感動させる言霊たち(引用集)
1999年6−7月
- 99.7.22 D・タナー、L・タナー (ジョン・P・ミラー「ホリスティック教育」)
- 学習内容をバラバラにして小さな部分に分割して教える弊害の最たるものは、それが結局、知の全体的な統合的理解を難しくしてしまうということにある。全体を見渡す思想や哲学をもったり、さまざまな学習内容が生かされ合いながら他のもっと広い分野に応用できたりするためには、断片的な知識の詰め込みは役に立たない。
- 99.7.15 作田啓一 「三次元の人間」
- ・・・深い自我の中にあってさまざまの観念や感情が相互浸透している過程から不意に、自然発生的に決定が行われた場合、それらのうちの何が動機なのかと問われると、実はよく分からないと答えるほうが真実に近いのです。ところがそれでは社会生活はうまくいかないので、深い自我が行った決定であっても、それを表層の自我の平面に置きかえて答えを出す。つまり一般的に通用するような答えを出す。
- 99.7.7 秋野豊 「偽りの同盟」(日経新聞より)
- いま怒っていることに目を閉じれば、そのものの内なる歴史は腐敗し始め、過去に関する探索をやめれば、その者の『今日』そして『明日』を見つめる目は、その輝きを失うのである。
- 99.6.29 遠藤周作 「砂の城」
- 「美しいものと善いものに絶望しないでください。・・・(中略)・・・人間の歴史は・・・ある目的に向かって進んでいる筈ですよ。外目にはそれが永遠に足ぶみをしているように見えますが、ゆっくりと、大きな流れのなかで一つの目標に向かって進んでいる筈ですよ」「目標?それは何でしょうか」「人間が作り出す善きことと、美しきことの結集です。」
- 99.6.28 ハイデッガー
- 自分を知ることが深ければ深いほど、人は生き生きとしてくる。
- 99.6.19 E.H.カー 「歴史とは何か」(清水幾太郎訳)
- 歴史的事実という地位は解釈の問題に依存することになるでしょう。この解釈という要素は歴史上のすべての事実の中に含まれているのです。・・・(中略)・・・バラクルー教授自身も中世史家としての修行を積んだ人ですが、次のように書いております。「われわれが読んでいる歴史は、確かに事実に基づいているけれども、厳密に言うと、決して事実ではなく、むしろ、広く認められている幾つかの判断である。」・・・(中略)・・・「歴史というのは、歴史家が歴史を研究しているところの思想が歴史家の心のうちに再現したものである。」・・・(中略)・・・「歴史とは何か」に対する私の最初の答えを申し上げることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実とも間の相互作用の不断の仮定であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。
- 99.6.15 ゲーリー・スペンス「議論に絶対負けない法」
- 人間が、言ってみれば「より教養が深まり、より高尚になる」につれて、私たちは世間に向かって意図的に自己主張するようになった。もはや一般の人間の言葉は使わない。まわりの人間よりも自分のほうが学があることを証明しようと、もったいぶった言葉を好んで使うようになる。「心の底」で感じるよりも頭で考えて生きるようになったために、うまい言葉を一つずつ考えながら文章を作るようになる。言葉によって他人から自分を守ることができるということもわかった。丈夫な金網で自分を囲うように、自分自身を他人からまったく理解されないようにすることができる。巧みな言葉の金網で囲って防備を完璧に固めてしまったら、相手はどうやって私たちと意志の疎通をはかればいいのだろうか。・・・(中略)・・・イメージを創造しない言葉は避けなければならない。感情的な、あるいは視覚的な内容を備えていない言葉も避けるべきだ。相手の頭のなかの完成の乏しい知的な部分にしか働きかけない言葉も使うべきでない。単純な言葉を使いなさい。イメージと行動を創り出し、感情を動かす言葉を使いなさい。
- 99.6.10 本明寛「好かれる人になる心理学」
- 私は人間の能力を知的能力・技術的能力・態度的能力に分けている。この最後の態度的能力というのが、この問題に大きな意味を持つことになろう。世の中には頭の良い人、腕のたつ人はいくらでもいる。しかし態度の良い人はそう多くない。それは日本人は態度を能力と考えないからだ。積極性、協調性、慎重性、責任感などというものは人間の価値を決める重大な能力である。頭が良くて、態度の良い人は創造的活動ができる。腕がたって、態度の良い人も新しい科学的発明ができる人である。だから、頭も腕も大切であるが、人に好かれる人は態度的能力を養う必要がある。聞きなれない言葉かもしれないが、人間の人柄を形成している要素の一つである。
- 99.6.9 清水幾太郎「論文の書き方」
