫。金春禅竹以後、奈良を本拠
として活動し、現在の金春流に続いている。
(24)扇の一手より 扇の一手から進んで、の意か。
(25)芝能 奈良市春日大社、および興福寺で、三月十四〜十五日に行なわれる能楽の称。芝の能。薪能。
(26)羅綾 うすものとあやおり。高級な衣。
(27)花のもと 連歌の宗匠の号。宗祗法師にはじまる。
(28)論がつき過て 理屈がつきすぎの意か。
(29)金銀を積でも いくら金がかかっても。
(30)古今の三鳥三木 『古今集』の秘事。三鳥は稲負せ鳥、百千鳥、呼子鳥、三木は「をがた