日本のキリスト教と日本の宗教意識
ここで考えたいのは、日本に入ってきたキリスト教とそれ以外の日本の宗教的文化との共存具合、あるいは相互関係(が、あったのかなかったのか)である。ここで言う日本のキリスト教とは、内村鑑三が言ったような「日本人による日本人のためのキリスト教」といったニュアンスのものではなく、単に日本国内で活動しているキリスト教、という程度の意味である。
◇キリスト教が日本に入ってきた時点で、日本にはいくつかの宗教的文化が存在していた。
これは基本的に現在まで変わりはない。
それらは主として、
・仏教(仏教的伝統)
・儒教(儒教的伝統)
・神道、自然崇敬的伝統
と分けることができるだろう。
・日本の宗教的文化と言っても、日本に存在している、というだけであって、これらが「日本的である」「日本らしい」とは言い難い。
仏教も儒教も外来のものであり、また東アジア一帯に広まっているものである。自然崇敬もまた各地に見られる形態である。
◇キリスト教も同様に外来思想である。
但しアフリカや中南米・南米、アジアでもフィリピンなどは、政治権力・武力とセットで伝来した為、強引にキリスト教文化圏にされてしまっている。東アジアではそのようなことはおこらなかった。
・日本にキリスト教が伝来した1549年、ザビエルの来日から、家康の禁教令が出るまでの約90年間に、キリスト教徒はかなりの割合で増加していた。苛烈な弾圧にもかかわらず、彼らの一部は隠れキリシタンとして明治まで信仰を保ったのである。
この時代のキリスト教と仏教の接点としては、有名な日乗とザビエルの宗教論争などがあるが、キリスト教と既存の宗教的なものとの関係は、概ね対立的であったと言えるだろう。
◇その後明治になって、再度宣教師が来日する。
明治時代初頭の欧化政策には、江戸時代までの文化を全て否定してしまいかねないような極端な性格があった。
そして日本のキリスト教指導者たちも概ねその路線上にいるように思える。
・彼らは、精神面で欧化を支えようとしたのであるが、そのやり方はいささか強引であり、また欧米の宣教師の影響を受けた「折伏的」な面があったのである。
そのため、仏教をはじめとする伝統的宗教勢力からは、強引な欧化・キリスト教に対する反発が起こってくる。また特に地方都市・農村部では、鎖国期の「邪宗教」政策が民衆の間に深く浸透していたため、非常に強いキリスト教に対する反感が残っていた。
キリスト教は時には激しい抵抗・妨害に合いながら、布教活動を行うことになった。当然のことながら、キリスト教の側にも伝統的宗教勢力・「自然宗教」的宗教意識に対する敵意が生まれてきたであろう。
◇欧化を進めるとは言っても、政府が進めたいのは文化・技術面での欧化であって、国家としては天皇制のもと、強力な中央集権体制を形作ろうとしている途上である。
そのためキリスト教は、ナショナリズムに対しては協力的態度をとった。
そこには、国家に協力的でなければ弾圧されかねない、というネガティヴな理由もあるが、近代国家としての日本を作り出すため、その倫理的・精神的支えとしてキリスト教を用いていきたいという、ポジティヴな理由もあるだろう。
内村鑑三、海老名弾正といった指導者たちのように、キリスト教の下地に武士道を置いたナショナリズム的思想は後者の代表的なものである。
・しかしナショナリズムに協力し、結果としてアジア侵略・太平洋戦争を後押ししたことは、反省材料として日本のキリスト教内に残ることとなるのである。
◇戦後も、概してキリスト教会は日本の宗教的習俗に対しては否定的である。
しかも、宗教的文化・習俗の内容を検討した上での否定ではなく、機械的に、「民間信仰・神道・仏教、全てキリスト教でないものは認めない」、という態度であるように思われる。
この原因の一つには明治以降の対立があるのではないだろうか。
事実、第2次世界大戦後のキリスト教は、伝統的文化に対して強い否定的態度をとっている点で、明治の指導者たちと共通するところがある。
戦後において、キリスト教は、一時期、新しいアメリカ文化と民主主義思想の導入におけるシンボルのようなものであった。これは、明治において、キリスト教指導者たちが欧化の精神的基盤としてキリスト教を用いようとしたことと似通っている。
もう一つは戦中に弾圧されたことへの恨みであり、それが天皇制・国家神道の基盤にもなった、先祖崇敬心に対する反発としてあらわれたのではないだろうか。
