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足利直義派の武将たち |
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| <1306(徳治元年)〜1368(応安元年)> 関東管領・上杉氏の祖。足利尊氏・直義の従兄弟(母方)である。 <1340(暦応3年)〜1367(貞治6年)> 1349年(貞和5)、足利直義は鎌倉に居る甥・義詮に不安を抱き、その弟である基氏を鎌倉に東下させた。鎌倉府では直義派の上杉憲顕、尊氏派の高師冬が執事を勤めていたが、憲顕の権力が勝っていた。鎌倉府は直義が築いたもので、当時の鎌倉は直義の権力下にあったのである。 直義の死後、憲顕が南朝方と結んだ故に武蔵野合戦にて追討するが、尊氏の死後には直義の政治思想に影響を受け、憲顕を復任させている。憲顕は基氏の期待に応え、宇都宮氏綱らの反乱を鎮圧し、鎌倉府の支配体制を確立させている。 基氏の逸話に次のようなものがある。 鎌倉公方足利氏満(基氏息)が、父は何が好きだったかと義堂周信に尋ねた。すると周信は次のように答える。 「仏法政道、その他管弦・諸伎藝好まないものはなかったが、世俗が好む田楽は生涯一度も見なかった。なぜなら伯父大休寺殿が戯場を愛さなかったからで、政道の妨げになるからである」(『大日本史料』所収「空華日用工夫集」より) 直義が尊氏の田楽好きを諫めた逸話も有名である。基氏は、伯父であり養父である直義の執政体制や考えを高く評価し、見習ったのである。 1367年(貞治6)4月26日、基氏は28歳で病没した。墓所は鎌倉・瑞泉寺である。 *管理者談 基氏の政治的能力は兄・義詮よりはるかに勝っている。その兄弟関係、尊氏・直義と似通った部分があるのではないか。 |
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