北朝鮮ツアー報告

私が朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)を訪れたのは、一九九一年六月と七
月の二回だ〔はじめての訪問は、朝鮮民主主義人民共和国国家観光総局の日本総代理
店である中外旅行社が「日朝国交正常化直前限定ッアー」として主催した観光旅行団
に参加したものだ。これは北京経由の空路で北朝鮮人りし、平壌ヽ開城ヽ平壌ヽ妙香
山ヽ+壌とまわる四拍五日のッアーだった。二回日は、親北朝鮮一一一団体「朝鮮の自キ
的平和続一を支持する日本委員会」「日朝文化交流協会」「日本教職員チュチェ思想研
究会」主催で二百九十九人が参加した「日朝友好親善の船」に便乗したもので、新潟
港から元山港へ二日かけて船で渡りご尤由ヽ平壌ヽ自頭山ヽ平壌ヽ南浦ゝ開城ヽ平壌
ヽ元山のコース十拍十一日(船中四拍)の旅行だった。
本書は、私がこの二回の北朝鮮訪間で見たこと、体験したこと、そして感じたこと
をまとめたものだ[そこで出会った人ぴととの短い会話や、道端に落ちていた電話帳
の切れ端、郵便局や公衆電話について朝鮮の真実があると考えられるからだ
多くのページを割いている。そこにこそ、北朝鮮の事実があると、考えるからだ。
 一九九一年に北朝鮮を訪れてから、七年の歳月が過ぎた。この間に北朝鮮で起きた
最大の変化は、一九九四年七月八日の金日成の死去と、類繁に伝えられろ貧糧不足に
よる国民の飢餓、それに同外への逃亡者の増加だ。
 ところが、一方で金正日書記が一九九七年十月八日に朝鮮労働党総書記に就任した
ときは、これを視う平壌市民が夜を徹して踊りあかしたという。一方で深刻な飢餓が、
もう一方では豊がではないがそれなりの生活を営む平壌市民の姿が伝えられる。
 どちらが現実か。それを知るには自分の日で確認するしかない。だから北朝鮮に行
く以外ない。「百聞は一見にしかず」だ]少しでも多くの観光客が北朝鮮を訪れれば、
あの同の現実が見えてくるにちがいない。
 私は一九九二年以来、北朝軽からは入国拒否されたままであるcだが、北朝鮮は基
本的に、七年前も今も変わってはいない。しかも、北朝鮮に人国できない私の代わり
に、多くの方から北朝鮮を訪間したときのビデオや上産話を間くことができたuそし
て、居ながらにして北朝鮮を知ることができた告さらに一九九二年から九八年まで、
八回にわたって、中朝同境約干五百キロを中国側から踏査し、北朝鮮をウォッチして
きた。中朝国境の廷辺地区という裏から見た北朝鮮の姿は、観光団で平壌(または元
山)から人国して得る情報とは、一味も二味も運っていた。だから、支庫本の発行に
あたって、延辺地区で知った情報を加える以外、前書の内容を大幅に書き換えること
はしなかった。ただし、物価や貨幣価値の変動により、現在の数字と合わない部分も
あることを諒解してほしい。
 なぜなら、北朝鮮での観光旅行は、七年前も今も、コース、内容など基本的に変わ
っていないからだ。唯一の違いは新潟ヽ元由間の航路に三一一池淵号に代わって万景峰
九二号が投人されたことぐらいである。ご一池淵号は海上レストランとして大連の港に
係留されているのを五年前に見つけたが、なつかしかった。
 本書が、北朝鮮理解の一助になれば望外の幸せである。執筆にあたって、多くの方
から資科や情報の提供をいただいた。とくに青森県で書店を営む村井伯州兄と、レイ
ンポー通商の宮川淳社長に、多大な協力、教示をいただいた。心から感謝します。
一九九八年九月九日朝鮮民主主義人民共和国建固五十周年の日中国・骨束市にて
※文中でPウォンと表記したのはパックントン・ウォン、ウォンは人民券ウォンを意味します