・プロテスタント教派の大部分は、戦前同様都市の青年や知識人を主たる対象として布教を続けており、カトリックもまた都市部においては同様に知識人や高学歴者層相手に布教を続けていた。キリスト教は、それまでの国家主義・国家神道への反動もあり、一旦は広まっていった。しかしその知識階層や学生が、アメリカ占領軍に対する反米感情を持つようになり、そのため次第に彼らはキリスト教から遠ざかることになってしまった。
さらにその一方で、知識層の宗教としてのキリスト教、というイメージが定着してしまったことや、キリスト教徒側の、「神に選ばれた」ものとしての自負心の強さと意識が、一般庶民のキリスト教への接近を妨げている、という指摘もある。
◇現在では、日本のキリスト教徒の数は、人口の1%に満たない。1999年の統計では、0.8%である。
しかし、ここであげられた0.8%という数字が厳密なものかどうかは、難しいところである。キリスト教徒の数は、基本的に、洗礼を受けていて教会籍があるか、ということで数えられているはずである。例えば求道者がその数に入るのかどうかははっきりしない。
一方の仏教には洗礼がない。どこかのお寺の檀家であって、仏事の度にそこからお坊さんが来る、というのと、洗礼を受けてはいないが毎週教会に行く人間とでは、どちらが「信徒」として統計に入れられるのにふさわしいだろうか。
・つまりここで考えられるのは、仏教(神道にも同じようなところがあると思われる)とキリスト教とでは、信徒がその宗教にかかわる際のかかわり方が違うのではないかということである。
宗教の形態として、創始者がいて、聖典・経典に類するものがあって、教義があって、というタイプと、
それほど厳密でなく、年中行事と結びつき、日常生活を無事に送ることを願うようなタイプに分けてもいいのでないか。仏教は本来、創始者・経典・教義の全てを備えた宗教であるが、現代の日本では、多くの信徒が後者として接しているのだろう。
教義とは、人生における価値観の指針を与えるものである、と言っていいかもしれない。しかし人間が惹きつけられる対象は、それだけではない。無病息災・家庭円満といった願い事などももまた重要な要素であろう。
日本のキリスト教に関して言えば、後者の機能を失っているところがあるのではないか。現世利益と言えば少し聞こえは悪いが、我々はその現世に生きているのである。具体的な「癒し行為」もまた、絶対に必要である。一般に「特に宗教を信じていない」「無宗教である」とされる層の人々も、日常生活を無事に過ごせる為の癒しは必要とするはずである。
◇現代では宗教間での対話・共存あり方が模索されている。
しかし仏教とキリスト教等、対立的・或いは対比的ではない形の宗教の相互関係もあり得る。アジア・日本においては、キリスト教徒であると同時に、同じその人間が伝統的な宗教文化をもみずからの内に持っている、ということが考えられるからである。一人の人間の中に、多重の宗教意識が同在しているのである。
・例えば近年では、日本のキリスト教でも、日本の伝統に対応した形の年中行事や葬祭を行うようになっている。これらは主として信徒の側からの要請に基づいており、信者の内面にある伝統的宗教文化的要素からの働きかけであると言えるかもしれない。
◇キリスト教はもともとパレスチナの宗教であり、それにヨーロッパ・アメリカを経由してきたのが、日本・アジアに伝わってきたキリスト教である。そこには当然、日本・アジアの自然状態とは、ずれたものも含まれている。
「そこ」にもとからあったものに関して、全く価値を認めず、それは間違っているから無くせ、というのでは、不誠実であろう。
例えば遠藤周作が「自分用に仕立て直す」と表現したように、日本・アジアの宗教意識に合うように直してやらねばならない。もちろんキリスト教の解釈を日本・アジア好みに変えれば済むといったものではないだろう。しかしヨーロッパ・アメリカの文脈で作り上げられたものを強引に日本・アジアに押しつけても仕方がない。
そのためには、変容しつつある現代の日本・アジアの宗教意識の中身がどうなっているのか、何が変化し、何が滅び、何が生き残っているのか、ということを考え直すところからはじめねばならない。
1999年の統計では、0.8%:文化庁編 『宗教年鑑』ぎょうせい、2000年、では、平成11年(1999年)時点で0.8%。なお、キリスト新聞社編 『2001 キリスト教年鑑』(キリスト新聞社・2001年)では、2000年時点で1.558%。ただし、この1.558%とはイエス之御霊教会、原始福音・キリストの幕屋グループを加えたものであって、伝統的教派であるカトリック・オーソドックス・プロテスタントの合計は0.86%である。恐らく文化庁による統計では伝統的教派しか数に入れていないのであろう。統計の取り方には色々と問題があるわけである。もどる