
卒業おめでとうございます!
神戸慶友会会員で御卒業された方々からのメッセージを掲載致します。
平成5年10月に学士入学し、このたび平成18年3月に卒業できました。 この様な長期在籍の卒業生の体験談が、皆様の参考になるのかどうか不安ですが一つの例として述べさせていただきます。 私の入学動機は40年間一つの会社に勤め退職することになり、これから仕事を離れた自由の身分で如何に暮らすべきかを考えた時、これ迄の仕事関係以外の出来なかっこと、知らなかったことを体験したい、もう一度大学で知識を得たいという想いでありました。 通信教育に限らず、大学に学ぶ大方の皆様は卒業による資格が社会に於いて、 自分に有利に働くことを意識し、また高尚な自尊の心を求めようとされるのは当然の事です。 私のように生涯学習の名のもとに、卒業意欲の無かった者の体験談は、きっと厳しいご批判を受けること必定です。しかし私の撰んだ方法も勉学の一つの道だと思っています。入学当初は幸いに、近くの英会話教室に通っていましたので、外国語科目は難なくパスしましたが、その後の専門科目は難関の連続でした。 その成績は取得単位にCが多く、経過は遅々とした歩みでした。 一方 退職後の自由であるべき時間が思いのままに自由にできなかったのです。 それは私の住んでいるのは田舎町であり、生まれ育ち、永年暮らしてきた所で、 地域との係りが深く、地域住民との長い繋がりがあります。 毎日、会社につとめに出ていた当時は地域の役職は辞退していました、しかし退職後に、その役がどかっと廻って来ました。自治会、福祉関係、民生委員、老人クラブ等々の役員で、避けられない役です。 その役員の仕事というのは慶応の学問とは全く別の世界であり、そこでは学問の話はまったく通じません。 このような雰囲気から、いかにして自分の気持ちを学問の雰囲気に変えるかが大きな苦労でした。よく今の学生は勉強しないと云われますが、学生仲間の集まりとか、学校 キャンパスの雰囲気は、自然に勉強の意欲を起こさせもので、通学生は恵まれた環境にあります。私も慶応通信の入学当初は、慶友会の例会やスクーリングで友人や先生から励まされ、勉強への勇気を与えられました。特に同期入学の友人とは情報交換し親交も深かったのですが、年を経るにしたがってレポート、テストの厳しさの故か、音信も少なくなり途絶えて行きました。その頃が私にとって一番苦しかった時かと思います。同時に通信教育を続ける難しさを実感しました。 しかし私の入学動機が前述の通り、自分自身の為であり、人の為、世の為ではなく、また義務でもないと考えた時、遅くてもよい、たとえ後から来る者に追い越されてもよい、途中で諦め放棄して後に悔いを残すような事は有ってはならない、ただ続けるのみだと心を決めました。 そのために自分で納得のいく方法で履修していきました。テキストを何回も読む、その為に机上に常にテキストを開いて置いて、学ぶ雰囲気を作りました。成績の結果はやはりお粗末なものですが、繰り返し挑戦しました。 卒業論文にしても同じく遅々として、10回にも及ぶ先生のご指導をいただき、やっと自分で納得し提出しました。結果は Aですが、これはきっと努力賞かお情けです。しかし自分では精一杯したつもりで、満足しています。 慶応は妥協を許さない所だと思います。それ故に真剣に立ち向いファイトが沸きました。難関であった科目ほど、いま一番心に残ります。 私は在籍期間中で一番苦しかったのは、同期の友人が去って行ったときですが、神戸慶友会の同志が居ることが心の支えになりました。勉強については苦しいとか、嫌だなと思った時は無かったです。それは卒業の目標年度を決めていなかったからで、楽しい12年半でありました。 しかし一年の間には春夏秋冬がある様に、人生に節目が必要です。変化が無いと飽きがきます、その意味で一つの山(卒業)を越えました。山頂に立って見ると、また新しい学究の展望が開き、更なる希望が湧きました。 私の変わった卒業体験談に一人でも肯定され、同感される方が居られましたら嬉しく有り難く思います。
【はじめに】
3月に卒業して以来、自分の人生が新たな方面へ大きく動き出しているのを感じています。慶應での学びは、私の人生においても大きな転機となったように思います。この4年間を振り返ってみますと、道のりはだいたい次のようになります。
1年目 レポート・科目試験を大量にこなす多科目受験期。
2年目 レポート・科目試験に教職課程、卒論が加わった多科目受験期。かけもちすぎて混乱。
3年目 卒論・教職期。慶應退学を真剣に考えた低迷期。
4年目 卒論・教職期。覚悟を決めて踏ん張った時期。
