苺の歴史

総合経営学部流通学科
2年 DD 011
  TAKATA Teruaki

1.なぜ苺というテーマにしたか

 どれについての歴史を調べるか考えたときに自分の好きな食べ物について調べようと思った。そこで、イチゴにしました。

2.いちごの名前の由来は?

 英語でいうstrawberryは、苗の周りにワラ(straw)をしくという小果類(berry)の栽培方法に由来するといわれています。
日本では、江戸時代以前の野生の木イチゴが「魚(いお)の血のある子のごとし」といわれるほどイクラやスジコに似て見えることから、魚のイ、血のチ、子のごとしのゴをとってイチゴと呼ぶようになったといわれています。また、1月〜5月まで収穫されることからイチゴといわれるようになったとゆう。

3.いちごの実

 実は、あれは、たくさんのタネのつけ根(花托:かたく)が大きくなったものです。
 桃やりんごなどは、タネのまわりの子房(しぼう)が大きく育ってやわらかくなった果肉の部分を食べています。しかし、いちごの場合は、たくさんのたねが、はだかのまま実についていて、子房がほとんど大きくなりません。
 私達が食べているいちごは、いちごのまわりにたくさんついているタネのつけ根が集まってできた花托というものです。
 いちごは、このような仕組みから、別名で偽果(ぎか)とも呼ばれたりします。

2.いつからたべられていたか?

 いちごが人に食べられるようになったのは、じつは、石器時代からです。スイスのある遺跡から野生種のいちごの種子が見つかっています。 石器時代には、人は狩りや漁、木の実などを採取して生活していました。その時に、野生のいちごをとって食べていました。  そして、このころ、実だけではなくて、葉っぱや茎、根なども薬として利用していました。それから、フランスやベルギーなどで、野生のいちごを持って帰って畑で栽培されていたというはなしもありますが、いちごが本格的に作物として栽培され始めたのは、約200年前からです。北アメリカと南アメリカからの2種類の野生いちごがヨーロッパに運ばれて、2つのいちごがかけあわされて、現在のようないちごになりました。野生のいちごに比べて、かけあわされたいちごの実の大きさは10倍にもなって、味の方もだんぜんおいしくなりました。
 日本に入ったのは江戸時代の終わりごろで、オランダの船によって長崎に運ばれた。それで、当時はオランダいちごと言われたが、明治以降、アメリカからの品種が導入されると、こちらが栽培の主流となった。そして、日本でもいちごの栽培が明治時代から始まって、いろんなおいしいいちごどうしをかけあわせて、現在のような品種のいちごが誕生するようになりました。
 現在は、栃木、福岡、埼玉、静岡、愛知などが生産の中心になっている。

●日本のいちごの歴史

 ここではイチゴで有名な、静岡県の歴史と宮城県の歴史を中心に見ていきました。

ルーツ オランダイチゴ種
 現在イチゴと呼ばれているものは、今から約200年前の18世紀中頃にオランダで、北アメリカ原産のバージニアイチゴと、南アメリカ原産のチリイチゴが交配されて生まれたイチゴがルーツである。
 当時のイチゴは学名をフラガリヤ・アナナッサといい、形がパイナップルに似ていたことからパイナップルイチゴ、アナナスイチゴなどと呼ばれていた。
 この国にイチゴが伝来したのは徳川末期(1830〜1840)で、イチゴの和名をオランダイチゴということからしても恐らくオランダ船で長崎にもたらされたものと考えられる。
しかし、このイチゴは観賞用程度にしか普及せず、現在日本で栽培されているイチゴにつながるものは、 1,880(明治13)年以来にフランスやイギリス、そしてアメリカなどから導入されたものの品種改良を続け、現在の栽培品種名と発展させたものである。
大正時代 エキセルショア、モナーク、ビクトリアなど
昭和初期 マーシャル。静岡市久能地区、清水市三保地区を中心にいちごの栽培が始まった。
クラークス・シードリンク。゛露地栽培。木箱リヤカーで仙台市場へ
昭和23年 宝幸・幸玉・モナーク導入
昭和30年代 幸玉、ダナー、ニューダナー。栽培地域も全県下に広まった。ビニールトンネルの 導入により、半促成栽培が増加した。食生活も向上し、消費も増えた。
ダナー・幸玉導入。各地に出荷組合結成。木箱バラ詰め、汽車で輸送。京浜市場へ出荷。仙台いちごの銘柄使用。大型ハウス導入
昭和45年 福羽(38%)、堀田ワンダー(34%)、はるのか(20%)。栽培に労力がかかるため、栽培面積は安定期に入った。 ダナー。高冷地育苗開始
昭和48年 宝交早生。電照栽培開始
昭和52年 麗紅導入。ウィルスフリー苗本格配布。生産量安定、反収大幅増加
昭和55年 宝交早生(87%)、麗紅(4.1%)。栽培者の高齢化等により、栽培戸数や作付け面積 は、減少している。
昭和59年 女峰導入。ウォターカーテン導入
イチゴ戦争
 西の宝交・東のダナーは、いちご戦争を起こし、ともに中京まで進出し天下分け目の関が原になるところでした。
しかし、全国的に展開されたいちごの大衆化に貢献し名を残すとともに、台頭してきた女峰・とよのかに地位を譲りました。
昭和60年代ダナー大幅減少、女峰、麗紅中心。電照栽培大幅増加。夜冷育苗導入。大型ハウスを導入。女峰超促成栽培導入。
平成3年 女峰暗黒低温栽培導入
平成5年 女峰(70%)、章姫(12%)、久能早生(11%)
平成7年 大型苺ハウス導入農家増加。夜冷施設導入増加
平成8年 章姫(75%)、女峰(18%)、アイベリー(3%)。立ったままの姿勢で収穫できる,高設養液栽培が,静岡県内で急速に広まっている。

5.いちごの迷信

 外国はどうか知らないけど、日本に生えているいちごに「毒いちご」はありません。まあ、食べて苦いいちごや、すかすかしていて食べてもおいしくないいちごはあります。
地方によって、「へびいちごは毒だ」という言い伝えがあるそうですが、迷信です。山など歩いていて、いちごを見つけたら試しにどんな味がするか、食べてみてはいかがでしょうか?

参考文献:インターネット

http://www2.health.ne.jp/library/3000/w3000537.html
http://www.saganet.ne.jp/ichigo/main/kyousitu/rekisi/rekisi.html
http://www.packet.ne.jp/fruit/syurui/itigo/1.htm