「護良親王は生きていた!?」

護良親王は淵辺義博によって殺された。命じたのは足利直義。
 これが「太平記」に見受けられる護良親王最期ですね。
 そして淵辺は建武二年(一三三五)七月二十四日、手越河原(現静岡県静岡市の安倍川河川敷)で戦死するのです。直義が危うく見えた時、ただ一騎踏みとどまって戦死したといわれています。
 ところが神奈川県相模原市淵野辺に伝わる護良親王伝説では、暦応年間(1338〜1342)、境川沿いにあった竜池に棲む大蛇を義博が退治したとあるのです。淵辺戦死は1335年。時間的にムリがある伝説ですね。
 これには石巻(東北地方)に伝わる護良親王生存伝説が関わっていると思われます。
 石巻地方における護良親王伝説によると、義博は直義の命を受けたものの、親王を殺さずに鎌倉由比ヶ浜から船出、陸前国牡鹿群石巻に親王を逃れさせているのです。逆臣でなく忠臣ですね。
 そして親王はその年の九月に病死、石巻の一皇子神社に祀られます。
 この地には親王に従った八名の子孫と称する一族も健在なのです。
 淵野辺でも、義博が退治した大蛇を埋めたとされるお寺の近くに、親王を逃れさせる際、義博が妻子と縁を切ったといわれる「縁切橋」が架かっているなど、伝説が事実であったかのように史跡があります。
 なお「ひなづる伝説」という別の伝説もありますが、この伝説は親王は死んでいて、その奥方の話となるのでした。

 悲劇の親王だからこそ、源義経や安徳親王のような「実は生きていた」伝説が出来たのでしょうね。
 もっと深く調べてあるのですが、論文にして提出しましたのでこれ以上は書きません。
 興味ある方は図書館で調べてみて下さい。
 なお、「淵野辺伝説」については神奈川県淵野辺に行けば大抵分かります。JR横浜線・淵野辺が最寄り駅です。おしまいっ!


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