当初は、最短で卒業して教員免許を取得するという明確な目的があったことから、綿密に計画を立て、試験では一つも落とせないという緊張感で頑張っていました。2年目になると多くの単位を残したまま卒論登録を行ったので、実際はレポートと科目試験に多くの時間とエネルギーをとられて、卒論は思うように進まず、3年目は教職課程も加わって、完全に行き詰まり途方にくれていました。このままでは卒業できないのではないかと真剣に悩みました。この時期を乗り越えて、4年目は自分でも「これ以上はできない」と思えるほど多大なエネルギーを注いで卒論を仕上げることができました。 卒業するということは本当に大変なことでした。それだけにまた自信にもつながったと思います。 以下、参考になるかどうかわかりませんが、4年間で私が実感したことをまとめてみたいと思います。
明確に卒業の目標を設ける
私は「2年半で卒業する」(教職課程にはプラス1年必要)という目標をたてたおかげで遅れても教員免許を所得して4年で卒業することができました。もちろん私自身が時間に融通のきく自営業であり、歩いて3分ほどの場所に県立図書館があったこと、地元大学が市民に図書館を開放してくれていたことなど、条件に恵まれていたことも幸運でした。でも、ある程度早いうちに卒業時期を意識することはモチベーションを上げるという意味で大事なことだったと思います。
レポート・科目試験期は目標の人についていく
私は慶友会の先輩や、「六甲」に掲載されている卒業生の方々の学習法を本当によく真似し、実践しました。また、マラソンのように自分の前を走っている人を見つけて、とにかくついていくことが(たとえ振り切られたとしても!)お勧めです。つられて頑張れるし、ペースをつかみやすくなります。
複数科目のレポートと試験をこなすには・・・ 6科目受験は真の勉強ではなく、悪魔に魂を売り渡す邪道なのでお勧めできないのですが、ある程度現状打開のために「こなす」ことが必要になったときには有効です。私のレポート作成法は、6科目すべてを同時並行して書くというものでした。初めのうちは気軽に参考文献から使えそうなところをどんどんパソコンに打ち込んで、あとからしだいに深く考えながら編集します。すると書きやすいと思っていたものが案外難しかったり、その逆だったりして、当初の予想とは優先順位が入れ替わってきます。もし1科目ずつとりかかった場合、それが予想外に難しいと時間がかかってしまうこともありますが、この方法なら書きやすいものから効率的にレポートの量産ができます。締め切り前になって、書きかけのレポートが6つもあると出さないのが勿体無いと思えるので、火事場の馬鹿力を最大限に利用して書いてしまえるというのも利点です。 試験対策では、重要な科目に比重をおいて、それ以外の科目は落とさない程度に要領よく要点をおさえる方法をとりました。これまで先輩の体験談にも紹介されていたように、目次を見て自分で説明してみる、各章で一番大切なところを2,3行でまとめてみる、などが有効で、カレンダー1,2枚に重要ポイントを書き出して部屋に貼っておくという方法もお勧めです。
卒論指導教授を早めに意識する
私の最大の失敗は、卒業を急ぐあまりテーマも指導教授も深く考えていない状態で1年目の冬に卒論登録をしてしまったこと。やはりある程度準備ができた上で登録すべきだったと思います。
レポート・科目試験は、自分でペースを決めることができますが、卒論指導は先生の都合という要素が加わってくるので、先生との相性や、どのようなペースで指導を受けられるかといった情報は大切です。これから指導していただく先生を探す方は、講師派遣という機会に是非希望を出して、お目当ての先生に来ていただくか、気になる先生が講師となっている他慶友会の講師派遣に参加するか、SSで相性のよさそうな先生を見つけるか、卒論指導を受けている人から情報を集めるなど、早めに意識しておくのがよいと思います。
卒論テーマは早めに決める(絞る)
これは文学部の場合ですが、多くの人が初めは大河の流れのような壮大なテーマを意図してしまいがちのようです。先生に「テーマが大きいと結局は一般的なことしか言えなくなる」と言われたときには納得したものです。研究論文というものは、(大河ではなく)自分の「井戸」を見つけて掘り下げるようなものだと次第にわかってきました。
私は『平家物語』というメジャーな作品を選んだため、先行文献が厖大で、大まかなテーマを決めても誰も着手していない「井戸」が見つかるまで、下調べにかなり時間がかかってしまいました。そしてやればやるほど「難しすぎて手に負えない」と思うようになり、楽な方向にテーマを変えようと何度か代替案を提示しましたが、それとなく却下されてしまうということを繰り返しました。