- 初め、私は、よい文章の例や悪い文章の例を豊富に挙げることが出来ると思っていた。それが読者への親切であると信じていた。ところが、随分努力したが、結局、これはほとんど実行できなかった。それは、文章が思想と融け合っているためで、取扱っている問題の内部へ深入りしないで、ただ良い文章とか悪い文章とかを言うことは出来ないからである。哲学の論文なら、それが取扱っている哲学上の問題そのものを正面から論じて行かなければ、その論文の文体を評価するわけには行かない。そういう事情で、到頭、文例は殆ど挙げることは出来なかった。これでも明らかなように、文章の勉強は、文章という形式的なものの勉強では済まないのであって、哲学の問題にせよ、政治の問題にしろ、経済の問題にしろ、とにかく、そういう内容の勉強と一つのものでなければならない。文章を作るのは、思想を作ることであり、人間を作ることである。ニーチェは言っている。「文体の改善とは、思想の改善のことである。」
- 99.6.8 ショーペンハウエル「読書について」
- 読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けて行けば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れ込んでくる。ところが少しの隙間もないほど完結した体系とはいかなくとも、常にまとまった思想を自分で生み出そうとする思索にとって、これほど有害なものはない。というのも、他人の思想はそのどれを採ってみても、それぞれに異なった精神を母胎とし、異なった体系に所属し、異なった色彩をおびていて、おのおのが自然に合流して心の思索や知識、見識や確信に伴うはずの全体的組織を作るに至らず、むしろ創世記のバビロンを想わしめるような言葉の混乱を頭脳の中にまきおこし、あげくの果てにそれをつめこみ過ぎた精神から洞察力をすべて奪い、ほとんど不具廃疾に近い状態におとし入れるからである。このような事態は多くの学者を例に取れば明らかであり、彼ら学者が常識や正しい判断、事にあたっての分別などの点で学のない多くの人に劣るのもそのためである。この人たちは経験と対話とわずかの読書で集めた乏しい知識を、いつも自分の考えで支配し統一しているのである。
- 99.6.7 エルベット・マットリン「眠りを減らせ」(竹村健一訳)
- 睡眠時間短縮プログラムに取り組むということは必然的に自分のライフスタイル全体を見直し、再構成するということに関わらざるをえない。睡眠時間を短縮する訓練をした人は、自制心の強い、何事にも成功できる人である。
- 99.6.6 ケインズ「一般理論」
- 経済学者や政治学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するのはそれ以外にはないのである。どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである。私は、既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されていると思う。もちろん、思想の浸透はただちにではなく、ある時間をおいた後に行われるものである。なぜなら、経済哲学及び政治哲学の分野では、二十五歳ないし三十歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くなく、したがって官僚や政治家さらには煽動家でさえも、現在の自体に適用する思想はおそらく最新のものではないからである。しかし、遅かれ早かれ、良かれ悪かれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である。
- 99.6.3 佐和隆光 「経済学とは何だろうか」
- ・・・経済学をはじめとする社会科学の場合、「有用性」ということ自体が、社会的文脈や時代的文脈のあり方に大きく依存する。つまり、ある理論体系が「有用」と認められるかどうか、したがって、それが受けいれられるかどうかは、多分にその時代と社会のありように依存するのである。その時代と社会に住む人々のものの考え方ばかりでない。伝統、文化、時代的背景、日常生活感覚などが複雑に絡み合って、ある理論体系を「有用」であるとして受け入れるかどうかが決まってくる。
- 99.6.1 河合隼雄 「こころの処方箋」
- 成功者の多くは、その成功の要因の一つとして人生における道草(一時的な停滞)を上げる人が多い。ながい人生においては、一見無駄に見える道草が、むしろ有用なものとなっている。その期間に経験したり考えたりしたことが、後々大きく生きてくるのである。人に遅れることの悔しさ、辛さ、焦り、絶望などと、それを乗り越えたときの様々な感動が、その人間の奥行きやふところの深さをつくるのである。人の心の痛みを知ることが出来る体験を得たことが、成功者としての重要な要素の一つなのである。
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99年4−5月の引用集
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