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強弓の武将・源為朝 |
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| 源為義の八男。鎮西八郎と称される。粗暴であった為、一時九州へ追放されるが、保元の乱の際に京へ呼び戻される 狩野茂光に攻められた為朝は、三宅島を経て八丈島に逃れる。 為朝は八丈の地で、七郎三長女(ひちちょうさぼうにょこ)との間に太郎・次郎と双子をもうけたという。当時、男女が八丈島と青ヶ島に分かれて住むことになっていた。為朝はその風習を破ったのである。これにより、八丈島に男女が共に住むようになったと言われている。 なお、島民はこの為朝を讃え、あがめ奉った。そして島を「八郎島」と呼ぶようになる。「八郎」は島の方言で「ハッチョウ」、八丈島の名がここから起こったのだという説もある。 八丈島に伝わる、為朝の逸話を幾つかあげてみる。 @ 鬼の石 為朝が鬼を退治して大岩の下に生き埋めにする。彼は「この石を通行人が爪で削って、桃の実ほどの大きさになったら助けてやろう」と言ったという。 A 大阪堀切 為朝が弓で射通して出来たと言われる窪地。八丈島第一の難所である。 様々な伝説を残す為朝だが、八丈小島を本拠とし、勢力をのばしていったようである。 しかし1173年(承安3)8月15日、為朝は再度本土からの追討の軍を迎える。強弓に大鏑矢をつがえて放ち奮戦するが、力尽き自刃する。享年35歳と伝えられる。 *現在、八丈島本土には「為朝神社」があり、強弓の武将を祀っている。なお、八丈小島にもあるのだが、私たちは見つけられなかった。 |
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