でも、4年目は覚悟を決めて、その世界に飛び込み没頭しました。すると、以前は難解だった論文の内容が理解できるようになり、複数の異本についてテーマになりうる角度から綿密に調査した結果、「長門本」といわれる伝本に関して、誰も指摘していない特異性と他とは異なる成立背景の可能性に気づくに至り、最後にはその道の大先生の説に異論を挟めるようにまで成長していました。苦労した分、最後には自分でも満足なものができあがり、先生に認めていただけたことは嬉しいことでした。
教職課程
慶應はただでさえ厳しいですが、教職専門科目はさらに判定が辛めなので、根気も必要な上、どうにもならない要注意科目もあるので情報交換は大切です。また、卒業の手続き同様、教職に関する手続きの締め切りも早めに設定されているので、大学発行の案内を熟読して、いつ教育実習をするのか、それにはいつまでに教科教育法に合格しなければならないのかを考え、卒論指導との関係を逆算して計画をたてることが必要です。でも、やりがいはあります。
余談ですが、教育実習の事前指導・事後指導で同期と対面します。さすがにこんな面倒な過程で頑張った人々はツワモノぞろいでかなり刺激になります。通学過程の講義で単位をとるなど高度な情報も知っていたりします。私の同期は全国で8人、うち4人がすでに卒業生で、残り4人は卒業式でそろって再会できました。お互いに卒論とかけもちで頑張ったんだなあと心の中で連帯感を感じました。
面接諮問
これが最後の試練でした。文学部3類の国文学は、国文学全般についての諮問があり、自分の先生よりも上位の教授が副査につくということもありうるので要注意です。私は卒論概要の説明を求められた後は、準備をしていた卒論への質問はなく、自分の指導教授からの質問もなく、副査の先生から国文学の諮問を受け、ヘビに睨まれたカエルのように悲惨な状態になりました。諮問も先生によってかなり違うようなので、「口頭諮問は雑談だ」という話を聞いても、最後まで気を抜かないでくださいね。
【おわりに】
思えば、右も左もわからない新入生の頃、体調を崩して弱っているとき、そして年次が進み新たな試練に悩む時期、いつも神戸慶友会の仲間の存在は心の支えでした。
卒業に際しては、卒業通知が来たときや卒業式に出て学位記を手にしたときよりも、仲間が一緒に喜んでくれて、暖かい祝福の言葉をかけてくださったことのほうがしみじみと嬉しく感じたものでした。
通信での勉強は自分との闘いであることは間違いありませんが、苦しみや喜びを分かち合う仲間がいるということは素晴らしいことだと思います。
私にとって、慶應通信で学んだ意義は、単に通信過程で学んだという以上に、素晴らしい人たちとの出会いにあったと思っています。
今、私は次のステップを目指して頑張っています。
皆さんもどうぞ困難に負けずに自分を信じて卒業まで頑張ってください。
これからも慶應通信の出会いと学びの中でますます有意義な日々を送られますことを心よりお祈りしています。本当にありがとうございました。
卒業を通して学んだことは自分と向き合うことの大切さでした。自分の愚かさや弱さ、孤独感や逃げなど否定的なこと全てと向き合う時間が長かったので、卒業はそれら全てとの決別のような重みを感じます。もう1つは、慶應によって読書のすばらしさと自分のこれからを見定めてくれるきっかけをもらったことです。今回この様な機会を頂きましたので、4年半を振り返る形で少し長くなりますが詳細に書きました。
入学後1年目:
‘99年入学。朝日新聞に通信大学の募集案内が掲載されており、唯一慶應大学にだけ英米文学部が存在していると知り入学を決意しました。入学後1回目の配本が届いたときは、大変な世界に飛び込んでしまった!とこれから始まる学生生活に不安がよぎりました。4月に入学したものの結局11月になってようやく科目試験を受ける気持ちになったのもそのせいです。この空白の半年間の間にこれからどのような手順で卒業まで持っていくべきかノートに計画表を立てました。4年〜5年を卒業目標にしていたので何を優先すべきかまとめる必要があったからです。そして、読むのが遅い私の難問は参考文献を読破するのに相当な時間がかかること。そのため、どんなに忙しくても1日数ページは所定の書物を読む時間を決め、達成したら印をつけて自分自身を奮起させる必要がありました。もう一つは、卒業論文への対策です。入学した時から“赤毛のアン”と決めていたので、まず、原文を1日1ページと設定し、ノートに英文を書いて左ページに私の訳文、そして村岡花子氏の翻訳文を書き写しました。この作業は結局2年かかり、ちょうど卒論指導と同時期に終了にこぎつけることができました。振り返ってみると、早めの卒論の準備こそ指導教授とのつながりを確かなものにしてくれると思います。卒論への自身の情熱さえあれば、あとは先生がいろいろな情報を引き出して下さいます。英文の翻訳作業は当初1時間30分かかっていましたが、2年間でまとめ終える頃には35分弱でできるようになりました。人間のなれってすごいな〜と思います。
