「日本の唱歌と鎌倉・南北朝の深〜い関係!」

  最近、「音楽」の教科書に歌謡曲が入って、唱歌が除かれていますね。唱歌って、歌詞に深い意味あるのに、何で教えないの〜?あたしが教師なら、「荒城の月」「鎌倉」「箱根八里」…解説付きでいい歌いっぱい教えるのにな〜(笑)
 前置きはともかく「唱歌」には、『平家物語』や『太平記』といった、軍記物語から作られた歌詞が幾つかあります。歴史好きにはたまらない一曲。
 まずはわかりやすいのをご紹介。

元寇(明治二十五年)
  作詞作曲 永井建子


四百余州を挙
(こぞ)る 十万余騎の敵
国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男子あり
正義武断の名 一喝して世に示す

多多良浜辺の戒夷 そは何蒙古勢
傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我がかいな
ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分て往く
ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の
神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に
国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るは唯三人(みたり)
いつしか雲はれて 玄界灘月清し


タイトルから分かるように、鎌倉幕府軍と元の大群が戦い、台風で元軍が遭難した「元寇」の唱歌。
「死して護国の鬼と」や「いでや進みて忠義に」などはお国思想を、「神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし」は神国・日本を主張しているようですが、モデルとなった鎌倉武士にそこまでの思いがあったとは、思いがたいです。
 鎌倉武士が戦う主な理由は、お国の為でもなし、主たる幕府執権・北条氏の為でもなし、功績をあげて得られる「所領」なんですよね。
 ちなみに「荒城の月」、あれは奥州・藤原氏の栄枯盛衰と、源義経を唄ったもののような気がするのです……が

以上を読んで興味を持った人は、先へ進んでください。

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