2005.10.4
2005.10.11
後期が始まりました。
貴重な閲覧者の皆様ごぶさたしております。

さて、いきなりイベントです。
3年生の研究発表会があるわけです。
・・・といっても、これを書き込んでいる時点では終わっているわけですが(笑)

4日はプレプレ、11日はプレ発表でした。
東さんが「日韓の感動詞の比較について」
金堂くんが「福岡県の文末表現について−筑前地域の方言に注目して−」
・・・だったよね?笑 
手元に資料が無いので。すいません。ほぼ正解のはずです。

結果としては、2人ともよく頑張ってました。
ギリギリまで悩みつつ考えつつ研究と向き合ってましたし。

あ、中国から留学生が2人加わりましたよ。→メンバー紹介

2005.10.18
2005.10.25
2週に渡って夏期調査のまとめ、に向けての作業をしました。
各班ごとに結果をまとめて考察を加える、というところまでを課題としました。
報告は来週です。

そういえば、18日にOGが訪ねて来てくれました。
突然で驚きましたが、ああいうのは嬉しいものですね。
また機会があったら是非。

今月発売の『言語』は「感動詞」の特集でした。
あまりにタイムリーだったので、つい買ってしまいました。
この要素を有意味とするあたり、言語研究の対象が「談話」「コミュニケーション」レベルまで広がっている証拠なのでしょうね。

読みながら思ったのですが、「フィラー」も入ってくるわけですね、感動詞というのは。
もともと「フィラー」には興味がありましたが、こんなに広い展開を見せるとは・・・。

「トリビアの泉」は何故「へぇー」なのか、ってなかなかキャッチーだと思いません?
「ふむ」でも「ほぉー」でもいいのに、です。

てなわけで、来週は調査報告。再来週は4年生の中間発表プレです。

2005.11.1 今回は夏期調査の結果報告です。
今頃?という感も否めないのですが、のんびりじっくりということでお許し下さいませ。

うまくいったところもあれば、思うように結果が出なかったところもあり、今後の調査に生かしていけそうです。

やはり経済生活や社会生活が興味深いですね。
方言はその地域の生活と密接に関わるものですから、日常の生活に関する方言こそが研究の醍醐味を味わえるわけです。

それら「生活語」の報告は近日公開、ということで。

あ、そういえばまたもやOGの訪問がありました。
流行ですか?
またのご訪問をお待ちしております。

2005.11.8 さてさて、すっかり日暮れも早くなり、冬到来の今日この頃。
気になるのは卒業論文でしょうか、4年生。
てなわけで、4年生の卒業論文中間発表プレを行いました。

岡田愛佳「広島大学の学生における方言意識についての研究」
小川麻衣「高知県安芸市方言における禁止表現の研究」
川村右京「日本語動詞の可能形に関する研究〜広島県東広島市の使用実態について〜」
長谷川蘭「文字の持つ非言語機能についての研究」
幡野しず香「山梨県西部方言の文末表現に関する研究」
深田香織「広告文の言語学的分析」
宮園由里枝「福岡県福津市福間方言の文末詞」

地域方言の研究が多いですね。少し前までは方言学を専門とする人はわずかだったのですが、最近また多いようです。
コミュニケーションの研究は面白いですが、勉強する要素があまりに多いですからね。

個人的には川村くんと長谷川さんの内容に興味をひかれました。
川村くんの集めた「ら抜き」「れ足す」のデータは案外貴重なのではないか、と思います。
手垢のついたテーマではありますが、世代間のデータって多くはないと思うのです。
しかも、2つの事象を連続的に分析しているわけですから、より少ないはず。

長谷川さんが調査した地域は管理者の故郷なのです。
同郷ですから当然といえば当然ですが。
彼女の目的とは外れてしまうかもしれませんが、地域社会学的な視点から見るとなかなか興味深いと思います。

そんなわけで、本番は今週の土曜日です。

2005.11.15 今回は、久しぶりのミニ発表です。
ミニ発表というのは、研究発表よりは圧倒的に軽い内容と雰囲気での発表です。
「発表者」というよりは「提案者」という感じですね。
正解と結論を求めない、目的的な議論がしたいわけです。

