公園にくる前にひとつ買い物をした。
ミニスカートから伸びる細い足をしゃりしゃり動かし、レースの日傘を頭上で回した。どれもが白い色だ。
ヒールの高いサンダルの爪先を、青空を席巻する入道雲に向けた。太陽が天頂で輪郭をにじませながら溶けている。
ここにくるだけで、汗をかいてしまった。濃緑のキャミソールの背が濡れている。待ち合わせの相手は、まだこない。
もうろうとした頭は、聴覚のピントを狂わせてしまったみたいだった。蝉の声が体の中から聞こえてくる。こんなにも樹木に囲まれているのに、声がまるで蝉を一匹、お腹の中で飼っているかのように、染み込んでくる。あたしは額に、玉の汗を浮かべた。いつからこんなに汗をかくようになったのだろう。
日の光に当たることが、あたしは、好きだ。昔からのことで、学生の時分も、好んで日当たりのよい場所に居たがるあたしを、陽子と咲の二人が笑った。物好きだと。
陽子は口も手も、背丈も大きな女の子で、あたしとは長い付き合いだ。いつも大股で、真っ直ぐにあたしのところへ向かってくる。憎まれ口をたたきながら。
「こんな炎天下に待ち合わせなんて、承知するんじゃなかったわ」
ベンチの上からあたしは声の主を見上げた。細身のジーンズにスニーカーと、格好こそラフだったが、長い指の先の爪はきれにに整えられ、久しぶりに会う腹心の友にあたしは見惚れた。ずいぶんと髪が長くなっている。
「緑も、パーマかけたんだ」
うなずくあたしの腕の中にある物に視線を走らせ、そのまま彼女は勢いよくあたしの隣に座り込んだ。久しぶり、と笑う。
「あいかわらず、眠そうな目をしてる」
抱えた物を、膝の上から腿の付け根の辺りまで引き寄せ、ワンテンポずれてあたしは唇をとがらせた。
「そうかな。心なし、ぱっちりしてない」
「全然」
・・・・・・がっかりだ。
あたしの目は奥二重で瞼が重い。
ベンチにのせた籐の手提げから手鏡を取り出し、あたしは自分の顔を映し出した。ホワイトパールのアイカラーが瞼の上に刷いである。アイラインが目尻を持ち上げ、睫毛はカールしている。
「努力は認めよう」
鏡の中に陽子が割り込んだ。真っ直ぐな眉の下の目が細まった。あたしたちの瞳には、手鏡を覗く二人の姿がプリクラのように写し込まれていた。その中の瞳たちにも、それは延々と続いているのだろうか。
「茫洋とした感じがしてあたしは好きよ。いいじゃない、可愛げがあって」
なぐさめる陽子の声に、あたしは睫毛を動かした。
「でも咲みたいなのがよかったな」
ああ、と陽子の姿が鏡から消えた。あたしは手鏡を手提げにしまった。
「派手な目をしていたから」
睫毛が長くて、黒目勝ちの咲の目を、陽子はそう評した。
あたしは手の中の白い鉢を指の腹で撫でた。プラスチックのつるりとした感触。ためらいがちに陽子は足を組み、言った。
「あたしは緑ほど咲とは仲良くなかったけど」
「そうなの」
意外な思いであたしはその言葉を聞いた。
「そうよ、緑は咲とすごく仲良かったけど、あたしは、どうも咲の自分勝手なところが鼻について」
あたしは咲の豪奢な笑みを思い出した。感情を隠すことを知らない彼女は、下手に笑うと目元が凝って、悪意があるかのように見えた。あのときも彼女はその顔で、あたしに言った。「彼のこと、好きでしょ」
当時のあたしの片思いの相手を遠目に、咲はポニーテールのリボンを揺らした。校則違反の派手な色のものを彼女はしがちだった。注意しても直らない。
蛇口に指を置き、あたしは彼女に水を飛ばした。飛沫が辺りに飛び散る。かけないでよ、と向うで顔を洗っていた陽子が文句を言った。
水道場の縁から咲は身を起こした。濡れた体操服をつまむと、こちらを見て、あたしと同じ事をして見せた。だけど威力はあたし以上だった。周囲から悲鳴が上がる。
「緑が先に仕掛けてきたのよ」
にんまり笑って彼女は言った。あたしは手で顔を拭った。直撃を受けたあたしの体操服は、下着のラインが浮き出るほどになっていた。
「あんたねえ」
周囲の怒りを代表した陽子がタオルを投げてよこした。それを受け止め、咲はあたしの顔をやさしく拭いた。照れるからいけないのよねえ、と言いながら。あたしは何と答えたのだろう。まわりに一年生もいたし、強がってごまかした記憶がある。
部活後の火照った身体に、温んだ水は心地よく馴染んでいた。後ろの体育館からは剣道部の竹刀の音が弾け、前のトラックでは陸上部がダッシュを繰り返していた。最後に咲は自分の手を拭いた。
「欲しいものは欲しいと言わないと、全部通り過ぎていくわよ」
声を聞きながら、あたしはトラックを走る彼の姿を目で追った。へえ、そうだったんだ、と愉快そうに陽子が話に加わった。
「いいやつだけど、背が低いから、あたしは駄目だな」
「そんなの関係ないわよ」
咲はあたしを挟んで陽子に目を向けた。
「付き合って、気持ちよけりゃそれが一番」
あたしはそうなのかな、と他人事のように彼女の台詞を聞いていた。見ているだけで、あたしは幸せだったから。
「緑のそういうとこ、あたし好きよ」
グラウンドは夕闇に包まれ始めていた。夕焼けの色と同じリボンを結びながら咲が黒目を光らせた。そこには笑みが凝っていて、彼女の声は真実なのに、あたしはそれを見つめずにはおれなかった。