慶應は英語が大変ということをスクーリング等で聞いていたので、1年目は英語?と英語A、英語?だけ科目試験を終了することができました。4回のスクーリングで必要最低単位の30単位をこなすためには、テキスト86単位が卒業要件であることを念頭に入れて2年目に突入します。
2年目:
志とは裏腹に、図書館通いとレポートの原稿用紙を埋めるのが精一杯で、テキストの勉強に実が入らなくなり自信を失っていました。というのも、この頃は何を送ってもD評価ばかりで、先生からは「論点がずれている」のきつい御指摘攻めで気分的に落ち込む日々が続いたからです。しかし、黙って納得する気にもなれず、この悲しみや怒りをすべてぶつけてやろう!とそれらの先生宛に長い手紙で苦情を伝えたものです。今思うと恥ずかしい行為でしたが、先生方の親切な返答でやる気を取り戻せたのも事実でした。一人で勉強することに限界を感じていたちょうどその頃、スクーリングで知り合った長谷川さんに神戸慶友会を教えて頂きました。その日を境にまた、やる気を起こし、レポートは着実に終了させていきました。しかし、試験となると緊張してしまい、2年目もようやく10月に受ける気になり、翌年4月に一般総合科目を終了しました。といっても社会学のレポートに悩まされ、4回目の郵送の頃には封筒に収まりきれず、それでも合格をもらえない自分の愚かさに嫌気がさしました。このせいで本来提出できるはずの卒論申告が遅れ、あせりと不安のまま2年目も過ぎていきました。
3年目:
3回目の配本とともに、山済みのレポートの準備、卒論資料集め、科目試験の勉強にまた計画表を立て直していた頃、我が家に介護の話が浮上し、仕事の退職を余儀なくされる。このときは自分の運命を恨まずにはいられなかった。残りのテキスト単位がまだ54単位あり、スクーリング3期分を2回こなさなければ4年での卒業は不可能だったからです。もちろん、仕事をしている時期はこのためにせっせと準備していたものの、介護となった時点で休学を思案しました。でも、もしそうなれば、一生復学することもないだろうと思い、もう一度挑戦してみることにしました。1日5回以上の食事の準備と友人との付き合いの時間が消えてしまい、気持ちが擦り切れ、体調を崩して1ヶ月程入院した時期はかなりこたえました。後々、これを盾にしてスクーリングを2回せがんだ私も私ですが・・・忙しく台所に立つ毎日の生活の中で、工夫したのはテキストを破る!ことでした。1章ずつクリップにはさみ、10分〜20分間隔で暗記する箇所をまとめ上げてしまうのです。この作業は結構面白く、たとえば、煮物をぐつぐつ炊いている間に、集中して要点をまとめ上げたり、切っている間に単語を覚えたりと一人で時間を調節するうちに楽しくなってきます。難点は、こんな勉強方法だといざ机に向かって勉強するのがたまらなく単調に思えることでした。ながら勉強も味があっていいですよ!(料理とかけて・・)
テキストを勉強するうちにいくつか共通点があることに気付きました。例えば、地理学?と地理学?、近世文学史とイギリス文学研究?、現代英文学と英文学特殊、アメリカ文学研究?と?、オリエント考古学と考古学、都市構造論と社会学、社会心理学と現代倫理学の諸問題、西洋史全般など同時に学習した方がより効率的で幅広く理解できることでした。もちろん、配本関係を吟味する必要がありますが、これらは端的にまとめ書きして同時に試験を受けると、近世英文学史のまとめ内容がイギリス文学研究?のテストに出題したりするので一石二鳥です。英語関係は単語の暗記が多いのでテキスト巻末のNoteを切り分けて台所で合間合間に覚えたり、お風呂の中でビニールにいれて暗記できるまでつかったり・・のぼせた経験は数知れずですが。それでも、1日数時間じっくり勉強する時間をとるにはどうしたものかと考えた末、夕食を取らずに、家族が食べているすきにこっそり机に向かったこともありました。しかし空腹に耐え切れず1ヶ月ももちませんでしたが・・・
3回目のスクーリングは2つのホテルに滞在して3期分全てに出席しました。途中、クーラー病と夏バテで39度の熱にうなされましたが・・・薄着は禁物です!!
