小説の主脳ハ人情なり世態風俗これに次ぐ人情とハいかなる者をいふや曰く人情とハ人間の情欲にて所謂百八煩悩是なりそれ人間ハ情欲の動物なるからいかなる賢人善者なりとていまだ情欲を有ぬハ稀なり賢不肖の辨別なく必ず情欲を抱けるものから賢者の小人に異なる所以善人の悪人に異なる所以ハ一に道理の力を以て若くハ良心の力に頼りて其情欲を抑へ制め煩悩の犬を攘ふに因るのみされども智力大に進みて気格高尚なる人にありてハ常に劣情を包みかくして苟にも外面に顕さゞるからさながら其人煩悩をバ全く脱せしごとくなれども彼また有情の人たるからにハなどて情欲のなからざるべき哀みても乱るゝことなく楽みても荒むことなく能くその節を守れるのみか忿るべきをも敢て忿らず怨むべきをも怨まざるハもと情欲の薄きにあらで其道理力の強きが故なり斯れバ外面に打いだして行ふ所ハあくまでも純正純良なりと雖ども其行をなすにさきだち幾多の劣情心の中に勃発することなからずやハ其劣情と道理の力と心のうちにて相闘ひ道理劣情に勝つに及びてはじめて善行をなすを得るなり彼の神聖にあらざる以上ハ水の低きにつくが如くに善を脩むる者やハあらんいくらか迷ふ心あるをバよく道理をもて抑ふればこそ賢人君子ともいはるゝなれはじめよりして迷なくんバ善をなすとも珍しからず君子賢人などといはんハなかなかに是おろかなるべし斯れバ人間といふ動物にハ外に現るゝ外部の行為と内に蔵れたる内部の思想と二條の現象あるべき筈なりしかして内外双ながら其現象ハ駁雑にて面の如くに異なるものから世に歴史あり傅記ありて外に見えたる行為の如きハ概ねこれを寫すといへども内部に包める思想の如きハくだくだしきに渉るをもて寫し得たるハ曾て稀なり此人情の奥を穿ち所謂賢人君子ハさらなり老若男女善悪正邪の心のうちの内幕をバ洩す所なく描きいだして周密精到人情をバ灼然として見えしむるを我小説家の努とするなりよしや人情を寫せバとて其皮相のみを寫したるものハいまだ之を真の小説とハいふべからず其骨髄を穿つに及びてはじめて小説の小説たるを見るなり和漢に名ある稗官者流ハひたすら脚色の皮相にとゞまるを拙しとして深く其骨髄に入らむことを力めたりしも主脳となすべき人情をバ皮相を寫して足れりとせり豈憾むべきことならずやそれ稗官者流ハ心理學者のごとし宜しく心理學の道理に基づき其人物をバ仮作るべきなり苟にもおのれが意匠を以て強て人情に悖戻せる否心理學の理に戻れる人物なんどを仮作りいださバ其人物ハ已に既に人間世界の者にあらで作者が想像の人物なるから其脚色ハ巧なりとも其譚ハ奇なりといふとも之を小説とハいふべからず物にたとへて之をいはゞ機関人形といふ者に似たり椛イにして之を観れバさながら夥のまことの人間活動なすがごとくなれども再三熟親なすにいたれバ偶人師の姿も見え機関の具合もいとよく知られて興味索然たらざるを得ず小説もまた之にひとしく作者が人物の背後にありて屡々糸を牽く様子のあらはに人物の挙動に見えなバたちまち興味を失ふべし試に一例をあげていはん歟彼の曲亭の傑作なりける八犬傅中の八士の如きハ仁義八行の化物にて決して人間とハいひ難かり作者の本意ももとよりして彼の八行を人に擬して小説をなすべき心得なるからあくまで八士の行をバ完全無欠の者となして勧懲の意を寓せしなりされバ勧懲を主眼として八大士傅を評するときにハ東西古今に其類なき好稗史なりといふべけれど他の人情を主脳として此物語を論ひなバ瑕なき玉とハ称へがたし其故をいかにとならバ彼の八主公の行を見よ否其行為ハとまれかくまれ肚の裏にて思へる事だに徹頭徹尾道にかなひて曾て劣情を発せしことなし矧や一時瞬間といへども心猿狂ひ意馬跳りて彼の道理力と肚の裏にて闘ひたりける例もなしよしや堯舜の聖代なればとてかゝる聖賢の八個までも相並びつゝ世にいでんこと殆々望みがたき事ならずや蓋し八犬士ハ曲亭馬琴が理想上の人物にて現世の人間の寫真にあらねば此不都合もありけるなりさハあれ馬琴ハ凡ならざるよく巧妙の意匠をもてして其牽強をバ掩ひしかば読者ハ毫もこれをしらずよく人情をも穿ちたりとほめたゝへたるハ誤らずや斯いへばとて八犬傅をば小説ならずといふにハあらねど今証例に便ならんが為にしばらく人口に膾炙したる彼傑作を引用せしのみ |