一ヶ月後、咲と彼が付き合い始め、陽子は彼女と大喧嘩をした。
「のど、乾いたな」
唐突にあたしは言った。
「そろそろ行く」
陽子が立ち上がった。その影が、あたしにかかる。あたしは白い植木鉢を抱えて、影を見上げた。
「ジュース飲まなきゃしおれちゃう」
なあに植物みたいなこと言ってるのよと、呆れた返事が返ってきた。
「そのハイビスカスだって元気に咲いてるじゃない」
声につられてあたしは花を見下ろした。反論が口をつく。
「ハイビスカスは熱帯の植物だもん」
そう言ってジュースをねだるあたしを、陽子が観察するかのように眺めていた。やがて、仕方がないなあと背を向けた。ひらひらと手を振り、その背中を見送るあたしの周囲で、いっせいに蝉が鳴き出した。
あたしの耳に、蝉の鳴き声は、公園の人々のざわめきよりなぜかはっきりと聞こえた。大股で歩く陽子が、売店で交渉を始めたのを見納め、あたしは目を瞑った。そのまま空を仰ぐ。視界が緑から朱に染まった。ハイビスカスみたいな朗らかな赤。つるりとした鉢を自慢の白い腕で支えるあたしの上向けた顔。そこに太陽の光が突き刺さる。暑いけれど温かい。
頭が朦朧とする。つられて心も朦朧とする。朦朧とした思い。今でもわからない、あたしは咲のことをどう思ってたんだろう。そして今は、
「なにやってんの、あんた」
呆れ声に目を開くと入道雲が広がっていて、枝振りのよい樹木が目に入って、それから陽子が缶を突き出していた。
「あ、お帰り」
まだ視界が緑にかすんでいる。親切にもプルタブを開けてあるジュースを受け取って、あたしは一気に飲み干した。オレンジジュースだった。こういうとき、好みを知り合った相手だと助かる。
ようやくクリアになった視界の中で、気づくと陽子が曇った顔つきをしていた。片手に、飲み口に口紅のついた缶ビールを携えている。
「ちょっと、どうしてあんただけビールなのよ」
「暑いもの」
答えにならない返事をし、陽子は口をつぐんだ。あたしは空き缶をベンチの横のくずかごに捨て、腕に籐の手提げをかけ、鉢を持って立ち上がった。ジュースの礼を言っても、生返事が返ってくる。陽子は何かを思案しているようだった。あたしは立ち上がり彼女の隣に並んだ。二人で目的地に歩き始める。噴水の前を横切り、遊歩林を歩き、花束を持った人々に混じった。
「あのさ」
唐突に陽子が声をかけてきた。見上げると眉根が寄っている。怒っているような顔つきだ。でも経験から、あたしは彼女が最善の方法を模索しているのがわかった。
「ずいぶんと迷ったんだけど。言おうとは決めてきてたんだけど、隠すのも変だし。……やっぱり言うのが言いと思うの」
要領を得ない言葉の後に、彼女は懐かしい名前を告げた。
「付き合ってるの、今」
間を置いて、あらまあ、と気の抜けた声をあたしは出した。そういえば、同じ大学にいる、と聞いたことがある。遠い日の彼の姿をあたしは思い浮かべた。ふと思う。
「たしか彼の背丈って、成長期を過ぎても陽子より低かったよね」
彼女の頬に朱が上った。その表情を見ているうちに、徐々にあたしはおかしくなってきて、ついには声を立てて笑った。ますます陽子の顔が赤らんだ。
「何笑ってるのよ、もう」
腕を振り上げた。笑って笑ってあたしはうつむき、ハイビスカスに鼻をつけた。ハイビスカスに匂いはなかったけれどそうしていた。木陰を選んであたしたちは歩いていて、光を受けて凛と輝く青葉の向うに煙が昇るのが見え始めていた。
「こうなったら一から語ってもらおうじゃない」
軽口をふんだんに交えながら馴れ初め話をせがむあたしを、追っ払うかのように手を振る陽子は、照れ隠しの怒った口調だった。
「あんただって、彼氏いるでしょ」
「先週別れたとこ」
とびきり明るく言いきったあたしの台詞に、心臓が潰れるようなけたたましい蝉の声が被さった。びっくりしたあたしたちがそちらを向くと、歓声を上げる三人の子供達がいた。男の子二人と、女の子が一人。年長と思われる男の子が、白い虫取り網を地面に押し付け、籠を持った少女が駆け寄った。残る少年は、次は自分に網を貸すようせがんでいる。
立ち止まるあたしの横で、ぽそりと陽子がつぶやいた。
「懐かしい景色だね」
振り向くと、陽子は目を細め、微笑んでいた。
「ま、積もる話は後にしてよ。どうせあんたの家に泊まるんだから」
「いいけど」
彼女の優しげな目にぶつかって、あたしはいたたまれない気持ちに襲われた。それが嫌で歩き始めたあたしの後ろで、ビールの空き缶を陽子は捨てていた。通りすぎたくずかごは、この暑さでか、空き缶でいっぱいだった。
「それにしても、どうして鉢植えなんか買ってくるかなあ……」
彼女の声を後ろに聞きながら、あたしは再びハイビスカスに鼻をつけた。顔を上げないあたしに彼女が問うた。
「何やってんの」
「花に酔ってるんだよーだ」
ふふん、と笑って陽子はあたしの頬をつついた。白い、あたしの腕の中で、ハイビスカスが赤い花を咲かせている。
終
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