山東京山
『蜘蛛の糸巻』
家兄曰、草双紙の作は、世を渡る家業ありて、かたはらになぐさみにすべき物なり。今時鳴なる作者皆然り。さて又戯作は、弟子としてをしふべき事一つもなし。さればおのれをはじめ古今の戯作者、一人も師匠はなし。
曲亭馬琴
『近世物之本江戸作者部類』
吾も素より戯墨もて旦暮に給するを好技なりと思ふにあらねと性僻にして斗米に腰を折めん*を願はず、又往を送り来を迎ふる商賈の所為を要せず、かゝれは意に織り筆に耕す毎に、只勧懲を旨として蒙昧を醒さんと欲するにより、(略)とにもかくにもひかものなるへし
『南総里見八犬伝』
第九輯下帙下編之中総目録
知吾者。其唯八犬伝歟。不知吾者。其唯八犬伝歟。
『八犬伝』
第九輯下帙下套之中後序
大凡経籍詞章の学びは、和漢の先哲、叮寧に注疏して、学者を教導くものから、世俗は皆教を厭ふて、無用の空言を歓び、或は又奇を好みて、人の好*を聴まく欲す。こゝをもて、達者の戯墨に遊べるや、事を凡近に取て、誼を勧懲に発し、空言以塵俗の惑ひを覚す云々
文政十三年正月二十八日付殿村佐五平(篠斎)宛書簡稗史は人情を写し得候を専文ニいたし候ものニ御座候 その上にて勧懲を正しくいたし候を 上作と可申候
稲垣達郎 明治文学全集16 解題  明治十四年(一ハハ一)、東京大學本科文學部政治科三年の、おそらくは學年試験で、ホートン教授のシェークスピアの試験に失敗した。「ハムレット」の王妃ガートルードのキャラクターを解剖せよということだつたのに、道義批評をしたからである(「回憶漫談」其一)。キャラクターを品性と誤解したのかもしれないが、また、東洋の文芸批評の伝統にこびりついていた道義論の伏在によるところも多かつたにちがいない。 たんに、「ハムレット」の試験失敗にだけしぼることはできないかもしれないけれども、これが、逍遥の文學批評、少くとも「性格解剖法」について反省させる有力な機會になつたことはたしかだろう。「性格解剖法」研究のために、「主として近着の外國雑誌の文學評論の部を、或ひは英文學史類を手當り放題に抜き読みして、解つた限りを抄訳したり何かした」(同右)という
永井荷風 『花火』 明治四十四年慶応義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ケ谷の通で囚人馬車が五六臺も引績いて日比谷の裁判所の方へ走つて行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭な心持のした事はなかつた。わたしは文學者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラはドレフユー事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文學者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら文學者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。その頃からわたしは煙草入をさげ浮世絵を集め三味線をひきはじめた。わたしは江戸末代の戯作者や浮世絵師が浦賀へ黒船が来ようが桜田御門で大老が暗殺されようがそんな事は下民の与り知つた事ではないーー否とやかく申すのは却て畏多い事だと、すまして春本や春畫をかいてゐた其の瞬間の胸中をば呆れるよりは寧ろ尊敬しようと思立つたのである。