4年生の宮園さんが「北部九州における方言新語研究」と題して発表してくれました。
陣内先生の本(陣内正敬1996『北部九州における方言新語研究』九州大学出版会)をまとめた発表でした。
「新方言」「ネオ方言」の上位概念?の「方言新語」について論じた本で、サピアの「ドリフト」まで取り込んでるようです。

内容についてはそれなりに話しつつ、気が付けば全く違うことを議論してました(笑)
いや、これが目指していることなんですが。
「これはどうしてだろう?」っていう疑問や自分なりの解釈を議論することは、研究の勘や能力を鍛えるために大切だと思うのです。

個人的には、若い世代の「友情」「友人」概念を知りたいですね。
自分自身の研究課題でもあるので、以前から興味はあるわけです。
それが、先日、総合科学部の清水真木先生が書かれた本(『友情を疑う―親しさという牢獄』 中公新書)を読みまして、思いが再燃したんですね。
何だか自分の思いを代弁してくれているかのような、妙な安心感を持てた本です。

「自己開示」−「親しさ」−「友情」−「友人」という図式に脅迫されてません?僕ら。
それを媒介し、構成しているのは他ならぬ「言語」だと思います。・・・当たり前か。
その脅迫観念の裏に、歪曲した理想や純粋さを感じるのは管理者だけではないはず。

・・・なんてことを話してました(笑)

来週もミニ発表です。

2005.11.22 まとめての更新です。

前回に続きミニ発表ということで、4年生にお願いしました。
右京くんと長谷川さんが、それぞれ「問題な日本語」「顔文字」について発表してくれました。

「問題な日本語」は続編発売記念ですね。僕らが「記念」することはないのですが(笑)
ことばの研究に携わる人間として「正しい日本語」を知っておく必要はあるだろうと思っています。
ただ、「知る」ということと「使う」ということは別だと思うのです。
「間違った日本語」をあげつらっても、話のネタにはなるでしょうが、建設的な議論とは言えない気がします。
むしろ、なぜ「正しい日本語」は存在し続けるのか、なぜ「日本語ブーム」は起きるのか、の方が興味を惹きます。

そういう意味では「顔文字」って興味深い対象だと思うのです。
深く掘り下げるにはひと工夫必要ですが、コミュニケーションについて考えるには分かりやすい例です。
ケータイ・コミュニケーションという領域まで目を向けるとぐんと楽しくなるんですが。

マクルーハンの「メディアはメッセージである」という指摘や、出版業の発達による音声(話すこと)から文字(書くこと)への移行の影響などを鑑みるに、コンピュータ上の文字や「打つ」という作業は我々にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

2005.11.29 11月も最後となりました。早いですねぇ。
さて、今回は3年生の研究発表会プレプレ発表です。ちなみに先生は北京に出張中。

発表者は2人です。正式な題目はまた来週書きますね。
川口さんは「役割語」、三ツ井さんは「地域方言の生存・絶滅のポイント」について発表してくれました。

「役割語」は阪大の金水先生が提出した概念ですね。
「役割語」というのは、「博士」が「わし」「〜じゃ」と言うように何らかの役割を遂行、表示(呈示)するために使われる言葉のことです。
対象としては非常に面白いですし、神戸大の定延先生が提出した「キャラ助詞」も含めると楽しくなりそうです。
ゴフマン好きの管理人としてはとても惹かれます。

「地域方言の生存・絶滅のポイント」と書きましたが、うまくハマる表現がないのです。
現代の地域方言は常に共通語化の波にさらされていると言っても良いでしょう。
しかし、その中で(話者が地元から離れていても)使用され続ける地域方言ってありますよね。
それとは逆に滅んでしまうものも。
そこには一体どんな違いがあるのでしょうか。
・・・ということです。
重要な問題ではありますが、いくつかの過程と要素に分けられそうな気がしますね。
その中で最も興味のある部分を取りあげる必要がありそうです。

