九州博多 鎌倉末期〜南北朝 史跡巡り
写真UPに悩んで1年。やっと更新です!
場所など、更に詳細を知りたい方はメールを下さい。
出来る限りでお教えします。
99年7月17日(土)
どんより雲。博多に着いたら何と雨。

●羽田空港より福岡空港へ。
羽田空港で余裕をぶっこいた佐原は、朝食がてらビールを飲む。
そのため飛行機に乗り遅れそうになる。
同行の名越さん、ご迷惑をおかけしました。

●愛宕神社
北条英時(最後の鎮西探題)が自害した「探題城」近くにある神社。
足利直義を研究する佐原が行った為か、はたまた雨女なのか、着いた途端大雨。
その中、根性で神社を見たが、人一人居なかった。

●探題塚
鎌倉初期から南北朝まで、代々の鎮西探題の館があった場所。
タクシーの運転手さんにさまよってもらったあげく、発見。
付近にある駐車場には「探題駐車場」と命名されている。
小さなお社があり、鳥居の奥に何かがあったようだが、崖崩れか何かで道がふさがれていた為、それ以上進めず。残念!

●元寇防塁壁
実は違う場所に、きちんとした防塁壁があったらしい。
愛宕神社より車で10分ほど走った場所にある防塁壁。現在は住宅街。
当時はこの辺りまで海だったのだろう。

99年7月18日(日)
とにかく暑い日。いい天気。昨日の大雨が嘘のよう。
●櫛田神社
鎮西探題のあった場所。
この周辺が当時の武家屋敷だったらしい。
かわらけ等が発掘されたと説明有り。
北条英時はここから出陣、愛宕神社へと退いて、自害することになる。
なお、櫛田神社から愛宕神社までの距離は約25km。海沿いに進軍し、進軍速度を5km/時とすると、約5時間で愛宕神社(探題城)にたどり着くこととなり、『太平記』の記述とほぼ一致する。
が、進軍をどうとったかは不明。調査の必要有り。

●聖福寺
足利尊氏が任命した鎮西探題・一色範氏が「いそうろう」したお寺。

足利幕府初期、争乱の続く九州を管理する目的でおいたのだが、どうやら館を建てずに寺を間借りしていたらしい。
当寺の開基は源頼朝。
風情があって、のんびりとしていて、一日居てもあきないだろう…
この付近、北条英時の館があったらしく、それらしい地名が残る。
●愛宕神社 PART2
前日大雨だった愛宕神社へ再び。
前日はタクシーだった為、愛宕山山頂という意識がなかったが、夏の暑い日差しの中、延々と階段を登ること10分強。愛宕神社境内へ。
境内から海が目の前に広がる、最高のパノラマ。
ここから北条英時も海を見つつ、自害したのかもしれない…
愛宕神社の裏に、神社跡あり。城壁らしきものも残る。
探題城はここか!?
謎を残したまま下山。

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