何かの用事で今年の盆にはとうとう行かずにしまつた處から、俳諧師の松風庵蘿月は今戸で常盤津の師匠をして居る実の妹をたづねて見たいと毎日さう思つてゐた。けれども流石日ざかりの暑さには家を出かねて、夕方の来るのを待つ。夕方になると竹垣へ朝顔をからました勝手口で行水をつかつた後其のまゝ真裸体で晩酌を傾け、やつとの事で膳を離れるので、七月の黄昏も家々で焚く蚊遣りの煙と共にいつか夜になつて、盆栽を並べて簾をかけた窓外の往来に下駄の音、職人の鼻歌、人の話声が賑に聞え出す。蘿月は其から直ぐに今月へ行くつもりで格子戸を出るけれど、其の辺の涼台から声をかけられるがまゝに腰を下すと、一杯機嫌の話好きに、いつも極つて八時か九時の時計を聞いては吃驚するのであつた。
朝夕がいくらか涼しく楽になつたかと思ふと共に、大変に日が短くなつた。毎朝起きて見るたびに竹垣に咲く朝顔の花の輪が小くなつて、西日が燃る焔のやうに狭い家中へ差込んで来る時分には、近所一面に啼く蝉の声が殊更に調子急しく聞える。八月も半ば過ぎてしまつたので、竹垣を越して裏手の玉蜀黍の畠に吹き渡る風の響が、夜なぞは折々雨かと誤たれた。蘿月は若い時分にしたい放題身を持崩した道楽の名残で、時候の変り目といへば骨の節々が痛むので、いつも人より先に秋の来るのを感じる。この感覚は朧ながらにも、月日が流れる水のやうに過ぎて行くと云ふ寂寞の念を誘ふと共に、半分は居眠つてゐる世外の人の心にも、何か知ら或る判断を促す。蘿月は丁度八日頃の夕月がまだ真白く、夕炎の空にかゝつてゐる頃に、小梅瓦町の住居から今戸をさして歩いて行つた。
曳舟通りに添ふ堀割を傅つて、直ぐさま左へまがると、土地のものでなければ到底分らないほどに迂曲した小径が、三囲稲荷の横手から向島の土手へと通じて居る。小径に添うては、新しく田圃を埋めたてゝ、まだ人の借りない貸長屋を建てた處もある。廣々した構への外には大な庭石を据並べた植木屋もあれば、全くの田舎らしい茅葺の人家のまばらに続いて居る處もある。その竹垣の間からは夕月に行水をつかつて居る女の姿の見える事もあつた。蘿月宗匠はいくら年を取つても昔の気質は変らないので、見て見ぬやうに窃と立止るが、大概はぞつとしない女房ばかりなのでがつかりしたやうに歩調を早めて、自分には損も徳もない貸長屋だの売地の札を見る度びに、今度は其の方の胸算用をして、自分も何か懐手で大儲をして見たいと思ふ。然し又、歩いて行く小径が田圃の中へ這入つて、青々した稲の葉に夕風がそよぎ、蓮田の蓮に美しい花の咲乱れて居るのを見れば、流石は商売柄で、記憶に散在してゐる古人の句を巧いものだと思返すのであつた。
土手へ上つた時には葉桜の蔭は已に暗くなつて、水を隔てた八家には灯が見えた。吹きはらす河風に暑中に黄んだ桜の枯落がはらはら散る。休まず歩きつゞけた暑さにほつと息をついて、ひろげた胸をば扇子であふいだが、まだ店を仕舞はずにゐる休茶屋を見付けて、慌忙て立寄り、「おかみさん、冷で一杯。」と腰を下ろした夕炎の川向うに待乳山と金龍山の五重の塔を眺めて、都鳥の浮き沈みする隅田川に帆かけた舟の通つて行く名所の景色が、江戸気質の風流心を動すにつれて、酒なくて何の己れが桜かなと、宗匠は急に一杯傾けたくなつたのである。
休茶屋の女房が縁の厚い底の上つたコップについで出すのを、蘿月は飲干して其のまゝ竹屋の渡船に乗つたが、丁度河の中程に来た頃から、静な身躰の動揺につれて冷酒が追々にきいて来るのを覚えた。葉桜の上に輝き初めた夕月の光がいかにも涼しい。滑な満潮の河水は「お前どこ行く」と唄の文句にある通りいかにも投遣つた風に、心持よく流れてゐる。目をつぶつて獨りで鼻唄を唄つた。
向河岸へつくと、急に思出して近所の菓子屋を捜して土産を買ひ、今戸橋を渡つて真直な道をば自分ばかりは足元の確なつもりで、実は大分ふらふらしながら歩いて行つた。
名物の今戸焼を売る店の其處此處に見られる外には、何處も同じやうな場末の横町の、低くつゞいた人家の軒下には話しながら涼んで居る人の浴衣の白さが、薄暗い軒燈の光に際立つばかり、あたりは一体にひつそりして何處かで犬の吠える声と赤子のなく声が聞える。天の川の澄んで見える空に高く、茂つた樹木の立つてゐる今戸八幡の前まで来ると、蘿月は間もなく並んだ軒燈の間に常盤津文字豊と勘定流で書いた妹の家の灯を認た。家の前の往来には人が二三人も立つて、内なる稽古の歌を聞いてゐた。