来週はプレ発表です。先生も帰国されている、はず。

2005.12.06 今日は12月22日です(笑)
貴重な閲覧者を失ってしまったかもしれません。

この時は3年生のプレ発表だったんですね。
中身をより精緻にして先生のご機嫌を伺う形になりました。

で、同じ週の土曜日が本番でした。きちんと発表できていたと思います。
先生の講評として(記憶が正しければ)、
まず、川口さんの「役割語」研究は、@形成A実際の使用状況という2つの問題を明かそうとするものだが、@形成がまだまだ明らかにされていない。さらに、「ステレオタイプ」に関する先行研究の検討が足りない、というものでした。
三ツ井さんは、問題が大きすぎるので少し絞り込むことと、何よりフィールドに出ることが必要だ、とおっしゃっていました。

ごもっとも。ですが、3年生の発表としては良くできていたと思います。
これで3年生は全員研究発表を終えたわけですが、全体的に真面目だなぁという印象です。
もちろん良い意味ですよ、はい。

2005.12.13 先週の出来事ですね(笑)

学部生がミニ発表をしてくれました。
小川さんが「世代とことば」、深田さんが「商品名に隠された音の秘密」というお題でした。

小川さんの内容は、これぞ社会言語学っ、というものでした。
世代差をみるということは、単純に年齢で処理するものとは違うわけですね。
そこには社会的な影響からの観点(例えば高度成長期とかバブル期とか)が入っている、と。

しかし、言語をはじめ社会的な要素というのはおおよそ連続的なわけで、便宜的と言えど「〜世代」と区切ることができる、というのはとても不思議だし面白いですね。
つまり、そこには納得してしまうような共通性(当然、主観的かつ恣意的)が認められるということです。
連続的なはずなのに、です。

深田さんの内容は、黒川伊保子(2004)『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』新潮社、をまとめたものでした。
音と印象形成の問題ですね。よく文化論など大きなテーマに発展しがちですが、案の定この方も一般化を図ってました。

しかし、その一般化には無理がありすぎで、むしろ矛盾点を探す話になってしましました。
ま、よくある論です。

おまけ。
研究会の後、ユン君とインターネットの話で盛り上がりました。彼はネット上の言語を対象にしているので。
そこで話題になったのは(管理人が話題にしたのですが)、以下の2つ。
@ネットの世界において、「(常に)誰かに見られている」という感覚は非常に大きなポイントなのではないか。フーコーの「パノプティコン」を想起させる。
Aネットの世界において、「真実」というのは如何にして担保されるのか。通常のコミュニケーションでは、嘘をつく(グライスの「質の格率」違反)と何らかのサンクション(例「嘘つき」「人でなし」あるいは関係そのものが瓦解する)が用意されている。しかし、ネット上では、その匿名性ゆえにサンクションのシステムが確立しにくい。つまり、嘘をついても問題がないのではないか。

ま、先行論なんて見てませんから(笑)Aは、そもそも「嘘」「真実」とはなんぞや、という哲学的な命題もちらつきますね。

2005.12.20 やっと通常の形に戻りましたね。今週の話をしましょう。

今週もミニ発表でした。
岡田さん「アクセサリーとしての現代方言」、幡野さん「「じゃん」の来た道」というお題でした。

岡田さんは、東北大の小林先生の論文(小林隆2004「アクセサリーとしての現代方言」『社会言語科学』9-7)をまとめてくれました。
「方言のアクセサリー化」とは、共通語と対比される時の方言が、共通語にちりばめられる心理的要素になること、です。この時、方言は共通語の中に適当に投入され、対人関係において相手の気を惹く効果を持つ、とされています。

ここ最近、都心部の女子高生の間で地域方言が流行っているみたいですね。しかもいい加減な用法らしく、まさに小林先生の指摘する「アクセサリー化」が起きていると思われます。しかし、「相手の気を惹く効果」というところで止まっては勿体ない気がします。
研究会では、消費社会における記号の消費、というお話になりました。
ボードリヤールですね。ちゃんと読まないとなぁ。

幡野さんは、「〜じゃん(か)」の伝播についてまとめてくれました。
題名からピンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、井上先生の『日本語ウォッチング』が元ネタです。
「〜じゃん」というと東京や横浜のイメージがあるかもしれませんが、もとを辿れば静岡に行き着くみたいです。
読んだはずなのにすっかり忘れてました(笑)