4年目以降:
4回目の配本をもらい、2〜3ヶ月は睡眠時間を削る毎日でした。それでも時間が足りず、卒論の書き上げと家事全般をこなすために夕食を抜く日々でした。5月に第1回目の卒論指導を迎え、これまで読んだ書物量や自分の考えを述べると即書き上げる支持をもらいました。しかし、その内容は先生から見た“赤毛のアン”であって、私の観点とはずれがありました。どうしても納得できず、10月の個別指導までに自分の論文と先生の論文の2つをまとめて先に郵送しておこうと決意。結局私の論文を推薦して頂きほっとしましたが、3回目の個別指導を最後にと考えていたので、そのことを告げると膨大な量の課題を提示され頭が真っ白になりました。この時点でまだテキスト29単位分が残っていたからです。
複数の科目試験を試みる時はいつも、毎日のまとめ書きを束ねて試験会場に足を運んでいました。テキストよりもまとめ書きの方が心強かった気がします。特に、英語関係のテキストは細部まで単語等の暗記が必要なので、苦手な単語は重点的にまとめ上げ、自分の弱点を認識するように努めました。
4回目の最後のスクーリングも2つのホテルを移動しながら3期分全て出席しました。昼食もそこそこに休み時間は仮眠を取り、去年の二の舞を踏まぬよう努めるので必死でした。私は日吉から快速でひと駅の武蔵小杉にあるホテル・ザ・エルシーに2年続けて滞在しましたが、ここのおかげで1〜2期をうまくこなせたと思います。人気のホテルなので、予約等は早めがいいと思います。
最後の面接では2人の先生からの卒論に関する質問でした。レポートとテキストだけでは味わえない先生との個別の時間は私にとって有意義なものとなりました。
これから:
私はこれまで英語関係の仕事についていましたが、一生の仕事と思えるものに出会ったことがありませんでした。しかし、個別指導の2回目で卒論とは別にこれからの就職についてのアドバイスを頂き、本格的にその分野に向けて勉強しようと思うようになりました。
就職試験に落ちること9回、やっと、9月1日に出版社のトライアルに合格し、翻訳の道に乗り出すことができました。その喜びを大串先生と分かち合えたことは一生忘れません。
どうか皆さんも先生との個別指導を存分に活用なさってください。そして、何回Dをもらおうとめげずに自分を信じてがんばって下さい。わたしのこれからも次なる自己との向き合いが待っていると思いますが、自分を信じて前進していきます。慶應大学を卒業できたことを誇りに思います。皆さん一人一人が無事に卒業を迎えられます事を心より願っています。
2004年 法学部卒業 T.Y
【はじめに】
この度、神戸慶友会から卒業させていただきましたTです。
今回は、慶友会機関紙『六甲』に合格体験記を掲載させていただく機会をいただきましたので、私の考える慶應通信での学習法について紹介させてください。ただこれは、あくまで私、一介の卒業者の弁にすぎず、決して普遍的な原理・法則を述べるものではございません。あるときは批判してくださり、またあるときは応用してくださるなどして、御自身の学習法に活用していただければと思います。
まず、慶應通信における一般的な学習過程は、?レポート?科目試験?スクーリング?卒業論文に分けられます。従いまして、以下この順序によりまして私の学習法紹介させて下さい。
【レポート学習過程】
慶應通信においてのレポートは科目試験を受験するための必須条件であり、また、こなさなければならない数も多大であることから、効率よく学習することが要求されます。ですが、大抵の場合、テキストを読んでも全く分からず、結局は参考文献の丸写し(句読点までも丸写し・・)になっているケースなどが良くあるとききます。
しかし、これでは学習したことには全くなりませんし、添削してくださる先生もあまりいい印象は得られず、結局『再提出』という辛い結果となりがちです。そこで、私はレポート提出課題につきましては、以下の方法で学習しました。
まず、慶應通信のテキストの目次だけ読みます。この作業により、その科目についての大枠を捉えることができます。
そして、その目次という柱を自分の口で簡単に説明することを意識しながらレポートの課題の該当箇所を読み込みます。
つぎに、参考文献、テキストの中から、レポートの課題に関係あるところを丸写しでも構いませんから、ワードなどのワープロソフトにどんどん書き込みます。そうすれば、とてもレポートとはいえない文字の羅列になってしまいます。ですが、ここから、自分の頭と文章構成能力を駆使して、整理しながらレポートの体裁にまとめます。丸写しのままの言い回しでは変ですから、自分の言葉で書き換えなければなりません。また、構成の順番もバラバラですから、自分の構成に直す必要があります。不足な情報があったばあいには、適宜付け加え、また削除します。ちょうど、バラバラのジグソーパズルを参考書を武器にしながら作成するイメージです。このような過程を経て誰の真似でもない、自分の言葉による、自分だけのレポートが完成します。
【科目試験対策について】
このような学習により、レポート該当箇所についての学習については理解することができます。ですが、科目試験ではレポートとは違い出題が明らかにされていません。この点で、受験科目を網羅的に勉強しようとすると一科目につき、とてつもなく大変な時間と労力を費やし、これを全ての科目についてしようとすると、結果エネルギーが切れ、自己嫌悪に陥り、また学習から離れていってしまいがちです。そこで、なんとか試験を効率良く合格する方法が必要となります。その一つは過去問を検討するという方法です。つまり、その科目によって出題傾向、出題形式というものが明らかにありますから(科目によっては先生が故意的に難問かの同じ問題を順番に繰り返し出している科目もあると聞きます)その傾向に沿った学習をするためです。神戸慶友会でも、自分の受験した科目についての問題を提供した方には同じ有益な過去問情報を得ることはできますので、学習の手助けとするのも一つの方法です。他には、テスト勉強の効率性を高めるため、類似科目の試験を受験するという方法もあります。つまり例えば、刑法の総論と刑法各論、日本史と日本政治史等、類似科目を同じ時期に受験することにより、学習の効率性を高めるわけです。
そして、一見邪道に見えますが、何度受験しても合格できない科目は必須科目でないかぎり、たとえレポートが合格していても、試験は諦めるというのも一つの方法です。野球でいうところの強力バッターに対するピッチャーの倦厭です。なぜなら、一つの群には一つの科目しか受験できないところ、自分の学習能力とは全く別に、単位取得の難易度、評価A取得の難易度が科目によって天と地ほどの差があるからです。にもかかわらず、難易度と取得単位数とは全く関連性はありません。一般論を言えば、テキストの目次をそのまま『論ぜよ』形式で出題されたとして、一通りのことが口で説明できればまず大丈夫です。それで合格できない場合は特に得意であるなど特殊な事情がない限り倦厭した方が無難であると思います。私も『刑事訴訟法』他いくつかの科目はレポートは合格しているにもかかわらず倦厭いたしました。結果正解だったと今でも思っております。
なお、科目試験について、あくまで一般論ですが、解答用紙の分量は評価とは直結しないというのが私の感想です。私は試験は半分以上20分で退出してましたし、分量も少ないときは3行〜5行でした。裏まで書いたのは、得に得意な科目でしかも2〜3回しかありません。ですが、苦手な英語を除けば、『C』評価はほとんどありません。先ほどもいいましたが、テキストの目次の題名を口で説明できる程度、これで十分です。
【スクーリング】
スクーリングについての単位取得は比較的簡単ですので特に問題はないと思います。問題は卒業用件としてのスクーリング所要単位を実は理解していない方が非常に多いことだと思います。つまり、普通過程ですと卒業用件としてスクーリング単位が30単位必要です。これを毎年、一週間夏スクで単位を取得するとすれば、一期につき最大4単位ですから、学習能力とは全く関係のない、事務処理上の事情で単純計算で8年かかる計算となります。
そして、実際は試験に落ちる場合もありますし、語学単位など一単位の科目もありますので、もっと厳しい結果となります。首都圏在住者と異なり、地方在住者にとっては夜スクに行くのは困難ですし、この辺りの事情も加味して学習計画を立てられることをお勧め致します。
【卒業論文】
ある程度学習が進めば、卒業論文登録をすることとなりますが、この前に重要なのは“語学の単位が取得できていないかぎり、登録自体ができない”という点です。この点をクリアしたとして、重要となるのが、どの先生に担当していただくかという点です。これはあまり言われていないことですが、とても重要ですし、大げさに言えば、これによって卒業できるかどうかがかかっているとさえいえます。といいますのは、大学における先生方は強度の裁量を持っており、個性をもっておられることから、先生によって、慶應通信の考え方、卒業の考え方の違いが学生の論文作成能力、学習能力とは全く関係なく存在するからです。私の感覚では、先生によって、例えば大阪から東京に行くとして、鈍行でいくのと新幹線、飛行機で行くくらいの差があると思います。自分の希望の先生は、事務局に希望は出すことはできますので、是非希望を出されることをお勧めいたします。毎年二回、三色旗に卒業者の論文題目と担当教授の名前が載りますので、参考にしていただければと思います。