今年の研究会はこれで終了です。では良いお年を。

2006.1.10 あけおめことよろ。
この言葉もずいぶん広まりましたね。年賀メール(こういう呼称なんでしょうか)も多くなりました。
かく言う管理者もほとんどメールで済ませました。
世の中には「けしからん」とおっしゃる方もいるのでしょうが、そもそも年賀状も年賀の挨拶回りを簡略化したものですからね。
目くじらを立てている方はきっと年賀状を出さずに全世帯へきちんと挨拶回りをしているのでしょう、きっと。
ちなみに、実家の鏡餅は数年前からプラスチックです。

さて、1月10日は修士論文提出日でもありました。
そのお手伝いもあって、研究会は学部生のみで開催しました。
と言うわけで、よく知りません(笑)

資料はもらったので紹介だけ。
今回は東さんが「程度を表す言葉「ちょっと」」という発表をしてくれました。
次の「ちょっと」はどれぐらいの程度を表しているのでしょうか。
@ちょっとわかりません。
Aちょっと待ってて。
副詞というのは主観性の高い(強い)ものですが、日常生活ではあまり気にせず使われています。
この言葉が話し手と聞き手の間でどのように使用され理解されているのか、という問題提起でした。

しかし、そもそも言葉の「意味」とは主観的なものではないでしょうか。
人によって「意味」にズレや違いがあるのは経験的にも頷けると思います。
けれど、もしそうだとすれば人と話すことなど不可能になってしまいます。
少なくとも「理解」などできないし、「伝達」が成功しているのか不安に苛まれ続けなければならないですから。
さて、このジレンマはどのようにして解決できるのでしょうか。
当然、どちらかを破棄すれば解決します。けれど、管理者にはどちらも「正しい」と思えるのです。
誰か教えて下さい(笑)

2006.1.17 今回は長本さんの修論要旨を発表してもらうことにしました。
題目は「卒業論文&修士論文」を参照して下さい。

で、学部生の反応は今ひとつでしたね。難しい内容だったからでしょうか。個人的にはとても面白いと思うんですが。
文末表現の性差を江戸末期から現代まで追いかけたという貴重な通時的研究です。

やはり、今まで言われてきた「(言語において)男が女に近づく」という傾向は見て取れました。
問題はそれが何故なのか、ということです。
長本さんは男女に求められる役割(ジェンダー)の変化だ、と主張しています。
管理人もそう思っていましたが、自分の中で少し発展してきました。

先生もちらりとおっしゃっていましたが、男言葉が女性に取り込まれることで普遍的になってきた(有標性が低くなった)ということではないでしょうか。つまり、男言葉は女性に取り込まれることで普遍化し、女言葉は男言葉を取り込むことで女性性が希薄に(低く)
なった。その結果、どちらもアイデンティティに揺らぎが起きるため、次のレベルつまり「人間」というアイデンティティを求めようとする(例:ヒトして〜)。が、これは成立が難しい。そこで、元の「男言葉」「女言葉」に差し戻される。

ん〜難しい。

2006.1.24 もうすぐ今年も1ヶ月経ってしまいますね。我ながらすごく嫌なことを言いましたね(笑)
「我ながら」って表現は自らをものすごく客観視してますよね。自己モニタリングの標識になるのかも。

そんなこんなで、今回は3年生のミニ発表です。
三ツ井さんが「フィラー」のまとめと「ていうか(てか)」の考察。川口さんが「ポーズ」の話。
題名が曖昧で申し訳ないです。

三ツ井さんの「ていうか(てか)」は、会話の初めにいきなり使用される「ていうか(てか)」に話が集中しました。「turn取得」というオーソドックスな意見から、「話し手の中ではすでに会話が始まっている」というものまで出ました。おそらく用法についてはずいぶん指摘がされているのではないでしょうか(よく知りませんが)。しかし、会話の中で、特に若年層の会話の中で、どのように使用され機能しているのかきちんと調べる必要がありそうです。しかも、同様の機能(例えば話題転換)は伝統的な方言話者においてどのように達成されているのか、非常に興味深いところです。