なお、卒業論文指導は半年に1回、“最低でも”3回、一年半、卒業までは二年はかかりますので、早めに登録されることをお勧め致します。
具体的な論文作成法につきましては、先生方の指導により字数、参考文献の数などを含め、全く異なりますので、ここでは省略させてください。
【卒業】
このような過程を経て、最終諮問に合格されますと、ようやく卒業することとなります。私は7年半かかってしまいましたが、これでも平均よりは早い(学士入学者も含め)というのですから、この過程の道のりの長さを感じます。
ここでは、2004年の卒業式での塾長の卒業生への三つの言葉を紹介させてください。
それは、誇りと勇気と言葉の力を持って社会のトップリーダーとなって欲しいというお言葉でした。
つまり、慶応義塾で学びんだこと、慶應義塾の卒業生であることに『誇り』を持つならば、他人を見下したり、またへつらうこともないだろう。堂々と誇りを持って社会で活躍して欲しいということでした。
また、『勇気』について、真の勇気を持って欲しいとのお言葉でした。すなわち、無学に基づく無鉄砲と正確な知識に基づく勇気とは異なり、無学による無鉄砲な行動は悲惨な結果を招きやすい。正確な知識を身につけ、正確な知識に裏づけられた真の勇気をもって欲しいということでした。
そして、最後は『言葉の力』を身につける、すなわち、日本語、外国語を問わず、自分の意思を正確に相手に伝える力を実につけて欲しいということでした。
以上は卒業式でのお言葉ですが、慶応義塾の学生として学ばれている皆様にとっても大切であり、是非お伝えしたいお言葉だと思いましたのでご紹介させていただきました。
【おわりに】
以上、私の思いつくことを赤裸々に、また自分勝手に記述してまいりました。ですが、最初にもいいましたように、これは一卒業者の弁にすぎず、他の卒業者に聞けば、全く異なる言葉が返ってくるかもしません。ただ、ただ、批判を含む、学習における皆さんの参考文献のうちの一つと利用していただければと思います。そもそも、大学における教育と高等学校までの教育との違いは『受動的学問』と『能動的学問』との違いであると私は思います。
すなわち、高校までの与えられ、それをただ知識として得る学問とは異なり、大学での能動的学問では、与えられる情報を批判し、自分の頭で考え、問題を処理する能力を鍛えることも要求されているように思います。
皆様が自らの学習法、学習意義を自ら見つけ、それに従った充実した学生生活、ひいては幸せな生活を送る際の批判を含む一つの材料にしてくだされば幸いです。
最後になりますが、卒業までの間、とてもアットホームな雰囲気により、過酷な慶應通信での精神的負担を軽減させていただきました、神戸慶友会の皆様に心より感謝いたします。ありがとうございました。
2004年9月卒業 法学部(法律学科) F.H
このたび、2004年9月に卒業することになりました。卒業に至るまでの長いようで短かった4年間についてできるだけ思い出しながら書いていきたいと思います。
私は2000年10月に普通過程に入学しました。入学当時は右も左も分からず、ただただ塾生案内を読み、卒業への道のりを模索していました。初めてのレポートは、確か西洋史でした。ビスマルクについて図書館で調べ、レポートの書き方の本を読みつつ奮闘しました。そして、初めての試験。まさかボールペンで、しかも一行問題には閉口させられましたが、卒業のためにはやるしかありません。その試験はなんとかCで合格でしたが、その後の4教科受験では、3教科不合格。この結果には愕然としました。合格しているとの甘い期待を抱いていたからです。
その後、慶友会に入会しました。慶友会の会合で学友のお話を聞くと、皆さん環境はさまざまですが、同じ気持ちで勉強に励んでおられるのだと感じることができ心強く、頑張ろうとの勇気が湧いてきました。また、試験情報の交換には、随分助けていただきました。自分だけの情報では自分が受けたことのない科目の試験対策が難しくなりますが、この情報により自らが受験していない科目の情報をえられるからです。ギブアンドテイクの情報交換でうまく考えられていると思いました。
試験対策としては、過去問を参考に、ひたすらテキストを読み込みました。慶応のテキストはうまくできており、またそのテキストを基本に試験問題が作られているように思います。よって、私は、試験勉強としてはテキストを何度も何度も繰り返し、はじめはざっと理解するために読み、だんだんと深く読み込んでいくというようにしました。科目試験では6科目受験し、緊張と疲れから試験中に周囲が真っ白になるというハプニングもありました。
さらに、スクーリングですが、1年目は学生会館という寮に宿泊しました。1・2期を日吉でうけたのですが、その寮で同じ通信の友人ができました。また、1年目のスクーリングは始めての大学生生活といいますか、慶応大学で学べるということが本当にうれしく楽しかったのを覚えています。私はスクーリングが好きで、一番の楽しみでした。スクーリングに出席することで大いに刺激を受け、卒業へのモチベーションを持ち続けることができました。またよき友人もできます。4年間のスクーリングは今思い返しても「楽しかった」の一言です。
とはいえ、2年目のスクーリングは大変でした。私は英語が苦手で卒業のネックは英語だと当初から考えていました。そのため、2年目は英語の単位をとるということが至上命題でした。6単位とらないと卒業指導を受けることができません。また、卒業指導から早くとも2年はかかるようでしたので、英語の単位をとらないと後々響いてきます。そのため、まず2単位をとろうと必死に努力しました。「英語?」の400ほどの短い英文を暗記し試験に臨み、3回目でやっと合格しました。その後、2単位を取得できたので英語のスクーリングの授業に参加。クラスの方々のレベルの高さについていけず、しかも、リーディングとライティングを両方とったので、ライティングの予習ができておらず、本当に苦労しました。2年目のスクーリングは途中でもう帰ろうとも思いました。しかし、ここで帰ってしまっては、卒業論文の指導申し込みが流れると考え根性でとどまりました。英語には苦しめられましたが、その分、単位をとれたときは「やればできる」と自信がつきました。
その後卒論指導に入りました。まだまだ、単位は残っており、指導申し込みに足りるぎりぎりの単位しか修得できていなかったのですが、早く卒業したいとの思いがありましたので申し込みました。入学当初から、卒論のテーマは「夫婦別姓制度」か「部分社会の法理」と考えていました。そして、憲法の司法権の限界のひとつである「部分社会の法理」をテーマにしました。小山剛教授(当時助教授)に指導していただくことになりました。初めての指導は緊張しましたが、先生の的確な指導のおかげで着々と進めることができました。
3年目の後半頃から、司法試験を意識するようになり、慶応の勉強と司法試験の勉強を両方することになりました。11月から択一試験という2次試験がある5月までは、司法試験の勉強に重きをおいていたので、単位取得と卒論との両立が大変でした。その上、択一試験には不合格となり、最後の方では1日10時間以上勉強していたので、つらかったです。しかし、この勉強が卒論また単位取得にも結果的にはよい方向に働きました。こうした勉強により実力が上がり、卒論のレベルアップに役立ちました。
卒論作成では文献にあたり、さまざまな学説を研究するなかで、法律学の深みを感じました。卒業論文を作成するのは根気と体力が必要でしたが、出来上がったときは本当にうれしかったです。
面接指導では、指導教授である小山教授と副審の先生から質問があり、きわどい質問にたじたじでした。面接諮問の結果が気になり卒業可能なのか一抹の不安を感じていたなか、卒業確定通知(面接諮問A、論文A)がきたときにはほっとしました。
長々と、書き連ねましたが以上が記憶に残るハイライトです。4年前、慶応を卒業することが私の大きな目標のひとつでありました。その目標がかなったことは本当にうれしく誇りに思います。さらに「慶応卒業」は次の司法試験という新たな目的へのステップになりました。視界が開けたことに感謝しています。(これからも、司法試験合格に向けて頑張ります!)
また、私は実家で働いているため、夏期スクーリングや土日の科目試験受験日には仕事を休ませてもらうこともできました。環境的に本当に恵まれていたと思います。両親の協力には感謝しています。
通信教育では、一人たつ一人学ぶとのスタイルが基本であり、個人的にはこの学習スタイルがあっているようでした。しかし、2000年10月に普通過程に入学してから4年間という最短期間で卒業することができたのも、神戸慶友会に入り、同じ目標を持った学友である慶友会員の方々と交流し刺激を得られたおかげであると考えています。最後になりますが、神戸慶友会の皆様、今まで本当にありがとうございました。