川口さんの話は、杉藤先生の本が元になってました。CDまで用意してくれて、おかげで杉藤先生の声が聞けました(笑)話の内容によってポースは達成されるし、相手に情報を伝えるにはポーズが欠かせないということも分かりました。

さぁ来週は卒業論文提出ですよ。まさに研究会の日が提出日という大忙し間違いなしの1日です。

2006.1.31 みなさんは物事の締切りに対してどのくらいの余裕を持って臨んでいるでしょうか。
最も頻繁に挙げられる例として、「夏休みの宿題をどの時点で終わらせていたか」があります。
一日の分量を決めてコツコツやるタイプ、終わる寸前に日記を書いちゃうタイプ等々、思い当たるところはありますよね。
ちなみに管理人は「コツコツ派」でした。今では見る影もないほどいい加減な性格になっていますが(笑)

このような「夏休みの宿題」談話を話題として共有できるのは、どのくらいの年齢層なんでしょうか。
無論、教育制度に関わることですから年齢差(あるいは地域差)がでるのは当たり前でしょう。
しかし、言い方を換えれば、教育というのは「経験」や「記憶」の共有(幻想ではありますが)に大きく貢献しているのかもしれません。

31日が卒論提出日だったと言いたいがために長々と書いてしましました(笑)
無事全員提出しました。よかった。題目はまた後日掲載します。

さて、ミニ発表ですが、3年生の金堂くんが「かわいい」について発表してくれました。
四方田犬彦(2006)『「かわいい」論』ちくま新書、を読んでまとめてくれました。
ついこの間刊行された本ですね。管理人も読みました。面白いですよ。おすすめです。

大きく言うと、「かわいい」をめぐる問題は2つ。
@「かわいい」の意味をめぐる問題(「美しい」との違い、老人のどこが「かわいい」のか)
A「かわいい」の機能をめぐる問題(消費される言葉としての「かわいい」、何故「かわいい」と言うのか)
もちろんこの2つは連続的ですが、@はいわゆる意味論、Aは記号論(学)や消費社会論の対象と言えそうです。

面白いのはAの方だと思います。「言語学なら@じゃん」というツッコミは無視して(笑)
要するに、「かわいい」は、その対象をかわいいと思って発している言葉ではない、ということです。
言うこと自体に意味があるし、言うことで何かが達成されるわけです。
では、その「何か」とは何なのか。何故、そのようなことが必要になったのか。

女性がどんなときに「かわいい」と言っているのか、是非観察してみて下さい。

2006.2.7 今年度最後の研究会です。
4年生にとっては最後なわけです。・・・という感慨もさしてなく(笑)

3年生の錦織くんが「バイト語」について発表してくれました。
先に断っておきますが、研究の世界で「バイト語」という用語はありません。知らないだけかな。少なくとも初めて聞きました。
参考にした本がビジネスの本だったので、おそらくその著者が命名したと思われます。

要するに、バイトの時に先輩などが使っている(誤った)言葉を、社会人になってもそのまま使うのはけしからん、ということです。

個人的にこういう議論は「お腹一杯」です。
ただ、敬語やポライトネスの観点からすると、若者の敬語運用の状況とその形成は興味深いところです。
どのような「バイト語」があるのか。なぜ使うのか。どのような過程を経て使うようになるのか。店員と客の立場でそれぞれどのような意識(印象)の差があるのか。

今まで何人かに聞いたところによると、バイト(例えばコンビニ)を始める際、特に言葉の面で指示を受けないということです。
では、なぜ一様に「バイト語」を使うのか。

あなたが「今すぐにバイトしろ」ということになったとして(あり得ない設定ですが・・・)、「千円からお預かり致します」と言った方が何となく落ち着きませんか?「コーヒーでよろしかったでしょうか」と言った方がすんなりいきませんか?

「バイト語」という用語、案外しっくりくるものかもしれません。

今年度(も)閲覧して頂いた皆様ありがとうございました。
どのくらい訪問者がいらっしゃるのかカウンターを付けたいような、怖いような。
では、また春に。

                                                                       メインページへ


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